【2】ゴードン・スミス氏(46歳・鍛冶屋)の熱演
ラゴット領セチェン村の村人であるノーマン少年(十二歳)には、大切な仕事が二つある。
その一つが村を訪れた旅人の案内だ。
セチェン村は昔から温泉地として知られており、特に竜害が少ない冬になると、貴族達が湯治のために利用する。そんなお貴族様達をご案内するのが、ノーマン少年の大事な仕事なのだ。
その日セチェン村を訪れたのは、見るからに裕福そうな御令嬢だった。年齢は十代後半ぐらい。オレンジ色の巻き毛に華やかな顔立ちの令嬢である。
お供の人間は三人。侍女らしき女が二人と、護衛らしき男が一人。この護衛らしき男がまた、やたらと顔が良いのだ。キラキラと輝く金色の髪に、端正な甘い顔立ち。
(すごいや。本物の王子様みたいだ)
オレンジ色の髪の令嬢は侍女二人と楽しそうに会話をしており、それを護衛の男も笑顔で聞いている。
令嬢達が降りてきた馬車に紋章は無いから、おそらくはお忍びなのだろう。
貴族がお忍びで湯治に来ることは珍しくない。時に、道外れた恋に溺れる貴族の男女がお忍びで利用することだってあるのだ。
(もしかして、あの御令嬢と金髪の護衛さんは恋人同士とか……)
人よりちょっぴり空想が好きなノーマン少年は、名家の令嬢とその護衛の青年の身分違いの禁断の恋に想いを馳せた。すると、くだんの一行がこちらに向かってくるではないか。
「ご機嫌よう。とても雰囲気の良い村ですわね」
オレンジ色の髪の令嬢がニコリとノーマンに笑いかけた。服装にも佇まいにも品がある。きっとさぞかし名のある家のご令嬢なのだろう。
貴族の客を相手にするのは、ほんの少し緊張するけれど、これが初めてではない。
ノーマンは大事な仕事をこなすべく、その顔に接客用の笑顔を貼りつけた。
「こんにちは、旅のお方。ようこそ温泉と〈沈黙の魔女〉の村へ!」
* * *
(わ、わたしの名前が……温泉と同列で並んでる……)
モニカは思わず顔を引きつらせた。
横目でイザベル達を見れば、イザベルもアガサもアイザックも、何も疑問に思っていない旅行客の笑顔を浮かべている。三人とも笑顔が完璧なのが、また怖い。
モニカは体の震えを隠しながら、このセチェン村を訪れるまでのやりとりを思い返した。
──セチェン村に〈沈黙の魔女〉の偽物がいるらしい。
その事実が判明してからのイザベル達の行動は、迅速の一言に尽きる。
まずイザベルは御者の青年(アガサの双子の弟のアランと言うらしい)に命じて他の使用人達を先にケルベック伯爵領に帰すと、伯爵家の紋章の無い馬車を手配させた。
アガサの弟のアラン青年は、イザベルの指示に(あぁ、またか)と言いたげな顔をしていたが、粛々と与えられた仕事をこなしていた。ケルベック伯爵家ではこの手のことは日常茶飯事らしい。
一方アイザックは馬車の手配が終わるまでの間、黙々と旅行のための荷造りをしていたのだが、彼は最後の最後まで猟銃を積み込むべきかを悩んでいた。一体彼は何を狩るつもりなのか。
「あの……に、荷物は少ない方が、いいと……思います」
モニカが恐る恐る進言すると、アイザックは猟銃のケースを床に戻して、穏やかに微笑む。
「そうだね。小さな村一つを制圧するなら、剣だけで充分だ」
大変不穏な単語が聞こえた気がしたが、モニカは聞こえなかった振りをした。
とにかく猟銃の持ち込みを阻止することには成功したのだ。
モニカがホッと胸を撫で下ろしていると、今度はイザベルが力強い口調で言う。
「ご安心を、お姉様。こう見えてもアガサは、古流槍術の使い手ですのよ!」
「…………」
その事実で何を安心すれば良いのだろう。
モニカが助けを求めるようにアガサを見ると、アガサは壁に立てかけていたモニカの家の箒を手に取り、軽く一振りした。
ヒュンと風を切る音は、ただ出鱈目に振り回しただけでは出ない音だ。
絶句するモニカに、アガサは朗らかに告げる。
「ご安心ください、モニカ様。私、モップでも物干し竿でも棒状の物があれば、大抵の相手は叩きのめせますから」
繰り返すが、その事実でモニカは何に安心すれば良いのだろう。
朗らかに不穏な空気を撒き散らす三人を放置できず、モニカは大人しく自分の旅行鞄に荷物を詰めた。
かくして本物の〈沈黙の魔女〉は、イザベル達と共にセチェン村へやってきたのである。
セチェン村は、見たところ何の変哲もない小さな村だった。以前、モニカが山小屋で暮らしていた頃、世話になっていた村に雰囲気は似ている。違うとすれば、ほのかに硫黄の香りがすることと、いたる所から温泉の湯気が立ち上がっていることだろうか。
入り口で出迎えてくれた少年に、イザベルはいかにも世間知らずなお嬢様の顔で訊ねた。
「わたくし、この村に来るのは初めてなのだけど、〈沈黙の魔女〉の村とは、どういう意味なのかしら?」
イザベルの問いに、黒髪の少年はニコリと微笑み、ポケットから四枚のカードを取り出す。
「それはですね……あっ、皆さん、まずはこれを一枚ずつどうぞ」
受け取ったカードには大きめのマス目が六つあり、枠の端にはこう記されていた。
『スタンプを六つ集めて、記念品と交換しよう!』
これは一体、とモニカがカードをまじまじ眺めていると、近くの建物の扉が開き、一人の男が現れた。
年齢は四十代半ばぐらいだろうか。筋骨隆々としたスキンヘッドの男である。
男が出てきた建物には鍛冶屋の看板がかかっていたから、おそらくは鍛冶職人なのだろう。その証拠に、男の手や腕には、鍛冶をしている者特有の火傷の痕がある。
しかし男が身につけているのは紺色のローブ。そして、その手には長い杖が握られていた。
鍛冶屋から出てきた魔術師のようないでたちの大男は、イザベル達を見ると、よく響く声で告げる。
「やぁやぁ我こそは、リディル王国七賢人が一人〈沈黙の魔女〉なり!!」
言葉の意味を理解するのに、モニカは結構な時間を必要とした。
呆気に取られているのはモニカだけじゃない。イザベルもアガサも、あのアイザックですら絶句して、スキンヘッドの自称〈沈黙の魔女〉を凝視している。
スキンヘッドの自称〈沈黙の魔女〉は、ゴホンと咳払いをすると、モニカ達を見てニヤリと不敵に笑った。今にもとって食われそうな、凄みのある笑顔である。
「どれ、早速旅のお方に、我が無詠唱魔術を披露しよう!」
そう言ってスキンヘッドの〈沈黙の魔女〉は手にした杖を高々と掲げ、声を張り上げた。
「きぇぇぇええええい!! 見よ! 我が極意! 秘技・無詠唱魔術ぅぅぅっ!!」
無詠唱とはいったい。とモニカは思った。
多分、そう思ったのはモニカだけではないはずだ。
男はスキンヘッドの頭に青筋を浮かべると、裂帛の気合と共に杖を振り下ろした。
「はぁあああああああ!!」
その掛け声と同時に、杖の先端にポッと火が灯る。
一瞬、杖に何か仕掛けがあるのかと思ったが違う。あれは魔導具じゃない、本物の魔術だ。おそらく何者かが隠れて魔術を使っているのだろう。
スキンヘッドの〈沈黙の魔女〉は絶句しているモニカ達に向き直ると、懐から何かを取り出した。
「ようこそ、セチェン村へ。さぁ、お嬢さん。スタンプをあげよう」
スキンヘッドの〈沈黙の魔女〉は取り出したスタンプを、モニカのカードにポンと押す。スタンプの文字は『第一の魔女』というものだった。
(……第一の、魔女?)
モニカはスキンヘッドの厳つい顔を見上げ、恐る恐る訊ねる。
「あ、あのぅ……これ、は?」
「この村にいる六人の〈沈黙の魔女〉に会い、スタンプをもらうと、記念品と交換してもらえるぞ。頑張って集めなさい」
スキンヘッドの〈沈黙の魔女〉は、ハッハッハと豪快に笑ってモニカの肩を叩く。そして、イザベル達のカードにもスタンプを押すと、鍛冶屋に戻って行った。
モニカはスタンプカードを握りしめたままアイザックを見上げる。
「わ……わたしって、六人いたんですか……?」
「モニカ、落ち着いて。これはどうやら、村おこしの一種らしい」
「む、村おこし……?」
モニカが目をパチパチと瞬いていると、今度は「雄鶏亭」という看板のかかった店の扉が開き、十歳ぐらいの少女が飛び出してきた。
少女はスキンヘッドの親父とよく似た紺色のローブを身につけ、木の枝を削った可愛らしい杖を握りしめている。
「こんにちは、旅の方! あたしが第二の〈沈黙の魔女〉です。スタンプを六つ集めたら、うちのお店で記念品と交換できますからね。あっ、スタンプどうぞ!」
「…………」
モニカは言われるがままにカードを差し出し、二つ目のスタンプを押してもらった。