【8】値踏みされる存在
モニカとメリッサが話していると、たまに近くをすれ違った人達がメリッサに声をかけていく。
どうやらモニカが思っていた以上に、メリッサは顔が広いらしい。メリッサに声をかける人々は、メリッサにとってお客様というわけだ。
「そういや、おちびがパーティにいるなんて珍しいわね? なんかあんの?」
「えっと、今日はツェツィーリア様の護衛で……」
どうやらメリッサは、ラウルからツェツィーリア姫護衛の件を聞かされていないらしい。
モニカが小声で事情を話すと、メリッサは扇子の装飾をいじりながら、意外そうに眉を寄せた。
「……ふぅん? あんたが護衛ねぇ……小耳に挟んだ話じゃ〈結界の魔術師〉が色々根回ししてたって言うから、てっきり、あの男が護衛をするもんだとばかり」
「ルイスさんが、根回し?」
「あの男、お姫様の滞在中は、第二王子と第三王子が城に来ないように根回ししたのよ」
「えぇっ!?」
モニカは思わず目を丸くした。
この場にいない第二王子──アイザックが「召致していないというより、寧ろ、来てほしくないんだろうね」と言ってはいたけれど、まさかそれが、ルイスの根回しによるものだったなんて。
「な、なんで……?」
「そりゃあんた、歳が近い若くて素敵な王子様に、お姫様が目移りしたりしないようにするためよ」
「そんな理由で……っ!?」
唖然とするモニカに、メリッサは薄く笑って肩を竦めた。
「馬鹿馬鹿しいでしょ。でも、笑えないことに前例がありまくるのよね」
「ぜ、前例……」
「特に第二王子はあの美貌でしょ。王位継承権を放棄してるけど、それでも妻になりたいって女はアホほどいるのよ。まぁ、その子達の気持ちも分かるわ。かく言うアタシも、クソ退屈な式典を、何度フェリクス殿下の顔を眺めて乗り切ったことか……」
噛み締めるようなメリッサの呟きを聞きながら、モニカは己の弟子のことを思わずにはいられなかった。
(アイクも、大変なんだなぁ……)
第二王子は王位継承権を放棄したが、彼に子どもができたら──間違いなく遠くない未来、王位継承権争いの火種となる。
アイザックもそれを分かっているからこそ、社交界から逃げて、モニカの家に入り浸っているのだろう。多分。
(もしかして、アイクが元気ないのも、そのことに関係してるのかな……)
国王は第二王子の正体を知った上で、国益を優先し、彼の存在を見逃してくれている。
だがもし、偽りの第二王子に子どもができたら?
国の未来を考えるなら、国王はアイザックとその子を秘密裏に処分することもありえる。良くて、国外追放だ。
だから、アイザックには普通の結婚も、普通の家庭も望めない。この国の未来を想うなら、彼は独身のまま生涯を終えなくてはならないのだ。
(もしかして、アイクには好きな人がいて、でも、その人と普通の結婚ができないから悩んでるとか……)
どうしたら、自分はアイザックの力になれるだろう。
モニカがうんうんと悩んでいると、ツェツィーリア姫を眺めていたメリッサがボソリと呟いた。
「ふぅん、あれが帝国の……あら、あのレースのストール良いわね。コルヴィッツレースじゃない」
メリッサが見ているのは、ツェツィーリア姫が肩にかけているレースのストールだ。
美しい花模様は、よくよく見ると花弁が妖精の羽にも見える。繊細で手の込んだ模様だ。
「……コルヴィッツレース? えっと、ランドールのレースとは違うんですか?」
「あんた知らないの? 帝国のコルヴィッツっていう一族が魔術式を織りこんでる、超高級レースよ。あれは、ちょっとした高級魔導具ね。『着る美術品』なんて言われてるぐらいで、簡単に手に入る代物じゃないわ」
糸で魔術式を織り込んだり、刺繍したりするのは、非常に難易度の高い技術である。ラナもローブの刺繍には酷く苦労していたものだ。
それをレース編みで再現するのが、帝国のコルヴィッツという一族らしい。
「そういや、今回の訪問にあたって、帝国側は手土産にコルヴィッツレースのべールを持参したらしいわね。国宝級レベルのやつ。いいなぁー、見たーい」
帝国側からの手土産の件は、モニカも少しだけ耳にしていた。
なんでもその手土産は非常に繊細な物らしく、その管理のためだけに専門家が同行しているとか。
(そっか、その手土産がコルヴィッツレースなんだ……)
コルヴィッツという単語が、モニカの頭に引っかかる。割と最近どこかで聞いた気がするのだ。
どこでだろう、とモニカが首を捻っていると、ツェツィーリア姫を眺めていたメリッサが扇子の陰でボソリと呟いた。
「それにしても、パッとしない女ね。コルヴィッツレースにインパクトで負けてんじゃない」
他国の姫君を相手に、とんでもない暴言である。
モニカはギョッと目を剥き、メリッサを見上げた。
「あのっ、でもっ、ツェツィーリア様は、すごくお綺麗な方ですし、堂々としてますし……」
「じゃああんた、あれがうちの国の未来の王妃になるって言われて納得できる? 王妃って、言ってみりゃ、この国の女の頂点よ」
モニカは言葉を詰まらせた。
ツェツィーリア姫の振る舞いは完璧だ。淑やかで上品、物腰も柔らかく穏やか。国王への謁見だって、しっかりこなしていた。セレンディア学園の授業だったら、きっと満点の出来栄えだ。
だが王妃になるには、それだけでは足りないのだとメリッサは言う。
「場慣れはしてるんでしょうね。まぁ、そつのない振る舞いではあるわよ。でも、致命的に華が無い。王太子妃にするには、ちょいと弱いわ」
華と言われて思い浮かぶのは、セレンディア学園時代に同じ生徒会役員だった美貌の令嬢ブリジット・グレイアム。
彼女はただ美しいだけでなく、賢く、気品があり、そしてなにより、もてなし上手だった。
ブリジットが学園外の客人達を相手にすると、客人達の空気が分かりやすくはなやぐのだ。
相手の好む話題を振って場を盛り上げ、それでいて決して流されることなく、必要な情報を集め、自分の目的を遂行する。微笑み一つ、視線一つで、相手の心を掌握する。ブリジットはそれができる人物だった。
一方、ツェツィーリア姫は非礼も失言も無いが、自分から何か話題を振るようなことは殆どなく、相手の言葉に大人しく相槌を打っていることが多い。消極的で受け身だ。
「あれは悪い大臣とか宰相とかの、言いなり人形になるタイプね」
「……そんな」
モニカは、なんだか悲しくなってしまった。
ツェツィーリア姫とは殆ど会話をしていないが、それでも穏やかで優しい人物だということは近衛騎士の言葉からも分かる。
ツェツィーリア姫には何の非もないのに、王太子妃になるというだけで、ここまで辛辣なことを言われなくてはならないなんて。
「わたしなんかより、全然ちゃんとしてるのに……」
ボソリと呟いたら、横から伸びてきた手に思い切り頬をつねられた。
モニカは涙目になって、メリッサを見上げる。
「お、おねぇひゃん」
「モニカちゅわぁん? アタシの前で『わたしなんか』って言ったらつねるって、前に言ったわよねーえぇ?」
「ご、ごめんなひゃい……」
メリッサはモニカの頬を解放すると、フンと鼻を鳴らした。
「王太子妃になるってのは、それだけ周囲から値踏みされるってことよ。七賢人も値踏みされる立場なんだから、社交界に出んなら腹括っときな」
「や、やっぱり、わたしも、値踏みされて……」
メリッサは赤い唇を吊り上げ、ニタァと邪悪な魔女の顔で笑う。
「その場の空気に流されて、はいはい頷いてたら、いつの間にか縁談が決まってるかもしれないわねぇ?」
先程のダリル子爵とのやりとりを思い出し、モニカはヒィンとみっともない声を漏らす。やっぱり社交界怖い。
俯き震えているモニカをニヤニヤ眺めていたメリッサは、ふと遠方に目を向けて「あら」と声を漏らした。
「〈夢幻の魔術師〉じゃない。へぇ、今回はあいつが帝国側の護衛なんだ」
「……〈夢幻の魔術師〉様?」
メリッサが見ているのは、ツェツィーリア姫を挟んで対角線上に佇む黒髪の男性だ。
年齢は三十歳ぐらいだろうか。眼鏡をかけた大柄な男で、どちらかと言うと武官のような雰囲気がある。
身につけているのは帝国式の礼服で、杖は所持していない。だからモニカの目には、その男が帝国側の使者にしか見えなかったのだ。
「あいつ、帝国じゃそこそこ有名な魔術師よ。腕の良い幻術使いで……」
そこまで言ってメリッサは口をつぐみ、何やら物騒な目つきでモニカを凝視する。
「ちょっと待った。あんた、〈夢幻の魔術師〉から挨拶されてないの?」
「さ、されてない、です……」
「はぁ!?」
メリッサの大声にモニカはビクッと肩を竦ませた。
そんなモニカの態度などお構いなしに、メリッサは眉を吊り上げる。
「普通は向こうから挨拶して、リディル王国側と協力体制で護衛するもんでしょうが! あんた、完っ全に舐められてんじゃない!」
「そ、そうなんですか?」
「ここにいるのが〈結界の魔術師〉だったら、絶対に向こうは挨拶してたでしょうね」
メリッサは鼻の頭に皺を寄せて呻くと、ピシャリと音を立てて扇子を畳んだ。
〈夢幻の魔術師〉を見る緑色の目は、ギラギラと物騒に輝いている。
「よし、一発かましにいくわよ」
「……へ? えっ?」
「七賢人が舐められてんのよ。黙ってられるか」
メリッサ・ローズバーグは、激怒するほどよく笑う女である。
白い歯を見せて獰猛に笑うメリッサに、モニカは心底震えあがった。




