【5】〈沈黙の魔女〉が見た夢は
モニカは夢を見ていた。
目の前にはテーブル。そこには食器がきちんと並べられている。
一人で食事をする時、大抵パンか木の実で済ませてしまうモニカは、わざわざ食器を並べたりしない。食器を並べるのは、アイザックが何かを作ってくれた時ぐらいだ。
「モニカ、ご飯ができたよ」
はっと顔を上げると、エプロンをつけたアイザックがこちらに歩み寄ってくる。
その手のスープ皿には人間の頭ぐらいありそうなエンドウ豆が乗っていた。
「今日は自信作なんだ。エンドウ豆のスープだよ」
果たして人間の頭ぐらいあるその球体を、エンドウ豆と呼んで良いのだろうか。
そもそもスープと言われても、肝心のスープが見えないではないか。
「ま、待ってください、アイク……それは……それは……っ」
青ざめ震えるモニカの前で、アイザックはスプーンでエンドウ豆をすくう。
小さなスプーンに奇跡のようなバランスで巨大エンドウ豆を乗せ、アイザックはスプーンをモニカに差しだした。
そうして料理上手な押しかけ弟子は、蕩けるように甘く微笑む。
「はい、あーん」
「無理、無理です……や……待って……待ってぇぇぇぇぇっ!!」
……というところで、目が覚めた。
(うぅ……ここ、どこ?)
重い瞼を持ち上げてみたが、目の前は真っ暗で何も見えない。
体はだるく、指先一つ動かすのにも気力が必要だった。おまけに頭が酷く重くて、思考がいつもより鈍っている。魔力が底を尽きたせいだ。
(そうだ……わたし、エンドウ豆に取り込まれて……その後、どうなったんだろう……シリル様と〈茨の魔女〉様は、無事?)
早くここから脱出しなくては。そう思うのに体に力が入らない。油断すると、また意識が落ちそうになる。
「おーい! おーい! モニカー! 聞こえたら返事をしてくれよー!」
エンドウ豆の蔓の向こう側から、ラウルの声が聞こえた。あぁ、彼は無事だったのだ。
彼の呼びかけに応えようと唇を動かしたものの、ヒュウヒュウと頼りない呼吸が漏れただけで、それは声にはならなかった。
(返事をしなきゃ……わたしはここです、って言わなくちゃ……)
意識とは裏腹に、どんどん頭が重くなり、辛うじて持ち上がっていた瞼はゆっくりと閉ざされる。
(……ダメ……ねむ、い……)
そうして再び、意識が沈みそうになった時、モニカは鋭い叱咤の声を聞いた。
「点呼には速やかに応えろ!! ノートン会計!!」
* * *
エンドウ豆に取り込まれたモニカを、どうやって探すか?
七賢人が一人〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグが提案した方法がこれだ。
「おーい! おーい! モニカー! 聞こえたら返事をしてくれよー!」
とにかく大声で呼びかけて、返事を待つ。極めてシンプルかつ原始的な方法であった。
暴れ狂うエンドウ豆は、ラウルの「ホワイトハリケーン一号」が抑え込んでいる。モニカを救出するなら今しかない。
だが、ラウルがどんなに呼びかけてもモニカからの返事はなかった。意識を失っているのか。
魔力欠乏症は、魔力量が多い人間ほど症状が重くなる。七賢人であるモニカは当然に一般人より魔力量が多いし、魔力が底を突けば、著しい体調不良に襲われるはずだ。
底を突いた魔力は時間が経てば少しずつ回復するが、魔力を吸うエンドウ豆に取り込まれている以上、回復が望めない……つまり、下手をすれば命に関わる。
えぇいと呟き、シリルはエンドウ豆に駆け寄った。
そうして肺いっぱいに息を吸い、腹の底から叫ぶ。
「点呼には速やかに応えろ!! ノートン会計!!」
焦るあまり口走ったのは、かつての彼女の呼び方。ラウルが「ノートン会計?」と不思議そうな顔をしている。
あぁ、やってしまった……と、居た堪れない気持ちでいると、頭上から虫の鳴き声より小さな小さな声が聞こえた。
「はぁ、ぃ……」
その情けない声を聞き間違える筈がない。モニカだ。
声が聞こえたのは、シリルの頭より少しばかり上の位置だった。目を凝らせば、エンドウ豆の蔓の間から小さな手が見える。
子どもみたいに小さなその手は、助けを求めて弱々しく揺れていた。
ギリギリでシリルの手が届く位置だ。
「見つけたっ!」
シリルは氷の槍で周辺の蔓を慎重に切り裂くと、モニカの手を掴んでグイと引き寄せる。
まるで土の中のカブのように、モニカの体はスポーンとエンドウ豆の中から飛びだし、シリルの上に落下した。その小さな体を抱きとめて、シリルは尻餅をつく。
「……シ、リル、さまぁ……」
腕の中からか細い声が聞こえた。目を向ければ、モニカは寝起きの子どもみたいな顔でぼんやりとシリルを見上げていた。意識が朦朧としているのだろう。目の焦点が合っていない。
「もう大丈夫だ」
シリルはモニカを抱えたままエンドウ豆から素早く離れた。
そうして距離を充分に取ったところで、ラウルが腕まくりをする。
「モニカは救出したし、もういいよな。じゃあ、これでおしまいだ」
ラウルは白バラの竜に、手のひらをペタリと当てた。
すると、エンドウ豆を締め上げていた白バラの竜「ホワイトハリケーン一号」を構成する蔓が、一瞬で膨れ上がる。
人が腕に力を込めた時、筋肉が膨れ上がるように、絡み合う白バラの蔓も膨張した。
バラの竜は太い腕を振るい、エンドウ豆を握り潰す。
力任せに握り潰され、ねじ切られたエンドウ豆は、血液の代わりに草の汁を滴らせた。
「引き抜け! 『ホワイトハリケーン一号』!」
白バラの竜はエンドウ豆をむんずと掴み、ゆっくりと地面から引き抜く。地に根をはった巨木を引き抜くかのように周囲の土が盛り上がり、ひび割れた。なんという膂力。
巻き込まれないよう、シリルがモニカを抱えて後ろに下がった頃には、エンドウ豆は完全に地面から引き抜かれ、動かなくなっていた。
ラウルはふぅっと額の汗を拭う。
「いやぁ、これで一件落着!」
「………………ほう?」
カラカラと笑うラウルを睨み、シリルは周囲を見回した。
当然だが畑は荒れ放題。おまけに巨大エンドウ豆と白バラの竜の残骸が辺りを支配している。
とてもではないが、一件落着には程遠い惨状である。
「これでよく一件落着などと言えたものだな」
「魔力付与した植物は、魔力が抜ければ勝手に枯れるから大丈夫大丈夫。土の浄化が済んだら、片付けは明日にして今日は帰ろうぜ」
「…………あぁ」
この後の片付けのことを思うと、疲労感がどっと押し寄せてきた。
シリルはため息を吐き、モニカを抱えたままその場にへたりこむ。
「なんだい、体力が無いなぁ」
あれだけの大技を使ったのに、ラウルはこれっぽっちも疲れている様子はなかった。
日頃から農作業をしているからだろうか。ラウルは端麗な美貌に不釣り合いな、立派な体躯の持ち主である。
引き締まった腕をシリルが羨ましげに見ていると、ラウルは手早く土の浄化を済ませて、少し離れた場所に放置していた荷車を軽々と引きずってきた。
「乗ってけよ。山の下までオレが荷車を引いていくからさ」
「……お言葉に甘えよう」
国の至宝とも言うべき七賢人に荷車を引かせ、あまつさえ乗せてもらうなんて言語道断……と、以前のシリルなら思っていただろう。
だが、今のシリルはラウルに遠慮しようという気持ちが、これっぽっちも湧いてこなかった。ついでにモニカを抱えて下山できる自信も無かったので、遠慮なく荷車に乗せてもらうことにする。
荷車は農具も積んでいるので狭いが、それでも二人並んで座るぐらいなら問題ないだろう。
シリルはモニカを荷車の縁にもたれるように座らせると、自分もその横に座り、モニカの体が倒れないように支える。
「大丈夫か?」
モニカに声をかけると、モニカはむにゃむにゃと口を動かした。
「……シリル様……今月の予算案はこちらです……学祭の業者は、こっちのリストに……」
どうやら〈沈黙の魔女〉は、生徒会の夢を見ているらしい。
なんとも懐かしい気持ちになりつつ、シリルは荷車にもたれて息を吐く。
やがて荷車がゆっくりと動き出した。ガタンゴトンと酷く揺れるが、それでもモニカが起きる気配はない。
「なぁなぁ、そういえばさぁ」
「なんだ」
ラウルは荷車を引きながら、首を捻ってシリルを見る。
「『ホワイトハリケーン一号』の材料にしたあのリース、綺麗な袋に入ってたけど、もしかしてプレゼント用だったのかい?」
「………………」
シリルが黙り込むと、ラウルはハッと何かに気づいたような顔をした。
「もしかして……オレへのプレゼント!?」
「待て」
「冬至前にリースをプレゼント! いいな、それってすごく友達っぽい!」
「誰が貴様に……」
言いかけて、シリルは口をつぐんでモニカをチラリと見る。モニカはまだ夢の中らしく、今は寝息の合間に数字を呟いていた。
シリルはモニカからプイと目を逸らして黙りこむ。
まだまだ体力が有り余っているラウルは、荷車を引きながらシリルに向かって喋りかけた。
「折角の友情の証をダメにしちゃってごめんな。うん、よし、今年はオレがとびきり綺麗なリースを作ってプレゼントするから、楽しみにしててくれよな! ……そういえば、シリルのリースには白バラを使ってたけど、白バラが好きなのかい?」
その呟きに返事はない。
ラウルが首を捻れば、土と草で汚れたシリルとモニカは互いにもたれて寝息を立てている。
「いいな、すっごく戦友っぽい」
ラウルは満足そうに頷き、寝ている友人達を起こさぬよう静かな足取りで歩きだした。




