【2】中級魔術師ウーゴ・ガレッティ君とカッコイイ魔術師
七賢人が一人〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンには、弟子が一人いる。
その名もウーゴ・ガレッティ。中級魔術師で年齢は二十二歳。海洋国家アルパトラの出身で、クルンクルンした茶髪をひっつめて結っている中肉中背の青年だ。
彼はブラッドフォードに命じられ、つい先日まで「とある人物」の足取りを追っていた。今はその調査が一段落したので、王都に戻る乗合馬車に乗りこんだところである。
乗合馬車は長椅子が向かい合うように設置されていたので、ウーゴは一番後方の端に座った。
できれば格好良く足を組んで座りたかったのだが、乗合馬車は大変揺れるので、足を組んで座るのは危険である。実際にそれで椅子から転げ落ちたことがあるので、ウーゴは普通に座った。
馬車が動き出すまで、まだ少し時間がある。ウーゴはひっつめ髪からピョコンと飛び出した一房の前髪を弄りつつ、師匠に命じられた調査について振り返った。
(調査……難航するかと思ってたけど、普通に順調だったなぁ)
ウーゴが調査を命じられた「とある人物」の名は、セオドア・マクスウェル。
その男が何をしたのかまでは、師は教えてくれなかった。国家機密なのだ。
ただ、マクスウェルという姓には聞き覚えがあった。
元七賢人〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルと同じ姓だ。きっと彼女の縁者なのだろう。
(俺の推理だとこれは、元七賢人が関わっている陰謀……)
師はセオドアの足取りを追うにあたって、こうも言っていた。
──絶対に深追いはするな。奴にドカンとかますのは俺の役目だからな……と。
つまりそれだけの危険人物なのだ。
(そんな危険人物の捜索を俺に任せるってことは、お師匠も俺のことを一人前として認めたってことだよな。うんうん)
そんなことを考え、ニヤつきそうになる口元をウーゴはこっそり引き締めた。カッコイイ男は無意味にニヤニヤしたりしないのだ。
やがて馬車が動き出す。乗客はそれなりの人数になっていた。
乗客は大半がサザンドールの水夫や商人だ。そんな彼らから少し離れた席に座っているウーゴは、意味深に窓の外を眺めた。
別に窓の外に何かを見つけた訳ではない。ただ「窓の外を警戒している俺、有能っぽくてカッコイイ」と思ったのだ。
世間ではしばしば「アルパトラの男は、気分の浮き沈みが激しい格好つけ」などと言われているが、ウーゴもその例に漏れず大層な格好つけであった。
「そこのお兄さんは、もしかして魔術師なのですか?」
他愛ない談笑をしていた乗客の一人が、ウーゴのローブを見て声をかけた。
いかにも船乗りらしく日に焼けた初老の男だ。足が悪いのか杖を手にしている。ウーゴが手にしている魔術師の杖とは違う、歩行補助のための杖だ。
ウーゴは初老の男をチラリと見て意味深に目を閉じ、腕組みをした。
その方が物憂げで格好いいからだ。そうして、目を閉じたままできるだけ渋い声で言う。
「……あぁ。今は師に仕事を頼まれていてな」
ここで師匠について触れてくれないかな、とウーゴは思った。
そうすれば師匠が七賢人であることを語れるからだ。
こういうのは自分から切り出すのは格好良くないのだ。あくまで訊かれたから答えたんですよ、というスタンスが大事なのである。
ところが初老の男の横に座っていた男が、別のところに食いついた。
「魔術師の仕事っていうと、やっぱ竜退治とかか?」
「違う」
ウーゴの師匠は竜退治を得意としており、ウーゴもその補佐をすることはあるが、彼自身は戦闘が苦手だ。
竜退治におけるウーゴの役割は、師匠が詠唱をする時間を稼ぐため、防御結界を張ることぐらいである。
無論、俺は戦闘が苦手だと大声で主張するのは恥ずかしいので、ここはあえてぼかしておく。
「竜退治じゃないが、大事な調査があってな……師が多忙だから、俺が駆り出された訳だ」
ほらほら、意味深に師匠の存在をアピールしてるんだから、食いついてくれよ。
そんなウーゴの願いが届いたのか、初老の男が訊ねた。
「その師というのは?」
よっしゃ! とウーゴは密かに拳を握りしめる。
そして、あえて意味深に一呼吸の間をあけて、ウーゴは師匠の名を口にした。
「……〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストン」
──って言うんだわー! お前ら知ってるだろ? 知ってるだろ? うちのお師匠、超有名人だもんな! ほらほら、驚け驚け!
……というウーゴの目論見通り、乗客達がざわついた。
できれば、その顔を一人一人じっくり眺めて悦に浸りたいが、それはあまり格好良くないので、ウーゴは目を閉じたまま腕組みを続ける。
それでも周囲の驚きと尊敬混じりの空気は充分に伝わってくるし、気分がいい。
(いいぞいいぞ、もっと驚け。ふっふっふー)
目を閉じて悦に浸っているウーゴは気づかなかった。
向かいの席の目深にフードをかぶっていた男が、顔色を変えて息を呑んだことに。
フードを被ったその男は、服の下に抱えた何かを守ろうとするかのように両手で腹の辺りを押さえ、深く俯く。
「なんと、七賢人のお弟子さんとは」
「なんか、妙な縁があるな。親父」
驚いたような声でそう言ったのは、最初にウーゴに話しかけた初老の男と、その横に座っている三十歳ぐらいの男だ。あまり似ていないが親子だったらしい。肌の焼け具合と雰囲気から察するに、どちらもサザンドールの船乗りだろう。
しかし妙な縁とは何のことだろう? ウーゴが怪訝そうに見ると、杖の男が「これ」と言って息子をたしなめ、息子はハッと口をつぐんだ。
(追求するべきか? ……いや、あまり根掘り葉掘り聞き返すのは格好良くない気がするんだわー……)
格好良く見せるためには口数は少なく、最低限に。これが秘訣である。
縁とは何のことだ? と短く簡潔に訊ねよう。これならそんなに格好悪くない。
ウーゴは口を開いた。
「縁とは……ぶぎょあぁっ!?」
少し渋めの声で格好良く言いかけた瞬間、大きく馬車が揺れてウーゴは舌を噛んだ。
最高に格好悪い奇声をあげてしまったが、それを気にする者などいない。すぐに御者席から悲鳴が聞こえたからだ。
「翼竜だっ! 翼竜の群れに狙われてるっ!」
この辺りは決して竜が多い土地ではないが、風向きの関係で翼竜が迷い込んでくることはたまにある。
だがそれが群れでとなると、そうそうある話ではない。窓の外に見えた翼竜は五匹。運が悪いにも程がある。
ウーゴが「あばばばばば……」と口元に手を当てて狼狽えていると、船乗り親子の息子の方がウーゴを見て怒鳴った。
「おい! あんた、七賢人の弟子なんだろ!? なんとかしてくれ!」
「できるかっ! 竜に攻撃魔術当てんのが、どんだけ難しいと思ってんだ!? まして翼竜だぞ!? ビュンビュン空飛んでんだぞ!? 当たるはずねぇだろがっ! 石投げた方がまだ当たるんだわっ!」
最早格好をつける余裕もなく、ウーゴは唾を飛ばして早口に喚き散らした。
攻撃魔術を当てるというのは、一般人が思っている以上に難しいのだ。
まして止まっている的ではなく、動き回っている翼竜──しかも翼竜には眉間以外に攻撃を当てても無駄ときた。
竜の胴体に攻撃魔術を当ててダメージを与えられるのなんて、ウーゴの師匠の〈砲弾の魔術師〉ぐらいのものである。
ウーゴの腕では、攻撃魔術を百発打って一回でも当てられたら幸運だ。
狼狽えるウーゴに、船乗り親子の息子が眉をひそめて言う。
「索敵術式? とかなんとか、そういうのを使えば、攻撃がバシバシ当たるんじゃねぇのか?」
「無茶言うなぁぁぁぁ!!」
船乗りがどこで索敵術式なんて言葉を聞いたかは知らないが、索敵すれば必ずしも攻撃が当たるわけではないのだ。
まして、索敵しながら攻撃するなど、どれだけの技量が必要になるのか。ウーゴには一生かかってもできる気がしない。
「それができたら、俺はとっくに七賢人なんだわっ!」
中級魔術師ウーゴ・ガレッティの悲痛な声に応えるかのように、頭上で翼竜達がギャアギャアと鳴き喚く。明らかに獲物を見つけて興奮している声だ。
乗客達は恐慌状態に陥り、混乱している。馬がいうことをきかないのか、馬車は完全に道の真ん中で止まってしまった。
その時、向かいの席に座っていたフードの男が「ひぃっ、うわぁぁん」と情けない悲鳴をあげて、馬車から飛び出す。
ウーゴは思わず叫んだ。
「馬鹿っ、外に出るなっ! 狙われるぞっ!」
案の定、上空を旋回していた翼竜の一匹が、フードの男に狙いを定めて急降下してきた。そのまま口に咥えられて高いところから落とされるか、或いは鋭い爪で斬り裂かれるか。
これから起こる惨劇にウーゴが硬直したその時、ヒュォウッと風を切る音がした。
翼竜の巨体ではなく、もっと小さくて速い何かが風を切るその音を、ウーゴは知っていた。
あれは飛行魔術を最高速度までかっ飛ばした時に出る音だ。
次の瞬間、フードの男と翼竜の間に黒い影が割り込む。杖を手にしたローブの男だ。
(あれは上級魔術師の杖……?)
上級魔術師が来たから助かった! とウーゴは思わなかった。
詠唱の必要な魔術師にとって距離を詰められることは致命的だ。そして、上級魔術師の男と翼竜の距離はもうほんの僅かしかない。
翼竜の爪が魔術師の男に振り下ろされようとしたその瞬間、魔術師の杖がパリパリと音を立てて発光した。杖の先端に雷が集い、槍の穂のような形を成している。
魔術師の男は飛行魔術を維持したまま体を捻り、雷の刃を繰り出した。
飛行魔術の推進力と、捻った体の勢い。この二つを完璧なタイミングで合わせた一撃は、翼竜の眉間を深々と抉る。
(飛行魔術と体術の合わせ技……! 魔法兵団の人間か!?)
魔術師の男は雷の刃を引き抜くと、そのまま急上昇し、近くにいる翼竜に襲いかかる。
男はとにかく飛行魔術の使い方が上手かった。飛行魔術を使いながら攻撃魔術を使うというのは非常に難しいのだ。その上、あの男は飛行魔術に体術を合わせている。
稲妻のように翼竜との距離を詰め、雷の槍を振るうその戦い方は、並の魔術師にできることじゃない。
空を飛び回る魔術師の男は、あっという間に四匹目の翼竜の眉間を貫いた。
上空を旋回して様子を見ていた最後の一匹は、相手が悪いと気づいたのか、その場を離脱しようとする。
「……逃すかよ」
魔術師の男が低く呻く。憎悪に満ちた、背筋が凍るような声だった。
「竜は滅ぼす。絶対だ……対竜捕縛術式起動」
男は飛行魔術を解除して地に降りると、雷の刃は維持したまま、早口で何かを詠唱した。
すると上空に細い雷が網のように広がり、翼竜にからみつく。
あれがただの雷の魔術なら、魔力耐性の高い翼竜は容易く突破していただろう。だが、何か仕掛けがしてあるのか、雷の魔術は執拗に翼竜にからみつき、その動きを妨害した。
男は地面に足を踏ん張り、雷の刃を纏った杖を大きく振りかぶる。
(うぉーいおいおい、マジかよ)
ウーゴは絶句した。
あれだけ高度な魔術を使っておいて、最後の最後、トドメは投げ槍。
(原始的にも程があるだろ。魔術使えよ)
男はシュッと息を吐き、杖を翼竜にぶん投げる。
あれが当たったらカッコよすぎるだろ、とウーゴは思った。当たった。
美しい弧を描いて空を舞う杖。その先端の雷の刃が翼竜の眉間を正確に貫く。
最後の翼竜が地に落ちた瞬間、息を呑んで見守っていた乗客達がわぁっと歓声をあげた。ウーゴも思わず「うぉぉぉぉ!」と興奮の声をあげた。
(か、カッコイイ……! なんだあれ、カッコイイー!)
魔術師の男は墜落した翼竜の眉間から杖を引き抜くと、馬車の方に近づいてきた。
御者が涙声で礼を言えば、男は「礼は良い」と首を横に振る。
近くで見ると、ウーゴの師匠程ではないがなかなかに大柄な男だった。年齢は三十歳ぐらいだろうか。黄色に近い金髪を撫でつけており、目つきは鋭く、戦士の風格がある。
御者が何度も礼を言い、魔術師の男に名前を訊ねた。
魔術師は杖を肩に担ぎ、ボソリと低い声で素気なく名乗る。
「……サイラス。サイラス・ペイジ」
あの名乗り方カッコイイな。次に名乗る機会があったら真似しよう──とウーゴは密かに思った。
* * *
馬車を降りたフードの男は命からがらとばかりにその場を離れ、木陰でへたり込んだ。
「こ、ここ、怖すぎるぅぅぅぅ、なんなのあれ、なんなのあれぇぇぇ……うぇっ、七賢人の弟子と同じ馬車に乗り合わせただけでもついてないのに、なんか物騒な奴まで出てくるしぃ……おれ、無事に王都に行けるかなぁ……うっ、自信無くなってきた……ぐすっ」
メソメソと泣き言を言いながら男は服をまくり、腹の辺りに隠していた黒い小箱を取り出す。
そうして小箱の周囲に散りばめられた宝石を、子どもをあやすかのように指先で撫でた。
「おれ、頑張るから、もうちょっと待っててね……お前を封印した残り二人の魔術師……目星はついてるんだ」
ウーゴ・ガレッティ君の故郷アルパトラは、クリフォードが留学していた国でもあります(外伝4【1】でラナの父親が手紙で触れています)
別に重要な地名ではないので、覚えなくて大丈夫です。