【おまけ】お友達もお断り
アスカルド図書館は、ラウルにとって通い慣れた場所だった。
幼少期からおばあ様に何度も連れて来られたし、七賢人になった今は禁書室に出入りすることもある。
ただ、ラウルは禁書室が苦手だ。できればあまり出入りしたくない。
その日も、アスカルド図書館の地下書庫に繋がる扉の前で足踏みしていると、背後で「おや」と声が聞こえた。
振り向けば、黒髪に口髭の男──禁書室の管理人であるハイオーン侯爵が佇んでいる。
「〈茨の魔女〉殿、何かお困りかね」
「いやぁ、本を借りに来たんだけど、オレ、禁書室が苦手で……」
禁書室の本には旧時代の魔物達が封印されている。
それ故、禁書室には魔物達の気配で満たされ、時に、禁書室に訪れた者に声をかけてくることもあった。
「どうもオレは、ご先祖様に似てるらしくて」
「なるほど、初代〈茨の魔女〉に縁のある魔物達が恨み言をぶつけてくるのか」
「いやぁ、恨み言なら良いんだけど……」
ラウルはポリポリと頬をかき、視線を彷徨わせた。
ご先祖様絡みで恨まれたり、憎まれたりするのには慣れてる。
だけど中には、恨みや憎悪より厄介な感情をぶつけてくる魔物もいるのだ。
「『踏んでください』とか『罵ってくれ』とか言われると、流石にちょっと……」
「…………」
初代〈茨の魔女〉は周囲を圧倒する美貌の持ち主だったという。
そんな彼女の虜になったのは、人間だけではなかったらしい。
「ならば、私が代わりに本を取ってこよう。なに、他の本を取ってくるついでだ」
ハイオーン侯爵の提案は正直ありがたかった。
じゃあお願いします、とラウルが素直に頭を下げ、本のリストを渡すと、ハイオーン侯爵は手にしていた本をラウルに差し出す。
「代わりに、この本を娘に渡してくれるかね。一階中央のソファにいるはずだ」
「娘さん、えーっと、何て名前だっけ?」
「クローディア。今年で十六歳になる」
今年で十六歳となれば、ラウルとは二つ違いだ。もしかしたら友達になれるかもしれない。
ラウルはハイオーン侯爵から本を受け取り、弾む足取りで歩きだした。
* * *
(あの子だ)
ソファに腰掛け本を読むその少女は、明らかに他の人間とは違う空気があった。
知的な面差しは他者を寄せつけない冷ややかさで、排他的ですらある。それでいて、この図書館という空間に誰よりも馴染んでいた。
「やぁ、君がクローディアかい?」
クローディアは顔は本に向けたまま、目だけを動かしてラウルを見た。
最低限の動きでしか反応を返したくない。そんな態度だったが、気にするラウルではなかった。
「オレはラウル。ラウル・ローズバーグ。これ、君のお父さんに渡すように頼まれたんだ」
ラウルが本を差し出すと、クローディアは「……どうも」と小声で言って本を受け取る。息を吐くついでで発したような声だった。
そして受け取った本を膝に乗せ、また読みかけの本に目を向ける。必要以上に話しかけてほしくない、と言わんばかりの態度だが、やっぱり気にするラウルではない。
「君のお父さんにはいつもお世話になってるんだ。最近は植物への魔力付与の研究をしててさ、その研究のために土地とか提供して貰ってて……」
「…………」
一方的に喋るラウルに、クローディアはジトリとした目を向ける。
顔は本の方を向いたままだが、その目は冷ややかさを増していた。
「ここは図書館よ」
「おぅ、知ってるぜ!」
「お喋りをしたいなら、お茶会にでも行くのね」
その言葉に、ラウルはパッと顔を明るくする。
「それって、お茶会に誘ってくれるってことかい? やったぜ!」
「…………」
「楽しみにしてるな、クローディア!」
お茶会でお喋り! すごく友達っぽい! とラウルは素直に喜んだ。
そんなラウルに、初めてクローディアは目だけでなく顔を向ける。
それは露骨に不快感を露わにした顔だったのだが、やっぱりラウルは気にしなかった。
ラウルは基本的に敵意に鈍感──というより、散々初代〈茨の魔女〉に重ねられてきたせいで、悪意や敵意に対する感覚が麻痺しているのだ。
* * *
数週間後、ラウルはおばあ様に出席を強要された夜会でクローディアを見かけ、嬉々として声をかけた。
「やぁ、クローディア! 久しぶりだな!」
「…………」
「ここは図書館じゃないから、喋っても大丈夫だよな! あっ、勿論お茶会も大歓迎だぜ!」
「…………」
一方的に喋りだしたラウルに、クローディアは冷ややかな目を向けただけで、何も言わない。
きっと恥ずかしがり屋なんだな! と考えたラウルは、最近咲いた花の話とか、ニンジン占いの話とか、カブが美味しかった話を語って聞かせた。
クローディアは相槌一つ打たない。それでもラウルがニコニコと楽しそうに話しているものだから、周囲には二人が親しいように見えたのだろう。
近くを通ったどこぞの婦人が、扇子で口元を隠しながら言った。
「まぁ、お二人は親しくいらっしゃるのね」
クローディアが口を開いて何か言いかけたが、それより早くラウルは答えた。
この時のラウルは、誰かと親しくしていると思われたことが嬉しくて、浮かれていたのだ。
「えぇ、お茶会にも誘って貰ってるんです!」
ラウルは気づいていなかった。
彼は自分の容姿に無頓着だが、初代〈茨の魔女〉の生き写しと言われる美貌の持ち主である。
華やかな容姿の青年と、寡黙で美しい令嬢の二人は、先程から大変に注目を集めていた。
そこに、ラウルのこの発言。周囲がどんな勘違いをしたかは言わずもがな。
クローディア・アシュリーには、メイウッド男爵令息という婚約者がいる。だが、男爵令息と侯爵令嬢ではつり合わぬと以前から噂されていた。
そこに現れた美貌の魔法伯──しかも魔術師の名門ローズバーグ家の現当主と、〈星詠みの魔女〉と親戚筋のアシュリー家の令嬢は、家柄の面であまりに相性が良すぎた。
──ハイオーン侯爵令嬢は、婚約者を捨てて、ローズバーグの当主に入れ込んでいる。
──五代目〈茨の魔女〉が、ハイオーン侯爵令嬢に夢中になっている。
そういう噂が一人歩きするのに、さほど時間はかからなかった。
その噂はハイオーン侯爵が否定したことで、すぐにおさまったが、それでも「そういう噂があった」という事実は人の記憶に残るものである。
* * *
ローズバーグ邸の別邸にて、魔法戦の準備をしているラウル達を眺めながら、アイザック・ウォーカーがクローディアに小声で訊ねた。
「君は、〈茨の魔女〉が苦手なのかな?」
クローディアはうんざりとした態度を隠さず、髪をかきあげた。そんなの、わざわざ訊くまでもない。
「……苦手じゃないわ。嫌いなのよ……貴方と同じぐらいにはね」
アイザックにもラウルにも容赦の無い一言に、アイザックは特に傷ついた様子もなく、ただ純粋に気になるという顔で疑問を口にする。
「でも、君は〈茨の魔女〉と似たタイプのダドリー君とは……まぁ、仲良しとは言わないけれど、普通に話しているだろう?」
なるほど確かに、グレンとラウルは陽気で声が大きいところは似ているかもしれない。
肉だの野菜だのを押し付けてくるところも似ている。
だが、この二人は根本的な部分が違うのだ。
「……グレン・ダドリー以上に話を聞かないわよ。あの男」
グレンは基本的に周囲から愛されて育ったのだろう。だから、悪意を向けられれば普通に怯む。
一方ラウルは初代〈茨の魔女〉の影響で、周囲に恐れられて育った。
だから悪意に満ちた言葉を聞かなくていいよう、無意識に周囲の言葉を何割か聞き流して、自身を守っている節がある。
その結果、人の話を聞かない暴走農家七賢人の出来上がりである。
「……どうせ、あの噂は知ってるんでしょう」
「君と〈茨の魔女〉が恋仲だっていうやつかな? 口にしていたのはごく一部の人間で、すぐに聞かなくなったし、シリルは知らないみたいだったけど」
「……あの噂を聞いたニールが、どんな顔をしたと思う?」
アイザックはしばし考えるような素振りをして言った。
「やっぱり自分は不釣り合いなんだと密かに気にしつつ、それを君に悟られないよう『噂なんて気にしてませんよ』って顔で、いつも通り振る舞ったんだろうね」
まさにその通りであった。
ニールはクローディアの心変わりや不貞を疑ったりはしなかったけど、ただ自分が不釣り合いであるという事実を受け止めて、静かに落ち込んでいた。
「……あぁ、腹立たしい男。あの目立つ容姿が異性に近づくだけで噂になるってことに気づいていないのよ。でも、この気持ちを正直に伝えたら『腹を割って話したらもう友達だよな』とか言うから絶対に言ってやらない」
クローディアの視線の先では、ラウルが七賢人の杖とローブをシリルとモニカに見せびらかしている。
イタチ達は〈識守の鍵〉をテーブルの上でコロコロ転がして遊んでいた。『ケダモノー! 吾輩をもてあそぶなー!』という悲鳴が聞こえるが、それを無視するあたり、シリルも大概に〈識守の鍵〉の扱いが雑になっている。
「いやぁ、久しぶりに着たぜ、ローブ。似合ってる?」
「ボタンがずれている」
「ありゃ。じゃあ、ボタン外そっと。羽織るだけでいいや」
「あのぅ、ラウル様……杖に、何か液体がついてる……ような……」
シリルがしかめっ面でローブの着方を指摘し、モニカがラウルの杖の先端を見て狼狽える。
ラウルは杖の先端についた緑色の汁を見て、何かを思い出したように「あぁ!」と言った。
「薬品鍋の汚れをこそぎ落とすのに使ったからな!」
「七賢人の杖をそんなことに使ったのか!?」
「七賢人の杖って変質しにくい処理がされてるからさ。汚れがすぐ落ちて便利なんだよ。頑丈だから物干し竿にも使えるって評判だぜ!」
「そんなことに使う魔術師がいるものか!」
「………………ぁうっ」
小さな呻き声に、シリルが真顔でモニカを見た。
モニカはモジモジと指をこねながら、視線を彷徨わせる。
「あのぅ……ラウル様……その話……だっ、だっ、誰から……」
「ルイスさんから聞いたぜ!」
「わぁぁぁぁ、ごめんなさいごめんなさい違うんです違わないけど今はちゃんと物置に入れて……」
アイザックがにこやかな笑顔で口を挟む。
「うん、たまに僕がハタキをかけてるよ」
「殿下に杖の手入れまで、させてるのか……っ!?」
「ひぃん……ごごご、ごめっ、なさっ……」
ワァワァと賑やかな兄達を眺め、クローディアは静かに一歩後ろに下がり、置物のように黙り込んだ。
この馬鹿騒ぎに一言でも口を挟んだら、自分もラウルに友達認定されてしまうからだ。