【7】至急の用件
ツェツィーリア姫が到着した日の夜に行われた晩餐会は、非常に盛大なものだった。
それもただ盛大なだけではない。今回の宴はいつも以上に格式の高い催しで、参加者は国の重鎮など年配者が多かった。
モニカと同年代の参加者は、さほど多くはないこともあり、モニカの存在は非常に目立っている。
そうでなくとも、七賢人が一人〈沈黙の魔女〉は、社交界にあまり顔を出さないことで有名なのだ。今日の主役のツェツィーリア姫ほどではないが、モニカもそれなりに注目されていた。
(うぅ、き、緊張する……っ)
モニカはツェツィーリア姫から少し離れたところに控え、その動向を見守っていた。
今日のモニカは、ラナに作ってもらった濃紺のドレスローブを身につけている。
七賢人は、国から支給されている儀礼用ローブで参加しても、非礼には当たらない。
だが、今回はあくまでツェツィーリア姫の護衛としての参加なので、会場に溶け込む装いの方が良いだろうと配慮してのことだった。
光沢のある濃紺の生地のドレスローブは夜会向けに作られたデザインで、昼用のドレスよりデコルテの露出が多い。
その分、露出部分にはレースがあしらわれているので、下品にはならず、品良く仕上がっていた。
靴も前回の失敗を踏まえて、あまりヒールが高すぎない歩きやすい靴にしている。
人の多い夜会はやっぱり苦手だけど、ラナが作ってくれた服を着ていると、それだけで勇気が出てくる。
自慢の友達が作ってくれた、素敵な服に相応しい自分でありたい──そう思えるのだ。
(姿勢、姿勢……)
自分にそう言い聞かせつつ、モニカはツェツィーリア姫を見守る。
薄紫のドレスにレースのストールを羽織ったツェツィーリア姫の元には、リディル王国の要人達が入れ替わり立ち替わり足を運んでいた。
自分の祖父ぐらいの年齢の大物貴族を相手に、ツェツィーリア姫は上品に、そつなく振る舞っている。
晩餐会の前に行われた、国王の謁見でもそうだった。
ツェツィーリア姫は終始落ち着いた態度で、モニカみたいに躓きそうになったり、挨拶を噛んだりすることもない。
(わたしと一歳しか違わないのに、すごいなぁ)
密かに感心しながらツェツィーリア姫を見守っていると、「ごきげんよう〈沈黙の魔女〉殿!」と誰かがモニカに声をかけた。
目を向ければ、大柄な中年男性がモニカのもとに近づいてくる。
モニカはその人物の顔を記憶していた。以前、新作魔導具お披露目会の懇親会で、モニカに話しかけてきた人物。国内有数の鉱山所有者である、ダリル子爵だ。
モニカは意識して背中を伸ばし、口にする言葉を頭の中で一度唱えてから、口を開く。
「ご機嫌よう、ダリル子爵」
「おぉ、私のことを覚えていてくださったのですか! これは光栄ですなぁ、ははは!」
ダリル子爵は機嫌良く口髭を弄り、その大きな顔いっぱいに笑みを浮かべる。
「以前お見かけした時のお召し物も素敵でしたが、今宵のドレスローブも素晴らしい。フラックス商会の物ですか?」
「はい、コレット商会長に見立てていただきました」
「とてもよくお似合いですよ」
「ありがとうございます」
モニカにはルイスのように流暢な喋り方や、気の利いた返しもできないし、笑顔だってぎこちない。
それでもモニカは己にできる全てを振り絞り、失礼の無いようにと背筋を伸ばして言葉を交わした。
そんなモニカに、ダリル子爵は少しだけ声のトーンを落として言う。
「ところで〈沈黙の魔女〉殿、もし貴女さえよろしければ、今度、我が家の食事会にいらっしゃいませんか?」
予想外の誘いにモニカが目をパチクリさせると、ダリル子爵の笑みが深くなる。
「私の三番目の息子が、貴女と歳も近くてですね、とてもお似合いだと思うのですよ。息子はミネルヴァを優秀な成績で卒業しておりまして、魔法分野に明るく、魔導具工房を複数管理をしているのですが……」
なにやら予想外の話の流れに、モニカは顔を強張らせた。
モニカはあまり自覚していないが、魔法伯は国の重鎮。婚姻関係を結び、身内にすることができたら、確実にその家に箔が付く。それが魔導具産業で栄えている家なら、尚のことだ。
ダリル子爵の息子自慢を聞きながら、モニカはダラダラと冷や汗を流した。
(こ、こういう時って、どうしたら……えっと、えっと、えぇっとぉぉぉ……)
「息子も、エヴァレット魔法伯とは、是非一度話をしてみたいと申しておりまして……」
モニカが硬直してしまったその時、ダリル子爵の背後に一人の女が忍び寄る。
派手な薔薇柄のドレスを纏ったその人物は、そばかすの浮いた白い顔にニヤリと邪悪な笑みを浮かべ、真っ赤な唇を開いた。
「あぁら、ダリル子爵じゃありませんこと。ご機嫌よう」
ダリル子爵の背後でニコニコと──というよりニヤニヤと笑っているのは、四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグであった。
ダリル子爵は勢いよく振り返ると、血色の良い顔を青ざめさせて、一歩後ずさる。
「こ、これはこれは、四代目〈茨の魔女〉殿……」
「おほほほほ、ご無沙汰しておりますわぁ。ところで、先日差し上げたお薬は、いかがでしたこと?」
そう言ってメリッサは会場を見回し、とある貴婦人に目を留めて、意味深に目を細める。
「……盛り上がりましたでしょう?」
「あ、あー、うむ、その話はまたの機会に……」
ダリル子爵は気まずそうにメリッサとモニカを交互に見ると「私はこれで失礼」と言って、そそくさと離れていく。
「あの、お姉さん、今のは……」
「あのオッサン、あそこでお喋りしてる男爵夫人と不倫してんのよ。で、その男爵夫人と夜に盛り上がるお薬を、アタシに依頼したってわけ」
ニヤリと笑うメリッサは、実に悪い顔をしていた。
ダリル子爵には申し訳ないが、助かったことは事実なので、モニカはペコリと頭を下げる。
「えっと、ありがとうございます。助かりました」
「は? 助かった? 何が? そんなことより……」
哀れなダリル子爵のことを「そんなこと」と切り捨てて、メリッサは鋭い目でモニカを見据える。
どうやらメリッサには、ダリル子爵を追い払ってでも話したい、至急の用事があったらしい。
固唾を飲むモニカの顔を覗きこみ、メリッサは真剣な顔で言う。
「モニモニ、あんたさ……」
「は、はいっ」
「そのドレスローブ可愛いじゃない。どこの工房で仕立てたのか教えなさいよ」
モニカがポカンとしていると、メリッサはモニカのドレスローブの袖をつまみ、ふんふんと頷きながら細部を観察しだした。
「このレース、ランドールのレースでしょ。今、すっごい流行ってんのよね。ほら、レースに施された刺繍が細かくて可愛いじゃない」
「は、はぁ……」
「ローブにレースつけてくれる職人ってそうはいないから、自前でレース縫い付けるしかなかったのよね」
言われてみれば確かに、レースを使用したローブは珍しいかもしれない。
女性用のローブで、縁に少しだけレースをあしらった物ならたまに見かけるが、広範囲に幅広レースを用いた物は珍しい。
更にメリッサは目を輝かせて、モニカの腰の辺りを指さした。
「ほらここ、腰のところにギャザーをしっかり入れてるのも珍しいじゃない。魔術師のローブなんて、大体ストーンってしてるしさ」
「ギャ、ギャザー?」
「絞りよ絞り。あんた、分かんないで着てたの?」
メリッサはジトリとした目でモニカを見ると、腕組みをして息を吐く。
「世間のドレスローブなんて、大抵がゴテゴテ装飾がついたローブでしょ。でもこれ、シルエットがちゃんとドレスしてるじゃない。いいなぁー可愛いー」
ラナのデザインしたドレスが褒められれば、モニカも素直に嬉しい。
なにより服飾に疎いモニカは、いつもラナに「可愛い、素敵」しか言えないけれど、メリッサは更に細かいところまで言及して褒めてくれるのだ。
(お姉さんが褒めてくれたこと、ラナに伝えたいな。えっと、ギャザー、ギャザー……)
慣れない単語を頭の中で復唱していると、メリッサは何やら悪いことを思いついたような顔で、ニタァと口の端を吊り上げた。
そうしてメリッサは気取った仕草で扇子を広げ、粘度の高い蜂蜜のように甘ったるい声で言う。
「この間のおとぼけイタチどもの件で、シリル様からお礼にって素敵な絹織物をいただいたのよねぇ。流石シリル様だわぁ、もうほんっとに素敵な布なのよぉ。だからこれで、素敵なドレスローブを作りたくってぇ」
なるほど、とモニカが相槌を打つと、メリッサは何故か真顔になった。
「ちょっと。そこは『きぃー、羨ましい! わたしもシリル様におねだりしなくっちゃ!』でしょ?」
「…………へ?」
メリッサが何に呆れているのか分からず、モニカは首を捻った。
白竜を巡る騒動で、一番の功労者はメリッサだし、そんなメリッサにシリルがお礼を贈るのは何もおかしなことではない。
それにモニカはもう、素敵な上着を貰っているのだ。これ以上、何を望めと言うのか。
ところが、メリッサは眉をひそめて、ヤレヤレと首を横に振る。
「あー、駄目ね。全然駄目だわ、こりゃ」
「は、はぁ、すみません……」
「それで、そのドレスローブはどこで作ったの?」
メリッサの言葉に、モニカはパッと顔を輝かせた。
そうして少しだけ前のめり気味に言う。
「あの、これ……友達の商会で作って貰った物、ですっ!」
「友達? サザンドールの?」
「はいっ! フラックス商会っていって……」
モニカがラナの商会名と所在地を伝えれば、メリッサは満足気に頷く。
「よし分かった。近いうちに注文に行くから、あんたの友達に話通しときな」
「はいっ!」
四代目〈茨の魔女〉が来店すると知ったら、きっとラナも驚くだろう。
ラナが作った物が認められている──それが嬉しくてモニカはクフクフと頬を緩めた。