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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝8:識者の証明
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【1】お世話になります、おとうさん

 ハイオーン侯爵ヴィセント・アシュリーは、周囲から真面目で厳格な男だと思われているが、彼自身は自分のことを真面目で厳格だと思ったことは一度もなかった。

 一言で言うなら、自分はわがままな人間なのだ。別に厳格でも真面目でもない。

 友人のメイウッド男爵曰く。


「わがままの通し方が上手いのでしょうね。貴方の言葉には知識に裏打ちされた重みがあるし、余計な言葉が少ない。〈識者の家系〉という肩書きも、周囲に厳格で真面目な印象を与えるのでしょう」


 なるほど、調停者は人をよく見ている。と感心するハイオーン侯爵に、メイウッド男爵はへラリと笑って、冗談っぽくこう続けた。


「あとは、そうですね……口髭が似合うのも、厳格に見える理由ではないかと」

「それは重要かね?」

「えぇ、重要です。私なんてこの顔だから、威厳とは無縁で……一度、口髭をはやそうかと思ったのですけど、周囲に止められてしまいました」


 トホホ、と肩を落とすメイウッド男爵は、実年齢よりもだいぶ若く見える男だった。そういう家柄らしい。

 そんなメイウッド男爵の息子の元に、一人娘のクローディアが嫁ぎたいと言いだした時など、まさにハイオーン侯爵とクローディアが、全力でわがままを通した瞬間であった。

 上級貴族である侯爵家の娘が、下級貴族である男爵家に嫁ぐなど、そうそうある話ではない。

 下手をしたら醜聞にもなりかねないその話を、ハイオーン侯爵は巧みに体裁を整えた。

 具体的には当時、貴族達を悩ませていた医療用魔術解禁に関する案件で、メイウッド男爵と協力体制を取り、〈識者の家系〉と〈調停者の家系〉の繋がりの重要性を提示することで、周囲を納得させたのである。

 簡潔に言うと、メイウッド男爵をものすごく立てて、たとえ男爵家でも、あの〈調停者の家系〉に嫁ぐのなら納得できるという空気を作ったのだ。


 次に問題となったのは、後継ぎのことだ。

 本来ならハイオーン侯爵の弟か甥が継ぐのが妥当なところだが、ハイオーン侯爵は少々特殊な役割を持っているため、血筋だけで爵位を決めるわけにもいかなかった。

 リディル王国の継承制度において、魔術師や神官などの家系では、血筋だけでなく魔術等、なんらかの素質が求められることがある。ハイオーン侯爵がまさにそれだ。

 この素質というのがまた厄介なのだ。具体的に数値化できるものではないし、明確に言語化することも難しい。

 さらに困ったことに、ハイオーン侯爵の弟や甥は、その素質があまり無かったのである。

 何より本人達に「頑張ってハイオーン侯爵を継ごう!」という気概がなかった。どうやら、わがままなのは血筋らしい。

 そういうわけで、ハイオーン侯爵は後継ぎとなる養子を取ることにした。

 彼が後継ぎに求める条件は三つ。素質、血筋、あとは性格。

 最優先すべきは素質。次に血筋。これは多少遠縁になっても構わなかった。ハイオーン侯爵家の血をひいているのなら、周囲を黙らせる方法はいくらでもある。

 性格に関しては、できれば真面目で勤勉な人物が望ましい。どうにも、アシュリー家はわがままで適当な人間が多すぎる。

 そうして諸々を考慮して選ばれたのが、シリル・ウェインという少年だった。

 ハイオーン侯爵の血をひいているが、父親に爵位は無く、市井で暮らしている真面目で勤勉な少年だ。

 ところがいざ引き取ってみたら、このシリル少年……ハイオーン侯爵がちょっとビックリするほど真面目だったのである。



 * * *



 シリルを引き取って数ヶ月が経った頃、使用人から妙な話を聞いた。

 シリルが書き損じ等の古い紙を、こっそり集めているというのだ。

 一体何に使うのか不思議に思ったハイオーン侯爵は、仕事の合間にシリルの部屋を訪れた。

 扉をノックをすると、中からガサゴソと音がする。紙の束をどこかに隠す音だ。ハイオーン侯爵も若い頃、手慰みの落書きや走り書きの詩などを、大人の目からこっそり隠したことがあるから分かる。


「やぁ、読書中にすまないね」


 扉を開けて声をかけると、シリルは姿勢を正した。その視線が少し泳いでいる。


「何か、書き物をしていたのかい?」

「いいえ、読書を……」

「右手。乾いていないインク汚れの跡があるね」


 シリルはハッと己の右手を見た。痕跡は右手だけじゃない。インク壺の蓋が開いている。何かを書いていたのは明らかだ。


「何を書いていたんだい?」


 ハイオーン侯爵は穏やかな声で訊ねた。

 純粋に興味があったし、義理の息子とちょっとした交流がしたかった。

 シリルはあまりに真面目すぎる少年だから、年相応の息抜きをしていてくれた方が、寧ろ安心できる。

 だから、シリルが隠しているのが落書きでも、詩でも、咎めるつもりはなかった。こっそり絵や詩を書いていたのなら、隠さずに好きに楽しんで良いのだと言ってやるつもりだった。


「申し訳ありません、義父上。私は……」


 シリルは口籠もり、項垂れた。

 もしかして、誰かへの恋文の下書きだったのだろうか。

 だとしたら、少々意地の悪いことをしてしまった。その時は義父として、恋愛相談にのってやらねば……などということを、ハイオーン侯爵が大真面目に考えていると、シリルは罪の告白をするような顔でボソボソと言う。


「私は、クローディアみたいに、読んだだけで本の内容を覚えることが、できなくて……」

「うん?」

「だから、書いて、覚えようと……」


 シリルは引き出しから、紙の束を取り出した。どれも、書き損じの紙などの裏紙だ。

 そこにはシリルが読んでいる本の内容を要約したものが記されている。

 ハイオーン侯爵は唖然とした。


「君は読書の時、いつも、そうしていたのかい?」

「──っ……も、申し訳ありませんっ!」


 咎めたつもりではなかったのに、シリルは可哀想なほど真っ青になって震えていた。

 一体、何を謝ることがあるのだろう。疑問に思うハイオーン侯爵に、シリルはか細い声で言う。


「養子にしていただいたのに……クローディア以上のことができなくて、申し訳ありません」


 今更気づいた。シリルの右手は爪の中にまでインクが染み込んでいたし、年不相応の硬いペンダコができている。

 ハイオーン侯爵やクローディアは、大抵のものは一度読めば覚えられる人間だが、世の中には何度も繰り返し書かねば覚えられない人間がいることも知っていた。おそらく、シリルもそうだったのだ。

 だけど、シリルはそれをハイオーン侯爵に隠していた。クローディアと同じことができないと、見捨てられると思っていたのだろう。

 普段、シリルが勉強に使っている筆記帳は、勉強の成果を確認するためハイオーン侯爵に見られる。

 だから、彼はこっそり古い紙を集めて、誰にも見られない自分だけの記録を作っていたのだ。

 そのことを理解すると同時に、ハイオーン侯爵は口を開いていた。


「君の勉強方法が、クローディアと同じである必要はない。勉強の仕方も、物の覚え方も、人それぞれだ」


 ハイオーン侯爵は、努力をひけらかす行為は何の意味もないものだと常々考えている。

 だがそれでも、この少年の努力は、大人が気づかねばならないものだと思った。

 だって、こんなのは褒められて然るべきではないか。

 皺だらけの紙を丁寧に伸ばして書き連ねられた文字には、何度も推敲した跡があった。

 要点をきちんと抜き出し、自分の言葉で本を説明できるよう、上手くまとめられている。


「君の年で、この本を読み切るのは難しかっただろう……よく頑張ったね」


 その言葉に、シリルがぎゅぅっと眉根を寄せて泣きそうな顔をしたのが、やけに印象的だった。



 * * *



 アスカルド図書館学会本部での会合を終えて宿に戻ったハイオーン侯爵は、久しぶりにシリルと顔を合わせた。

 ここしばらくは互いに多忙で、家に帰っても入れ違いになることが多かったのだ。

 シリルには、〈茨の魔女〉〈沈黙の魔女〉との共同研究事業に関するやりとりや、領地内での細々とした仕事を任せている。それに併行して、ハイオーン侯爵は図書館学会での活動にも、少しずつシリルを関わらせるようにしていた。

 ハイオーン侯爵は、アスカルド図書館学会の常任理事であり、アスカルド大図書館の禁書管理という重要な役割を担っている。ゆくゆくは、シリルにその仕事を覚えてもらうつもりだ。


「義父上、お久しぶりです」


 そう言って丁寧に礼をするシリルは、前よりも雰囲気が柔らかくなったように思う。気負いやすい性格なのは相変わらずだが、張り詰めた糸のような危うさは感じなくなった。

 昨年の秋、〈茨の魔女〉と〈沈黙の魔女〉が屋敷に滞在した時など、シリルの年相応の若者らしさが垣間見えて、嬉しく思ったものだ。


(良い友人ができたのだな)


 そして今、ハイオーン侯爵が滞在している部屋を訪れたシリルは、緊張した面持ちで「義父上に報告したいことがあります」と告げた。

 ハイオーン侯爵は、これはいよいよ紹介したい女性ができたのだな、と思った。

 だが予想に反して、シリルは首に巻いていたイタチの毛皮を外して腕に抱く。今更気づいた。金と白の毛並みのイタチは二匹とも生きているのだ。


(なるほど、ペットを飼いたかったのか)


 シリルが小動物好きであることをハイオーン侯爵は知っていた。

 思えばシリルは、昔から物を欲しがらない子どもだった。

 いつだったか、下書きや推敲の多いシリルのために真新しい筆記帳を与えた時など、こんな上等な紙に走り書きはできないと眉を下げていたぐらいだ。服や靴を買い与える時も、シリルはいつも申し訳なさそうに縮こまっていた。

 そんな息子が、ペットを飼いたいとねだる日が来るなんて……と、感慨に耽っていると、シリルはイタチを軽く持ち上げて言う。


「この二匹を飼育する許可を、いただきたいのです」


 責任をもって面倒を見なさい──と言うべきだろうか。

 いやいや、シリルが責任感が強いことは知っている。ここは「可愛がってあげなさい」の方が良いだろう。

 そんなことを考えていると、金色のイタチがシリルの腕をテシテシと叩き、声を発した。


「シリル。飼育はおかしい」


 白いイタチも、柔らかそうな尻尾を左右に振りながら言う。


「飼育じゃなくて、同居? 同棲? 人間の言葉は難しいね」


 イタチが流暢に人の言葉を喋っている。

 ハイオーン侯爵は表情こそ変わらなかったが、内心ものすごく驚いていた。

 だが、驚きはこれで終わらない。二匹のイタチはシリルの腕からスルリと飛び降り、その姿を変えた。

 金色と白の光の粒子がパッと散ると、その下から淡い金髪の女と、銀色の髪の青年が現れる。


「シリルの契約精霊、氷霊アッシェルピケ」

「同じく契約竜の、白竜トゥーレ」


 無表情で絶句するハイオーン侯爵に、人の姿をした白竜がおっとりと頭を下げる。


「お世話になります、おとうさん」


 白竜におとうさんと呼ばれた人間は、もしかしたら人類初ではないだろうか。

 ハイオーン侯爵がそんなことを考えていると、シリルが眉を吊り上げて、氷霊と白竜を怒鳴った。


「ピケ! トゥーレ! 勝手に人型になるなと言っただろう!」

「ここは宿の中だから平気。シリルは神経質すぎる」

「人間に挨拶するなら、人間の姿の方が良いと思ったのだけど、ダメだった? 竜の方が良かった?」

「余計に悪いわ! 義父上、大変申し訳ありません。これには事情がありまして……」

 

 慌ただしい息子を眺めながら、ハイオーン侯爵は密かに嘆息する。


(やはり、この子には素質があったのだ)


 ただ、これは少し困ったことになったかもしれない。


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