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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝9:精霊の歌、高らかに
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【7】世話焼き、年上、綺麗系

 エリオットの屋敷に到着したモニカは、用意された客室で外出着から七賢人用のローブに着替え、リンと共に指定された応接間に向かった。

 モニカの後ろに付き従うリンもまた、いつものメイド服姿である。

 リンは「これから皆様のお世話をさせていただくので、仕事着に着替えました」とやる気に満ちた発言をしていたが、このやる気というのが恐ろしい。

 応接間では既にエリオットがソファに腰掛けて、書類に目を通していた。その表情は険しく、眉間には深い皺が刻まれている。

 書類を睨んで「神官どもめ……」とブツブツ呟いていたエリオットは、モニカに気づくとソファを勧めた。


「座ってくれ。これから神殿に挨拶に行くが、その前に祭りの概要を説明する」

「は、はい……えっと、モールディング様は?」

「ピアノ部屋に放り込んどいた。『スランプの時は一度音楽から離れて気分転換を』なんて言う奴もいるが、ベンジャミンは楽器のそばに置いておかないと、どんどん衰弱するんだ」


 楽器さえ与えておけば、その内そこそこ復活する。とエリオットは断言した。

 扱いが雑なのは、それだけ付き合いが長い証拠なのだろう。

 モニカは杖を足元に置き、エリオットの向かいに腰を下ろした。リンはモニカの背後に控える。

 そんなリンをエリオットは嫌そうな目で見たが、すぐに視線を書類に戻した。


「捧歌の祝祭は五日後の正午に儀式を行う。その後はまぁ普通の祭りと同じだよ。領主は町民に酒と食事を振る舞い、町民は歌と踊りで感謝の意を示す。魔術奉納は正午の儀式の時だな。手順はこの紙にまとめておいた」


 モニカはエリオットから渡された紙に目を通した。

 紙には祭りの由来に始まり、儀式の流れや役割についても簡潔にまとめられている。

 レーンフィールドは周辺の森から採れる木材が楽器の材料に適しており、それ故に昔から楽器作りと音楽の町として栄えていた。

 だがこの森は魔力濃度が高く、魔物や竜が寄り付きやすい。それ故、人々は魔物や竜の脅威に怯えながら暮らしていた。

 人々がその悲哀を歌にのせて奏でると、その歌を聞いた風の精霊王シェフィールドは、己の力を分け与えた御使いと呼ばれる精霊をレーンフィールドの森に送りこんだ。

 そして御使いはその強大な力で魔物や竜を撃退し、レーンフィールドを守ったのである。

 以降、人々は風の精霊王シェフィールドとその御使いに感謝を捧げるため、祭りをするようになった──というのが、捧歌の祝祭の由来だ。

 魔術奉納をうけるにあたって、モニカも由来はある程度調べてある。だが、どうしても気になっていたことがあった。


「あのぅ、ハワード様……」

「なんだ?」

「どうして、このお祭りは十年に一度なんです、か?」


 精霊王に感謝を捧げる祭りというのは、リディル王国では珍しいものではない。

 ただ、この手の祭りは大抵、年に一回ぐらいのペースで行われるものだ。

 十年に一回なのには何か意味があるのだろうか、とモニカはずっと疑問に思っていた。


「そのぅ、星の巡りとか、暦が関係してるとか……何か、理由があるのでしょうか?」


 モニカの言葉に、エリオットは痛いところを突かれたような顔で黙り込む。

 あまり触れてほしくないことだったのだろうか。

 モニカが質問したことを後悔していると、エリオットが苦々しげに言った。


「まず前提として、捧歌の儀──歌の奉納だけは年に一度やってる。ただ盛大な祭りをするのは十年に一度だけって話だ。理由は財政の問題もあるが、それだけじゃない」


 エリオットは決まりわるげに唇を曲げ、しばし言い淀む。

 そうしてボソボソと小さい声で呟くように言った。


「祭りの費用を神殿が着服していたんだ。それに気づいた過去の領主は苦肉の策で祭りをどんどん縮小していき、遂には十年に一度の祭りになった」

「あのぅ、それって……神殿は……」

「領主に恨みが溜まってるだろうな。俺はその恨みを一身に背負ってるってわけだ」


 エリオットは皮肉っぽく笑い、フンと鼻を鳴らした。

 どうやら若さ故に侮られているだけでなく、領主と神殿はもともと良好な関係とは言い難かったらしい。

 費用の着服は当然に神殿側の罪だが、神殿側にしてみれば、日頃から領主の寄付が足りないのが悪いのだという。

 そして両者の溝は埋まることのないまま、エリオットが新領主となってしまった。


「俺はあんな古い神殿なんて、取り壊したって良いと思ってる。風の精霊王は他の精霊王ほど人気はないし、捧歌の祝祭なんてなくても、この町は充分に音楽の町としてやっていける」


 モニカは思わず「ひぇっ」と声を漏らし、極力首を動かさずに背後のリンを仰ぎ見た。

 モニカの背後に佇むリンはいつもと変わらぬ無表情で、何を考えているか分からない。

 だが、風の精霊であるリンが風の精霊王を馬鹿にされたら、良い気分はしないはずだ。

 だからモニカは慌てて取りなすように口を開いた。


「えっと、でも、風の神殿を壊したら、その……御使いという精霊が怒るんじゃ……」

「御使いなんて本当にいるかどうかも怪しいもんだな。年寄りの神官達は見たことがあるって言うけれど、俺はあの森で一度も精霊を見かけたことがない」

「でも、風の精霊達は、レーンフィールドを守ってくれてたんです、よね?」


 捧歌の祝祭は、町を守ってくれた精霊達に感謝を捧げる祭りでもあるはずだ。

 だから蔑ろにしてはいけないのでは、とモニカは思うのだが、エリオットはそうではないらしい。


「今は時代が違う。竜だの魔物だのが跋扈してた頃と違って、今はこの辺じゃ竜も滅多に現れない。精霊に町を守ってもらう必要なんてないんだ」


 書類を見るエリオットの目は冷めていた。

 領主として祭りを成功させなくてはいけないけれど、きっと彼自身は祭りに何の思い入れも無いのだ。


「神殿に金を流すだけの祭りなんていらない。そもそも神殿自体必要ない。精霊神の教会は町にあるんだから、それで充分じゃないか──それが俺の本音だな」


 無論、領主になったばかりの若造にそんなことできるはずもない。エリオット自身、それを分かっているのだろう。

 呟く声には皮肉と自嘲が滲んでいた。


「それでも俺は、領主としてこの祭りを成功させなくちゃいけないんだ……ハワード家のためにも」


 その時、バァン! と勢いよく音を立てて扉が開いた。

 血相を変えて飛び込んできたのはベンジャミンだ。

 モニカとエリオットは何事かと目を丸くした。リンだけが驚きもせず、首だけを捻ってベンジャミンを見る。

 ベンジャミンは両手を大きく広げ、亜麻色の髪を振り乱して叫んだ。


「おぉ、エリオット! エリオット! ちょっとそこの使用人から聞いたんだが、君の婚約が解消になったそうではないか! 我が友の失恋! この悲劇に寄り添うことができず何が友か! 今ここに失恋したエリオットを慰める曲を奏でよう! というわけで、今からピアノ室で一曲弾くから全員集合! きっと今の私ならピアノを弾ける! あぁ、弾けるとも!」


 失恋の一言にエリオットは目を剥く。


「おま、お前……なんでそれを大声で言った……」

「第二王子派だった君の家が苦しいことになっているのは知っていたが、まさか婚約解消されるほどとは……っ! エリオット、失恋の痛みに効くのは新しい恋と音楽だ!」


 ベンジャミンはエリオットの肩をバシバシと叩きながら、それはそれはよく響く声で力説した。

 エリオットは全身を戦慄かせ、怒りの滲む重低音で吐き捨てる。


「別に失恋とかじゃない。親が勝手に決めた婚約だっただけで、俺はなんとも思ってない!」

「嘘は良くない、エリオット! 世話焼き、年上、綺麗系! まさに君の理想そのものの女性だったではないか!」


 あぐぅ、とエリオットの口から言葉にならない呻きが漏れた。

 胸を押さえて俯くエリオットに、モニカは恐る恐る訊ねる。


「あ、あの、第二王子派が、苦しいのって……」


 理由は言うまでもない。

 第二王子フェリクス・アーク・リディルが王位継承権を放棄したからだ。

 そして、そうなるように行動を起こしたのが、他でもないモニカなのだ。


(ハワード様の家が大変なのは、わたしの責任でもあるんだ……)


 モニカが青ざめ、唇を震わせていると、項垂れていたエリオットが体を起こした。

 そうして彼は鼻を鳴らして、モニカを睨む。


「君のことは関係ない。時勢で立場が一転する……貴族ってのはそういうもんだ」


 エリオットの高慢さの裏には、貴族の家に生まれたことに対する覚悟があった。

 モニカは魔法伯という爵位を持っているけれど、やはり生まれながらの貴族とは考え方や覚悟が違うのだと、こういう時思い知らされる。

 モニカがそれ以上の言葉を飲み込むと、リンが「なるほど」と納得したように頷いた。


「きっとその女性は垂れ目が好みではなかったのでしょう。垂れ目は個性です。気に病むことはありません」

「誰がそれを気に病んだと言った」

「失恋の儀式と言えば断髪だと書物で読みました。髪を切りたくなったらいつでもお申し付けください。ばあやがスタイリッシュに断髪してさしあげます」


 エリオットが物騒な垂れ目でリンを睨むが、それで怯むリンではない。

 リンは華奢な手を己の胸に当て、静かに言い聞かせるような口調で言った。


「ちなみにわたくしも、世話焼き、年上、綺麗系ですが、既に心に決めた方がおります故」

「おい、誰かこのばあやを黙らせてくれ」


 モニカがあうあうと鳴きながらリンを見上げれば、リンは心得顔で頷いた。


「それでは、ばあやは沈黙している間に、エリオットぼっちゃまをお慰めする言葉を百ほど考えておきます」



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