【23】お客様の中に、肉球をお持ちの方はいらっしゃいませんか
神殿での捧歌の儀を終えたモニカ達は、馬車に乗ってエリオットの屋敷に向かっていた。
馬車に乗っているのは、モニカの他に、エリオット、ベンジャミン、そしてリンの四人。
リンはまだ神官服の男性の姿をして、モニカの隣に座っていた。
そんなリンをチラリと見て、エリオットが眉をひそめる。
「何度見ても違和感がすごいな……なぁ、メイドに戻らないのか?」
「エリオットぼっちゃまは、ばあやをご所望なのですね」
「いや、ご所望というか、そっちの方が見慣れたというか……」
エリオットの気持ちはモニカにもよく分かる。
メイド服の美女に見慣れてしまったので、男性の姿だとなんとなく落ち着かないのだ。なにせ、声まで微妙に違うのである。
「エリオットぼっちゃまのご要望にお応えして女性の姿を取りたいのですが、わたくし少々疲弊しております故。魔力が回復するまで今しばらくお待ちください」
嵐を吹き飛ばすほどの風を起こせば、流石の上位精霊も疲弊するらしい。
そんなリンを見て、ベンジャミンが感心したように呟いた。
「初めて声を聴いた時から、十年前の精霊の歌声を思わせる女性だと思っていたのだが……なるほど、十年前に歌った時は、そちらの姿だったのだね」
ベンジャミンの言葉にモニカとエリオットは目を剥いた。
十年前の歌声を覚えていたのもすごいが、その歌声をリンと結びつけたのもすごい。
リンはコクリと頷いた。
「素晴らしい記憶力です。ベンジャミン・モールディング様。流石、わたくしが精霊だとお気づきになられていただけあります」
「──え!?」
「はぁっ!?」
モニカとエリオットが声をあげてベンジャミンを見れば、ベンジャミンは返事の代わりにニッコリ微笑んだ。
エリオットが頬を引きつらせて、ベンジャミンに詰め寄る。
「おっ、まえ……なんで黙ってた!」
「いやなに、君とばあや殿の心温まる交流を見守っていたくてね」
軽く肩を竦めるベンジャミンに、エリオットは低い声で呻いた。
「つまり、楽しんでたんだな……」
「音楽家とは己の愉悦に正直なのだよ、エリオット」
悪びれもしないベンジャミンに、エリオットが頭を抱える。
ベンジャミンはそんなエリオットの肩を叩いて、馬車の窓に目を向けた。
「さぁ、エリオット。そろそろ顔を上げて窓の外を──君が治める町を見たまえよ」
市街地に入ると、馬車の中にいても分かるほどに賑やかな音楽が聞こえてきた。
窓の外では人々が歌ったり踊ったり、或いは慌てて屋台を出したり、モニカが降らした花を拾い集めたりと忙しい。
幼い子ども達は楽しげに焼き菓子をぶつけ合って、「ポプリア・ルッカ」を歌っている。
彼ら、彼女らは馬車に掲げられている領主の紋章に気づくと、笑顔で手を振ってきた。そんな人々に、ベンジャミンが満面の笑みで手を振り返す。
エリオットも苦笑しつつ手を振り、モニカを見た。
「ほら君も今日の主役の一人なんだから、町の人間に手を振ってやってくれ」
「は、はいっ!」
モニカは硬い顔で窓に張り付き、ギクシャクと手を振る。
人前に顔を出すのはやっぱり恥ずかしいけれど、町の人間達の笑顔を見ていると胸がムズムズして、嬉しいような誇らしいような気持ちになる。
(喜んでもらえた……良かった……)
町の人間達の中には手を振りながら、何やら叫んでいる者もいた。
ありがとう! すごかったぞ! モールディング様こっち向いて! ──そういった声の合間に、チラホラと聞こえてくるのは……。
「領主様! 頑張れよ!」
「領主様! カッコよかったぞ!」
「領主様! なかなかやるじゃないか!」
エリオットに対する激励の声である。
なにやら息子や孫の奮闘を見守るような、温かで微笑ましげな声援にエリオットが怪訝そうな顔をする。
その声援の理由に気づいたモニカは「あっ」と小さく声をあげた。あげてしまった。
エリオットが真顔でモニカを見る。
「おい、子リス。こっちを向け」
「……あうっ」
「何を、隠している?」
「か、隠していると言いますか、そのぅ、えっと……」
モニカは目を逸らし、指をこねた。
そうして、口ごもりながらボソボソと小声で言う。
「ま、町に仕込んだ拡声の魔術は、精霊王召喚の魔力に反応して発動する仕組みになってまして……」
つまりモニカが精霊王召喚の門を開いたのと同時に、音の拡声は始まっていたのである。
モニカの説明に、エリオットの顔が目に見えて引きつり青ざめる。
「……町に流したのは、音楽だけだよな?」
「そ、その前の、ハワード様と歌姫様の会話も……結構大きい声だったので……全部……」
俺も一緒に恥をかいてやる──と歌姫に宣言したあのやりとりも、全て町に伝わっていたのだ。
エリオットの喉が呼吸に失敗したみたいに、ヒゥッと音を立てる。
「あの、我ながら青臭い台詞を……神官達だけならまだしも、町全体に、だと……」
口をパクパクさせるエリオットに、リンが無表情に頷いた。
「町の人間達が、とても温かな目でエリオットぼっちゃまを見ていらっしゃいますね」
「やめろぉぉぉぉぉ!!」
馬車の座席でのたうち回るエリオットに、リンが「ばあやは鼻高々です」と言う。
何のフォローにもなっていなかった。
* * *
エリオットの屋敷に戻ると、使用人達が一斉に一行を出迎えてくれる。
エリオットは一生分の恥を晒したような顔で使用人にマントを預け、モニカ達を見た。
「これからホールの客人達に挨拶に行くわけだが……なぁ、当然だけどホールにも……」
「お、音は、届けました……」
モニカが頷くと、エリオットは両手で顔を覆って「うぉぁぁぁ……」と悲痛な声で呻く。
そんな彼を使用人達が、やっぱり温かな目で見守っていた。
一方ベンジャミンなどはマイペースなもので、若いメイドを捕まえてにこやかに話しかけている。
「やぁ、君、失礼。少し温かな物が飲みたいな。“バタード”はあるかね?」
「はいっ、すぐにお持ちいたします」
「ありがとう、レディ・エヴァレットもどうだい。挨拶の前に温かい物でも飲もうではないか」
「い、いただき、ます」
実を言うと緊張の連続で喉はカラカラになっていたし、モニカにしては珍しく空腹だった。規模の大きい魔術を使ったからだろう。
ホールに移動してしまえば、また挨拶回りをしなくてはいけなくなるから、今の内に温かい飲み物を腹に入れておきたい。
ベンジャミンはエリオットにも飲み物を勧めたが、エリオットはげんなりした顔で首を横に振った。
「……いい。何も口にしたくない……くそぅ、あれだけ恥を晒した後で挨拶とか……こうなったら、さっさと終わらせてやるっ」
そう言ってエリオットは早足でホールに向かう。
モニカが追いかけるべきか迷っていると、ベンジャミンが肩を叩いた。
「なに、大丈夫さ。この悪天候の中、挨拶に来てくれたのは、大半が彼に好意的な貴族だよ。あのやりとりも笑い話として流してくれるさ」
そう言ってベンジャミンはメイドから受け取ったカップの一つをモニカに差し出す。
湯気を立てるミルクの上には、薄いバターのカケラが乗せられていた。どうやらこれがバタードなる飲み物らしい。
これを飲んだら自分も挨拶に行こう、とモニカはカップを傾けた。
* * *
早足でホールに向かったエリオットは、ヤケクソのような気持ちで扉を開ける。
ホールの客人達が一斉にこちらを見た。案の定、人数は少ない。たったの六人だ。
父の部下だったり、ハワード家の下についている家の人間だったり──その中にシリルの姿を見つけ、エリオットは早足でシリルに近づいた。
シリルはきちんと姿勢を正すと、相変わらずの馬鹿真面目な態度で丁寧に礼をする。
「この度は祝祭の開催おめでとうございます、ハワード卿。父ハイオーン侯爵に代わり、アスカルド図書館学会・芸術文化保護委員会を代表してお祝い申し上げ……」
「おい、シリル」
エリオットはシリルに詰め寄り、早口で訊ねる。
「さっきのあれ、聞いてたか?」
挨拶を遮られたシリルは眉をひそめ、「あれとは?」と訊ね返す。
エリオットは引きつった愛想笑いを浮かべた。
「捧歌の儀式の前の、俺と歌姫のやりとり……」
「あぁ」
シリルは軽く瞬きをすると、小さく頷く。
「民のためなら恥をかくことも厭わないという姿勢、感服した」
シリル・アシュリーは一生懸命な人間を嘲笑ったりはしない、誠実で馬鹿真面目な男である。
いっそ笑え、と思いながら、エリオットは近くのテーブルに置かれた酒瓶の一つを手に取った。
「……なぁ、シリル。『モフモフ事件』を覚えているか」
「何故、今その話を持ち出した」
シリルが顔をしかめる。
エリオットはククッと喉を鳴らして暗く笑った。
「学園祭で提供するワインの試飲でデロデロに酔ったお前が、モフモフを求めて彷徨い歩き、最終的にニールの頭をモフモフしながら寝落ちしたあの事件……」
「やめろ、私がそれを殿下に隠すのに、どれだけ苦労したと……っ」
「なにが『苦労した』だ。たまたま殿下は外交で留守にしてただけだろ」
エリオットはシリルが逃げられないよう肩組みをし、酒瓶を近づけた。
「ちょっとこれ飲んで、あの『モフモフ事件』を再現して、お前の醜態で俺の醜態を上書きしてくれ」
一皮剥けてもやっぱり性格の悪い男エリオット・ハワードの提案に、シリルは押し殺した声で呻く。
「どうやら、ハワード卿は既にお酒を召されているらしい」
「くそぅ、いっそ酔っ払ってたことにしたいっ。もういいから飲め! 飲んで恥晒せ!」
「こ、と、わ、る……っ!」
エリオットが酒瓶を押し付け、シリルがそれを押し返す。
若者二人が不毛なやりとりをしていると、背後で小さな声がした。
「シリル様」
モニカの声にシリルがハッと顔を上げ、エリオットの頬を雑に押し返して振り返る。
「モニ……」
「シリル様、大変です。肉球がありません」
そう告げるモニカは、トロンとした目をしていた。




