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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝8:識者の証明
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【10】切れなかった髪

 アイザックの指につまみ上げられた〈識守の鍵ソフォクレス〉は、その声に露骨に不機嫌を滲ませていた。


『なんだ貴様は。吾輩、クローディア以外の人間と口を利く気などないのである』

「シリルを主人と認める気はない?」

『〈識者の家系〉の直系ではない小僧など、論外である』


 ツンとすました態度の〈識守の鍵〉に、アイザックはクスクスと笑う。

 楽しいから笑うのではなく、相手を見下し、余裕を示すための笑いだ。


「古代魔導具に、特定の血族の人間を特定する力など無いだろう? そういう古代魔導具は存在しない」


 モニカは思わず「えっ」と声を上げた。


「そうなんです、か?」

「そうだよ、それについては散々調べたから間違いない。だからこそ、君の作った『黒い聖杯』は価値があるし、クロックフォード公爵にとって脅威だった」


 古代魔導具の意思が特定の血族に肩入れすることはあるが、だからといって、その血族の人間を識別できるわけではないのだという。

 古代魔導具はそこに宿る意思が認めさえすれば、誰でも使えるのだ。


「古代魔導具は誰でも、何者でも使える、ただの道具にすぎない。そこに付随する意思は、おまけのようなものだ」

『小僧! 吾輩を侮辱するか!』

「そうだよ?」

『…………!!』


 絶句する〈識守の鍵〉を、アイザックはせせら笑う。

 美しい顔に浮かぶ笑みの冷ややかさに、モニカの背筋まで凍った。

 アイザックは左手で指輪をつまみ、右手の爪を宝石部分に立てる。


「役に立たない道具を何と言うか知っているかい? ……ガラクタだ」

『んなぁっ!? なっ、なっ、ななっ……』

「たかだか道具の分際で、随分と好き放題言ってくれたじゃないか。身の程を弁えるがいい。〈識守の鍵ソフォクレス〉」


 王子として振る舞い、人心掌握に長けたアイザックは、声色や笑い方を少し変えただけで相手の背筋を凍らせることができる。

 それは古代魔導具相手でも変わらないらしい。

 アイザックは冷ややかな態度を一転、頬杖をついて、どこか楽しげな口調で呟く。


「プライドの高い者の心を折るには、恥辱を与えるのが一番だね。さて、どう辱めてくれようか? ……そうだ。パイに入れて焼いてみるのはどうだろう? パイを切り分けて指輪入りに当たった者は、その日一日王様だ」


 ひぇぇ、と〈識守の鍵〉が声を漏らした。モニカも同じ心境だった。

 アイザックは視線を〈識守の鍵〉からモニカに移し、いたずらっぽく笑う。


「ダドリー君みたいに一口が大きい者なら、うっかり飲み込んでしまうかもしれないね。ネロだったら噛み砕いてしまうかも」


 いたずらっぽい笑顔で物騒なことを言う弟子に、師匠はアワアワすることしかできなかった。

 〈識守の鍵〉も、ごねる相手が悪いことに気づいたのだろう、幾らか殊勝な口調で言い返す。


『長年禁書室を守り続けてきた吾輩の意思も、少しは尊重するべきである……』

「シリルは君を尊重しようとしたよ」

『ふ、ふんっ! あんなヒョロヒョロした女みたいなやつ……』

「容姿を理由に人を侮辱するのは感心しないな。ただでさえシリルは、父親そっくりのあの容姿を気にしているのに」


 アイザックの言葉に、モニカは目を丸くする。


(シリル様が、容姿を気にしている?)


 モニカは今まで一度も、シリルがそういう素振りをするところを見たことがない。どちらかと言うと、体力や腕力がないことや、魔力過剰吸収体質の方を気にしているように見えた。

 モニカは容姿の美醜に疎いけれど、シリルの容姿が社交界で見劣りするとは思えない。

 いかにも貴族らしい華やかな顔立ちだし、濃いブルーの目も美しい銀色の髪も、あまり平民にはない色だ。


(訊いて、いいのかな)


 それはきっと、興味本位で訊いて良いことではないのだろう。

 それでもモニカは知りたかった。シリルのことを。


「……シリル様は、自分の容姿が、嫌いなんですか?」

「単純な嫌いとは少し違うかな。これは周囲や……そして本人が思っている以上に根深い問題だと思うよ」


 本人が思っている以上に、とアイザックは言った。

 つまり、シリル自身も気付かぬうちに気にしているということだろうか?

 真意が分からず戸惑うモニカに、アイザックは言葉を続ける。


「シリルは容姿に言及されると、褒められても貶されても、反応に困っている顔をするか、思考が停止したみたいに硬直するんだ。どんな反応をするのが正解か、自分でも答えを出せずにいるんだろうね」


 アイザックは指先で〈識守の鍵〉をいじりつつ目を伏せる。

 その顔は言葉を選んでいるようにも見えた。


「モニカ、君はシリルの実父のことをどれだけ知っている?」

「えっと、少しだけ……爵位は持ってなかったんです、よね?」


 シリルは生まれつきの貴族ではなく、そのため身分階級至上主義のエリオットとよく衝突していたという話は、モニカも聞いている。

 だが、それ以上の話は聞いたことがない。

 アイザックは声のトーンを少しだけ落とした。


「シリルの父は、自分が貴族の血を引いていることが自慢だったらしい。シリルに対しても『貴族らしくあれ』と厳しく躾けたそうだ」


 世情に疎いモニカでも、それは市井では生きづらそうだ、と思った。

 実際、その通りだったのだろう。アイザックは苦笑混じりに言葉を続ける。


「その結果、シリルの父は街で孤立したんだ。『最後は酒に逃げて母に手をあげた、最低の人間』……シリルはそう言っていたよ。そしてシリルの父親は体を壊して死に、母親は夫そっくりの息子を持て余した」

「シリル様は、お父さんのことを……嫌っていたんで、しょうか」

「君はそう思う?」


 モニカは懸命に考え、そして首を横に振る。

 潔癖で生真面目なシリルが、酒に逃げた父親の振る舞いを許せなかったのは想像に難くない。

 だが、シリルが本当に父親を嫌っていたのなら、貴族らしい振る舞いを捨てて、市井の子らしく振る舞っていたはずだ。


「貴族らしさにこだわる、お父さんを嫌っていたら……シリル様は、貴族の養子には、ならなかったと、思います」


 アイザックは「そうだね」と呟き、遠い目をした。


「怒りと憎悪は似て非なるものだ。シリルはよく怒るけれど、誰かを憎んだりはできない」


 きっとシリルは父親に対しても、怒りこそすれど、憎むことはできなかったのだろう。

 だから、父親の教えを捨てきれなかった。


「父親を憎めたらきっと楽になれただろうに、シリルはそうしなかった。父親に対して怒りはあれど、尊敬を捨てきれない。だから、父親そっくりの容姿を褒められても、貶されても、シリルは喜べば良いのか怒れば良いのか分からなくて、硬直してしまうのだと思うよ」


 アイザックの呟きは、憐れむようにも羨むようにも聞こえた。

 モニカが顔を上げると、アイザックは指輪を摘んだまま暗い目で笑っている。


「僕は、憎悪で動くことの容易さを知っている。憎悪を糧にすれば人間は幾らでも非情になれるし、心を痛めることなく手を汚せるんだ。だから楽な方に逃げなかったシリルが、僕には眩しく見える」

「アイク」


 モニカは強い口調で、己の弟子の名を口にする。

 かつて主人であり友人であったフェリクス王子を失った時、アイザックは何もできなかった自分自身を憎んだ。

 そうして憎んで、憎んで、自分を殺して、フェリクスとして生きることを選んだ。


「わたしは、アイクがしたことは正しいとは言えないけど……でも……楽な方に逃げたとも、思わない、です」


 モニカの言葉に、アイザックは不意打ちを受けたみたいに目を見開いて瞬きをする。

 そしてクシャリと前髪をかき乱して、情けなく笑った。


「あまり弟子を甘やかしてはいけないよ。でも、ありがとう、マイマスター」


 そう言ってアイザックは手にしていた〈識守の鍵ソフォクレス〉をピンと弾いた。

 漆黒の指輪はまるでコインみたいに、クルクルと回りながら宙に浮く。


『ぎゃっ、ああああああ!?』


 悲鳴をあげる指輪を片手でキャッチし、アイザックは訊ねる。


「さて、夜もふけてきたね。そろそろ気は変わったかな、〈識守の鍵ソフォクレス〉?」

『ふ、ふん、吾輩、脅しには屈しないのである』

「君はもともと、シリルを認めていたんだろう? とっくの昔に……それこそハイオーン侯爵がシリルを養子にした時に」


 うぐっ、といかにも図星らしい声が指輪から漏れる。

 モニカは目を丸くして、指輪を凝視した。


「そ、そうなんです、か?」

「ヘソを曲げてゴネていたら、引っ込みがつかなくなったのだろう。これは助け舟だよソフォクレス。明日の朝までに、妥協案を考えておくといい」


 指輪を箱に戻そうとしたアイザックは、ふと何かを思い出したような顔で、その手を止めた。


「そうそう、寝る前に一つだけ……」


 アイザックは〈識守の鍵〉の宝玉を覗き込み、ニコリと微笑む。


「僕のお師匠様に対する暴言を撤回してくれないかい?」

『どこに貴様の師がいるのである』

「ここに」


 そう言ってアイザックは指輪をモニカの前に掲げた。

 どういう反応をすれば良いのか分からなかったので、とりあえずモニカは会釈する。


「え、えっと、どうも……アイクの師匠、でふ」

『…………』


 〈識守の鍵ソフォクレス〉は無い口で閉口していた。

 そんな漆黒の指輪に、アイザックは輝かしいばかりの笑顔を向ける。


「僕のお師匠様が十五点? それは十点満点かつ、特別加算点の五点を加えた数字だよね? ……僕が君をパイ皿に放り込みたくなる前に、返事を聞かせてくれないか、ソフォクレス?」

『お、おおまけにまけて、三十点である!』

「急に夜食が食べたくなってきたな。モニカ、ミートパイとクリームパイ、どっちがいい?」

「ア、アイク、アイク、そのへんで……」



 * * *



 シリルに用意された客室は、こじんまりとしているけれど綺麗に掃除されていた。埃やカビのにおいはせず、清涼なハーブの匂いがする。

 荷物を置きベッドに腰掛けると、肩に乗っていたトゥーレとピケがスルスルと膝の上に降りてくる。

 二匹には自分の足で歩けと常々うるさく言っているが、足元を歩かれるとそれはそれで踏みそうで怖いし、最近はもうすっかり諦めていた。

 膝の上に乗った二匹は、撫でて良いぞとばかりに大人しくじっとしている。それでも勝手に撫で回されるのも嫌かと思って、シリルは律儀に声をかけた。


「撫でていいか?」

「いいよ」

「どうぞ」


 ふんわりした毛並みを撫でていると、少しだけ心が穏やかになる。

 燭台に火をつけようかしばし迷い、やめた。〈殿下〉の好意を無下にしないためにも、今日はこのまま寝てしまうべきだ。

 トゥーレとピケはお喋りをせず、黙っていた。多分、二匹なりに気を遣っているのだろう。


(久しぶりに、静かだ)


 シリルは指輪をしていない己の右手を見下ろす。

 アスカルド図書館は現在改修工事中で、図書館業務を一部休止している。禁書室への出入りも同様で、だからこそシリルは〈識守の鍵〉を一ヶ月ほど借りることができた。

 養父はこの一ヶ月で〈識守の鍵〉を説得しろと言ったわけではない。この一ヶ月で説得できずとも、養父はシリルを責めたりしないだろう。

 それでもシリルはこの一ヶ月で〈識守の鍵〉を説得してみせると決めて、意固地になっていた。それぐらいできなくては、ハイオーン侯爵に相応しくなれないと勝手に決めつけ、自分に言い聞かせて。

 指輪を外さずサザンドールまで来たのは、モニカに古代魔導具の魔術式を見てもらうため──というのは建前で、実際はただの意地だ。


(殿下は、そのことを見抜いておられたのだろう)


 昔からシリルが意地を張って引っ込みがつかなくなった時、彼はさりげなくシリルを止めてくれた。

 シリルが根をつめやすい性分だと分かっているのだろう。

 トゥーレとピケを撫でていたら、だんだんと眠くなってきた。シリルはそのままベッドに倒れ込むように横になる。膝の上に乗っていたトゥーレが、シリルの頭のそばまでやってきて、髪紐をチョンチョンと引っ張った。


「髪、解かなくていいの?」

「…………ん」


 髪紐に手を伸ばすことすら億劫で、曖昧な言葉を返すと、ピケが「えい」と勝手に髪紐を引っ張って解いた。うなじのあたりが、少し楽になった気がする。


「結んだまま寝ると、朝が大変」

「……ん」


 ピケの言葉に不明瞭な相槌を打ち、シリルはもぞもぞと布団の中に潜り込む。

 ピケは髪紐を枕のそばに置いた。


「なんで人間は髪を伸ばすのだろう。面倒なだけなのに」

「そういえば、わたしの元となった人間も長かったね。シリルは理由があるの?」

「……お父様が、伸ばせと……」


 シリルが幼い頃、父は言った。

 その髪色は高貴な血筋の証なのだと。

 だから伸ばしなさいと言われたシリルは、「はい、お父様」と素直に従い、父と同じように髪を伸ばした。


 父はいつも口癖のように言っていた。

 自分は高貴な血を引く人間で、お前はその息子なのだから、それに相応しい堂々とした振る舞いをしなさいと。

 だからシリルは威厳のある父の口調や態度を真似た。


 周りの子ども達が流行りの遊びをしているのをシリルが羨ましそうに見ていたら、父は顔をしかめて言った。

 お前は私の息子なのだから、あんな低俗な遊びをしてはいけないと。

 だからシリルは楽しそうな子ども達から目を逸らし、勉強に打ち込んだ。


 後に父が酒に溺れ、母に暴力を振るうようになった時、シリルは初めて父に嫌悪感を抱き、反発し──それでも、自分の在り方を変えることはできなかった。

 心のどこかではまだ父を尊敬していたからか、それとも今更自分の在り方を変えるのが怖かったからか、或いはその両方か。

 父の価値観が世間とずれていることも、周囲と軋轢を生むことも、偏見や歪みがあることも薄々気づいていた。

 母がシリルの振る舞いや容姿に父の面影を見て、不安になっていることも知っていた。

 髪を切って、普通の子どもらしく無邪気に振る舞えば良いと分かっていたのに、それでもシリルは父に教わったものを捨てきれなかった。


 父が死んだ時、清々したのか、ホッとしたのか、悲しかったのか、自分でも分からなかった。ただ、母が泣いていたから、自分がしっかりしなくてはと思った。

 父親に対する自分の感情と向き合うより、これからのことを考えている方が、ずっと気が楽だったのだ。


(あの時、髪を切ってしまえば良かったんだ)


 結局のところ、短くできない髪が、そのまま答えのような気がした。

 父に似ていると言われることに反発し、それでも、なんとなく短いと落ち着かないからと言い訳をして、彼は髪を伸ばし続けている。

 頬にふんわりとした何かが触れた。トゥーレの尻尾だ。


「シリルは、おとうさまが大好きなんだね」


(嫌いだ、あんな男。お母様を殴って、みっともなく喚き散らして、周りに迷惑をかけて。大嫌いだ)


 そう自分に言い聞かせる度に、胸が苦しくなる。なんで嫌いにならなくちゃいけないんだ、と泣きたくなる。

 だから今だけは眠気を理由に、シリルは素直に呟いた。


「…………うん」



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