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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝9:精霊の歌、高らかに
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【16】春の嵐

 ふわり、ふわりと風に漂っていたリィンズベルフィードは神殿の屋根の上につま先から静かに着地する。

 耳を澄まさずとも、町の方角からは賑やかな声と音楽が聞こえた。祭りが始まるのだ。

 神殿から少し離れたところに設置された木の柵の前には、既に大勢の人が押しかけ、歌姫の歌と七賢人の魔術奉納を、今か今かと待ちわびていた。


 ──とびきりすごいのを、お見舞いしてあげる。


 あの日から、カーラとは会っていない。カーラはテントを畳み、森を去ってしまったのだ。

 もっと名前で呼んでほしかったのに、とリィンズベルフィードは惜しく思っていた。


(惜しく思う……これは、執着でしょうか?)


 風である自分にも、何かに執着する気持ちはあるらしい。

 そしてリィンズベルフィードには、カーラがこの町からいなくなったら、いよいよ自分は消滅するのだろうという予感があった。

 魔力を失って消滅するのではなく、自我を失くして、自分が何者かを忘れて消滅するというのが、なんとも自分らしい。

 ルベルメリアは自我の塊だ。リィンズベルフィードがいなくなっても、元気にゴウンゴウンしていることだろう。今日も祭りにはしゃいで、上空の方で元気にゴウンゴウンしている。

 神殿の前からピアノの音が響いた。それに合わせて、歌姫の歌声が響く。

 美しい歌だ、とリィンズベルフィードは素直に感心した。風霊は美しい音楽を好む。

 神殿が用意した歌姫の歌は、時代が時代なら風の精霊王に献上されていたのではないだろうか、と思うぐらいに素晴らしかった。これは百年に一人の歌声だ。

 ピアノの音と歌姫の歌声、そこにシャランと涼やかな音が響いた。

 歌姫の横に立つローブを着た人物が、美しい装飾を施した杖を掲げている。

 ローブの隙間から見えるのは、赤茶の髪の毛──カーラだ。

 カーラは杖を掲げて詠唱を始めた。長い、長い詠唱だ。その詠唱を聞いたリィンズベルフィードは違和感を覚えた。


(詠唱が、違う)


 カーラはこの祭りで、〈星槍〉を披露すると言っていた。

 だが、カーラが口にしているのは、あの夜に聞いた詠唱と違うのだ。

 杖が白い光に包まれると同時に、空に膨大な魔力が集う。見上げた空には白い光の粒が集い、形を成していた。


 ──あれは、門だ。


 白い光で形成された門。それが何を意味するかをリィンズベルフィードは知っている。


「……精霊王、召喚」


 あの門が開かれると同時に、精霊王の力の一部が顕現する。

 使い手の少ない上位魔術の一つだ。

 カーラは自分にこれを見せたかったのだ、と思った。

 風の精霊王の力に触れれば、リィンズベルフィードが自我を取り戻すのではないかと、カーラは考えたのだろう。

 だが、上空の門は閉ざされたまま開かない。

 どういうことだと人々がざわつく中、カーラは詠唱を続ける。その横顔にはじわりと汗が滲んでいた。


(まさか……)


 シャラン、と杖が鳴り、再び上空に魔力が集う。

 そして、二つ目の門が形成された。だが、カーラの詠唱はまだ止まらない。


(そんな、ことが……)


 上空に三つ目の門が浮かび上がる。

 レーンフィールドの森の真上に浮かび上がったその門は、それぞれ北、南、東を向いていた。

 カーラの詠唱は続く。


「あぁ……」


 感嘆の吐息というものを零したのはいつ以来だろう。

 空に四つ目の門が浮かび上がった時、リィンズベルフィードの唇から、確かに吐息が漏れたのだ。

 歌姫の歌が途切れ、伴奏になったタイミングで〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルは声を張り上げる。


「開け、門」


 四つの門が同時に開いたその瞬間、周囲の風の精霊達が一斉に沈黙した。

 ほんの僅かな時間、静寂が輪のように広がる。


「静寂の縁より現れ出でよ、風の精霊王シェフィールド!」


 東西南北四つの門が、煌めく光の粒子を纏って、遠くの風を連れてくる。

 精霊王召喚の魔術は精霊王そのものを召喚するのではなく、その力の一部を呼び出し、行使するというものだ。それゆえ、一度に四つ同時に展開することは理論上不可能ではない。

 だが、それをできる存在が歴史上にどれだけいるだろう。

 少なくともリィンズベルフィードは他に見たことがない。

 これは、一度に七つの魔術を操る大天才〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルだからこそできる奇跡だ。

 気がつけばリィンズベルフィードは神殿の屋根から飛び上がり、荒れ狂う風の中に飛び込んでいた。

 ヒヤリと凍てつく北の風、草原の枯れ草を運ぶ乾いた東の風、果実の香りがする温かな南の風、潮の香りの湿った西の風、それらに揉みくちゃにされながら、リィンズベルフィードは四つの門の中心に辿り着く。

 四つの風の中心でもあるそこだけは、風が凪いで穏やかだった。


(そうだ、わたくしは……)


 荒れ狂う風の中心で、リィンズベルフィードは思い出す。


 春の嵐だ。


 ゴウンゴウンと渦巻く春の嵐の中心で、風霊リィンズベルフィードは生を得たのだ。

 ルベルメリアが自分を兄と慕うのは、同じ嵐から生まれたからだ。リィンズベルフィードは嵐の中心、ルベルメリアはそれを取り巻く風だった。

 それを思い出した時、パチパチと目の前で何かが弾けるような感覚がした。

 リィンズベルフィードは眼下の神殿を見下ろす。祭壇の前で杖を手に空を仰ぐ人。

 奇跡を起こした偉大な魔女はこちらを見上げ、笑っている。

 その笑顔を見た瞬間、リィンズベルフィードは確かに聞いたのだ。

 己の胸の奥で、ありもしない心臓が鼓動する音を。

 込み上げてくる強い感情が胸を叩く。目の奥がチカチカして、世界が輝きだす。

 その輝く世界の中心で笑っているのは、〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェル。


「──……! ──……、…………!」


 リィンズベルフィードは門の中心で歓喜の歌を歌う。

 精霊の歌は魔術の詠唱と同じだ。リィンズベルフィードを中心に煌めく光が渦を成し、風が渦巻く。春の嵐を起こす。

 長い間奏が終わり、歌姫の歌が始まった。

 リィンズベルフィードの歌声に歌姫の歌が重なり、広がっていく。

 全く違う言語の全く違う歌なれど、歌は不協和音になることなく溶け合い、人間と精霊の心を震わせた。



 * * *



「精霊王召喚を、四つ、同時、維持……」


 モニカは泡をふいて倒れそうになるのを堪え、リンを見上げた。

 レーンフィールドを訪れる前、モニカは事前に過去の記録を読んで、前回の魔術奉納で使われた魔術を調べている。

 記録には「風の精霊王召喚」とだけ記録されていた。それを見て、モニカはずっと疑問に思っていたのだ。

 何故〈星槍〉ではないのだろう? と。


(精霊王召喚なんて、二つ同時でも難しいのに……それを四つ……四つぅぅぅ……!)


 純粋に魔力量の問題もあるが、高度な魔術ほど同時維持するのは難しいのだ。

 カーラの複数の魔術を同時維持する技術は、モニカには真似できない奇跡である。


「〈星槍の魔女〉様……本当に、すごかったんですね」

「はい、本当にすごかったのです」


 語彙力の無いモニカの感想に、リンは力強く頷いた。

 切り株に腰掛けたモニカは、立ち上がる気力も無く頭を抱える。

 モニカにできる、一番強力な魔術が精霊王召喚だ。

 だから魔術奉納でも当然にそれを披露するつもりでいたのだが、十年前にカーラが同じ魔術を披露しているのだ。それも四つ同時に。

 今更モニカは気がついた。

 モニカの無詠唱魔術の利点は、素早く目立たず発動できることにある。

 そしてそれは、華やかさや見栄えを求める魔術奉納とは致命的に相性が悪いのだ。

 以前、黒獅子皇はモニカに言った。無詠唱魔術は地味で華が足りない、と。

 全くもってその通りだった。


(わ、わたし、今年の魔術奉納、どうしたら……っ)


 モニカが頭を抱えていると、リンが淡々と言った。


「かくして、わたくしはカーラのおかげで自分が何者かを思い出し、自我を取り戻したのでございます」

「あ、はい……」


 それより今年の魔術奉納どうしましょう、とも言えず、モニカはぎこちなく相槌を打つ。

 リンは首を捻って、ルベルメリアを見た。


「ここまでは、ルベルメリアも記憶しているかと」

「はい、はい、覚えておりますとも。その後、兄様は森からいなくなられた……あの〈星槍の魔女〉と契約して森を出られたのですよね?」

「いいえ」


 リンは首を横に振った。

 そうだ、とモニカは思い出す。リンの契約者はカーラではない。

〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーなのだ。


(でも、どうして……)


 風の精霊王が召喚できたということは、カーラの得意属性は風。リンとの契約は問題ないはずだ。

 なのに、何故、カーラとリンは契約をしなかったのか。

 その答えを、リンは静かに口にする。


「わたくしは、カーラに振られたのです」



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