【3】〈沈黙の魔女〉の村でボクと握手!
「イーッヒッヒッヒ! アタシが〈沈黙の魔女〉だよ! さぁ、スタンプが欲しかったら、この村の名物の〈沈黙の魔女〉サブレを食べておゆき! 気に入ったらたくさん買って、家族や知人に配るんだよ」
そう言って三番目の〈沈黙の魔女〉を名乗る老婆は、モニカ達にサブレを配ってくれた。
サクサクホロホロとした食感の素朴なサブレは素直に美味しい。
貰ったサブレをサクサクと齧りながら、本物の〈沈黙の魔女〉は途方に暮れていた。
モニカの手元にあるスタンプカードには、既に三つのスタンプが押してある。この調子なら順調に六つのスタンプを集めて、記念品をもらうことができるだろう。
(わたし……何しに来たんだっけ……)
ちょっぴり目的を忘れかけているモニカと違い、イザベル達は日和ったりしない。
上品にサブレを食べ終えたイザベルは、三番目の〈沈黙の魔女〉を名乗る老婆に、にこやかに話しかけた。
「とても美味しいサブレですわね。お土産にいただきますわ」
「イッヒッヒ、毎度あり」
「ところでこの村は、どうして〈沈黙の魔女〉の村と仰るのかしら? 出身地というわけでもないでしょう?」
モニカが気になって仕方がなかったことを、イザベルは世間話のようにさらりと訊ねる。
イザベルの言う通り、モニカの出身地はセチェン村ではない。そもそもモニカは一度だってこの村を訪れたことはないのだ。それなのに、どうして〈沈黙の魔女〉が観光名物のように扱われているのだろう?
竜退治で訪問したことのあるケルベック伯爵領やレーンブルグ公爵領ならまだしも、この村はまるで縁の無い土地である。
モニカが密かに疑問に思っていると、菓子売りの老婆はニヤリと笑った。
「大きな声じゃ言えないけどね、この村に本物の〈沈黙の魔女〉様が訪れたことがあるのさね」
初耳である。
モニカの横でサブレをかじっていたアイザックが、モニカの口元についたサブレをつまみ取る振りをして耳打ちした。
(……だそうだけど?)
(は、初耳です!)
老婆は「大きな声では言えない」などと言いつつ、周囲の人間にしっかり聞こえる声量で言葉を続ける。
「二年前にレーンブルグ公爵領で呪竜討伐をされた〈沈黙の魔女〉は、共に呪竜を退治した第二王子のフェリクス殿下と共にこのセチェン村に立ち寄ったのさ。そしてお二人はこの村で湯治をして、呪竜退治の傷を癒やされていったんだよ」
老婆の言葉にアイザックは苦笑しながら「なるほど初耳だ」と呟いた。
当然だがモニカもアイザックも、この村で湯治をしたという事実はない。
それでも、このセチェン村はレーンブルグ公爵領と王都の中間に位置する村である。つまり、呪竜討伐を終えた第二王子御一行が王都に戻る途中に立ち寄ったと言われれば、それなりに信憑性はあった。
……無論、作り話なのだけど。
「うちの温泉は万病に効くだけでなく、美容にも良いって評判だからね。お嬢ちゃん達もゆっくりしておゆき」
そう言って老婆は、モニカの手にもう一枚サブレを握らせてくれた。
* * *
「……よりにもよって、七賢人の中で一番地味なわたしを選ばなくてもって思ってたんですけど……なんとなく理由が分かりました」
宿を目指して歩きながらモニカが小声で呟けば、イザベルが「まぁっ!」と声をあげてモニカの腕にしがみついた。
「お姉様は全然地味なんかじゃありませんわ! 我が国の英雄ですのよ!」
イザベルの言葉に、アガサも力強く頷いて同意する。
「そうですよ。ウォーガンの黒竜とレーンブルグの呪竜を討伐された〈沈黙の魔女〉様は、第二王子と共に並ぶ英雄と言われているんですから。この国じゃ知らない人間はいないぐらい有名人です」
有名人、の一言にモニカの胃がチクチク痛んだ。
まして、黒竜及び呪竜騒動の顛末を思えば尚のことである。
この騒動の真実を知るアイザックを横目で見上げれば、彼は涼しい顔をしていた。
「つまりは〈沈黙の魔女〉にあやかって、観光客を集めようという村おこしなんだろうね。特に〈沈黙の魔女〉はあまり顔を知られていないから、この手の題材として扱いやすい」
「そ、そういうもの……なんですか?」
「これは、キミに話すべきか迷ったのだけど」
「……?」
言葉を濁すアイザックにモニカが首を捻れば、アイザックは苦く笑いながら前髪を軽くかきあげた。
「最近は学会絡みで露出は増えたけど、まだまだキミの顔を知らない人間は多いだろう? だから、色んな噂がひとり歩きしているんだよ。〈沈黙の魔女〉は実は男だとか、腰の曲がった老婆だとか……」
アイザックは「本物はこんなに可愛いのにね」と呟くが、唖然とするモニカの耳には届かない。
まさかこんなにも自分の噂がひとり歩きしているなんて!
想定外の事実にショックを受けていると、正面から歩いてきた若者がすれ違いざまに、モニカの腕にぶつかった。
ぶつかったと言っても軽く触れる程度だ。だがその若者は足を止め、こちらを睨みつける。
「おぅおぅおぅおぅ、痛いじゃねぇかよ、お嬢ちゃん。あー、痛ぇ痛ぇ、骨が折れちまった。どうしてくれるんだ? あぁ? おぉ?」
あまりにも芝居がかった台詞に、アイザックもイザベルもアガサも半眼になった。
だが、小心者のモニカは慌ててペコペコと頭を下げる。
「ご、ごめん、なさいっ」
「おぅおぅ、謝ってすむ問題じゃねぇだろぉ? ……おっと、よく見たら、そっちの姉ちゃんはえらく可愛いじゃねぇか」
そう言って男が見たのはイザベルだった。
モニカはさぁっと青ざめる。あぁ、自分がぼんやり歩いていたせいで、イザベルが目をつけられてしまった!
なんとかしなくてはと、モニカはカタカタ震えながら必死で勇気を振り絞った。
「や、やめてくださいっ、イ、イザベル様は、なにも悪くない、ですっ」
涙目で懇願するモニカの背後では、アイザック、イザベル、アガサの三人が冷ややかな目で男を睨んでいるのだが、モニカは気づかない。
モニカは必死で、この場を収める方法を考えた。
謝ってもダメならば……それこそ男が暴力で訴えてくるのなら、自分がイザベルを守らなくては。
(む、無詠唱で防御結界を張る? 風を起こす?)
なるべく穏便に済ませる方法を考えていると、背後から若い男性の声が響く。
「待ちたまえ!」
振り向いた先にいたのは、紺色のローブを着て杖を持った二十代の男だった。
少しばかり鷲鼻だが、目鼻立ちのくっきりとしたハンサムだ。本人もそれを自覚しているのか、立ち振る舞いが些か芝居がかっていて大袈裟である。
男はキリリと表情を引き締め、杖を振り上げた。
「私は平和と正義を愛する〈沈黙の魔女〉! この村での狼藉は私が許さない!」
本物の〈沈黙の魔女〉が文字通り沈黙していると、今までモニカ達に絡んでいた悪漢は、大袈裟に驚いてみせた。
「な、なにぃー!? 〈沈黙の魔女〉だってぇ!?」
「そう! 私こそが〈沈黙の魔女〉だ!」
四人目の〈沈黙の魔女〉はくるりと振り向き、白い歯を見せて爽やかに笑った。
「さぁ、お嬢さん。この場は私に任せなさい。くらえ! 無詠唱魔術っ! やぁぁぁ!!」
無詠唱魔術は相手に悟られず素早く発動できることが長所である。
それなのに、どうして入り口の親父といい、この男といい、無詠唱魔術を使うと宣言してしまうのだろう。
本日四人目の〈沈黙の魔女〉が杖をデタラメに振り回すと、強い風が吹いた。
強い風と言っても精々局地的な突風程度のものだが、モニカ達に絡んでいた悪漢は「ぎゃあ」と叫んで尻餅をつく。
「うわぁ、や、やられたぁ〜」
悪漢は芝居がかった捨て台詞を残して、その場を逃げ出した。
アイザックが人当たりの良い笑顔を貼りつけたまま、ボソリと呟く。
「……すごい茶番だね」
「観光客を巻き込むのは、イベントとして悪くないですわね。お姉様を騙った点は許し難いですが」
「そうだね、よくできた村おこしだ。〈沈黙の魔女〉を騙ったのでなければ」
ここに至って、ようやくモニカは気がつく。あの悪漢も仕込みだったのだ。気づいていないのはモニカだけだったらしい。
恥ずかしさに俯いていると、四人目の〈沈黙の魔女〉がモニカにハンカチを差し出した。
「やぁ、大丈夫かいお嬢さん? ほら、涙を拭いて。記念に握手をしてあげよう」
「あ、ありがとう、ございます……」
流されるままにモニカが握手をしようとすると、アイザックがモニカの肩を掴んで後ろに下がらせる。
そうして、アイザックは冷ややかな笑顔のまま、四人目の〈沈黙の魔女〉の鼻面にスタンプカードを押し付けた。
「記念のスタンプをいただいても?」
「あぁ、勿論だとも! もう既に三つ集めているんだね。これで四つ目だ。残り二つも頑張りたまえ!」
四人目の〈沈黙の魔女〉は全員のカードにスタンプを押すと「お酒が飲みたければ、カークの酒場に来たまえ! そこの角を曲がってすぐのところにあるからね」と言い残して、その場を去っていった。なんとも商魂たくましい〈沈黙の魔女〉である。
後に残されたモニカは、四人目の〈沈黙の魔女〉の背中を見送り、ポツリと呟いた。
「あそこまで堂々と言い切られると……なんだか、あの人が本物みたいに思えてきました」
「お姉様、お気を確かに!」
イザベルがモニカの肩を揺さぶり、アイザックがモニカの手を握りしめる。
「僕が敬愛する魔女は君だけだよ、マイ・マスター?」
イザベルの可憐な顔と、アイザックの美しい顔に至近距離から詰め寄られ、モニカは虚ろに笑いながら頷いた。




