【21】人の恋路を邪魔する馬鹿は……
「アインハルトよ」
「おぅ」
ライオネルは相槌を打つ旧友から、目の前にある建物に視線を移す。
夜の闇に浮かび上がる宮殿のシルエットは、見間違えるはずもない。
「ここは、アウザーホーン宮殿ではないか」
夕方頃にアインハルトと再会し、積もる話をしながら食事と酒を楽しみ、最後にアインハルトが「とびっきり良い女に合わせてやるよ」と言って、ライオネルを連れてきたのは、ツェツィーリア姫一行が滞在している宮殿だ。
「よもや、お前の言う良い女とは……ツェツィーリア姫のことか?」
とうに夜はふけている。たとえ第一王子と言えども、滞在中の姫君を訪ねてくるには、あまりにも非常識な時間だ。
ライオネルが毛虫のように太い眉毛をひそめると、アインハルトはずっと手にしていた白い花をヒラヒラ振った。
「まぁ、建前はそうだけど、俺が会わせたいのは別」
「……? なに?」
アインハルトの本心が読めず困惑しているライオネルをよそに、アインハルトは裏門をズンズン進んで、門番に何やら耳打ちする。
門番は心得顔でアインハルトとライオネルを通してくれた。
「……門番には、何と言ったのだ?」
「殿下の夜這いに協力しろよ、って言ったら一発だ」
「アインハルトっ!」
顔を真っ赤にして怒るライオネルに、アインハルトは揶揄うような笑みを引っ込め、真剣な顔で言う。
「別に珍しい話じゃないだろ。婚約の話が進んでんのに、二人の間に何もなさすぎるって、使者団達の間じゃ噂になってるんだぜ?」
「……な、なに」
「そんなにうちの聖女様に魅力が無いのか! って怒ってる奴もいるぐらいだ」
ぐぅっ、とライオネルは黙り込む。
ツェツィーリアと己の婚約が、ほぼ決定路線であることを、ライオネルは理解していた。
ライオネルの母は、リディル王国と帝国の間にある小国ランドール王家の人間。それ故に、第一王子派はリディル王国内での基盤が弱い。
故にライオネルと結婚するなら、国内の有権者で、かつリディル王国王家の血筋の娘が望ましいと言われていた。そうすれば、リディル王国王家の血が濃くなり、国内貴族の結束も強まる。
だが、それを差し引いても、帝国の聖女との婚約は、リディル王国側にとって魅力的な話だった。
ツェツィーリアは古代魔導具〈ベルンの鏡〉の契約者でもある聖女。ツェツィーリアがリディル王国にいる限り、帝国は切り札である〈ベルンの鏡〉を使うことができないのだ。
かつて戦争で、〈ベルンの鏡〉に大敗を喫したリディル王国の重鎮達の中には、遂に帝国が我が国に屈したのだと諸手をあげて喜ぶ者すらいた。
だが、ライオネルはこの婚約に、どうにも乗り気になれないのだ。それは、ツェツィーリア姫に非があるわけではない。
「ツェツィーリア姫は、私との婚約に乗り気ではないだろう。常に怯えた様子で……」
アインハルトがヒクリと片眉を持ち上げてライオネルを睨む。
ライオネルはすぐに猛省した。今の言い方では、ツェツィーリア姫に責任転嫁したも同然だ。
「否、すまない。ツェツィーリア姫を責めているわけではないのだ。全ての問題は私にある」
「へぇ、どんな問題だよ」
言ってみろ、とアインハルトが視線で促す。
ここで適当に誤魔化すのは王族としても、そして、アインハルトの友人としても、あまりに不誠実だ。
ライオネルは苦悩の末に、胸に秘めていた想いを打ち明けた。
「以前、私の婚約者が……毒をあおったのだ。私と婚約をするぐらいなら、死んだ方がマシだったらしい」
幸いくだんの令嬢は一命を取り留め、令嬢は急病ということで、婚約は白紙となった。
だが、この一件はずっとライオネルの胸に棘として刺さったまま、抜けないでいる。
「つまり、あれか。ツェツィーリア様がお前との婚約が嫌で、自殺したらどうしよう、って不安なわけか」
「私は自分が情けない。こんな臆病者が、次期国王など……」
「お前、昔から思い切りが悪いもんなぁ。いやまぁ、うちの陛下は思い切りが良すぎるけど」
足して割ったら丁度良いのにな。と呟いたアインハルトは何気なく顔を上げ──目を大きく見開く。
「おい、待て、あれは……」
アインハルトの視線の先にあるのは、宮殿最上階のバルコニーだった。そこに、小さな人影が見える。
月明かりに照らされる長い髪は、美しい銀色だ。
「ツェツィーリア姫っ!?」
ライオネルが思わず叫んだその時──ツェツィーリアの華奢な体が、バルコニーの上で傾いた。
* * *
「ツェツィーリア様ぁ……っ、どこ、ですかぁ……っ」
ゼヒィ、ゼヒィ、と荒い息を吐きながら階段を駆け上ったモニカは、掠れた声でツェツィーリアの名を呼んだ。
だが、何度呼んでも返事は無い。モニカがいるのは、最上階の一つ下である四階。このフロアを探すべきか、それとも最上階に向かうべきか。
迷っていると、不意に息が詰まった。誰かがモニカの背後でローブの首根っこを掴んでいるのだ。
(──敵っ!?)
無詠唱魔術で攻撃を仕掛けようとしたその時、モニカの首根っこを掴んだ人物が低く囁く。
「まったく、世話の焼ける」
聞き覚えのある声にモニカが目を丸くしていると、その人物は引っ掴んだモニカをバルコニーの方へ放り投げた。
ふぎゃんっ、と悲鳴を上げてバルコニーを転がるモニカは、一つ上の階のバルコニーにいる人物を目にする。
風に揺れる長い銀髪、薄いガウンを羽織った華奢な肢体──。
(ツェツィーリア様……っ!?)
ツェツィーリアは酷く怯えた顔をしていた。何者かが、ツェツィーリアを追い詰めているのだ。だが、モニカの位置からはツェツィーリアの姿しか見えない。
ツェツィーリアは虚ろな目でバルコニーの手摺りを掴み、身を乗り出した。華奢な身体が手すりを乗り越えて傾く。
「そちらは任せましたよ、同期殿」
廊下から響く声を認識するより早く、モニカは無詠唱で風の魔術を発動した。
かつて、撃ち落とした翼竜を緩やかに落下させたように、ツェツィーリアの体は風に包まれ、羽のようにヒラリ、ヒラリとゆっくり落ちていく。
モニカはバルコニーから身を乗り出し、目を凝らして落下地点を見た。
丁度、ツェツィーリアの落下地点に向かって、猛突進してくる人物がいる。
(……あれは)
「ぬぉぉぉぉぉおおお!!」
突進する牛のごとき勢いで駆け寄ってくるのは、ライオネルだ。
モニカは風を微調整し、ツェツィーリアの体をライオネルの腕の中にそっと下ろす。
ツェツィーリアの華奢な体をライオネルはその太い腕で、軽々と抱きとめた。その光景を確認して、モニカはバルコニーに縋りつき、胸を撫で下ろす。
「ま、間に合ったぁぁぁぁ……」
* * *
〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターは、バルコニー下の光景に舌打ち一つして、踵を返した。
(何故、〈沈黙の魔女〉が起きている……! まさか、防御用の魔導具を所持していたのか?)
〈沈黙の魔女〉を始め、ツェツィーリアの部屋の前の護衛達には精神干渉魔術で強制的に夢を見せていた。
精神干渉魔術は非常に扱いが難しく、一歩間違えると被術者の精神に重篤な後遺症を残しかねない。故に、ヒュッターは細心の注意を払っていた。
彼は、ツェツィーリア以外の人間を傷つけたくなかったのだ。
(……ミア)
この国に来て、〈沈黙の魔女〉を目にした時、ヒュッターの頭をよぎったのは、亡き妹の姿だった。
薄茶の髪と、地味で素朴な顔立ち──瓜二つというほど似ている訳じゃない。
ただ、ミアと少し雰囲気が似ていて、年が近かった。それだけのことで、ヒュッターは馬鹿みたいに動揺して、近づくのを避けた。
あれはミアじゃない。リディル王国の七賢人〈沈黙の魔女〉──恐ろしく難易度が高いと言われている幻術を無詠唱で行使してみせた、規格外のバケモノだ。
(相手は無詠唱魔術の使い手……まともな戦闘になったら、私に勝ち目は無い)
走りながら、ヒュッターは考える。
ここから逃げてどこに行くというのだろう? ツェツィーリアの暗殺に失敗した彼は、もはやリディル王国と帝国両方のお尋ね者だ。
なにより依頼主のアッヘンヴァル公爵は、ヒュッターを生かしておかないだろう。口封じで殺されるのがオチだ。
(ならば、差し違えてでも……あの姫を殺す!)
ツェツィーリアに強めの精神干渉魔術をかけて、自らの喉をナイフで突きたくなるまで追い詰めてやればいい。
ヒュッターは戦場に出たこともあり、体術の心得もある。ツェツィーリアのように華奢な姫なら、首を小枝のようにポキリとへし折ることも造作も無い。
だが、ヒュッターは直接ツェツィーリアを手にかけるのではなく、かの偽聖女が自ら死を選ぶよう仕向けたかった。
妹のミアは、自ら選んでツェツィーリアのために命を投げ出したのだ。
ならば、ツェツィーリアにも自ら命を投げ出してもらわねば、釣り合いがとれない。
(苦しめ、苦しめ、苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで、最後は贖罪のため、その命を差し出せ!)
憎悪に顔を歪め、廊下を走るヒュッターは、前方に人影を見つけて眉をひそめた。
暗い廊下にボンヤリと浮かび上がるその姿は、黒いワンピースに白いエプロン。この城の侍女だ。
(くそっ、なんでこの階に侍女がいる……っ!)
必要以上に傷つける気は無いが、幻術を使う時間が惜しい。
「退けっ!」
ヒュッターは侍女に当て身を食らわせた……つもりだった。
だが、侍女は余裕のある動きでヒュッターの当て身をするりとかわす。
その時、ヒュッターの首筋がゾクリと粟立った。首筋に抜き身の刃を突きつけられたような、寒気が全身を支配する。
「人の恋路を邪魔する馬鹿は……」
眼鏡をかけた長身の侍女は、ヒラリとスカートの裾を翻して飛び上がった。
髪をまとめていたシニョンキャップが外れ、栗色の長い三つ編みがハラリと宙を舞う。
「私に蹴られて死になさい」
次の瞬間、ヒュッターは顔面に恐ろしいほどの衝撃を受けた。飛び上がった侍女が、ヒュッターの顔面に渾身の蹴りを叩き込んだのだ。
「ガッ…………!」
鼻血と折れた歯を撒き散らしながら床に倒れるヒュッターが、意識を失う直前に見たのは、八重歯をのぞかせた凶悪な笑顔と、殺意でギラつく灰紫の目だった。




