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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝7:帝国の銀月姫
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【12】春の太陽

 ガラガラという馬車の車輪の音。

 その合間に、馬の嘶きと従者達の焦った声が聞こえた。


(……これは、夢だわ)


 夢の中で、ツェツィーリアは馬車の座席に座って震えていた。

 侍女達も震えあがっていて、その目に涙を浮かべている。ツェツィーリアも恐怖に泣き叫びたかった。

 それでも、聖女の体面を保つために、膝の上で拳を握りしめて、泣き叫ぶのを耐えていた。


 ……が、ツェツィーリアの薄っぺらい矜持など、死の恐怖の前では、まるで役に立たなかった。


 馬車が大きく振動して止まる。

 外で誰かの断末魔が響き、馬車の窓が赤く染まった瞬間、ツェツィーリアは耐えきれずに悲鳴をあげた。


『聖女を殺せ! アッヘンヴァルの血を根絶やしにしろ!』

『聖女様を守れ! この方はこの国の希望なのだ!』


 聖女を殺せという声と、聖女を守れという声。そのどちらも、ツェツィーリアを追い詰めた。


(いや、いや、もういや!!)


 泣き叫ぶツェツィーリアの目と鼻の先に、鈍く輝く剣先が飛び出す。馬車の外の刺客が、馬車に剣を刺したのだ。

 ここにいたら、死んでしまう!

 パニックを起こしたツェツィーリアは、まんまと刺客の狙いにはまり、馬車の扉に駆け寄った。外に逃げ出そうとしたのだ。

 ツェツィーリアが馬車の戸に手をかけた瞬間、一番幼い侍女のミアが、ツェツィーリアを突き飛ばす。


「姫様、ダメぇっ!!」


 ゾブリ、と剣が肉を貫く音がした。

 ミアの脇腹を抉ったのは、血に濡れた剣。


 そこからしばらく、ツェツィーリアの記憶は途絶えている。


 応援に駆けつけた騎士団のおかげで、刺客は皆、討ち取られた。

 だが、こちら側の犠牲はあまりにも多かった。

 馬車の内側も外側も、どこもかしこも血の海だ。何人かは応急手当てを受けている者もいて、その中に、ツェツィーリアを庇った侍女、ミアの姿もあった。

 ツェツィーリアがフラフラと近寄ると、手当てをしていた衛兵が沈痛な顔で首を横に振る。

 ……もう、助からないのだ。 


「ひめ、さま」


 ミアが血泡で汚れた唇を動かす。

 ツェツィーリアはミアのそばに膝をつき、泣きじゃくることしかできなかった。


「ミア……ミア……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 ツェツィーリアよりも幼い侍女は、苦痛に顔を歪めながら、それでも口の端を持ち上げて微笑んで見せた。


「……聖女、様を、お守りできて……、ミアは……誇らし、い……です」


 あぁ、あぁ、とツェツィーリアは震える手で顔を覆う。


(違う……違うの……わたくしは……!)


 ミアは聖女を守りぬいた誇りを胸に、死者の国に旅立とうとしている。

 そんな彼女に、どうして真実を告げることができるだろう。


(わたくしは……本当は、貴女達に守られる資格などないのです)



 * * *



 ツェツィーリアは寝台の上で勢いよく身を起こした。

 全身が寝汗でグッショリと濡れていて、心臓はバクバクと嫌な音を立てている。

 胸元を押さえて、荒い呼吸を繰り返していると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。

 ツェツィーリアは呼吸を整えながら、足音の方に目を向ける。

 心配そうにツェツィーリアを見ているのは、薄茶の髪の小柄な少女だ。


 ──おはようございます、姫様!


「……っ、ミ……ァ」


 一瞬、目の前の少女に、亡き侍女の姿が重なる。

 そうだ、彼女も小柄であどけない雰囲気の、素朴な少女だった。

 目を見開いて硬直するツェツィーリアに、目の前の少女──〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、おずおずと話しかける。


「おはようございます。えっと、大丈夫ですか、ツェツィーリア様……うなされて、ました」


 モニカは昨晩のドレスローブではなく、七賢人のローブを着て、杖を胸に抱いていた。

 昨晩、モニカに胸の内を吐露したツェツィーリアは、滞在しているアウザーホーン宮殿に戻り、ドレスから寝間着に着替えた後も、寝室でモニカと少しお喋りをしていたのだ。


『わたくしが室内に入った途端、周囲の視線が集まると……もう、頭から布を被ってしまいたくなるのです』

『わたしも、カーテンに潜ると、安心します』

『まぁ、ふふっ……わたくし、カーテンの中に入ったことはないのだけれど……落ち着くかしら?』

『すごくすごく、落ち着きます……ミネルヴァにいた頃は、そのままカーテンの中で寝ちゃって、教授に怒られたことがあって……』


 二人の会話は決してワイワイと盛り上がるようなものではなく、互いにポツリポツリと昔の失敗を語っては、小さく笑い合うようなものだ。ただそれだけのことが、ツェツィーリアには心地良かった。

 他国の人間に弱音を漏らすなど、と兄や教育係が見たら、きっと顔をしかめるだろう。

 それでも、他国の人間だからこそ、ツェツィーリアは弱音をこぼすことができた。

 だって他国の人間であるモニカは、ツェツィーリアに強く賢い聖女であることを望んだりしないのだ。

 国内では聖女であることを求められているツェツィーリアは、もう随分と長いこと、弱音を吐きだす相手に飢えていた。

 二人は夜更けすぎまで、ポツポツとお喋りをしていて……そうしている内に、ツェツィーリアが先にうとうとして眠ってしまったのだ。

 その間、モニカは寝ずの番をしてくれていたらしい。


「〈沈黙の魔女〉様、ごめんなさい……わたくしったら、先に寝てしまって……」

「いえ、わたし、護衛ですし。夜更かし、得意なので」


 眉を下げて笑うモニカに、ツェツィーリアは寝間着の胸元を握りしめ、ぎこちなく笑った。


「〈沈黙の魔女〉様、どうかもうお休みになって。わたくしは大丈夫ですから……」

「あ、はいっ、侍女の方に声をかけてきますっ」


 モニカはペコリと一礼して、扉に向かう。

 その背中にツェツィーリアは咄嗟に声をかけた。


「あの、〈沈黙の魔女〉様」

「は、はいっ! なんでひょうかっ…………あ」


 思い切り噛んだモニカが、口元を手で押さえて恥ずかしそうに俯く。


(あぁ、分かります……勢い余って噛んでしまうと、ものすごく気まずいですよね……)


 胸の内で呟きつつ、ツェツィーリアは小さく微笑んだ。


「……また、一緒にお茶を飲んでくださる?」


 モニカはパッと頬を赤くして「はいっ!」と何度も頷いた。



 * * *



 今日のツェツィーリアの一番重要な予定は、リディル王国第一王妃ヴィルマ妃との茶会だ。

 テーブルに座るのはヴィルマ妃と、その息子のライオネル王子、そしてツェツィーリアの三人だけ。

 極めて小規模な茶会ではあるが、だからこそツェツィーリアは緊張せずにいられなかった。これは、いわばヴィルマ妃との面談なのだ。

 ヴィルマ妃は、リディル王国と帝国の間にある小国、ランドールの姫君で、女ながら騎士団に混ざって剣を振り回していたこともあるらしい。

 今でこそ赤茶の髪をきっちりと結い、華やかなドレスを身につけているが、その体はドレスの上からでも分かるほど筋肉質だ。顔立ちも頬骨が張っていて、目つきが鋭く、息子のライオネルによく似ている。


「ツェツィーリア姫。先日の夜会は、楽しんでいただけましたか?」


 ヴィルマ妃はニコリともせず、そう切り出した。

 愛想笑いのない率直な物言いは、決してツェツィーリアを嫌っているからではなく、普段から誰に対してもそうであるらしい。いつもニコニコしている、第三王妃のフィリス妃とは大違いだ。

 そんなことを考えつつ、ツェツィーリアは微笑みながら模範解答を口にする。


「はい、素晴らしい時間でした。わたくしのために盛大な宴を催していただき、ありがとうございます」

「そうですか」


 素っ気ない言葉を返して、ヴィルマ妃は紅茶に口をつける。

 ツェツィーリアの隣に座るライオネルは、体調について言及したりはしなかった。

 昨晩、ツェツィーリアが疲れて早めに休んだことを、ヴィルマ妃に伝わらないようにするための配慮だろう。


(お茶会の後でこっそり、お礼を言わなくては……)


 ツェツィーリアは紅茶に口をつけ、味を確かめる。

 帝国でもよく飲まれている紅茶。馴染みのある味だ。これなら無難な感想を言える。

 まずは、昨日の夜会の話題にもう少し触れて、話題が尽きたら紅茶の話題を……と会話の流れについて考えていると、ヴィルマ妃がカップをソーサーに戻した。


「わたくしは、腹の探り合いが嫌いです。ツェツィーリア姫、率直に訊ねましょう」


 ヴィルマ妃の鋭い目がツェツィーリアを見据えた瞬間、空気が変わった。

 穏やかな春の午後の空気が張り詰め、重い威圧感がツェツィーリアの肩にのしかかる。


「貴女は、私の息子と婚姻の誓いを交わし、この国を背負っていく覚悟はおありですか?」


 ツェツィーリアが考えていた、無難で波風を立てない会話の流れ。それをヴィルマ妃は一刀のもと両断した。

 ヴィルマ妃の声は低く力強く、決して大声ではないのに、腹にズンと響くような重さと威圧感がある。

 その目は、ツェツィーリアの覚悟を問うていた……だが、なんと答えれば良いのだろう。

 ライオネルの元に嫁ぐことは、兄が決めたことだ。

 帝国の古代魔導具〈ベルンの鏡〉に選ばれた聖女としてリディル王国に嫁ぎ、人質になれ、と。

 ツェツィーリアにできるのは、ただそれに従うことだけだ。


(……でも……わたくしは……)


 ツェツィーリアは震える手で、キリキリと引き絞られるように痛む胃を押さえる。

 リディル王国に嫁ぐことを決めたのは兄だ。

 ただ兄に命じられて従うだけのツェツィーリアに、リディル王国を背負う覚悟なんて、これっぽっちもない。

 まして、ツェツィーリアは、周囲に隠していることがあるのだ。


(……わたくしには、人質の価値なんてないのに……)


 ヴィルマ妃の言葉に頷かなくては。そう思うのに、舌が震えて動かない。

 この場を誤魔化すための無難な言葉なら、いくらでも思いつく。

 だが、ヴィルマ妃はきっと、曖昧な言葉で誤魔化すことを許してはくれないだろう。


(……わたくし、は……)


 ツェツィーリアが黙って俯いて、どれだけの時間が経っただろう。

 突然、隣でゴクゴクと音がした。ライオネルが紅茶をぐっと飲み干したのだ。

 ライオネルはふぅっと息を吐いて、カップをソーサーに戻した。

 ヴィルマ妃が無作法を咎めるように片眉を持ち上げて睨むと、ライオネルはおおらかに笑いながら言う。


「これは無作法を失礼した、喉が渇いていたもので。実に美味い紅茶です。淹れたのは侍女のアンネマリーですね」

「ライオネル」


 ヴィルマ妃の咎めるような一言に、ライオネルは怯むことなく堂々と言葉を返した。


「茶会の席なのですから、まずは紅茶を味わわなくては、茶を淹れてくれた者に申し訳ない。そうでしょう、母上?」

「わたくしは、お前にも同じことを問いたいと思っているのですよ、ライオネル。お前はこの国を背負う覚悟ができているのですか?」


 ライオネルを睨むヴィルマ妃の目は、猛禽のように鋭かった。

 ツェツィーリアに向けた態度など、まだ甘かったのだと思わせるような、強烈な威圧感。それを全身から発するヴィルマ妃に、ライオネルは顔色一つ変えず言う。


「正直に申し上げましょう。私はまだ、王になる覚悟ができていません。自信が無いのです。私は剣を振り回すしか能が無い男だ。フェリクスやアルバートを王に望む者もいましょう」


 ヴィルマ妃の顔に、明確な怒りと不快感が滲んだ。

 だが、ヴィルマ妃が叱咤の声をあげるより早く、ライオネルが言葉を続ける。


「ただ、私はこの国を愛している。だからこそ、この国がより良いものとなるよう、最大限努力はしていくつもりです。この答えでは、満足していただけませんか?」


 ライオネルは穏やかにそう言って、ツェツィーリアにチラリと目を向ける。

 一瞬、ライオネルが優しく笑うのを、ツェツィーリアは見た。


「私の覚悟ができていないのに、ツェツィーリア姫に覚悟を問うのも、おかしな話でしょう。母上、まずは私が貴女に覚悟ができたと言えるまで、もう少し時間をもらえませぬか?」


 ライオネルの言葉に、ツェツィーリアは確信する。


(……違う)


 リディル王国では少し前まで、第一王子派と第二王子派が対立していたのだという。

 だが、第二王子派筆頭のクロックフォード公爵が失脚し、第二王子も王位継承権を放棄した。

 この状況でライオネルが王になることを拒んだら、国内貴族の意思は再びばらけ、対立構造が生まれるだろう。

 そのことを、ライオネルが理解していない筈がないのだ。


(この方はもうとっくに、王になるための覚悟を決めておられるのだわ)


 それなのに、覚悟ができていないなどと言ったのは、ヴィルマ妃の矛先をツェツィーリアから逸らすためだ。

 ヴィルマ妃も、ライオネルの狙いに気付いているのだろう。

 彼女は猛禽の目でライオネルとツェツィーリアを交互に見て、口を開いた。


「王には迅速な決断を求められることが、多々あります。悠長なことを言っていると、己の首を絞めますよ」

「これは手厳しい。では、母上に首を絞められる前に、腹を括るとしよう」


 ライオネルは白い歯を見せて笑い、使用人に声をかけた。


「すまないが、紅茶のおかわりを頼む! それと、実に美味い紅茶だったと、淹れた者に伝えてくれ」


 ライオネルの厳つい横顔を見ていたら、ツェツィーリアの胸に様々な感情が込み上げてきた。

 ライオネルは太陽のような人だ。

 全てを焼き尽くす黒い太陽のような兄とは違う、新芽を優しく照らす、暖かな春の太陽。


(なんて、眩しいお方なのでしょう……)


 ツェツィーリアの胸に込み上げてくるのは、感謝と憧憬。

 ……だからこそ、項垂れずにはいられない。


(わたくしなど、到底つり合わない)


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