【5】新旧七賢人の集い
メリッサに頬をこねられながら、モニカが弟子を守る決意をしていると、扉がノックされた。
メリッサはモニカの頬から手を離し、眼光鋭く扉を見る。
扉を開けて最初に入ってきたのは、〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイだった。
その後に、現七賢人である〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストン、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラー、三代目〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライト、五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグが続く。
更に現役七賢人達の背後から、三人の人物が姿を見せた。
八十過ぎの小柄な老人、五十過ぎの白髪混じりの焦茶の髪の男性、そして紫色の髪の恰幅の良い老婆の三人だ。
モニカはその三人の名前を知っている。
杖をついて覚束ない足取りで前に進む老人は、〈雷鳴の魔術師〉グレアム・サンダーズ。
そんな老人を横から支えて気遣う焦茶の髪の男は、〈治水の魔術師〉バードランド・ヴェルデ。
派手な化粧をした大柄な老婆は、二代目〈深淵の呪術師〉アデライン・オルブライト。
(元七賢人……!)
モニカはレイの祖母である二代目〈深淵の呪術師〉のことは顔と名前ぐらいしか知らないが、それ以外の二人はもう少しだけ詳しく知っていた。
四年前、モニカとルイスが七賢人になった時、入れ替わりで退任したのが〈雷鳴の魔術師〉と〈治水の魔術師〉なのだ。
〈雷鳴の魔術師〉グレアム・サンダーズは竜の単独討伐数で未だに歴代一位に輝いている、かつて最強の名をほしいままにした伝説の魔術師。
〈治水の魔術師〉バードランド・ヴェルデは治水事業や上下水道の技術開発に携わり、リディル王国の水道事業を飛躍的に成長させ、水道大国に押し上げた第一人者。
どちらも教科書で必ず名前を見かける有名な魔術師である。
(メリッサお姉さんも含めると、元七賢人が四人も……)
ここに〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルがいたら、現存する七賢人経験者が全て揃っていることになるだろう。
そうそうたる顔ぶれに唖然としつつ、モニカはソファから立ち上がり姿勢を正した。
メリッサですら、これは只事ではないと判断したのか、ソファから立ち上がる。
先頭に立つ〈星詠みの魔女〉が口を開いた。
「まずは皆様、おかけになって」
その言葉に、ルイスがサッと動いて一番良い椅子にクッションを敷き詰める。
最年長の〈雷鳴の魔術師〉がフガフガと不明瞭な声で礼を言い、椅子にちょこんと腰掛けた。
他の七賢人、元七賢人達が各々ソファや椅子に着席したのを確認し、モニカもソファに腰を下ろす。
全員が着席すると、〈星詠みの魔女〉が廊下に目を向けて、声をかけた。
「さぁ、お入りなさい。〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジ」
廊下から一人の男が姿を見せる。
擦り切れたローブを羽織った背の高い男だ。年齢は三十を幾らか過ぎたぐらいだろうか。黄色に近い金髪を撫でつけており、顔立ちは鋭く険しい。
ローブの下には動きやすそうな服を身につけており、服の上からでもその肉体が鍛えられたものであることが分かる。
岩のようにゴツゴツした大男とは少し違う。鋼の糸を束にしたような、しなやかな強靭さを感じる肉体だ。
(この人が、新七賢人候補……)
以前の会議ではまだ二つ名は無いと聞いていたが、どうやら新しく決まったらしい。
それにしても〈竜滅〉とは、なんとも物騒な二つ名である。竜の単独討伐数でも歴代三位になっているし、竜討伐に強い思いがあるのだろう。
サイラスは新旧七賢人達を前に萎縮するでもなく、鋭い目で室内を見回した。
その視線が、モニカの上でピタリと止まる。
(………………え?)
モニカがソファの上で硬直していると、サイラスはただでさえ鋭い目を更に剣呑に細めた。その眉間には深い皺が刻まれている。
(わ、わたし、睨まれてる……っ、な、なんでぇぇぇ……っ)
横に座るメリッサがモニカの脇腹をつつき、耳打ちした。
「あんた、あいつと知り合いなの?」
モニカは無言でブンブンと首を横に振る。
サイラスの顔に見覚えはないし、名前だって最近知ったばかりだ。それなのに、サイラスは明らかにモニカのことを睨んでいる。
モニカが真っ青になって震えていると、〈星詠みの魔女〉が口を開いた。
「これから〈竜滅の魔術師〉には、魔法戦による審査を受けてもらいます。それで、対戦相手だけれど……」
「〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。貴女にお願いしても良いかしら?」
ぎゅぇぇっ、と喉を鳴らしそうになるのを、モニカは必死で耐えた。
「わ、わたしが、ですかぁ?」
「基本的な攻撃魔術の技術を見るなら、貴女が一番適任なのよぉ」
メアリーの言葉に、ブラッドフォードが不満そうに口を挟む。
「なぁ、星詠みの。俺がドカンとやっちゃ駄目なのか? 折角、骨のありそうな奴が来たのによぉ」
「ブラッドフォードちゃんの戦い方は、審査向きじゃないのよぉ」
メアリーの言うことは正しい。〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンは国内最高峰の火力の持ち主だが、どうしても「当たれば勝ち」という戦い方になってしまう。
例えばサイラスが防御結界で敵の攻撃をどう捌くかを見たくても、ブラッドフォードの魔術が当たった瞬間、勝敗がついてしまうのだ。
一方、ブラッドフォードは詠唱が長いという弱点もあるので、詠唱をしている間に攻撃を受けたら、あっさり決着がついてしまう。
つまりは審査の場において、ブラッドフォードの性能はあまりにも尖り過ぎているのだ。
同じことはラウルとレイにも言える。能力が特化しすぎていて、攻撃魔術、防御魔術、飛行魔術などの能力を満遍なく審査するには、あまり適していない。
メアリーは戦闘向きではないので、そもそも論外である。
(多分、一番の適任者は、ルイスさんなんだろうけど……)
ルイスは魔法兵団の元団長を務めている、実戦に強い魔術師だ。魔法戦も当然に得意としている。
だがルイスは〈竜滅の魔術師〉の推薦人だ。
推薦人が魔法戦の対戦相手になるのは、あまり望ましいことではないから、消去法でモニカが選ばれたのだろう。
ただモニカが魔法戦の対戦相手に向いているかというと、それも疑わしい。
無詠唱故に発動が早く、命中率が極めて高いモニカの魔術は、ルールに則って行われる魔法戦では、あまりに有利すぎるのだ。下手をしたら開始の合図と同時に決着がついてしまう。
モニカが困っていると、メアリーが甘えるような声で言う。
「貴女が適任なのよぉ。ねっ、お願い?」
「おい」
メアリーの言葉に被せるように声を発したのはサイラスだった。
食いしばった歯の間から絞りだすように、サイラスは低く唸る。
「俺に、こんなガキと戦えってぇのか?」
獰猛な獣のような唸り声に、モニカは杖を胸に抱いて震えた。
サイラスは全身から怒りと不快感を露わにしている。
サイラスは見るからに戦闘慣れした男だ。そんな彼にとって、対戦相手が冴えない小娘だなんて小馬鹿にされてるとしか思えないのだろう。
そんなサイラスをたしなめるように、メアリーがおっとりと言う。
「〈沈黙の魔女〉はウォーガンの黒竜を追い払い、レーンブルグの呪竜を討伐した、実力者よ。相手に不足は無いでしょう?」
「あぁ、知ってるぜ。このチビが二大邪竜を倒したってなぁ……っ!」
サイラスは怒りに満ちた目でモニカを睨み、憤怒を堪えるかのように全身をブルブルと振るわせた。
(おおおおお、怒ってるぅぅぅぅ、なんでぇぇぇぇ──っ!?)
サイラスはこめかみに青筋を浮かべ、歯を食いしばっていた。
間違いなく彼は怒っている。それもただの怒りじゃない。激怒だ。
(ま、まさか……黒竜退治や呪竜退治は、自分がやりたかったから、とか……!?)
〈竜滅の魔術師〉を名乗る彼は、竜討伐に並々ならぬ執念を燃やしているという。
二大邪竜討伐の名誉を奪ったモニカに激怒していると考えれば、この凄まじい怒りも納得がいく。納得はいくが、理不尽である。
モニカが半泣きで震えていると、意外な人物が口を開いた。
今まで置き物のようにじっとしていた、最年長の老人。サイラスの師匠でもある〈雷鳴の魔術師〉グレアム・サンダーズである。
「サイラス」
〈雷鳴の魔術師〉は小さな声で一言そう言っただけだった。それだけで、サイラスはハッとしたような顔で動きを止める。
「……師匠。すまねぇ。だが……」
苦い物を飲み込むような顔をするサイラスに、偉大な〈雷鳴の魔術師〉は一つ頷き、厳かな口調で言った。
「朝ごはんは、まだですかのぅ?」
室内が、重い沈黙で満たされた。
誰もが次に発する言葉にためらっている中、サイラスが撫でつけた金髪をガリガリとかきながら言う。
「……師匠。今は昼前だ。朝飯は俺がパンと卵焼いただろ」
「ところで、わし、なんで、ここに呼ばれたんですかのぅ?」
「……俺の七賢人選考」
「このクッション、フカフカでいいですのぅ。持って帰っていい?」
「……後でここの責任者に訊いとく」
気の抜ける師弟のやりとりに、室内の空気が一気に弛んだ。
サイラスは深々とため息をつくと、周囲に撒き散らしていた怒りを引っ込め、苦い顔でメアリーを向き直る。
「……やっぱり、対戦相手は変えてくれ。そっちのオッサンでも、赤毛でも、なんなら複数人でもいい」
サイラスの言葉にメアリーが困ったように眉を下げて、推薦人のルイスを見る。
ルイスはやれやれと言わんばかりの態度で肩をすくめた。
「あまりわがままを言われても困りますなぁ。まして七賢人複数を相手にするなど、慢心にも程がある」
「だったら、あんたが相手になれよ。女みたいにチャラチャラ髪を伸ばした兄ちゃんよ」
次の瞬間、ブラッドフォードがルイスの三つ編みを掴み、ラウルが薔薇に鎮静効果を付与し、レイが行動を束縛する呪術の詠唱を始めた。
ブラッドフォードに三つ編みを掴まれたルイスは不服そうに口を開く。
「……みなさん、私をなんだと思ってるんです?」
「おぅ、それじゃお前さん、今何する気だったか言ってみろや」
ブラッドフォードの言葉に、ルイスはニコリと上品に微笑んだ。
「苦労して見つけた七賢人候補ですよ? 再起不能にするわけないでしょう? 私は大人ですから。えぇ」
あくまで穏やかな態度を崩さないルイスに、モニカは拍子抜けした。
女みたい、という言葉はルイスにとって最大の禁句だ。
以前、ルイスの前でその言葉を口にした者が、とても人には言えないような目に遭ったことをモニカは知っている。
「今日のルイスさん、や、優しい……?」
思わずモニカが呟くと、メリッサが呆れたように鼻で息を吐いた。
「そりゃ、〈治水の魔術師〉がいるからね」
「……? …………あ」
元七賢人〈治水の魔術師〉バードランド・ヴェルデは、ルイスの妻ロザリー夫人の父親である。
つまりは、ルイスにとってお義父さんなのだ。
「猫かぶってんのよ、あれ」
「な、なるほど……」
愛妻家のルイス・ミラーは、妻の父親である〈治水の魔術師〉には頭が上がらないらしい。今日のルイスは過激な言動はしないだろう。
モニカが密かに胸を撫で下ろしていると、ブラッドフォードに三つ編みを掴まれたルイスは、爽やかに笑って言った。
「ただ、礼儀を知らない若造に、教育的指導は必要ですよね?」
前言撤回。
大変なことになるとモニカは確信した。
「わたしっ、やりますっ、魔法戦っ、やりますっ!」
今のルイスをサイラスと戦わせては大変なことになる。
モニカが決死の覚悟でそう叫ぶと、ルイスはニコニコしながら頷いた。
「では私と〈沈黙の魔女〉殿の二人で、〈竜滅の魔術師〉殿の相手をしましょう。複数人でも構わないとのことですから」
この言葉に目を剥いたのは、モニカとサイラスである。
「うぇっ、いえっ、あの! わた、わたし、一人、で……っ!」
「おいっ、俺は、このガキとは……っ」
モニカとサイラスの叫びを無視し、ルイスは親しみのある笑顔をモニカに向けた。
「力を合わせて頑張りましょうね、同期殿!」




