【おまけ】豪華な朝食
肉屋の倅のグレン・ダドリーが配達を終えて、実家の店に戻ってくると、何故か二人の妹が怖い顔で詰め寄ってきた。
「ちょっと、グレン兄。どういうことなのさ」
「お姫様はどうしたのです、お姫様は」
「浮気だわさ」
「不潔なのです」
二人の妹に詰め寄られたグレンは、ガリガリと頭をかいた。
一体何の話か分からないが、妹達は浮気だの不潔だの、普段あまり縁のない言葉を使ってみたいだけなのだ。
「もう、なんだよ急に」
「女の子がお店に来てるの! グレン兄に会いたいって!」
「なんだか、とっても思い詰めた顔をしていたのですよ! グレン兄が何かしたに決まってます!」
「してないっつーの!」
ワーワーと騒ぎ立てる妹達の声を背に、グレンは店頭へ向かう。
見慣れた店内をグルリと見回せば、店の隅に小柄な少女が佇んでいた。俯き気味になって、もじもじと指をこねているのはモニカだ。
「モニカ、来てたんすか! 珍しいっすね?」
〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットはダドリー精肉店の上客である。正確にはモニカではなく、彼女の弟子が結構な量の肉を買いつけてくるのだ。
ダドリー精肉店とサザンドールは、それなりに距離があるので、サザンドールに遊びに来るついでで構わないと、アイザックには言われている。なので最近のグレンは、サザンドールに遊びに行く時に大量の肉を抱えていくのが、習慣になっていた。
モニカが直接ダドリー精肉店に肉を買いにくるのは、これが初めてだ。
なんとなく、ラナかアイザックのどちらかと一緒に来たのだろうと思っていたのだが、どうやらモニカ一人で来たらしい。
モニカは「こんにちは」と頭を下げ、真剣な顔でグレンを見上げた。
「実はですね。グレンさんに、教えてほしいことがありまして……」
グレンの妹達はモニカのことを普通の女の子だと思っているようだが、何を隠そうモニカはリディル王国の魔術師の頂点、七賢人が一人〈沈黙の魔女〉である。つまり、ものすごく頭が良い。
そんな頭の良いモニカが、自分に教わりたいこととは、一体何だろう?
もしかしたら、これは国を揺るがす一大事かもしれないぞ、と想像力を飛躍させているグレンに、モニカは恥ずかしそうに問う。
「ア、アイクの好きなお肉って……分かりますか?」
予想外の質問にグレンは目を丸くした。
モニカが口にした名前は彼女の弟子であり、この国の第二王子であり、グレンにとっては肉好き仲間兼、頼りになる先輩でもある。
ちなみにグレンは、当時生徒会長だった彼のことを今も会長と呼び続けていた。もうこれは、あだ名のようなものなのだ。
「会長の好きな肉が、欲しいんっすか?」
「はい。アイクの好きなお肉、出してあげたくて……グレンさんなら、いつもアイクとお肉のお話してるから、分かるかな、って……」
グレンはうーんと腕組みをして、アイザックと交わした肉トークを振り返った。
これはセレンディア学園を卒業してから知ったことだが、グレンとアイザックは、割と食の趣味が似ているのだ。
最近は、お勧めの調理方法について情報を交換する仲である。
「そうっすねー。会長は肉なら大体何でも好きっすよ。癖の強い肉も全然イケるみたいだし。どっちかというと、肉の種類より味付けの方が大事っすね。割としっかりした味付けの方が好きらしいっす」
「しっかりした味……えっと、お塩をいっぱい振ればいいですか?」
今更ながら、グレンはモニカの調理技術に不安を覚えた。
「モニカって、料理はどれぐらいできるっすか?」
「えっと、切って、焼くか煮るかして、お塩を振るぐらいなら……」
「あ、良かった。師匠よりマシだった」
思わず溢れたグレンの呟きに、モニカはおずおずと訊ねる。
「あのぅ、ルイスさんのお料理って……」
「師匠は、肉でも魚でも、しっかり火を通してジャムをかけとけば、だいたい何でも食えるって言うんすよ」
「……わぁ」
山籠りの修行をした時、ルイスが当たり前のような顔で荷物袋からジャムの瓶を取り出した時は、グレンも我が目を疑ったものである。
リディル王国の北部では、肉にベリーのソースをかけることもあるが、ルイスのあれは絶対に違うとグレンは確信している。
「師匠、飲料水感覚でお酒飲むし、なんにでもジャムをかけるし……ロザリーさんと結婚してなかったら、絶対早死にしてたと思うんすよね」
「あ、あはは……」
思い当たる節があるのか、モニカは遠い目をして力無く笑った。
それはさておき、モニカに持たせる肉について、どうしたものかとグレンは腕組みをして考える。
話を聞いている限り、モニカはあまり料理が得意ではないらしい。このままだと、アイザックが塩まみれの肉を食べることになりかねない。
「そうだ! ちょっと待ってて!」
グレンは店の奥に引っ込むと、調理場のホーロー鍋に蓋をして、バスケットに詰め込む。鍋の中身はタレに漬け込んで焼いた肉だ。
ダドリー精肉店では、肉の加工品も取り扱っている。鍋の中身はその試作品の一つだった。
グレンはバスケットに布を被せて、モニカに差し出した。
「これ、会長に食べてほしいなって思ってたやつ! 会長、東部風の味付けが好きっぽいから、絶対気にいると思う!」
焼いてからタレをかけるのではなく、タレに漬け込んでから焼くのは、東部地方でよく見かける調理方法だった。タレに蜂蜜や果実などを加えて、少し甘めに仕上げるのも東部風だ。
ホーロー鍋の中身は、甘めのタレにダドリー家秘伝のスパイスを効かせた新作料理である。
「このお肉は、このまま火にかければ良いですか?」
「もう中まで火は通してあるんで、オーブンを弱火にして五分ぐらい温めれば、すぐに食べられるっすよ!」
料理初心者にとって、塊肉というのは案外扱いが難しいものである。表面を焦がさずに中まで火を通す、焼き加減の見極めが難しいのだ。
だが、温めるだけなら初心者のモニカにもできるだろう………………多分。
グレンの言葉に、モニカはホッとしたように胸を撫で下ろす。
「これなら、わたしでもできそう……グレンさん、ありがとうございます」
「どーいたしまして! 今度、感想聞かせてほしいっす!」
「はい!」
* * *
スパイスと果実と肉汁の混ざった、食欲をそそる香りでモニカは目を覚ました。
寝台の上でコロリと寝返りを打ったモニカは、カーテンの隙間から差し込む、春の柔らかな日差しに目を細め…………カッと目を開く。
自分は大人の気遣いを実践し、アイザックを労おうとしていたはずだ。それなのに、どうして寝台にいるのか。
「アイク……! アイク!」
寝癖だらけの髪もそのままに、バタバタと階段を駆け下りると、テーブルに朝食が用意されていた。
中央の大皿には薄く切った肉が綺麗に並べられている。グレンのところで購入した肉だ。
「おはよう、モニカ」
台所から顔を出したアイザックは、焼き立てのパンを皿に並べ、モニカのカップにコーヒーを注ぐ。
食器も全て並べられているし、もうモニカに手伝えることなど、何もない。
テーブルの前で立ち尽くしているモニカに、アイザックはサッと椅子を引いて「どうぞ?」と促した。
モニカは椅子にちんまりと座って、両手で顔を覆う。
「アイク、ごめんなさい。わたし……寝ちゃったんですね……」
「長旅で疲れていたんだろう?」
「うぅっ……」
「お風呂、沸かしておいてくれて助かったよ。寝具も綺麗に敷いてあって、嬉しかった」
喜んでもらえたのは嬉しいが、これはなんだか大人の気遣いとは違う気がした。
(むしろ、わたしが気遣われてる気がする……)
自分の未熟さを噛み締めながら、モニカはパンを手に取る。
手のひらに乗るぐらいの大きさの丸いパンには、切り込みが入っていた。ここで二つに分けろということだろうか?
向かいの席では、アイザックがパンの切れ込みに肉と野菜を挟んでいた。
パンに肉や野菜を乗せたり挟んだりした食べ物は、上流階級の食卓でもしばし見かける。ただ、そういう時は大抵薄いパンを使って、片手でつまんで食べられるぐらいに小さく仕上げるものである。
丸いパンに切れ目を入れて何かを挟むのは、上流階級ではあまり見られないが、モニカはそういう食べ方をする人を一人だけ知っていた。
東部地方出身の、ケイシー・グローヴだ。
「アイクは……」
「うん?」
アイザックが肉を挟む手を止めて、コトリと首を傾ける。
アイザックの手元のパンには、たっぷりと肉が挟まれていた。朝食にするには、結構なボリュームである。
(アイクは、どんなところで、育ったんですか)
モニカは頭に浮かんだ疑問の言葉を、口にしようとしてやめた。
彼が今、こうして自分の好きな物を、好きなように食べられるのなら、きっと、それが一番良いことなのだ。
「このパン、魚のフライを挟んでも、美味しいんですよ」
「今度やってみようか」
「はい!」
モニカは手元のパンに肉を一切れと野菜を挟み、大きく口を開けて頬張った。