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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝8:識者の証明
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【23】どうぞよろしく、この野郎

 最近できたばかりだというその劇場は、上流階級の人間御用達の高級劇場ではなく、どちらかというと中流階級向きの大衆劇場だった。

 ただ大衆劇場にしては小綺麗で、仕切りのある特別席もある。

 モニカはこの手の劇場に不慣れなので、チケットの買い方から分からず狼狽えた。モニカだけじゃない。シリルとラウルも、この手の劇場に慣れていないらしい。


「あのぅ、こ、こういうのって、どういう席に……したら……」

「やっぱり、最前列が一番良い席なんじゃないかな!」

「いや、少し後方の方が、全体を見やすいのではないか……?」


 モニカ、ラウル、シリルの三人が額を突きつけて悩んでいる間に、アイザックが手際良く四人分のチケットを購入してくれた。席は中央後方の特別席だ。


「シリルの言うとおり、やや後方ぐらいの方が、全体を見やすいよ。それと、仕切りのある席の方がモニカも落ち着くだろう?」


 壁面に表示された席の見取り図を見て「僕達の席はこっちだね」とアイザックは迷いの無い足で歩きだす。


「流石、殿下……」


 シリルは感心したように呟いていたが、モニカは知っている。アイザックは夜遊びの達人なのだ。

 きっと、セレンディア学園を抜け出して、こうして大衆向きの劇場に出入りしたこともあるのだろう。

 特別席は背もたれのある長椅子だった。ふかふかのクッションも敷かれていて、座り心地が良い。

 クッションに埋もれ、なんとなく足をプラプラさせてみたモニカは、シリルに睨まれ、ハッと足を揃えて座り直す。

 その時、開幕を告げる鐘が鳴った。芝居が始まるのだ。

 イタチの姿で鞄に隠れていたトゥーレとピケが、鞄からピョコンと頭を出す。


『ビオン、ビオン、ただいま。まったく今日も大変だったよ。年々、税は増える一方。おまけに、そのうち戦争が始まるんじゃないかって噂だ。その時は別の街に越さなくては』


 中年の痩せた男が、椅子に座る青年に話しかける。

 ビオンと呼ばれた青年は姿勢良く座ったまま、何も答えない。瞬きもせず、真っ直ぐ前を見つめている。

 何故、ビオンは動かないのだろう? モニカが不思議に思っている間も、男はビオンに語り続ける。


『そうそう、ビオン、今日はお前に新しい上着を買ってきたんだ。今まで寒い思いをさせてすまなかったね』


 男は温かそうな毛皮の上着を取り出して広げる。

 そうして、ピクリとも動かないビオンの腕を持ち上げて袖を通し、上着を着せてやった。

 男が着ているのは、もうすっかり擦り切れた服だ。それなのに、男は立派な上着をビオンに着せて、満足そうに微笑んでいる。

 窓の外からそれを見ていた村人達が、そんな男を指差し、嘲笑った。


『おい、見ろ。シメオンが、また滑稽なことをしているぞ』

『シメオンは、頭がおかしいのさ』

『そんなに息子が欲しいかねぇ』


 村人達がクスクス笑う。

 それでもシメオンはビオンに話しかけることをやめない。


『──父親に立派な服を着せてもらった青年ビオン。彼は口が利けません。何故ならビオンはただの人形だからです。息子のいない男シメオンは人形に服を着せて、息子のように扱っていたのでありました……』


 なんと、とモニカは驚き目を丸くする。

 チラリと横の席を見れば、アイザック達は特に驚いた様子はない。おそらくこの話自体を知っているのだろう。

 ただ、物語が始まったばかりだというのに、シリルだけがやけに真剣な目で食い入るように舞台を見ている。


(シリル様は、このお話が好きなのかな)


 モニカは視線を舞台に戻した。

 こんな理由で舞台に集中するのは不謹慎かもしれないが、モニカはシリルが好きなものを知りたかったのだ。

 舞台の上で、物語が進んでいく。

 ある日、シメオンの献身を見た神様がビオンに魂を与える。

 人間になったビオンは椅子から立ち上がり、父にこう言うのだ。


『おはよう、お父さん』

『あぁ、ビオン、ビオン、お前……』


 感極まった様子のシメオンに、ビオンは柔らかく微笑む。


『素敵な上着をありがとう。ずっと、ずっとお礼を言いたかったんだ』


 ぐすっ、と洟を啜る音が聞こえた。

 横目で見たら、シリルが目頭を押さえていた。



 * * *



 会場を満たす歓声と拍手を聞きながら、モニカは深く長く息を吐いた。

 そんなモニカの様子に、隣に座っていたアイザックが小さく笑う。


「楽しかったかい?」

「はい! わたし、いつも小説読むの苦手で……物語を理解できないんじゃって思ってたんですけど、お芝居、すごく面白かったです」


 それはモニカの本心だった。

 モニカは小説を読むのが苦手だ。比喩表現をいまいち理解できないし、行間を想像するのが下手なのである。端的に言うと、想像力が貧困なのだ。

 その点、芝居は分かりやすかった。今日見た演目が、比較的噛み砕いた内容だったというのもあるが、小説で台詞を読むより、役者の声で台詞を読み上げられる方が、すっと心情が伝わってくる。


「いやぁ、面白かったなぁ! ビオンがピンチになる度にハラハラしたけど、最後は友達と力を合わせて試練を乗り越えるところとか最高だったぜ! なっ、シリル! …………あ」


 ラウルはハッとした顔で口をつぐむと、モニカに話しかけた。


「モニカ! ちょっと、飲み物でも買ってこようぜ!」

「へ? あ……は、はいっ!」


 シリルはハンカチで顔を覆って、動かなくなっていた。感極まって、大号泣しているらしい。

 アイザックが苦笑して「荷物を見てるね」と言ってくれたので、モニカはコクコク頷き、ラウルと共に席を離れる。

 舞台が終わったばかりの劇場は人が多いけれど、知り合いと一緒ならモニカでもなんとか歩くことができる。

 ラウルは人の少ない道の端を歩き、飲み物を売っている屋台を探しながら言った。


「もうすぐ七賢人会議があるけど、それまでモニカは王都に滞在するのか?」

「いえ、一度サザンドールに戻るつもり、です」


 今回は急な旅行だったし、何より家出中のネロのことが気がかりだった。

 水竜討伐の事後処理もあるし、できれば一度、サザンドールに戻っておきたい。

 モニカがモジモジしながら答えると、ラウルはチラリと周囲に目配せをし、少しだけ声のトーンを落として言った。


「そっか、その方がいいかもな」

「……え?」

「次の七賢人会議、多分長くなるぜ。うちのばあさん連中と、レイんところのばあさんが、メアリーさんの所に出入りしてるっぽいんだ。多分、メアリーさんが何か予言したんだと思う」


 この国最高峰の予言者〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイは現役七賢人。レイの祖母は先代〈深淵の呪術師〉で元七賢人。そして、ラウルのおばあ様達もリディル王国の魔術師界の重鎮だ。

 そんな大物魔女達が集まって会合をしているとなると、何か大きな事件をメアリーが予言した可能性が高い。

 モニカが緊張に顔を強張らせると、ラウルが「それと」と軽い口調で付け加える。


「ルイスさんが、新しい七賢人候補見つけたって」

「ほ、本当ですかっ?」

「うん。第一候補だった〈飛翔の魔術師〉が、ルイスさんから散々逃げ回った挙句、国外逃亡したらしくてさ。ルイスさん滅茶苦茶キレてたんだけど、その後〈雷鳴の魔術師〉のサンダーズじいさんが……」

「あーーーーっ! モニカちゃんだぁ!」


 ラウルが全てを言い終えるより早く、元気な声が背後で響いた。

 振り向けば、人混みを縫って、こちらに駆け寄ってくる小柄な少女が見える。大きなお団子にした黒髪と愛嬌のある猫目──帝国からの使者団の一人。自称なんちゃって侍女のカリーナ・バールだ。


「カリーナ!」

「わっはー! やっぱりモニカちゃんだぁ。人違いだったら、どうしようかと思ったぁ。あっ、こっちは庭師のお兄さんだ! こんばんは!」


 庭師のお兄さんと呼ばれたラウルは、特に訂正はせず「やぁ」と気さくに片手を持ち上げた。

 カリーナはニコニコしながら、モニカに言う。


「あたし、いつもお城で迷子になっちゃってね。庭師のお兄さん、いつも道を教えてくれるの!」


 モニカがラウルを見ると、ラウルは親指を立ててバチンとウィンクをした。


「おぅ、十回ぐらい道案内したぜ!」

「お世話になりましたー!」

「お世話したぜ! ところで、モニカとカリーナは友達なのか?」

「うん、そうだよ!」


 一瞬のためらいもなく頷くカリーナに、モニカはちょっとだけ照れる。


(でもやっぱり……うん、嬉しい)


 モニカが指を捏ねて唇をムズムズさせていると、カリーナがモニカの顔を覗き込み、訊ねた。


「モニカちゃん、しばらく王都にいるの?」

「えっと、今回はすぐ帰るけど、少ししたら、お仕事でまた来る……かも」

「そっかぁ。じゃあお城とかで見かけたら、声かけてね! ……あっ、いけない、もう戻らなきゃ。モニカちゃん、庭師のお兄さん、まったねー!」


 カリーナは現れた時と同じ賑やかさと唐突さで、その場を駆け去っていった。

 ラウルが「元気だなぁ」としみじみ呟く。


(次にお城に行く時は……カリーナやツェツィーリア様と、ゆっくりお喋りをできたら良いな)


 城に行く楽しみができたなんて、少し前までは考えられなかった。

 鞄にぶら下げた木彫りの猫を見つめ、モニカは小さく微笑んだ。



 * * *



 人がはけていく劇場の観客席を眺めながら、アイザックは数年前に劇場に足を運んだ日のことを思い出した。

 あの頃のアイザックは、セレンディア学園の寮を抜け出して、上流階級向けの劇場から、それこそ大衆向けの立ち見席の劇場まで、様々な劇場に足を運んだのだ。

 亡き友との約束のため、楽しいと思えるものを、夢中になれる何かを探して。そうして色んな劇を観たけれど、心から楽しいと思えるものはなかった。

 脚本や演出の意図、役者の演技の練度などを客観的に分析することはできたけれど、それだけだ。

 本当は自分でも分かっていたのだ。

 アイザックは星に興味は無かったけれど、アークと一緒に夜空を見上げるのは楽しかった。

 大人達の目を盗んでビスケットとお茶を用意して、こっそり部屋を抜け出すひと時は宝物だった。

 きっと、それと同じなのだ。


 ──君がいなくなってから、何も楽しくないんだよ、アーク。


 分かっていて、それでも探した。夢中になれるものを。

 そうして、探して、探して、探し続けて、奇跡のように出会ったのが〈沈黙の魔女〉なのだ。

 アイザックは目を閉じ、今日の芝居──「幸せを呼ぶビオン」を反芻する。

 原作に大幅なアレンジを加えたこの芝居では、破滅を呼ぶバシレオスも登場した。ただ、原作とは展開が違う。

 原作では、バシレオスは己を蹴った養父を殺してしまうのだが、この舞台では養父に虐げられていたバシレオスをビオンが助けるのだ。

 そうしてバシレオスは養父の元から逃げ出して、ビオンと友達になる。


(大衆に迎合したご都合主義の、安っぽい展開だ)


 胸の内で皮肉っぽく毒づきながら、それなのにアイザックは酷く救われた心地だった。

 気がついたら馬鹿みたいに夢中になって芝居を観ていた。どうか救われてくれ、とハッピーエンドを願ってしまった。

 まったくこれでは、隣で号泣している誰かさんを笑えない。


「良い舞台だったね……楽しかった」


 楽しかった。そう、楽しかったのだ。それはきっと、モニカやシリルが一緒にいたからだ。

 アイザックがポツリと呟くと、シリルはゆっくりと顔を上げた。まだ目元と鼻が赤い。


「私が、一番好きな話です」

「君はハイオーン侯爵の『幸福を呼ぶビオン』だからね」


 いつだったかシリルに言った言葉を思い出しつつ口にすれば、シリルは泣き腫らした顔に誇らしげな笑みを浮かべた。


「貴方がそう言ってくださったから、今の私があるのです」


 君にその言葉をかけたのは、本物の〈殿下〉じゃないんだよ。

 そんな言葉が浮かんだけれど、アイザックは口にせず、「そう」と穏やかに返す。

 シリルはアイザックが偽物だと分かっていて、それでも、処刑されそうになったアイザックを救うために奔走してくれた。

 今も、尊敬する人なのだと言ってくれる。だからこそ、彼が向けてくれる綺麗な好意を無下にしたくないのだ。


(……ただ、まぁ)


 それはそれ、これはこれ。

 アイザックにはどうしても、どうしても、どうしても言いたいことがあった。

 今回の騒動が一段落したら絶対に言おう、と決めていたのだ。


「ところでシリル、君は私的な場ではモニカやエリオットやニールのことは、名前で呼んでいるね?」

「え、えぇ。もう、卒業しましたし……」

「ならば僕のことも、相応の呼び方があると思わないかい?」


 シリルはハッと何かに気づいたような顔をした。


「も、申し訳ありません……!」


 そうしてシリルは、慣れない呼称を口にする時特有の気恥ずかしさを滲ませながら、ポソリと言う。


「閣下」


 その瞬間、アイザックは率直に言って「この野郎」と思ったので、その思いのままに右手を伸ばし、シリルの左頬を思い切りつねってやった。

 シリルが泣き腫らしていた顔を青ざめさせて、狼狽える。


「も、申し訳ありません、えぇと、エリン公? ……あの、い、痛いです。殿……閣下」


 ──でんかっか。

 在りし日のモニカの「でんでん殿下」と良い勝負である。


「えぇと、あの、ち、違うのですか? ……あとは、えぇと、えぇと…………な、〈謎のお方〉?」


 アイザックは無言のまま、シリルの右頬もつねった。

 イタチ達が、「シリルがいじめられてる」「シリルの頬が伸びてしまうよ」と鞄の中から非難してくるが構うものか。


「アイクっ!? シリル様に何してるんですかっ!?」


 背後でモニカの悲鳴が響いた。

 木のコップを両手に持って駆け寄ってきたモニカは、コップを座席に置くと、アイザックの上着をグイグイ引っ張る。

 そんなお師匠様は大変可愛らしいが、残念ながら今は素直に従うわけにはいかないのだ。


「アイク! アイクってば! わぁぁぁぁん!」

「えっ? なになに? 何が起こってるんだ?」


 モニカがワァワァ言いながらアイザックの上着を引っ張り、ラウルが困惑した顔で鞄の中のイタチを見る。

 だが、イタチ達もよく事情が分かっていないのだ。


「シリルが閣下に怒られた」

「シリルをいじめないで。謎のお方」


 イタチ達の言葉にアイザックはフッと小さく微笑み、シリルの頬から手を離す。

 そして、涙目で困惑しているシリルの右手を力強く握った。


「アイザック・ウォーカー、二十二歳。尊敬する人は〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。趣味は魔術研究と〈沈黙の魔女〉の論文収集。愛読書は〈沈黙の魔女〉の論文全般。どうぞよろしく、シリル・アシュリー」

「二十二歳? ……え、年上…………えっ」

「わ、わたしより、三歳上!?」

「あ、オレより一個年上だ」


 シリルが口をパクパクさせ、モニカがギョッとした顔で叫び、ラウルがのんびり呟く。

 正直アイザックとしては、年齢などどうでもいいので、そろそろ呼び方について真剣に考えてもらいたいところである。


(だって、殿下のままじゃ、ライバルになれないじゃないか)


 バシレオスは、ビオンと同じ舞台に立ちたいのだ。


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