表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝9:精霊の歌、高らかに
181/425

【終】水面下にて

 リディル王国城の西棟の最上階にある〈翡翠の間〉は、七賢人と国王のみが出入りを許される特別な部屋であり、それゆえに複数の結界が張り巡らされている。

 その〈翡翠の間〉の下の階に、七賢人達のために用意されている個室があった。

 七賢人が城に滞在する時は専用の立派な客室が用意されている。なのでこの個室は名目上は執務室という扱いになっていた。

 執務室の用途は七賢人によってバラバラだが、資料や荷物置き場にしている者が殆で、雑然としている部屋が多い。実際に執務室で実務の類をしている者など、ルイスぐらいのものだ。

 そんな中、天蓋付きの寝台と上品な調度品がしつらえられた、客室と変わらない美しさの執務室があった。

 最年長の七賢人〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイの執務室である。

 翡翠の間で星詠みをすることもある彼女は、そのまま執務室の寝台で仮眠を取ることも珍しくなかった。

 だが今、天蓋付きの立派な寝台で眠っているのは、部屋の主ではない。

 赤茶の髪をした三十過ぎの女──元七賢人〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェル。

 瞼を閉ざしたその顔や、寝間着の襟元から覗くその首筋には、まるでシミのような黒い模様が浮かび上がっている。

 そんなカーラが眠る寝台のそばに、二人の男が佇んでいた。

 七賢人〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンと、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラー。

 腕組みをしたブラッドフォードが、唇を曲げて押し殺した声で呟いた。


「発見された時より、侵食が広がってるな」

「…………えぇ」


 ブラッドフォードの呟きに相槌を打ち、ルイスはずれた片眼鏡を押し上げる。

 ルイスの姉弟子でもある〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルが変わり果てた姿で発見されたのは、今から二週間前。ツェツィーリア姫の訪問の際のゴタゴタが一段落した、少し後のことだった。

 その少し前から、カーラとは連絡が取れなくなっていたので、ルイスは念のためにリンを城から遠ざけていた。

 ルイスは城で〈星詠みの魔女〉とカーラに関する情報共有をしている。それをリンに聞かれると、カーラを慕っているリンが暴走してカーラを探しに出かけかねないからだ。

 リンはルイスの契約精霊だが、リンが本気で暴走したらルイスには止めることができない。

 リンはメイドとしてはポンコツもいいところだが、こと戦闘においてはルイスを凌駕する力の持ち主だ。


(実際、リンを城に近づけないようにしていたのは正解でしたね)


 変わり果てた姉弟子の姿を見下ろし、ルイスは拳を握りしめる。革手袋が軋んでキュゥッと音を立てた。

 正直に言うと、カーラと連絡が取れなくなっても、ルイスはそこまで心配はしていなかった。

 カーラが音信不通になるのはいつものことだったし、何より彼女は頭が良く魔術師としての腕も一流。ルイスが認める実力者だ。


(そのカーラが、こんなことになるなんて……)


 リディル王国西部のとある街道付近で発見されたカーラは呼吸をしておらず、脈も殆ど無かったので、行き倒れの死体だと思われていたらしい。

 ところが、役人が身寄りの確認をするべく荷物を調べたところ、彼女が〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルであることが判明。

 更に調べると、カーラが仮死に近い状態にあることが分かり、魔術師組合を通してカーラの師である〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードに連絡がいった。

 そこでラザフォードは〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイに相談し、カーラをこの部屋──〈星詠みの魔女〉の執務室に移したのだ。

 翡翠の間の真下であるこの部屋は、翡翠の間に張られた結界の影響を受けていて、高位の魔術を使いやすい。

 ルイス達は仮死状態のカーラをこの部屋に寝かせ、カーラを目覚めさせるべく、あらゆる手を尽くした。

 三代目〈茨の魔女〉の姉妹であるローズバーグ家の魔女。二代目〈深淵の呪術師〉アデライン・オルブライトも協力し、カーラが仮死状態になった原因究明に尽力した。

 その結果、カーラの心臓に闇の魔術の種子のような物が埋め込まれていること。そして、それが日に日に広がり、カーラを蝕んでいることが判明した。

 闇の魔術はリディル王国では殆ど使い手がいないが、〈深淵の呪術師〉のオルブライト家が扱う呪術が、闇属性魔術に近い性質を持っている。

 二代目〈深淵の呪術師〉アデライン・オルブライトはこう言った。


『カーラの心臓に埋め込まれた種は、対象を生かさず殺さずの状態にして魔力を吸い上げる性質がある。呪術に似てるが、ちょいと違うね……ひっひ、呪術はもっと相手を苦しめるもんだよ』


 そしてアデラインは紫色に彩られた唇を歪めて不気味に笑い、断言したのだ。


『人間の魔術にできることじゃない、まして呪術でもない闇属性の魔術的な何か……ともあれば、答えはアレしかないだろう? まして、カーラがずぅっと追い続けてた、あの男の目撃情報があがってるんだからねぇ』


 今から八年前、リディル王国の宝物庫から、古代魔道具〈暴食の箱〉が盗まれた。

 目撃情報から浮かび上がった容疑者は、〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルの兄。


(魔法生物学者、セオドア・マクスウェル)


 あの男の冴えないボンヤリした顔を思い出し、ルイスは奥歯を軋ませる。

 古代魔道具の盗難は国を揺るがしかねない大事件だ。それ故、緘口令が敷かれ、情報は厳しく管理された。

 この事件について知っているのは王族と当時の七賢人、それと一握りの上級貴族のみ。

 あとは、カーラの師匠である〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードと、弟弟子のルイスぐらいか。

 当時のカーラはセオドアの共犯者ではないかと疑われ、非常に厳しい立場にあった。

 だからカーラの潔白を証明するために、師であるラザフォードと弟弟子のルイスは奔走したのだ。

 結局、古代魔道具は取り戻すことができず、犯人のセオドアと共に海の藻屑となり、カーラは責任を感じて七賢人を辞職した。


(あの男が生きていた……のみならず、〈暴食の箱〉を使って、カーラを攻撃した)


 沸々と込み上げてくる怒りを堪えるべく、ルイスはゆっくり息を吸って吐く。

 その時、扉がノックされた。扉の向こう側からは「あたくしよ」と〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイの声がした。

 ルイスは扉に近づき、扉に仕掛けた結界を一時的に解除する。


「どうぞ」

「ありがとう」


 メアリーは手にした杖をシャランと鳴らし、静かに足を踏み入れた。そうして、カーラの体を這う黒いシミを一瞥して、悼ましげに眉をひそめる。


「……とりあえず最悪の事態に備えて、打てる手は打ってきたわ」


 古代魔道具の破壊には、国王、上級貴族議会、七賢人の承認がいる。

 既に国王はこの事態を把握し、いざという時は古代魔道具〈暴食の箱〉を破壊することを許していた。

 問題となるのは上級貴族議会だ。彼らの承認を得るのは一筋縄ではいかないし、時間がかかる。

 だから〈星詠みの魔女〉は、その為の一手を打ってきた。


「なぁ、星詠みの。俺が思うに、〈暴食の箱〉の封印は解けかかっている。なにせ、封印をした三人の内の一人……三代目〈茨の魔女〉が死んでるからな」


 ブラッドフォードの言葉に、メアリーが小さく頷く。

 セオドアは〈暴食の箱〉の封印を解くべく、残り二人の魔術師──当時の七賢人を狙ってくるだろう。

 既にそちらには、ルイスが警備の手配をしている。

 更にセオドアの足取りを追うべく、ブラッドフォードの弟子と、〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードがそれぞれ動いていた。


「議員連中がうるせぇのは承知の上で言うぜ。今はできることを全部やるべきだ」


 ブラッドフォードの言葉に、ルイスも同意するように頷く。


「事態は一刻を争います。あの若者ども……五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグ、三代目〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライト、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットの三名にも事情を打ち明けて、協力を要請すべきです」


 ブラッドフォードとルイスの言葉に、メアリーは憂いの濃い顔でため息を零し、言った。


「新七賢人候補サイラス・ペイジが正式に七賢人になったら、七賢人全体で情報を共有しましょう……八年前、〈星槍の魔女〉が七賢人を辞めることになった、あの事件の顛末を」



 * * *



 その日の仕事を全て終えたアイザックは自室に戻ると、鍵のかかった書類棚の、更にその側面にある鍵穴に鍵を差し込んだ。

 そうして鍵を回して板を横にずらすと、中から書類の束が出てくる。

 アイザックがその紙を手に執務椅子に座ると、執事姿のウィルディアヌが更に数枚の紙を机に並べた。


「こちらが、マスターの留守中にわたくしが集めた情報です」


 アイザックは短く礼を言って受け取り、その内容に目を走らせる。

 アイザックが読み終わるタイミングで、ウィルディアヌが控えめに訊ねた。


「八年前の事件が……〈暴食の箱〉が、マスターの運命に関わっているのですか?」

「断言はできないけれどね。僕が〈星詠みの魔女〉から喪失の予言を受けたのとほぼ同じタイミングで、〈星槍の魔女〉が失踪している。何か関係があると警戒するのは当然だろう?」


 アイザックの表の顔は王族なので、八年前の事件に関しても簡単な概要は知っている。

 八年前、古代魔道具〈暴食の箱〉が盗まれた。容疑者は当時の七賢人〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルの兄セオドア・マクスウェル。

 国は血眼になってセオドアを追ったが、最終的にセオドアは〈暴食の箱〉ごと海に転落し、行方不明。〈暴食の箱〉も未だ見つかっていないという。

 この時の詳しい状況までは、アイザックも知らない。何せ、当時のアイザックは十四歳。表向き──フェリクス・アーク・リディル王子としての年齢は十二歳だ。だから、そこまで詳しいことは教えてもらえなかった。


「まずは、最近の出来事を時系列順に整理しようか」


 アイザックは情報を記した紙を机の上に並べ直すと、卓の端に寄せていたチェス盤から駒を摘み上げ、文鎮代わりに紙の上に置いた。


「昨年の冬……恐らく冬至前かな。〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルは、兄セオドアの目撃情報を耳にして、港町タリアに向かった。このことを知っていたのは、〈星槍の魔女〉の師である〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードのみ」


 八年前に七賢人を辞めた時から、〈星槍の魔女〉はセオドアの目撃情報を耳にしては現地に向かい、兄を探すということを繰り返していた。

 だが、その目撃情報はどれも正確なものではなかった。だから、いちいち大袈裟に周囲に報告したりはせず、師にだけ行き先を告げていたのだろう。


「次に年明け。新年の儀の後、〈星詠みの魔女〉の屋敷でパーティ。そこで僕は喪失の予言を受けた」


 このパーティに〈紫煙の魔術師〉が出席している。

 ここで〈星詠みの魔女〉とカーラの行き先の情報共有をしたと見ていいだろう。

 あのパーティには二代目〈深淵の呪術師〉アデライン・オルブライトも出席していたから、もしかしたら彼女も知っていたのかもしれない。


「冬の終わり……アッシェルピケの祭日を過ぎて、帝国のツェツィーリア姫が訪問する前ぐらいの頃、〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルが師に送っていた定期連絡が途絶えた。〈星槍の魔女〉の失踪。これを知らされていたのは、当時の事件の関係者のごく一部かな」


 おそらく知っていたのは国王と当時の七賢人。それ以外だと〈星槍の魔女〉と縁のある〈紫煙の魔術師〉、〈結界の魔術師〉ぐらいだろう。

 それと、ローズバーグ家の魔女──ラウルの言うおばあ様達も多分知っていたはずだ。

 ただ、〈星槍の魔女〉はリディル王国でも有数の実力者である。

 だからこの時はまだ、事態を深刻に捉えている者は多くなかったのだろう。


「この間、シリルが〈識守の鍵〉を持ってサザンドールに来た時……あの頃にはもう、ローズバーグ家の魔女達は〈星詠みの魔女〉の屋敷に頻繁に出入りしていたみたいだね。恐らくこの辺りで、失踪した〈星槍の魔女〉が見つかったんじゃないかな」

「この一連の事件を、〈沈黙の魔女〉様は……」

「モニカは多分まだ知らないと思う。〈結界の魔術師〉の弟子であるダドリー君も」


 水竜討伐の少し前、カーラ・マクスウェルの名前にモニカもグレンも何の反応もなかった。

 あの二人はこの手の隠し事が下手だから、知らされていないと考えるのが妥当だろう。


「おそらく、七賢人の中でも知っているのは、年配者だけなんじゃないかな。まぁ、〈星槍の魔女〉が意識不明の重態で発見された以上、いずれモニカ達も知らされることになるだろう。最近、新七賢人候補が見つかったみたいだし……その候補者が正式に七賢人になったあたりで、情報共有して動き出すつもりなのだろうね」


 そこまで言って、アイザックは机の上の紙をざっと見回す。

 欲しい情報が一つあるのだ。


「そういえば、新七賢人候補の情報は?」

「こちらです。〈暴食の箱〉事件とは無関係かと思い、別にしていました」


 ウィルディアヌから紙を受け取ったアイザックは、そこに記された名前に目を細める。


「無名の魔術師、サイラス・ペイジ? ……サイラス? ……まさか」

「マスター?」


 サイラス・ペイジの出身地に目を通し、アイザックは確信した。


(なんてことだ)


 脳裏をよぎるのは、地竜に壊された故郷の町。

 傷痕なんてとっくに綺麗に消えた筈なのに、右目の上の皮膚が引きつるような感覚がする。


(まさか、彼が新七賢人候補だなんて……)


 アイザックは文鎮がわりに机に並べられた白黒二色のチェスの駒を睨みつける。

 アイザックが守るべき者。アイザックに喪失をもたらす者──新七賢人候補サイラス・ペイジはどちら側の存在か。現時点では、まだ何も掴めない。

 ただ、運命の日はもうすぐそこまで迫っている。

 そんな確信にも似た予感がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ