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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝8:識者の証明
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【終】小さな喜びを胸に

 サザンドールを発った時、馬車の中にはシリルとクローディア、それとトゥーレとピケがいたので賑やかだったのだが、帰りはアイザックと二人きりなので、馬車の中は静かだった。

 モニカは向かいに座る己の弟子を、じとーっとした目で見る。

 モニカの視線に気づいたアイザックは顔を上げ、ニコリと愛想良く微笑んだ。


「そんなに見つめて、どうしたんだい? 僕の顔に何かついてるかな?」

「……シリル様に意地悪するの、良くない、です」

「…………」


 返事は無く、アイザックの笑顔の煌びやかさが増しただけだった。

 劇場でシリルの頬をつねった時から、アイザックはずっとこの調子なのだ。

 話しかければ基本的に、いつも通りに返してくれるが、シリルが「殿……閣下? エリン公?」と声をかける度に無言になるし、モニカがそれを注意してもやっぱり無言になる。

 そして無言のまま、笑顔のキラキラだけが増すのだ。このキラキラが具現化して、シリルにチクチク刺さっている幻が見えるかのようである。

 ラウルはこれを「無詠唱キラキラ魔術だな!」などと言っていたが、断じてモニカはそんな魔術を弟子に教えた覚えはない。

 別れ際のシリルは、もう見ていて可哀想なほどにオロオロしていたし、鞄から顔を出したイタチ達も「いじめだ」「いじめは良くないよ」と合唱していたほどだ。

 師匠としては、しっかり弟子を諌めたいところだが、モニカもモニカで、アイザックの実年齢に地味に衝撃を受けていたので、あまり強く言えなかったのだ。

 アイザックはあまり気にしていないようだが、一歳差と三歳差は結構な違いである。

 なお「ディー先輩と同じ歳だぁ……」と呟いたら、アイザックが真顔になったので、これは二度と言わないでおこうと思う。

 やがて馬車は、モニカの家の前に到着した。

 時刻は昼過ぎで、少し小腹が空いている。

 荷物の整理をしたら、まずは昼食にしたいところだが、今日はどこかに食べに行こうか……そんなことを考えていたモニカは、玄関の前に丸くなっている黒い物を見て目を丸くした。


「……あ、ネロ」


 モニカが声をかけると、玄関の前に丸くなっていたネロはノロノロと顔を上げ、恨めしげにモニカとアイザックを睨んだ。


「オレ様を置いてけぼりにして、遊びに行ったな」

「えぇと……」

「土産はあるんだろうな」


 勝手に家出をしていたくせに随分な言い草である。

 モニカが言葉を詰まらせていると、アイザックがネロの前にしゃがみ込み、前足を掴んでバンザイさせるように起き上がらせる。

 猫の体はちょっと驚くぐらい、うにょーんと伸びた。


「残念ながら、この家には今、ニンジンしかないんだ。消費に協力してくれ」

「肉ー! 肉ー! 肉──!」

「ところで、ネロ」


 アイザックはネロの顔を覗き込み、目を細める。


()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 その一言に、ネロが金色の目を丸くする。


「……なんでオレ様が、野良犬に追われて海に落ちたことを知ってるんだ? まさかお前、見てたのか?」


 その時、パズルのピースがパチリと嵌まるみたいに、モニカの頭に一つの考えが浮かんだ。

 ネロが家出した時期に重なった水竜騒動。

 あの水竜は小型種が群を作ることで形を変えていたので、目撃証言が一致しなかった。

 ……が、それだと、本来港に近づかない水竜が、港付近で目撃された件だけ説明ができない。

 サザンドール第二港付近における水竜目撃情報は「ヒレの大きい大型水竜が何の前触れもなく現れた」。

 もし、野犬に追われて海に落ちた黒猫が、泳ぎやすい元の姿に戻ったのだとしたら、なるほど何の前触れもなく現れたように見えるし、広げた翼は水中ではヒレに見えただろう。


「アイク、ま、まさか……」

「うっかり討伐しなくて良かったね」


 真っ青になって硬直するモニカに、アイザックがコクリと頷く。

 事態を把握していないネロだけが、伸び伸びバンザイの姿勢のまま不満そうに喚いた。


「討伐? おい、何の話だ? おいってば!」

「ピストラウネの幻竜の話さ」



 * * *



 久しぶりに人間の青年の姿になったネロは、お行儀悪く椅子の背もたれにもたれ、アイザック手製のニンジンケーキを手づかみで齧りながら、モニカ達の話を聞いていた。

 水竜討伐、クローディアとシリルの訪問、そして古代魔導具〈識守の鍵〉が出した試練。


「つまり、アレか。群れを作る水竜の出現と、オレ様の華麗な海水浴が、不幸にも重なっちまったんだな」

「君が野犬に追われて溺れた事実が、華麗な海水浴に改竄されたことを除けば、概ねその通りだね」


 アイザックの言葉にネロは鼻の頭に皺を寄せる。猫の時もたまに見せる表情だ。


「仕方ねーだろ、猫や人の姿じゃ泳ぎづれーんだよ。オレ様、魚に化けたことねーし。一応、人間どもに見つからないように迂回して、夜の間にこっそり人のいない陸まで移動したんだぜ」


 その結果、サザンドールからだいぶ離れた陸地に辿り着いたネロは、人の姿と猫の姿を気まぐれに使い分けつつ、徒歩でサザンドールまで帰ってきたらしい。

 元の姿で空を飛べば、もっと早く帰ってこれたかもしれないが、なにぶんネロの本来の姿はかなりの巨体なので、人に見つかる可能性が高いのだ。


「じゃあ、えっと、ピストラウネの幻竜も、ネロ……なの?」


 八年前、ピストラウネ海域で豪華客船イヴァンジェリン号の真下に突然現れた大型水竜。

 これも、ネロの仕業だったのだろうか、とモニカが恐る恐る問えば、ネロは首を横に振る。


「オレ様、基本的に海には出ねーし、モニカと会う前は帝国の山の方にいたぜ。竜違いじゃねーの?」


 良かった、とモニカはこっそり胸を撫で下ろす。

 ピストラウネの幻竜はイヴァンジェリン号を沈め、数百人の死者を出している。それがネロと無関係と分かって、モニカはホッとせずにはいられなかった。

 きっとピストラウネの幻竜は、今回モニカが討伐した小型種の群れだったのだろう。


「えっと、それとね……そのぅ、シリル様が契約した白竜について、なんだけど……」


 〈識守の鍵〉の騒動を話すに当たり、モニカはシリルが白竜と契約した経緯を、かいつまんでネロに話している。だが、白竜という名前を聞いても、ネロは大して反応を示さなかった。


「ネロは、白竜が……て、天敵、なの?」


 白竜の居場所を知ったネロが激昂し、今から食い殺しに行くとか言い出したらどうしよう。

 そんな不安を胸に、モニカが恐る恐る訊ねると、ネロはあっさりと首を横に振った。


「知らね。そもそもオレ様、白竜なんて見たことねぇし」

「……本当?」

「だって、あいつら寒いところで暮らしてるじゃんか。オレ様、寒いところ嫌いだから、わざわざ行かねぇもん」


 言われてみれば確かにその通りである。


「じゃあ、えっと、白竜の吹雪が黒炎を無効化するって、本当?」

「あー……それはどっかで聞いたな。どこで聞いたんだったか……うーん、もう随分昔のことだから覚えてねぇや」


 ネロはうんうん唸りながら、ニンジンケーキをバクリとかじる。どうやら本当に思い出せないらしい。

 ネロの言う「随分昔」とは何十年前のことを指すのだろう。

 それはそれで気になったが、それよりもモニカには優先して確認すべきことがあった。


「……白竜と遭遇しても、追い回したりしない?」


 ネロがニヤリと八重歯を見せて笑う。


「してほしいのか?」

「ダメっ! 絶対ダメだからねっ!?」

「へいへい、ご主人様が言うなら、弱い者苛めなんてしねーよ」


 ご主人様より偉そうにふんぞり返って、ネロは熱い紅茶をグビグビと飲む。

 空になったカップにおかわりの茶を注ぎながら、アイザックが訊ねた。


「ネロ、君は白竜が別の生き物に──例えば、小動物や人間に化けていたら、それを感知できるのかい?」

「多分無理だな。竜の姿なら、まぁすぐに感知できるだろうけど、小さい生き物に化けてる時って、感知しづれぇもん」

「……黒竜と白竜の感知能力は同等かい?」

「絶対にオレ様の方が感知能力高いぞ。なんてったって、オレ様最強だからな」


 アイザックが「ふむ」と小さく呟くのが聞こえる。

 アイザックの質問の意図は、モニカにも分かった。

 つまりシリルがトゥーレを連れてきた時、猫とイタチは互いの正体に気づくか否か、ということだ。

 小動物に化けている限りバレないのなら、今後もネロには猫のフリをしていてもらえば、問題なくやり過ごせるだろう。


「ネロ、シリル様がトゥーレ……白いイタチを連れてきたら、苛めちゃダメだからね?」

「だから、苛めねーって」

「あと、アイクも……次にシリル様に会った時は、そのぅ……ちゃんと仲直りしてください、ね? 喧嘩はメッ、ですよ」


 モニカが怖いお師匠様の顔で言うと、何故かアイザックは意外な言葉を言われたような顔で目を丸くした。


「喧嘩……そう、喧嘩か」


 まるで反芻するみたいに呟き、ククッと喉を鳴らして笑う。

 それはいつも温厚な〈殿下〉は絶対にやらない、ちょっとだけ意地の悪い青年の笑い方だ。


「良いね。彼と喧嘩なんて、今までしたことが無かったから……うん、すごく友達っぽいじゃないか」


(ラウル様が言いそうだぁ……)


 そんなことをこっそり思いつつ、モニカはお師匠様の顔で「仲直りして、くださいね」と念を押した。



 * * *



 〈識守の鍵〉が次に目を覚ました時、そこはハイオーン侯爵邸で、〈識守の鍵〉はハイオーン侯爵の指の上だった。

 ハイオーン侯爵は真新しいボードゲームをテーブルに広げながら、〈識守の鍵〉に話しかける。


「おはよう、ソフォクレス。久しぶりの外出は楽しかったかい?」

『図ったであるな、ヴィセント。ちゃっかり若者のお守りをさせおって』


 古代魔導具は唯一無二の品だ。そうそう軽率に持ち出しができるものではない──というのが慣例なのだが、このヴィセント・アシュリーという男は、なにかと理由をつけては〈識守の鍵〉に外を見せたがるのだ。

 アスカルド図書館の改修工事のタイミングを見計らってシリルと引き合わせたあたり、諸々確信していたに違いない。


「外に出てみなくては、得られぬ知識もあるだろう?」

『うむぅ……確かに当代の〈茨の魔女〉は、なかなかにバケモノであったな。それと〈沈黙の魔女〉の無詠唱魔術、あれも訳の分からん代物である。精霊王召喚を無詠唱とか……あやつらは本当に人間か?』


 ハイオーン侯爵は〈識守の鍵〉の話に相槌を打ちながら、ボードゲームの盤面に二人分の駒を並べた。

 そうしてサイコロを転がし、駒を進める。


「次は君の番だ」

『まったく、ボードゲームで吾輩を懐柔した契約者は、お主ぐらいのものだぞ、ヴィセント。……サイコロを転がせ。うむ、四であるか。では、吾輩は赤いマスの方に進むのである』

「このゲームは、四人まで同時に遊べるらしい。次はシリルも誘おう」

『そういえば、くだんの若造は何をしておるのだ?』


 吾輩に挨拶は無いのか挨拶は! と愚痴をこぼせば、ハイオーン侯爵は大真面目に言った。


「手紙を書いているみたいだよ。随分と真剣な顔をしていたから、恋文なんじゃないかな」

『っかぁー! ないない。あの石頭の青二才に恋愛など、十年早いのである!』



 * * *



 自室で机に向き合い、シリル・アシュリーは黙々と書き損じの古紙の裏に文字を書き連ねていた。

 彼が書いているのは、各方面に送る謝罪文の下書きである。

 モニカ・エヴァレット宛、ラウル・ローズバーグ宛、そして……。


「おそらく私的な場で身分を特定されるのが良くないのだろう。だとすると、殿下も閣下も不適切……〈謎のお方〉はお気に召していただけなかったから……〈高貴なお人〉? 形容詞を足すべきか?」


 ブツブツと呟きながら、シリルは某〈高貴なお人〉の呼称案を裏紙に書き連ねていく。あんまり沢山書いていたものだから、右手は爪の中までインクで真っ黒だ。

 机の上では二匹のイタチが、机の隅に置いてあったガラス玉をコロコロと転がして遊んでいた。

 それが机から転がり落ちそうになったので、シリルは指で止めて、元の位置に戻す。


「ピケ、トゥーレ、落として割れたらどうするんだ」

「氷でくっつける」

「ごめんなさい。割れたら困る?」


 悪びれる様子のないピケと素直に謝るトゥーレに、シリルは難しい顔で答える。


「……誰の物か分からない以上、粗末にするべきではないだろう」


 飴玉ほどの小さなガラス玉は、シリルの上着のポケットにいつのまにか入っていた物だ。

 白地に水色で雪の結晶のような模様が描かれているそれは、紐を通す穴が空いていたから、アクセサリーか服の装飾の一部なのだろう。

 単純に綺麗だと思ったので、シリルはなんとなく机の隅に小さく折り畳んだ布を敷いて、その上に置いている。もし持ち主が申し出たら、勿論返すつもりだ。

 ボール遊びができなくなったイタチ達は暇になったのか、今度はシリルの肩やら背中やらによじ登って遊び始める。


「えぇいっ、人が書き物をしている時によじ登るなっ!」

「三回目」

「うぐっ」


 最近のピケは、シリルが怒鳴る度に数を数えるようになった。

 とりあえず、一日五回までに収めるのが当面のシリルの目標である。

 シリルがコホンと気まずげに咳払いをすると、肩の上のトゥーレがバランスを崩して落ちそうになる。

 落ちそうになったトゥーレがシリルの髪にしがみついたので、シリルは思わず「ぎゃっ」と声をあげた。


「ごめんね、シリル。痛かった?」

「……次からは、人の髪を命綱にしないように」


 怒鳴らないよう冷静に嗜めれば、ピケがシリルの横髪をクイクイと引いて言う。


「切ればいいのに」

「…………」


 シリルは汚れていない左手で横髪を一房つまみ、ぼんやり見下ろす。

 ふと頭をよぎるのは、とある朝の少女の一言。


 ──キラキラして、きれい。


 シリルは容姿について言及されるのが苦手だ。

 褒められても、貶されても、自分によく似た容姿の父のことが頭をよぎり、頭の中がグチャグチャになって上手く言葉を返せなくなる。

 だけどあの朝だけは、不思議なことに父のことが頭に浮かばなかった。

 少女の素朴な言葉にシリルの頭の中は真っ白になって、心臓が弾むように鼓動したのを覚えている。

 あの時シリルは、ただ素直に嬉しいと思ったのだ。


「……切らない理由が出来たんだ」


 ポツリと呟き、シリルは再び羽根ペンを握りなおすと、「敬愛なる高貴なお人へ」から始まる長い謝罪文を書き始めた。



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