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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝9:精霊の歌、高らかに
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【15】ゴウンゴウンしている弟分達

 レーンフィールドの森を少し南下した丘の上、長い金色の髪をなびかせて、神官服の美しい青年が宙を舞う。

 青年の名前はルベルメリア。風の上位精霊だ。

 ルベルメリアを追うように翼をはためかせているのは緑がかった褐色の鱗を持つ翼竜の群れだった。数は六匹──その内一体は大型だ。


「うぐごごご……なんとしつこい。不愉快です。とても不愉快です」


 森に近づいてきた翼竜を追い払おうとしたら、逆に追い回される形になったルベルメリアは、無表情のまま眉をひそめた。

 翼竜は大型種を中心に、ある程度の統率がとれている。

 それゆえ、ルベルメリアが強い風を起こしても、すぐに旋回して回避し、また襲いかかってくるのだ。

 ルベルメリアは距離を取り、鋭い風の刃で接近してきた翼竜の眉間を穿つ。

 一匹仕留めた──が、背後に回った別の一匹が急接近し、大きな口を開いてルベルメリアに喰らいつく。

 その時、ヒゥン、と風を切る音がした。

 翼竜の動きが止まり、地に落ちる。その首と胴体は、切れ味の良い刃物で切り裂かれたかのように分かたれていた。

 人間にはできない高密度の魔力を纏った風の刃が、竜の首を一刀両断にしたのだ。

 そんなことができるのは、ルベルメリアの知る限り、ただ一人。


「リィンズベルフィード兄様!」



 * * *



 リィンズベルフィードは翼竜の群れに風の刃を振り下ろす。

 人間の魔術では風の刃で竜の鱗を切り裂くことはできない。だが、上位精霊であるリィンズベルフィードは魔力密度が高い風の刃を操れる。

 流石に上位種の竜ともなれば一刀両断とはいかないが、下位種である翼竜程度なら首を落とすぐらいはできた。

 リィンズベルフィードが駆けつけたことで、ルベルメリアも調子が出てきたのか、周囲の風がゴウンゴウンと渦巻き出す。


「リィンズベルフィード兄様がいるなら、もはや怖いものなし!」


 ルベルメリアの生み出した小型の竜巻が、翼竜の群れに襲いかかる。

 翼竜は旋回しようとしたので、リィンズベルフィードはそこに逆方向に渦巻く竜巻を作り出してぶつけた。

 二つの竜巻に挟まれた翼竜達は、羽を捩じ切られて、哀れ墜落していく。

 ルベルメリアは無表情のまま、フッフーと嬉しそうな声を漏らした。


「リィンズベルフィード兄様!」

「それです」

「……?」


 淡々としたリィンズベルフィードの言葉に、ルベルメリアが困惑を示すように眉をひそめる。

 リィンズベルフィードは一つ頷き、口を開く。


「自分の名前を忘れかけていました。確認できて良かった」

「…………」

「それでは、わたくしはこれで」


 リィンズベルフィードは弟に片手を上げると、森へ戻っていく。

 翼竜との戦いでそれなりに魔力を使ったので、体の端々が綻びかけていた。それでも森に戻れば、幾らか見られる程度には回復する。

 自分の姿がきちんと人の形を成していることを確認し、リィンズベルフィードはあの泉に向かった。

 カーラは「また明日」の約束をしてくれなかったが、祭りが終わるまでは滞在している筈だ。


 ──名前で呼んでもらおうと思った。


 昨日は自分の名前にちょっぴり自信がなかったので名乗れなかったが、ルベルメリアに確認したから今日はきちんと名乗れるはずだ。

 朝日が昇って、それなりに時間が経っていた。もう人間は起きて活動をしている時間だ。

 あの泉のそばには、まだテントがある。

 そのことにリィンズベルフィードはホッとしたが、テントの前にいるのはカーラだけではなかった。

 カーラの弟弟子とかいう栗色の髪の男が、カーラのそばで何やら話し込んでいる。


「あのジジイ共、自分達は魔力濃度の濃い森に行きたくないから、私の顔色を伺いながら言うんですよ。『どうか我々の代わりに、〈星槍の魔女〉様の様子を見てきていただけませんか』って」


 そう言って弟弟子はニヤリと笑った。

 リィンズベルフィードは知っている。あれは悪人の顔だ。


「いやぁ、あのジジイ共が若造の私にへりくだる様は、大変に痛快でした。はっはっは」

「また、そうやって悪ぶって」


 悪辣な弟弟子にカーラは呆れたように溜息をつく。

 そして弟をたしなめる姉のような顔で、眉を下げて笑った。


「うちの代わりに、あんたが怒らなくていいんだよ」


 弟弟子は虚をつかれたように瞬きをし、唇を尖らせる。


「……貴女はもっと相応の待遇を受けるべきだと思ったまでです。神官といい、貴族院といい、権威ある老いぼれは、いつも貴女を蔑ろにする」

「平民出の若い女が魔法伯なんてやってりゃ、良い顔されないのは当然さね。あんたの周りにそういう立場の子がいたら、助けてやってよ」


 穏やかなカーラの言葉は、自分のことはいいから、と遠回しに言っていた。

 弟弟子は不貞腐れた子どもみたいに黙り込んでいたが、マントに引っ込めていた手を前に差し出す。

 その手には、ワインの瓶が握られていた。


「手土産です。くすねてきました」


 ワインの瓶を受け取ったカーラは、瓶のラベルを見て目を丸くする。


「こりゃまた随分と良いワインだ。野外でグビグビ飲むようなモンじゃないでしょ」

「食事も酒も、お貴族様かというぐらい贅沢なものでした。神殿に相当な金が流れている」


 神殿の着服を仄めかす弟弟子に、カーラは静かに断言する。


「ルイス、権力者の粗探しをして余計なことに首を突っ込むのは、あんたの悪い癖だよ。うちはその土地のやり方に干渉する気はない」

「……承知しました」


 それからいくつか言葉をかわし、弟弟子はその場を立ち去った。

 その姿が完全に見えなくなったのを確認し、リィンズベルフィードはカーラの前に降り立つ。


「弟分というのは、みな、ゴウンゴウンしているのですね」

「ゴウンゴウン……うーん、まぁ確かに血の気は多いかな」


 カーラはワインの瓶を軽く掲げて「飲む?」と訊ねた。

 味覚を持ち合わせていないリィンズベルフィードは、首を横に振る。


「わたくしは風霊ですので、供物に酒は不要です。それよりも……」


 リィンズベルフィードはワイン瓶を握るカーラの手に、己の手を重ねる。

 旅暮らしであかぎれ、皮が厚くなった女の手。その温もりを感じながら、風霊は告げる。


「リィンズベルフィード」


 キョトンとした顔のカーラに、リィンズベルフィードは少しだけ誇らしげに言う。


「わたくしの名前です。昨日は忘れかけていて自信が無かったので、弟に確認をとってきました」

「……なんだって?」


 返ってきた言葉は低く掠れていた。

 カーラは険しい顔でリィンズベルフィードを凝視し、重ねられた白い手を握りしめる。そうして早口で何かを呟いた。おそらく、感知の魔術の詠唱だろう。


「……あんたは昨日、『貴女()風なのですね』と言った。『貴女も』とは言わなかった」


 そういえば、そんなことを言った気がする。ぼんやり昨日のことを振り返っていると、カーラが手を握りしめたまま早口で言った。


「自我が薄くなって、自分が風であることすら曖昧になってるんだ。自分の名前を忘れかけるのは末期症状。このままだと、あんたは遠からず消滅する」


 それは人間で言うなら、死の宣告も同然だ。だが、リィンズベルフィードの心は動じない。

 そうなのか、と思った。それだけだった。

 それよりも、折角確認してきた己の名前をカーラが呼んでくれないことの方が、ずっと気がかりだったのだ。


「あんたは自分がどこの風かは覚えてるかい? 故郷の地は?」


 リィンズベルフィードは無言で首を横に振る。

 弟のルベルメリアが嵐から生まれたことはうっすら覚えているが、リィンズベルフィードは自身がいつ、どこで、どのようにして生まれたのかを覚えていない。

 カーラはリィンズベルフィードの手を離し、深々と溜息をついた。


「他者の在り方に過干渉するのは、旅人の流儀じゃないんだけれど……このまま消えられるのも、寝覚めが悪い……流石に今ここでアレをやったら騒ぎになるな……うん、祭りの夜がいい」


 カーラはガリガリと髪をかき、独り言のような口調でなにやらブツブツと呟いている。

 リィンズベルフィードがその様子を無言で見守っていると、カーラは顔を上げ、真っ直ぐにリィンズベルフィードの目を覗き込んだ。


「風霊リィンズベルフィード」


 名前を呼ばれた瞬間、確かに自分はここにいるのだと思えた。

 薄れてぼやけた自我が、少しだけ輪郭を取り戻したような気がする。

 リィンズベルフィードがそのことを噛み締めていると、カーラは険しい表情を引っ込めて、隣に座ることを許した時みたいに目を細めて笑った。


「祝祭の夜は、神殿の屋根においで。とびきりすごいのを、お見舞いしてあげる」


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