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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝8:識者の証明
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【2】ピストラウネの幻竜

 アイザック・ウォーカーは静かに、だが確実に追い詰められていた。

 一体、自分はいつまでこんな生活を続けなくてはならないのか。

 今まで込み上げてくる想いに蓋をし、自分を騙し続けてきたけれど。


(……もう、限界だ)


 アイザックはその美しい顔に隠しきれない苦々しさを滲ませて、彼をここまで苦しめてきた大量のニンジンを見下ろした。




 〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグから『ニンジンの出来が滅茶苦茶良かったんだ! みんなで食べてくれよな!』というメッセージ付きで大量のニンジンが送られてきたのが数日前。

 ニンジンを詰めた木箱は、アイザックがなんとか両手で持ち上げられるぐらいの──非力なモニカは持ち上げられなかった──重さであった。どう考えても一家庭で消費できる量ではない。

 この一週間でラナ・コレット嬢を含む知人やご近所さんに配り歩いたものの、まだまだニンジンは木箱に残っている。

 更に間の悪いことに、この家で一番の大食漢であるネロが一週間前から家出中だった。

 この間、尻尾を逆撫でしたことが逆鱗に触れたらしい。


 曰く、「オレ様の尻尾を逆撫でした愚かな人間め。もうネロ先輩じゃ騙されねぇぞ。ネロ様と崇め讃えて馳走を献上するまで許さねぇからな! バーカバーカ!」


 まぁ、肉が恋しくなったら帰ってくるだろう。というのがアイザックとモニカの共通見解である。

 そんなわけで、しばらくはアイザックとモニカの二人で、このニンジンを消費しなくてはいけなかった。

 アイザックはここ数日、せっせと肉料理の付け合わせにしたり、スープに入れたりとニンジンを消費してきたものの、正直そろそろ限界だ。


(……擦り下ろして、ケーキにしようかな)


 柑橘とシナモンで風味をつければ、だいぶニンジンっぽさを払拭できるはずだ。

 アイザックは袖捲りをすると、「よし」と呟き気合を入れて、ニンジンをガッシュガッシュザッシュザッシュと擦り下ろし始めた。

 ニンジンを見下ろすアイザックの目は暗くかげり、睨んでいると言っても良いような鋭い形相である。


 アイザックは子どもの頃、ニンジンが大嫌いだった。

 実は今でも割と嫌いだ。



 * * *



 〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、台所から聞こえるガッシュガッシュザッシュザッシュという音に興味を惹かれて、ちらりと台所を覗き込んだ。

 台所ではアイザックが袖捲りをして、黙々とニンジンを擦り下ろしている。


(今日は何を作るのかな?)


 山小屋にいた頃、毎日同じような物を食べ続けていたモニカは、あまり食べ物に飽きるということもないので、連日のニンジン料理も苦ではなかった。

 なにより、アイザックの作る料理はどれも美味しいのだ。だから素直に楽しみにしている。

 ネロも早く帰って来ればいいのに、と思いつつモニカは窓の外をチラリと見た。

 ネロが家出をして、そろそろ一週間が経つ。

 なるべく窓の鍵を開けるようにしているが、ネロが帰ってくる気配は無い。

 アイザック曰く、ネロの家出の原因は「僕がうっかり手を滑らせて、ネロの尻尾を逆撫でしてしまったんだ」とのことらしい。それだけで家出なんて、ネロはちょっと心が狭すぎる。

 窓の外を見ながらそんなことを考えていると、郵便配達員が家の前のポストに手紙を投函するところが見えた。


(お手紙だ。ミネルヴァから、かな?)


 少し前に仕上がった論文の添削を、魔術師養成機関ミネルヴァのラザフォード教授に送ったところだった。その返事だろうかと、モニカはポストの蓋を開けて封筒を取り出す。

 封筒の差出人は魔術師組合のサザンドール支部だった。

 七賢人と魔術師組合はそれなりに繋がりが多く、定期的に学会の知らせや講習会の依頼、或いは七賢人が目を通さねばならない報告の類が毎月何かしら届く。

 だが、その手の郵便物は大抵、魔術師組合バロア本部から送られてくるものだった。サザンドール支部から送られてくるのは少し珍しい。

 モニカは椅子に腰掛け、封を開けた。中に入っているのは、サザンドール支部長のサイン入りの依頼状だった。その内容に目を通したモニカは、椅子を鳴らして立ち上がる。


「え、え、大変……!」


 モニカは手紙を握りしめ、ガシュガシュザシュザシュという音の響く台所に声をかけた。


「アイク、アイク! わたし、魔術師組合、行ってきます」


 アイザックはニンジンを擦り下ろす手を止めて、モニカを見る。


「組合? 本部に行くのかい?」

「いえ、サザンドール支部です。ちょっと港が、大変みたいで……至急の要請が……」

「もしかして、水竜?」


 アイザックの言葉に、モニカは目を丸くした。

 彼の言う通り、魔術師組合サザンドール支部からの依頼というのが、近くの海に出没する水竜の討伐依頼だった。

 サザンドール近辺の海は竜害警戒海域ではないのだが、たまに水竜が迷い込んでくることがある。

 水竜とは水棲系の下位種竜の総称であり、実際はかなり細かく分類できるほど種類が多い。

 首が長かったり、角があったり、ヒレが大きかったり。鱗の色も様々だし、少し珍しいものだと、毒を持つ種や水陸両方で活動できるものもいる。

 大きさも様々だ。モニカぐらいの大きさの小型種もいれば、船を超える大きさの大型種もいる。

 今回、討伐依頼が出ているのは、船を超える大きさの大型種だった。


「アイク、どうして水竜の討伐依頼だって、分かったんですか?」

「港の水夫達が、大型の水竜が出たって噂していたから。もしかしてと思って」


 いつのまに水夫達と交流していたのだろうと驚きつつ、モニカは依頼書をアイザックにも見えるように広げた。


「そうなんです。大型の水竜が、サザンドールとアルパトラを繋ぐ航路に出没したらしいんですけど……」


 言葉を切り、モニカは難しい顔で息を吐く。

 海洋国家アルパトラに繋がる航路は、サザンドールにとって最も重要な航路の一つだ。そこに大型竜が出没したとあっては、漁師も商人も大打撃である。

 商会を経営しているラナも、きっと困っているはずだ。モニカとしても力になりたい。

 だが、水竜討伐は〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットをもってしても、決して容易なことではなかった。


「水竜と戦うのは初めてで、正直、ちょっと自信がない、です」


 かつて、一度に二十以上の翼竜を撃ち落とした〈沈黙の魔女〉でも、水竜を撃つのは難しい。

 理由は幾つかある。


 まず第一に、水中の敵は索敵が難しい。感知の魔術を使えば大まかな位置は分かるが、敵の眉間を正確に貫けるほどの精度ではない。

 第二に、水中では水圧や漂流物の影響で、攻撃魔術の威力と精度がガクンと落ちる。

 他にも色々と問題点はあるが、ざっくり言うと水中の敵は「攻撃を当てるのが難しい」「威力を出すのが難しい」に尽きる。

 モニカにとって、翼竜の群れを撃ち落とすより、水竜一匹を撃つ方が遥かに難しいのだ。


(七賢人の中で、一番水竜退治が得意なのが〈砲弾の魔術師〉様だけど……あの戦い方は、わたしじゃ真似できない)


 他の竜同様、水竜も眉間以外を攻撃しても殆ど致命傷にならない。

 だが、〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンの高威力な多重強化魔術なら、胴体に当てるだけで大ダメージを与えられる。

 その圧倒的な威力故に正確に急所を狙う必要が無く、とにかく当たれば、ほぼ勝てるのが〈砲弾の魔術師〉の強みだった。

 一方モニカの強みは魔術の発動の速さと、その正確さである。

 対水竜戦では、それがあまり活かせない。


(高度追尾術式を使う? ……ダメ。追尾しても、攻撃が眉間以外に当たったんじゃ意味がない……中・小型の水竜なら、銛を刺して水面に引き上げられるけど、今回のは大型だから多分無理……)


 結局のところ、正確に竜の眉間を貫くためには、地道に計算を重ねて、敵の位置を把握するしかないのだ。

 そのためには水竜が出没する海域の潮の流れや、水竜の具体的な種類を把握する必要がある。

 ところが、この「水竜の情報」の部分で、また一つ問題があった。

 その問題点を、資料を読み込んでいたアイザックが指摘する。


「これは酷いな。水竜の目撃情報がバラバラだ」


 依頼状には、討伐対象の水竜の目撃情報をまとめたものが添付されている。

 ところがこの目撃情報、首が長いだの短いだの、ヒレが大きいだの小さいだのと、とにかく統一性が無いのだ。

 唯一共通しているのは「船を超えるほどの巨体」という点のみである。


「情報からして青竜の可能性は低そうだけど、警戒した方が良いかもしれないね」


 アイザックの言う青竜とは、水竜の上位種である。美しい青い鱗と巨大な二本の角が特徴だ。

 今回目撃されている竜は、角が無いらしいので、青竜の可能性は低いだろう。青竜は元々穏やかな気質だし、あまり船に近づかない。

 万が一、青竜だとしたら、水を操る魔法を使ってくるので、そもそも船で近づくことはできないだろう。遭遇して襲われたら、まず助からない。


「うーん……えっと、とりあえず青竜の可能性は置いておいて、大型水竜のいずれかの線で考えたい、です」


 モニカがそう言うと、気の利くアイザックはすぐに水棲竜の情報をまとめた本を持ってきて、机に広げてくれた。更に素早くページを捲って、該当する竜を絞っていく。作業が早い。


「可能性が高いのは首長種だけど、本来中型であるヒレの大きい種の変異ということも、あるかもしれない」

「そうですね、そういう事例も過去に報告されてるし、視野に入れておきたい、です」

「目撃情報だと鱗の色もバラバラだね。黒っぽかった、灰色がかっていた……うん、これはあまり当てにしない方が良さそうだ」

「はい、水中だと天候次第で鱗の色が違って見えることもあるし、陸に上がると鱗の色が変わる種もいるので……鱗の色はあまり気にしないでおきましょう」


 モニカとアイザックは目撃情報を元に、水竜の種を何種かに絞っていく。

 そうして五種ほど目星をつけたところで、アイザックは小さく苦笑した。


「水夫の中には『あれはピストラウネの幻竜だ』なんて言う人もいたぐらいだし、目撃情報はあまりあてにならなそうだ」

「ピストラウネの幻竜?」

「八年前のイヴァンジェリン号の事件は聞いたことがない?」


 モニカは首を横に振る。

 モニカは魔術に関する事件ならある程度記憶しているが、魔法生物は専門外だ。


「八年前、豪華客船イヴァンジェリン号が大型水竜と遭遇して、ピストラウネ海域で転覆したんだ。乗客は殆ど助からなかったけれど、奇跡的に近くを通った漁船に拾われた乗組員がいてね」


 その生き残りの男は、こう証言したらしい。

 自分達は常に周囲を哨戒していた。なのに、あの大型竜は何の前触れもなく船の下に現れた、と。

 アイザックの話を聞いたモニカはしばし思案し、口を開く。


「えっと、その船が転覆したのって、夜だったんですか?」

「いいや、昼間だ。天気も良く、風も穏やかな日だったらしい」


 夜間ならともかく、昼間に大型竜の接近を見逃すのは確かに少し不自然だ。


「『その竜は、まるで幻のように現れた』──その証言から、イヴァンジェリン号を沈めたその竜は、海域の名にちなんで、ピストラウネの幻竜と呼ばれるようになったんだ」


 そこから更に「イヴァンジェリン号には罪人が乗っていたから竜が罰を与えた」だの「ピストラウネの幻竜は船の財宝を独り占めすべく、沈んだ船の周りを彷徨い続けている」だのと、噂に尾ひれがついたらしい。

 そしてその事件以降、何の前触れも無しに唐突に現れたり、正体がよく分からない大型水竜などを、船乗り達はピストラウネの幻竜と呼んで恐れるようになったのだとか。


「あのぅ、そういうのって、哨戒漏れで接近を許したとか、霧で岩礁が竜に見えたとか、では……」

「そうかもしれないね」


 モニカの言葉にアイザックはあっさり頷く。


「人は時々、正体のよく分からない恐ろしいものに、名称をつけたがるものだろう?」

「そういうもの、でしょうか?」


 モニカだったら、正体のよく分からない曖昧なものに名称をつけるより、その正体をハッキリさせたいと思う。その上で、それがまだ名前のないものならば、初めて名前をつければ良いのだ。

 モニカがそんなことを考えていると、アイザックは曖昧に微笑み、本を閉じる。


「ところで今回の水竜討伐にあたって、僕から一つ提案があるのだけれど。聞いてもらえるかな、マイマスター?」


 アイザックは書類棚から紙の束を幾つか手にして戻ってくる。あれは彼が個人で研究しているものではなかっただろうか。

 紙を机に広げるアイザックは、彼にしては珍しく硬い顔をしていた。学会の発表で教授の前に立つ学生の顔に似ている。


「最近、水中索敵用術式について研究していたんだ。ミネルヴァのプレスコット教授が提唱した共有術式も組み込めるようにしてみたんだけど……今回の水竜討伐の役に立てない、かな?」


 モニカはしばし無表情で、そこに記された魔術式に目を通した。

 その内容の試算と検証を繰り返し、モニカはゆっくりと顔を上げてアイザックを見上げる。


「アイク、あのですね」

「……うん」


 硬い顔で頷くアイザックに、モニカは意味もなく手を上げたり下げたりしながら言った。


「わたし、今、すごくすごく、師匠としてアイクを褒めたいんですけど……こういう時、どうやって褒めたら良いんでしょうか?」

「頭を撫でるとか?」


 冗談めかして言うアイザックに、モニカは背伸びをして思い切り腕を伸ばす。

 背の低いモニカはアイザックの頭頂部まで手が届かないので、代わりに彼の前髪の辺りをサワサワと撫でた。


「アイク、すごい、すごいです。わたしの弟子、すごくすごい!」


 頬を紅潮させ、興奮したように言うモニカに、アイザックはニッコリと微笑む。


「光栄です、マイマスター」


 優雅で美しい笑顔は、口の端が隠しきれない喜びでムズムズしていた。


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