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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝7:帝国の銀月姫
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【13】日の目を浴びぬもの

 アウザーホーン宮殿に用意された一室で仮眠を取ったモニカは、あふぅと欠伸をしながらローブを羽織る。

 モニカはツェツィーリア姫の護衛だが、四六時中付き添っているわけではない。一応、時間ごとに区切りをつけて交代で護衛をしているのだ。

 ツェツィーリアは離宮でヴィルマ妃主催の、午後の茶会に参加している。ツェツィーリアが離宮からこちらの宮殿に戻ってきたら、モニカが護衛する番だ。

 時計を見ると、ツェツィーリアが戻るまで、だいぶ時間があった。ツェツィーリアが戻る前に、庭の見回りでもしておこうと、モニカは杖を手に部屋を出る。



 宮殿の外に出て、すこし歩くと、庭園の木の陰にちょこんと座って何やら作業をしている少女がいた。

 黒髪を大きなお団子にした、メイド服の少女──カリーナだ。

 彼女は手のひらサイズの木にナイフを当てて、何やら彫り物をしているらしかった。

 モニカはしばし迷った末に、おずおずとカリーナに声をかける。


「あの、こ、こんにちは……」


 どちら様? と言われたらどうしようかとモニカは内心ビクビクしていたのだが、カリーナは作業する手はそのままに、パッと顔を上げてモニカを見た。


「あっ、モニカちゃんだ! わっはー! モニカちゃんから声かけてくれたの、嬉しいなぁ嬉しいねぇ、えっへへ〜」


 声をかけた相手に無邪気に喜ばれれば、素直に嬉しい。

 声をかけて良かった、と胸を撫で下ろしつつ、モニカはカリーナの手元に目を向けた。

 平べったい木を削って作られたそれは、手のひらサイズの猫だ。くるりと弧を描く尻尾の曲線は、ナイフ一本で作ったにしては、なかなか見事である。


「木彫り、作ってたんですか?」

「うん、そう! あたし、仕事らしい仕事がないから暇なんだよねぇ。あっ、明日はちょっと仕事あるけど。それ終わったら、殆どやることないんだもん」


 ペラペラと喋りながらも、木を削る手は止まらない。指を切らないかとモニカはハラハラしたが、カリーナの手はスッスッと迷いなく動いている。

 木彫りの角を薄く削いで形を整え、猫の目と髭を刻むと、カリーナは木彫りを裏返してナイフで何やら記号のような物を刻み始めた。帝国の文字に羽根のモチーフを組み合わせた、不思議な記号だ。


「……それは?」

「んーっとね、あたしが作ったんだぞ、ってサイン。可愛いでしょ?」


 ナイフで刻んだとは思えない精緻な模様に、モニカはほぅっと感嘆の吐息を零した。木彫りそのものもそうだが、非常に美しい仕上がりだ。

 カリーナは木屑に息を吹きかけ、しみじみと呟いた。


「自分が作った物にサインを入れるのってさ、子どもの頃ちょっと憧れだったんだよねぇ」

「…………え?」

「あたしが生まれた土地じゃ、女は職人になれなくてさ。工房は女人禁制なの。あたしは男の子の格好して、手伝わせてもらったけど、それでも自分が作った物にサインを入れることは許して貰えなかった」


 それは帝国に限った話ではなかった。

 リディル王国では比較的緩和されてきたが、それでも鍛治場など火を使う分野では今も女人禁制の文化が残っている地域は少なくない。


「きっと、これからも、あたしは自分が作った物にサインはできないけど……でも、個人的に作った物ならいいよね、うん。それに、これはあたしのオリジナルだし……」


 最後の方はボソボソと聞き取りづらい声で呟き、カリーナはポケットから革紐を取り出した。

 そうして革紐を木彫りの小さな穴に通して結び、指先で摘み上げる。


「でーきた! はい、あげる」


 目の前に差し出された木彫りの猫にモニカが目を丸くすると、カリーナはニカッと歯を見せて笑った。


「モニカちゃんには、助けてもらったしね! リディル王国で初めてできた友達記念!」

「あ、ありがとうございますっ!」


 モニカは両手を椀のようにして、木彫りの猫を受け取る。

 そんなに大きい物ではないし、革紐がついているから、鞄につけたら丁度良いだろう。


「……えへ、可愛い」


 モニカが頬を緩めると、カリーナも嬉しそうに笑う。

 その時、表門の方で馬車の車輪の音がした。どうやら、ツェツィーリアが戻ってきたらしい。


「わ、わたし行かなきゃ……っ」

「そっかそっか、もっとお喋りしたかったけど、残念。お仕事頑張ってねー!」


 モニカは木彫りの猫をポケットにしまうと、カリーナに見送られながら、その場を後にした。



 * * *



 離宮の茶会から戻ってきたツェツィーリアは部屋の長椅子に腰掛け、ぼんやりと俯いていた。

 モニカが挨拶の言葉を口にすると、ツェツィーリアはか細い声で言う。


「〈沈黙の魔女〉様、一緒にお茶をしませんか」


 ツェツィーリアはいましがた茶会に行ってきたばかりである。

 それなのに、モニカを茶に誘ったということは、きっと話したいことがあるのだ。

 モニカが了承すると、使用人はすぐに茶の用意をしてくれた。

 部屋にはツェツィーリアとモニカの二人だけ。それ以外の衛兵は扉の外である。やはり、内密の相談があるのだと、モニカは気を引き締める。


「……〈沈黙の魔女〉様から見て、ライオネル殿下は、どのようなお人ですか?」

「へ?」


 ツェツィーリアの言葉にモニカは間の抜けた声をあげた。

 実を言うとモニカは、かの第一王子については、それほど詳しくない。第二王子なら、まぁまぁ詳しいのだけれど──なにせ弟子だし。

 モニカはうんうんと唸りながら、ライオネルについて考える。

 真っ先に頭に浮かんだのはやはり先日の夜会の、配慮の行き届いた立ち振る舞いだ。


「ライオネル殿下は……すごく、すごく、大人だと思います」


 もし、この場にルイスがいたら、もう少しマシなことは言えないのですか同期殿、と呆れそうなコメントであった。 

 だが、心優しいツェツィーリアはモニカに呆れたりはせず、小さく首肯する。


「えぇ、わたくしも、そう思います……とても優しくて、誠実で……」


 そこまで言って、ツェツィーリアは言葉を詰まらせた。

 儚い微笑みが、くしゃりと泣きそうに歪む。


「……わたくしでは、つり合わない」


 その一言は、か細い声なのに、酷く重い響きがあった。

 その重い呟きが内包するものを、モニカは知っている。

 これは、罪悪感や無力さに苛まれ、自分を責めて心をすり潰している人間の声だ……かつての、モニカのように。


「〈沈黙の魔女〉様……どうか、今だけ……弱音をお許しください」


 ツェツィーリアは両手で顔を覆い、掠れた声で懺悔する。


「わたくしは、聖女と呼ばれるような、素晴らしい人間ではないのです。兄はわたくしに、こう言いました。『お前には自分というものが無い。ただ太陽の光を享受するだけで、自ら輝くことはできぬ月のようだ』……と」


 帝国の銀月姫──その呼び名に秘められた真意は、残酷だ。

 モニカには、あの黒獅子皇の高慢な物言いが、容易に想像できた。

 あの恐ろしく我の強い黒獅子皇には、ツェツィーリアが自我の無い人形も同然に見えたのだろう。そして、ツェツィーリアはそれを自覚しているのだ。


「ライオネル殿下は、暖かい太陽のようなお方です。けれど、わたくしは……あの方の優しさや気遣いを享受する資格など……あの方の月になる資格など、ないのです……」


 顔を覆う両手の隙間から、シクシクと啜り泣く声が聞こえた。

 モニカは咄嗟に口を開く。


「あ、あの……っ!」


 モニカは、ツェツィーリアが何を抱えているのかを知らない。

 ただ、放っておけなかった。だから、何かを言わねばと思い……その衝動のままに、ぎこちなく言葉を紡ぐ。


「わ、わたし、ですね………………好きな、人が、いて……」


 啜り泣きの音が止まった。

 ツェツィーリアは顔を上げ、涙に濡れた目を丸くしてモニカを見ている。

 あぁ、自分は何を言っているのだろう、と内心頭を抱えつつ、モニカは言葉を続けた。


「もう、本当、わたしじゃ全然つり合わないんです。わたしが好きになったって、迷惑なだけだし………………でも」


 目を閉じ、想い人の姿を思い描く。それだけのことで頬が熱くなり、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 モニカは祈りの形に折り畳んだ指に力を込め、告げる。


「それでも……その人を好きだと思う自分の気持ちは……大事にしようって、思うんです」


 誰かを好きでいる自分を許すか、許さないか。

 メリッサは、許すも許さないも自分で決めろと言った。

 だから、モニカなりに悩んで、悩んで……そうして、雪山で自分の気持ちと向き合って、決めたのだ。

 自分の中にある、小さな恋心を許そうと。


「自分の気持ちを粗末にしてると、いつのまにか、大事な人がわたしにくれた優しさも粗末にしちゃうんだって、最近、思うようになって……ご、ごめんなさい、上手に言えないんですけど。その……えっと……知り合いのかっこいいお姉さんも言ってたんです。『自分の好きを誤魔化しても良いことない』って。だから、その、実践、してみようかと……」


 この想いが日の目を浴びることはないだろうと、モニカは思っている。

 きっと、叶わぬ恋だ。臆病なモニカには今以上のことなんて、とても望めない。

 それでも、自分の恋心を否定して、無かったことにするのはやめようと決めた。


 別れ際に、ポケットに忍ばせたガラス玉。

 あの、ささやかな「抜け駆け」は、その決意表明なのだ。


 自分に自信を持てないモニカは、ツェツィーリアに自信を持てだなんて言えない。

 それでもどうか、あまり自分を否定しないでほしいと願わずにはいられなかった。

 ツェツィーリアは優しい姫君だ。彼女を慕っている人間だって、きっといるはず。

 ツェツィーリアが自身を否定することで、そんな人達の好意を無下にするのは……きっと、悲しいことだ。

 モニカが指をこねながら、そんなことを考えていると、ツェツィーリアがポツリと呟いた。


「……その、好きなかたのお話」

「ひゃ、ひゃいっ」

「……教えて、もらえますか?」


 モニカは耳まで赤くなりながら、いつもの倍速で指を捏ねた。

 誰かに好きな人のことを話すなんて、初めてなのだ。

 モニカは、モニョモニョモゴモゴと唇を動かす。


「いつも堂々としてて……背筋がピンとして、ハキハキして、テキパキして……かっこいいです。わたしも、ああなりたいなぁって思ってたら……いつの間にか、目で追いかけてて……あのっ、すごくすごく尊敬しちぇまひゅっ!」


 最後はもう、過去最大級の噛み方であった。


「あの、あの……これ以上は……許してください……」


 羞恥心にフルフル震えながらモニカが懇願すれば、ツェツィーリアは目尻に浮いた涙を袖で押さえながら、小さく笑う。


「ごめんなさい、わたくし、こういうお話を誰かとしたことがないから……その、ちょっとだけ、楽しくなってしまったみたい」


 楽しくなった、という感覚はよく分からないけれど、ツェツィーリアが少しでも元気になったのなら嬉しい。

 ……が、なんだか自分だけ恥ずかしい話をしてしまったような気がする。

 モニカは不敬を承知の上で、ボソボソと主張した。


「じゃ、じゃあ、ツェツィーリア様も、話してくれないと……そのっ、不公平と、言いますか……」

「そ、そうですよね。わたくしったら……あぁでも、こんなお話、誰かにするの、初めてで……」


 モニカとツェツィーリアは赤面したまま見つめ合い、どちらからともなく、へにゃりと眉を下げて笑った。



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