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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝9:精霊の歌、高らかに
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【おまけ】空腹感と寂しさは似ているので

 酒に酔って寝てしまったモニカを、あの不愉快で失礼極まりない神官が連れていった後も、シリルはしばらくその場に立ち尽くしていた。

 あの神官が戻ってくる様子はない。モニカの部屋に居座っているのだろうか。

 もし、あの男がモニカの恋人だというのなら、何もおかしなことじゃない。具合が悪い恋人の看病をするのは自然なことだ。


(……部外者の私が、口を挟むようなことじゃない)


 そう、自分は部外者なのだ。モニカにとって、ただの先輩。

 シリルはモニカにとって頼れる先輩であろうと思っているし、その立ち位置に不満はない。

 不満はないはずなのに、胸がチリチリするのは何故だろう。

 腹の奥がスカスカで、ちっとも満たされないような心地がするのは何故だろう。


(きっと空腹だからだ)


 そう自分に言い聞かせ、シリルは早足でホールに戻る。

 ホールには人が増え始めていた。嵐が止んだことで、足止めをくらっていた客人達が次々とやってきたのだろう。

 屋敷の主人であるエリオットは忙しそうに客人達の間を飛び回っている。

 シリルはもう挨拶は済ませているし、小一時間ぐらいしたら、適当なタイミングで退出しても構わないだろう。

 とは言え周囲に顔見知りもいないので、シリルは近くのテーブルに用意された料理の皿を手に取った。

 香ばしく焼いた肉からは、バターの良い香りがする。この辺りはバターを使った料理が多いらしい。飲み物や菓子にも贅沢にバターが使われている。

 彩り良く野菜を巻き込んで焼き上げた肉を、シリルは作業のように口に運んだ。

 続いてウズラのパイも一切れ、黙々と平らげる。

 そうして最後に子羊の煮込みを食べ終えたところで、胃もたれをおこした。

 シリルは偏食ではないが、少食である。普段なら一皿で充分な肉料理を三皿も連続で食べれば、当然の結果であった。


(胃がムカムカする)


 まごうことなく食べすぎたせいだ。それ以外の理由なんてない。

 シリルは少し胃が落ち着くのを待って、ホールを後にした。

 そうして外に向かいながら、意識を集中してトゥーレとピケに「戻れ」と命じる。

 契約術式というのは目に見えない糸で人間と精霊や竜を繋ぐものだ。

 この糸は魔力供給だったり、行動の制限だったり、或いは意思の伝達だったりと様々な役割を担っている。

 シリルは契約対象に正確に言葉を伝達できる訳ではないが、それでも「戻れ」という意思ぐらいなら伝えられた。

 糸で繋がっている相手の居場所はなんとなく分かるし、元よりシリルが領主の屋敷にいることをあの二人は知っている。だから、合流するのは然程苦労しなかった。

 あの二人は領主の屋敷に出入りするのに向いている服装ではない。

 だから、屋敷から少し離れたところで合流したのだが、その判断は正しかった。

 なにせ合流したトゥーレとピケときたら、嵐の中を転げ回ったかのようにずぶ濡れで泥だらけなのである。肌や髪にはところどころ花びらが貼り付いていた。

 人外とは言え、成人した男女が何をしていたのやら。


「……雨宿りはしなかったのか?」

「お花が飛んできて楽しかったから遊んでたんだ。ねっ、ピケ?」

「綺麗だった」

「うん、とても綺麗で、楽しかった。モニカはすごいね」


 モニカの名前が出てきた瞬間、空腹感に似た空虚さを覚えた。胃もたれするほど食べたばかりだというのに。

 シリルは胃を押さえて、二人を交互に見る。


「それで、宿は……」


 二人は黙り込んだ。大方、遊ぶのに夢中になっていて、宿のことなどすっかり忘れていたのだろう。

 そんな予感はしていたので、シリルは小さくため息をついて、言った。


「領主殿が、遠方からの客人用にいくつか宿を押さえてくれているらしい。二人はイタチの姿になってくれ」


 二人は「はぁい」と声を揃えて返事をし、物陰でイタチに化けた。

 ぐっしょりと濡れた白と金のイタチがシリルの肩に飛び乗る。

 肩が冷たくなったが文句を言う気力も無くて、シリルは宿に向かって無言で歩き始めた。



 * * *



 エリオットが遠方からの客人用にと用意していた宿は、貴族の人間が使うに相応しい高級宿だった。

 風呂もあるようだが、さすがにイタチを連れ込んでザブザブ洗うのは気が引ける。

 だから、宿の人間に頼んで湯を張ったタライを用意してもらい、そこでシリルはトゥーレとピケを洗った。


「こんなに濡れて……寒くはないのか?」

「わたし、氷霊」

「わたしは雪山に棲む白竜だよ?」


 言われてみればそうだった。

 我ながらなんて間抜けなことを訊いたのだろう、とシリルが己を恥じていると、布に包まっていたトゥーレが金色の目でシリルを見上げた。


「寧ろ、寒いのはシリルじゃないかな? 顔色が良くないよ?」

「指も冷たかった」

「もしかして、わたし達が服を濡らしちゃったから? ごめんね?」

「ゴメンナサイ」


 そう言われるとなんだか肌寒いような気がした。指先もすっかり冷たくなっている。


「ごはんを食べたら、体が温まるんじゃないかな?」

「……いや」


 トゥーレの提案にシリルは首を横に振った。

 ようやく胸やけと胃もたれが落ち着いてきたところなのだ。今夜は夕食を抜くぐらいで丁度良いだろう。

 ふと思い立ち、シリルは二匹のイタチを残して部屋を出た。

 この手の高級宿には大抵ティーサロンがあって、そのそばに茶や茶菓子を用意するための小部屋がある。

 シリルは宿の人間に断ってその部屋を借り、紅茶の用意を始めた。

 昔から、紅茶やチョコレートなどの飲み物を用意するのが好きだ。

 正しい手順で、決まった時間で行う作業をしていると、なんとなく心落ち着く。

 思えば昔から、苛々したり、落ち込んだり、どうにも調子が出ない時ほど、シリルは手を動かしたくなる癖があった。

 羽根ペンのペン先を削って整えたり、古紙の皺を伸ばしたり、或いは資料や本の整理をしたり。

 そういうシリルの癖を、エリオットなどは「庶民臭い」と揶揄ったものだが、その癖のおかげで生徒会時代の資料室は綺麗に保たれていたのだから、散らかし魔のエリオットは寧ろ感謝するべきだとシリルは常々思っている。


(茶器を扱う時は、丁寧に……)


 母の教えを思い出し、シリルはそっとティーカップを並べる。

 茶器は繊細だ。苛々した気持ちで雑に扱ったら、欠けてしまうかもしれない。だから丁寧に扱おうと自分に言い聞かせれば、自然と荒んだ心も落ち着いてくる。

 シリルは紅茶のラベルに目を向けた。

 宿に用意されている茶葉は、どれも高級宿に相応しい物ばかりだ。


(安い茶葉で良いのだが……)


 ハイオーン侯爵に引き取られてからはあまりやっていないが、本当は安い茶葉で適当に煮出して作ったミルクティーが一番ホッとする。子どもの頃から慣れ親しんだ味なのだ。

 シリルはしばし思案し、ベルガモットのフレーバーティーを淹れると、ポットとカップを盆に載せて自室に戻った。

 トゥーレとピケは窓辺にちょこんと座って、外の景色を見ている。


「もう夜なのに、賑やかだね」

「みんな歌ってる」

「『ぽぷりあるっか、かるるっか』可愛い歌だね」

「お菓子ぶつけてる。不思議」


 シリルは盆をテーブルに置いて、窓の外を見た。

 嵐が去った後の町は夜だというのに賑やかで、人々はランタンを掲げて歌い、踊っている。


「モニカがお花と音楽を届けてくれたからだね」


 トゥーレの言葉に、シリルは「あぁ」と頷いた。

 あの笑顔をもたらしたのが、自分の後輩なのだと思うと素直に誇らしい。

 シリルはそのことを静かに噛み締めながら、カップに紅茶を注ぐ。自分の分と、ついでにピケとトゥーレの分も注いでテーブルに置いてやった。

 トゥーレが窓辺からピョンと器用にテーブルに飛び乗り、「いいにおい」と嬉しそうに尻尾を振る。


「ねぇ、シリル。モニカには会ったの?」

「あぁ…………いや……」


 頷きかけてシリルは言葉を濁した。


「会話らしい会話は、できなかった」

「じゃあ、明日会いに行こう。お花と音楽、素敵だったって伝えに行こう」

「いや、明日はすぐに王都に行く。図書館学会役員の懇親会があるんだ」


 シリルが首を横に振ると、ピケがシリルの膝の上に飛び乗って、シリルを見上げた。


「だから、落ち込んでたんだ」

「……? 落ち込む? 誰が……」

「シリルが。さっきからずっと落ち込んでる」

「私は別に落ち込んでなど……」


 否定の言葉を飲み込み、シリルは苦く笑う。

 今日は少し、虚勢を張るには疲れていた。


「……いや、そうだな。少し落ち込んでいたのかもしれない」


 シリルは自分の胸の中に芽生えた感情と、静かに向き合う。

 空腹感にも似た、満たされない気持ちをシリルは覚えていた。

 それは子どもの頃、ずっとずっとシリルの胸にあった馴染みの感情だ。


 ──お母様、こっちを見てください。褒めてください。


 その言葉を飲み込み、隠してきたその感情の名前は──寂しさだ。


「私はモニカにとって、ただの先輩で知人でしかないのだと思ったら……なんだか、寂しく思ったんだ」


 シリルがポツリと呟くと、ピケが不思議そうに言った。


「先輩で知人じゃ嫌? じゃあ、シリルはモニカの何になりたいの?」


 氷霊らしい冷ややかな言葉は、しかし悪意は感じない。

 率直に疑問に思ったことを口にしただけなのだろう。


(……ピケの言う通りだ)


 自分はモニカにとって何になりたいのだろう。

 現状は先輩で、仕事仲間だ。それだけでは不満だというのなら、自分は何が欲しいのか。


「ピケ。シリルはモニカの特別になりたいんだよ」


 シリルは目を丸くしてトゥーレを見た。

 カップの横で白いイタチが尻尾を振る。イタチに人間の表情なんてないのに、なんだか笑っているように見えた。


「シリルは、モニカが大事なんだね」

「あぁ、大事な後輩だ」


 特別で、大事な後輩。その言葉は、なんだかとてもしっくりくる気がした。

 そうだ。自分はモニカを特別な後輩だと思っているから、自分も特別な先輩になりたいのだ。

 その結論に満足して、シリルは紅茶のカップを傾ける。


「……っつ〜〜〜〜〜っ!」

「熱かったんだ」

「熱かったんだね」

「…………」


 シリルは涙目で口元を押さえ、無言でカップをソーサーに戻した。


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