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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝8:識者の証明
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【18】氷塊ダイレクトアタック

 広がり続ける茨の要塞、その前に立ち塞がるのは、こちらも増殖を続ける蔓薔薇の竜と兵士。

 必要以上に竜と兵が多いのは、圧倒的な力を見せつけるためか。


「すごいねぇ」


 のんびりした口調で呟くトゥーレに、ピケが不服そうに唇を曲げた。


「すごくない。わたしもできる」

「やらんでいい」


 トゥーレに背負われたシリルはすかさず止めたが、ピケは耳を貸さずに右手を振った。

 その指先が氷の粒を伴って煌めく。氷の粒は瞬く間に膨れ上がり、竜と兵士の氷像となった。その数は、蔓薔薇の軍勢とほぼ同数。

 氷霊アッシェルピケの作り出した氷像は、どれも素晴らしい出来栄えだった。

 蔓薔薇を寄せ集めた異形の竜や兵士と違い、氷像の竜は鱗の一枚一枚まで再現されているし、兵士は鎧や剣の装飾が凝っている。今にも動き出しそうな出来栄えと言って良い。

 だが、氷像には蔓薔薇のしなやかさは無いのだ。

 蔓薔薇の竜が牙を剥き、兵士が両腕を振り回すのに対し、氷像は当然だが動かない。


「行け」


 ピケの声に応えるように氷像が宙を舞い、蔓薔薇の異形達に降り注ぐ。

 まるで生きているかのように精緻な氷像が、ドッカンドッカン音を立て突撃し、砕けていく様は壮絶の一言に尽きた。

 砕けた氷像兵士の首や手足がゴロゴロと転がってくるのが、また妙に生々しい。


「あ、あれは、氷像にする必要があったのか……」


 思わず呻くシリルに、ピケは無表情ながら得意げに言った。


「氷像の方が、かっこいい」


 凄まじく魔力の無駄遣いである。こんなのただの氷塊で充分だし、なんならその辺の岩で代用可能ではないか。

 だが、一定の質量と魔力を帯びた氷像達の突撃は、それなりに効果はあった。蔓薔薇の異形達の進行が止まる。


 ──そして、〈茨の魔女〉の動きが止まるその時を、黙して待っている者がいた。



 * * *



(……今だ)


 結界の外から干渉するタイミングを待っていたモニカは、即座に魔法戦用の結界を解除した。

 ラウルとピケの力はほぼ五分だが、今のラウルは底が読めない。

 そして、ピケはトゥーレとシリルを庇わなくてはいけない分、どうしても不利になる。

 なによりラウルの茨がシリル達を捕らえたら、いよいよモニカには打つ手がなくなってしまうのだ。だから、動くなら今しかない。

 周囲を囲う結界が突然無くなったことで、ラウルもピケもそちらに意識を奪われていた。

 その僅かな数秒で、モニカは魔術式を完成させる。

 上級魔術師の中でもほんの数人しか使い手のいない、最上位の魔術を。


「──開け、門」


 茨の森の上空に大きな魔法陣が輝く。

 その中心に浮かび上がるのは、白く輝く精霊王召喚の門。

 それが音もなく開いた。


「静寂の縁より現れ出でよ、風の精霊王シェフィールド!」


 風の刃が一見無秩序に──モニカにしか分からない秩序に則って降り注ぐ。

 精霊王召喚は、モニカにできる最も威力の高い攻撃手段だ。

 白く煌めく風の刃が吹き荒れると、人喰い薔薇要塞も、蔓薔薇の兵士と竜も、全てが嵐の直撃を受けたかのように無惨に千切れて吹き飛んだ。

 千切れた茨は、血の代わりに草の汁を撒き散らしながら、蛇のようにのたうつ。その切り口から瞬く間に新たに蔓が伸びた。

 恐ろしい再生力で、兵士も竜も復元していく。

 そこに再び、モニカは風の刃を振り下ろした。

 今のモニカは魔法戦の結界維持で、それなりに魔力を消費している。精霊王召喚の門を開いていられる時間は、さほど長くない。

 それでもモニカは黙々と風の刃で人喰い薔薇要塞を削り続けた。

 ピケもモニカの意図に気づいたのか、氷の彫像を氷の短剣に切り替えて加勢する。

 散り散りになった茨の中心で、ラウルがゆらりと首を傾けてモニカを睥睨した。


「──『精霊王召喚……贅沢な陽動だこと』」


 気づかれている。

 モニカは頬に冷や汗を滲ませながら、それでも精霊王召喚の門の維持に意識を集中した。



 * * *



 モニカが精霊王召喚でラウルの意識を引きつけている間に、アイザックは感知の魔術を使いながら、茨の要塞に近づいていた。


(……あそこか)


 散り散りになった茨の塊の中に魔力の反応。

 アイザックは上着の中に隠し持っていた短剣を抜いた。護身用の小さなナイフではなく、厚みのある両刃の刃だ。

 それでアイザックは目の前にある茨の塊を切断し、ブランケットを巻いた左手で、茨の奥に隠された漆黒の指輪──〈識守の鍵ソフォクレス〉を摘み上げる。


『おぉぉぉ、パイ職人ーーー! よくぞ、よくぞ助けにきたのである!』

「僕のことは覚えてくれなくて構わないけどね。僕の偉大なお師匠様のことは、覚えてくれないかい?」


 そう言ってアイザックは、〈識守の鍵〉を頭上にかざす。

 上空に開かれた精霊王召喚の門と、そこから正確に振り下ろされる風の刃がよく見えるように。


「世界で唯一の無詠唱魔術の使い手──リディル王国七賢人が一人、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。僕が敬愛するお師匠様だ。ちなみに彼女の論文がアスカルド図書館の蔵書に五つある。タイトルを読み上げようか?」

『あ、あの小娘が……』


 戦慄く〈識守の鍵〉に、アイザックは得意げに微笑みながら言う。


「さて、僕が君を使っても良いのだけれど……主人は選びたいだろう? ソフォクレス?」

『う、うぬぅ……』


 不承不承と言いたげなその呻き声をアイザックは肯定と受け取った。

 周囲の茨がざわつき絡み合いながら、アイザックを囲む。

 〈茨の魔女〉がアイザックを見据え、笑うように目を細めた。


「『黒……黒い髪の男は、嫌いではなくってよ? とびきり大輪の花を咲かす薔薇を植え付けてあげる』」

「生憎、これは染めているんだ」


 再生した蔓薔薇が兵士の形になり、槍のような両腕を振り回してアイザックに襲いかかった。

 アイザックは、ほんの一歩横に動いて攻撃をかわし、短剣で蔓薔薇兵士の両腕を切り落とす。

 それと同時に、頭上から降り注いだ風の刃が蔓薔薇兵士を正確に一刀両断にした。モニカの援護だ。

 精霊王召喚は非常に威力の高い魔術だ。それだけに制御も難しくなる。

 それをこんなにも正確に行使することができるのは、世界広しと言えど、モニカぐらいのものだろう。


(やっぱり僕のお師匠様はすごい)


 うっとりとしながらアイザックは短剣を左手に持ち替え、右手で指輪を握りしめる。


「シリル!」


 トゥーレに背負われたシリルが顔を上げてアイザックを見た。

 アイザックは軽く振りかぶって、〈識守の鍵〉をシリルに向かって放り投げる。


『吾輩の扱いが雑すぎるのである──っ!』


 悲鳴をあげて宙を舞う〈識守の鍵〉を、ピケが嫌そうな顔で受け取った。



 * * *



 敬愛する殿下に名を呼ばれ、シリルは顔を上げた。

 アイザックはシリルの方に向かって何かを放り投げる。宙を舞うのは漆黒の指輪──〈識守の鍵ソフォクレス〉

 ピケがそれを受け取り、真顔でシリルを見る。


「壊す?」


 アイザックの意図は、何一つとして伝わっていなかった。

 シリルはトゥーレの背から下り、ピケに手を差し出す。


「……貸してくれ」

「ん」


 ピケから受け取った指輪を、シリルは指に嵌めるか否か躊躇った。

 今の自分には、これを嵌める資格が無いと思ったからだ。


(私が判断を誤ったから……そもそも力不足だったから、こんな事態になった。自分の力量を弁えずラウルに無理を言って、〈識守の鍵〉も一度は奪われ、殿下とモニカも巻き込んで……)


 青ざめ唇を噛み締めるシリルを〈識守の鍵〉が叱咤する。


『こら! さっさと吾輩を嵌めんか!』

「だが……」

『でないと、あの男、蔓薔薇に食われて死ぬぞ』


 ハッとシリルはアイザックの方に目を向ける。

 アイザックは蔓薔薇の兵士に囲まれていた。

 鞭のようにしなり、槍のように鋭い両腕を振り回す蔓薔薇兵の猛攻を、アイザックは短剣一本で凌いでいる。

 合間にモニカが風の刃で援護しているが、増殖を続ける蔓薔薇が相手では、いずれ数に押される。


「──っ、殿下を……あの方を助ける手立てはあるのかっ!?」

『吾輩を誰だと思っている。アスカルド図書館の禁書室の番人。偉大なる〈識守の〉……』

「手立てがあるなら早く言えっ!」


 ついさっきまで指輪を嵌めることすら躊躇っていたのに、この有様である。

 〈殿下〉が絡むと極端に短気になるシリルに、〈識守の鍵〉は不服そうに唸りつつ、『吾輩を指に』と促した。

 シリルは漆黒の指輪を右手の中指に嵌める。

 つるりとした漆黒の宝玉が、虹を映したかのように色味を変えた。

 そうして指輪を中心に、中指に紋様が浮かび上がる。古代魔導具の契約印だ。


『手を宙へ』


 言われるままに右手を持ち上げると、その指先が一人でに動きだした。

 中指の先端が金色に発光している。その光をインクのように伸ばしながら、シリルの右手は空中に魔術式を描く。


「わぁ、綺麗」


 トゥーレが金色の目を細めて呟く。

 空中に描かれた魔術式は帯のように伸び、ラウルの周囲を取り囲んだ。

 ラウルはすぐにその場を離れようとしたが、空中から降り注ぐ風の刃がそれを許さない。


『〈識守の鍵ソフォクレス〉の名の元に、かの者をここに封ずる』


 ラウルの周囲を漂う金色の帯が薄く広がり、ラウルを包み込む。

 それは旧時代、まだ魔物と呼ばれる存在が跋扈していた頃、それらを封印した強固な結界だ。

 膨大な魔力を持つラウル・ローズバーグは、並大抵の結界なら力技で破壊できる。だが、この結界はラウルと魔力を切り離す術式が組み込まれていた。

 茨の異形達が次々と力を失い、地に落ちる。それはもう、蛇のようにのたうち動くこともなかった。

 そしてこの結界が無効化するのは、ラウルにかけられていた魔術──ローズバーグ家が施した精神干渉魔術も例外ではない。

 結界の中でラウルがガクリと首を垂れる。

 紅薔薇を思わせる巻き毛が、彼の表情を隠した。


「……ラウル?」


 シリルが声をかけると、ラウルはゆっくりと顔を上げる。

 表情を失くしていた虚ろな顔に戻ったのは、初代〈茨の魔女〉の残忍な笑みか、それとも……。


「うぉ、なんか魔力が使えない!? うひゃあ、不思議な感覚だなぁ、魔力が尽きたんじゃなくて、体の一部が突然フワッと無くなったみたいな……あっ、おーい、シリルー、試練は終わったかい?」


 その端整な顔に浮かぶのは、底抜けに明るく能天気な笑み。

 結界の中でブンブンと元気に手を振るラウルに、シリルは自分でもビックリするぐらいホッとした。


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