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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝9:精霊の歌、高らかに
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【おまけ】ベルガモットフレーバー

 それはエリオットが高等科の二年の時の話だ。

 ある日の放課後、生徒会室で作業をしていたら、シリルが「紅茶を淹れてきます」と言って立ち上がった。

 生徒会室では紅茶を飲みたい時、自分で淹れる者と、使用人に淹れさせる者がいる。

 エリオットは紅茶なんて使用人に淹れさせるものだと思っているのだが、シリルは自分で紅茶を淹れることを好んだ。

 日頃から殿下殿下とうるさいシリルのことだから、敬愛する殿下に喜んでもらいたいのだろう。

 殿下に尻尾を振るのに必死だな、と当初のエリオットは冷ややかな目で見ていたのだが、どうやらシリルは単純に飲み物を用意することが好きらしい。

 趣味と言って良いのかは分からないが、茶葉に詳しいし、たまに自分でブレンドもしている。

 これが酷い味なら嫌味の一つも言ってやるところなのだが、今のところシリルが淹れた紅茶にハズレはなかった。


「今日はどんな紅茶を?」


 書き物をしていた手を止めて、殿下がシリルに訊ねる。

 殿下に声をかけられただけで、シリルは分かりやすく嬉しそうな顔をした。


「はい、ロダン=ガーフの茶葉を手に入れたので、本日はそれを……」


 あ、と思ったエリオットが口を開くより早く、殿下は困ったような顔でシリルに言う。


「すまない、シリル。他の紅茶にしてくれるかな? 君が以前淹れてくれたブレンドが良い」


 その言葉にエリオットは目を丸くした。



 * * *



 まだエリオットが幼かった頃、クロックフォード公爵の屋敷に行った時、ロダン=ガーフの紅茶が出たことがある。

 ロダン=ガーフといえば、ベルガモットの香りが特徴の紅茶だ。エリオットはその独特の匂いが嫌いで、紅茶を残していた。

 それからしばらく経ったある日、エリオットがフェリクス王子に会いに行くと、あの従者はすまし顔でこう言った。


「本日は、ロダン=ガーフの紅茶を用意しております」


 エリオットの嫌いな紅茶だ。

 だが、その時は父がすぐそばにいて、エリオットは好き嫌いを口にすることができなかった。

 そんなことを口にしようものなら、「クロックフォード公爵に招かれておきながら、出された飲み物に文句をつけるなど言語同断!」と父はエリオットを叱るだろう。下手をすると頬を叩かれる。

 エリオットが恨めしげにあの従者を睨んでいると、フェリクス王子が従者の服の裾を引いて小声で言った。


「アイザック、今日は別の紅茶が飲みたいな。ほら、リアンムルの春摘みの」

「……かしこまりました」


 従者は一瞬物言いたげな顔をしたが、フェリクス王子に柔らかな笑みを向けて一礼し、別の紅茶の用意を始めた。



 * * *



 あの従者はエリオットが嫌いな物を把握していて、隙あらばシナモンを仕込み、ベルガモットの紅茶を淹れようとした。

 そのことに気づいていた優しい王子様は、いつもこっそり菓子を取り替えてくれたし、従者にエリオットの好きな紅茶をねだった。

 今、生徒会長席に座っている殿下は、少しだけ困ったように笑っている。


「どうしたんだい、エリオット?」


『どうしたんだい、エリオット?』


 その笑顔が、幼い王子様の顔と重なる。当然だ。だって同じ顔なのだから。

 エリオットの嫌いな物を知っていて、それをそっと避けてくれる優しさも。困ったように優しく微笑む顔も。何もかもが完璧なフェリクス殿下だ。

 そのことが、エリオットには不快だった。


(気持ち悪い……)


 お前が殿下と同じことを言うな。殿下と同じ笑い方をするな。殿下と同じことをするな。

 これでは、あの優しい王子様がまだ生きているのだと、錯覚してしまうではないか!


「エリオット?」

「なんでもない」


 そう返した言葉は図らずも、かつての優しい王子様に告げた言葉と同じになった。

 そのことにますます腹が立ち、エリオットはムシャクシャした気持ちでそっぽを向く。

 目の前にいる、完璧な王子様から目を逸らすように。



 * * *



「お代わりの紅茶をどうぞ」


 そう言って〈沈黙の魔女〉の弟子を自称するその男はリンゴのタルトの皿を片付けると、空のカップに紅茶を注ぐ。

 あれだけモニカの前で罵倒してやったのに、涼しい顔をしているのがなんとも腹立たしい。


(まさか、子リスに魔術奉納の依頼に来て、こいつと出くわすとはな……)


 これはもう目の前にいる子リスに、この従者がいかにいけすかないか、たっぷりと吹き込んでやらなくては気が済まない。

 そのために喉を潤そうと、紅茶に口をつけたエリオットは激しくむせた。


「げほっ……おま……っ、これぇ……っ!」

「は、ハワード様!? どうしたんですかっ!? アイクっ、紅茶に何を入れたんですかぁっ!?」


 狼狽えるモニカに、従者はサラリとした口調で「何も?」と言う。


「ただの紅茶だよ。ロダン=ガーフのフレーバーティー」


 ティーカップから香るのは濃厚なベルガモット。

 わざと一杯目は別の紅茶にして油断させておいて、二杯目にこれを持ってきたあたり実に性格が悪い。


(こんんんっの性悪従者め……!)


 従者はあの優しい王子様の顔で意地悪く笑っていた。

 殴りたいほど腹立たしい笑顔だ。

 だけどほんの少しだけ……本当に本当に少しだけエリオットは思っている。


 ──完璧にフェリクス王子を模した、あの笑顔よりは断然マシだ、と。


 勿論、口に出して言うつもりはさらさら無い。

 この性悪従者はエリオット・ハワードにとって、きっと生涯の天敵なのだから。


「シナモンティーと取り替えましょうか、お客様?」

「俺にシナモンスティックを近づけるな! おい、子リス。これが性悪でなくてなんなんだ?」

「あの、えっと、えっとぉぉぉ……」

「心外だな。僕はただ、お師匠様に美味しい紅茶を飲んでほしいだけなのに」

「アイクっ、コーヒー! コーヒーにしましょうっ! わたしっ、コーヒーが飲みたいでひゅふっ」


 一つ気がついた。

 この従者、エリオットがモニカを子リス呼びする度に、微妙にイラッとした空気を醸している。

 とりあえず子リス呼びは今後も継続しようと胸に誓いつつ、エリオットは「シナモンコーヒー以外にしろよ」としかめっ面で言った。


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