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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝9:精霊の歌、高らかに
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【19】恥を承知で


 散々ベンジャミンに振り回されて町を散策し、屋敷に戻ってきたエリオットは、己の執務机に積み上げられた報告書に目を通す。

 今日一日不在にしていても、祭りの準備はつつがなく進んでいた。

 それを素直に喜べないのは、嫌でも思い知らされるからだ。


 ──自分の代わりなんて、幾らでもいるのだと。


 エリオットは、どこぞのエリン公爵やベンジャミンのような、唯一無二の天才じゃない。

 それでも、自分に与えられた仕事はきちんとこなしてきたつもりだ。手を抜いたことなんてない。


(嫌になるぜ……)


 今になって、あの歌姫の気持ちを理解してしまった。

 自分に期待するなと言いながら、観客を期待していた歌姫。

 祝祭なんて必要ないと言いながら、周囲に認められたがっているエリオット。


(そっくりじゃないか)


 本当は十年前の祝祭を超えたい。褒められたい。認められたい。

 けれど、それを成し遂げるだけの才能が自分に無いことを知っている。努力しても届かないことも。

 だから、恥をかく前に予防線を引いた。


 ──祝祭、あたしは出たくない。出ても手抜きの歌でいい。


 ──領主様は祝祭なんて興味ないんでしょ? 歌姫にも興味ないんでしょ? だったら別に良いじゃん。不満なら他の人を歌姫に選べば?


 ──だから、あたしに期待しないでね。


 本当は興味を持ってほしい、期待してほしい。だけど、それを大きな声で言うのは恥ずかしい。

 自分では偉大な母を超えられないことは分かっている。だから、手を抜くと宣言した。

 薄っぺらい自分のプライドを守るために。本気を出していなかったと言い訳をするために。


(あぁ、そうさ。俺だって期待されたい。町の人間にも、神官にも尊敬されたい)


 今日一日町を歩いて、噂話に耳を傾けて、エリオットは改めて思い知らされた。

 人々が口にするのは新進気鋭の音楽家ベンジャミン・モールディングと、二大邪竜を倒した英雄〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットの名前だけ。

 若い領主と歌姫に関する噂は、「若造だからなぁ」「期待できない」「先代歌姫が素晴らしすぎた」──こんな話ばかりだ。

 エリオットは椅子に深く腰掛け、ゆっくりと息を吐きながら眉間を揉む。ここ数日で、どっと老け込んだ気分だった。

 その時、コンコンと控えめなノックの音が聞こえた。ノックの音は控えめなのに次の瞬間、扉は遠慮なくバァンと開く。


「エリオット!」


 景気良く扉を開けたのはベンジャミンだった。その横にはノックの姿勢のまま硬直しているモニカがいる。

 なるほど、モニカが控えめに扉をノックして、返事も待たずにベンジャミンが扉を開けたのだ。

 エリオットは背もたれにもたれていた体を伸ばし、二人を交互に見る。


「なんだよ。俺は今から仕事が……」


 仕事なんて部下が片付けてしまったけれど、それでも仕事が無いと思われるのも癪で、エリオットは見栄を張った。

 そんなエリオットの葛藤などどうでも良いとばかりに、ベンジャミンはモニカの背中を押す。

 廊下には、あの厄介なメイド──ばあやの姿がチラリと見えたが、室内には入らず廊下で待機していた。良かった、少しはまともな話ができそうだ。

 胸に紙の束を抱いたモニカは、見るからに強張った顔で前に進み出る。


「ハワード様に、ご、ご相談したいことが、ありますっ」

「魔術奉納に関することか?」

「……はい」


 モニカはコクリと頷き、語りだす。


「十年前の祝祭のこと、聞きました。魔術奉納……〈星槍の魔女〉様は、精霊王召喚、四つ同時維持したって」


 あぁ、とエリオットは曖昧な相槌を打った。

 十年前の魔術奉納のことは、エリオットも資料で見て知っている。

〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルは精霊王召喚の門を四つ開き、東西南北の風を呼んだのだという。


「わたしには、〈星槍の魔女〉様と同じことは、できません」

「精霊王召喚で充分だ。そもそも精霊王召喚は、国内で使い手が少ない魔術なんだろう? 『七賢人が精霊王召喚を披露する』それだけで、演出としては充分……」


 エリオットの言葉を遮るようにモニカはブンブンと首を横に振り、書類を胸に抱いたまま指をこねた。


「わ、わたし、十年前の話を聞いた時、思っちゃったんです」


 モニカはこねていた指をギュッと拳の形に握り、頬を赤くしてボソボソと言う。


「十年前の方が良かったって、みんなに言われて……恥をかくの、嫌だな、って」


 ギクリとした。

 モニカが口にした言葉は、まさにエリオット自身が胸に抱いていた──そして、目を背けていた事だからだ。

 そんなエリオットの静かな動揺も知らず、モニカはペコリと頭を下げる。


「わたし、途中から、自分が格好つけることばかり考えてました。ごめんなさい……」


 やめてくれ。そんなことで謝らないでくれ。と思った。


(君に謝られたら、俺なんて、どうすれば良いんだ)


 罪悪感、敗北感、劣等感、羞恥心。込み上げてくる感情に蓋をして、エリオットはいつも通りの皮肉っぽい笑みを取り繕う。


「君でも、そう思うことがあるんだな」

「は、はい……わたし、格好つけようとしてました」


 モニカは頼りなさげに眉を下げて、へにゃりと笑う。


「恥ずかしいです、ね」

「…………」


 自分は皮肉っぽい表情を取り繕えているだろうか──多分、取り繕えていないんだろうな、とエリオットは思う。

 なにせベンジャミンが腕組みをしながら、口の端をムズムズさせてこっちを見ているのだ。

 馬鹿野郎、そんな目で見るな。とエリオットは唇を曲げる。


「わたしには〈星槍の魔女〉様と同じことはできない、けど……わたしにできる全力を尽くしたい、ので……」


 モニカは手にしていた書類の束をエリオットに勢いよく差し出す。


「こ、ここに書いてあること、やりたい、のでっ……レーンフィールド領主ハワード卿のお力添えをいただきたく思いまひゅっ」


 最後の最後に噛んだ。

 相変わらず気の抜ける七賢人様だと呆れつつ、エリオットは書類を受け取り目を通す。


「……いや待て、おい、おい……」


 思わず取り繕っていない声が出た。


「こんな技術を俺は見たことも聞いたこともない。こんなこと、本当にできるのか?」


 モニカは右手を持ち上げ、エリオットの机を指差す。

 一陣の風が机に積まれた書類を巻き上げた。書類はまるで一枚一枚が意思を持っているかのようにパラパラと風に舞い、エリオットの周囲を一周して、また机に戻る。

 繊細な魔力操作が問われる高度な魔術を詠唱無しで行使し、〈沈黙の魔女〉は断言した。


「できます」


 モニカは無表情でエリオットを見上げている。

 あの時と同じだ、とエリオットは思った。

 モニカが生徒会室で正体を明かし、あの従者を助けると宣言した時。


 ──わたしなら、できます。


 いつもモジモジしている自信なさげな少女は静かに断言し、そして奇跡を起こしたのだ。

 エリオットがコクリと唾を飲むと、モニカは無表情を崩し、必死の顔で喋り始めた。


「えっと、わたし、自分が恥をかきたくなくて、格好つけようとしてたけど……でも、格好つけるのは悪いことばかりじゃないと思うんです。格好つけるのも必要な時はあって……だから、つまり」


 モニカはフスッと息を吐き、恐らく彼女にできるであろう精一杯の強そうな顔で宣言する。


「自分のためじゃなくて、町の人に喜んでもらうために、格好つけます」


 エリオットは皮肉げな笑みの下で、歯軋りをした。

 魔術師の頂点に立つ七賢人が──本物の天才が恥を承知でこんなことを言っているのに、凡人の自分が格好をつけてどうする。

 エリオットは立ち上がり、深く頭を下げる。


「偉大なる七賢人のご尽力、心より御礼申し上げます、エヴァレット魔法伯。私にできることなら、なんなりとお申しつけください」


 そうして、ニヤリと笑って言葉を続けた。


「頼りない若造新米領主だが、俺にできるお膳立ては全部してやる。最高の魔術を見せてくれ」


 モニカは大きな声で「はい!」と返事をした。

 絶対に大丈夫だと思わせてくれる、そんな頼もしさで。


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