【3】七賢人若手三人衆会議
ツェツィーリア姫の護衛任務をルイスに言い渡された翌日から、モニカは王都に滞在を余儀なくされた。
ツェツィーリア姫の訪問まで、まだ日にちがあるが、護衛のための準備やら打ち合わせやら、やることは山ほどあるのだ。
一つ意外だったのは、今回のツェツィーリア姫の訪問にあたり、第二王子フェリクス・アーク・リディルが城に召致されていないという点である。
このことについて、アイザックはこう言っていた。
『召致していないというより、寧ろ、来てほしくないんだろうね』
モニカにはよく分からないが、裏で政治的な駆け引きがあったらしい。
そういうわけで、アイザックは今回、ネロと一緒にサザンドールで留守番をすることになっていた。
アイザックが何か抱え込んでいる様子だったことが、モニカには気にかかる。
だが、今のモニカは与えられた任務と真剣に向き合わねばならなかった。なにせ、帝国からの客人の護衛任務なのだ。
王都に到着したモニカが真っ先に向かったのは、〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトの屋敷である。
王都にあるオルブライト本邸は立派な屋敷で、通された応接間は高級感のある調度品が並んでいた。
「レイの家は、オレんちより新しくて、今時! って感じだな!」
モニカの横に座り、室内を見回しながら言うのは、同じ七賢人が一人〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグである。
今日の集まりは、七賢人若手三人衆(※ラウル命名)の集いなのだ。
ラウルの言葉に、二人の向かいの席に座る〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトが卑屈そうに顔を歪めた。
「れ、歴史でローズバーグ家に遥かに劣ると言いたいんだろう、そうだろう……同じ名門でも、ローズバーグ家に比べたら、うちなんて、先代で成り上がった金にがめつい一族だって陰で言われてるのを知ってるんだからな……がめついのは、ババ様だけなのに……うぅっ……」
「オレはレイんちみたいに、新しくて綺麗な屋敷の方が羨ましいぜ。オレんちって古い物を捨てられない家でさぁ。家具が軒並み骨董品なんだ。椅子一つ捨てるのに、おばあ様の許可がいるんだぜ?」
唇を尖らせていたラウルは、ふと思い出したように手を叩き、鞄をゴソゴソと漁り出した。
「あっ、そうだそうだ。今日は姉ちゃんから色々と預かってきたんだ。えーっと、まずはモニカにはこれ!」
そう言ってラウルがカバンから取り出したのは、小瓶が二つ。
どちらも白っぽい軟膏が入っているが、ラベルの文字が違う。
「塗り薬だってさ。片方は『ほぼ無臭で、そこそこ効く薬』で、もう片方は『死ぬほど臭いけど、すごくよく効く薬』だって」
「……そういう二択を用意するから、あの女は性格が悪いんだ……」
レイはジトリとした目で薬瓶を見ているが、モニカは素直に嬉しかった。
右手の傷はだいぶ良くなっているが、傷痕が無くなるまではしっかり薬を塗っておくよう、メリッサに厳命されているのだ。
「ありがとうございます、ラウル様。えっと、お姉さんに、よろしくお伝えください」
「うん、伝えとくぜ! でもって、レイにはこれ! 婚約祝いだってさ!」
ラウルが再び鞄を漁り始めると、レイは顔のパーツをギュッと中央に寄せた、なんとも言い難い顔をする。
「あの女が俺に、婚約祝い……だと?」
「えーっと……あったあった。ほい、これ!」
ラウルが差し出したのはガラス瓶に入った塩だった。
それも、ウリアと呼ばれる地域で作られる高級岩塩である。
塩の瓶を差し出されたレイは、歯茎を剥き出しにして呻いた。
「……『あのナメクジ野郎には、コレでもぶっかけときな』……ってことだろう、分かってるんだからな」
「すげぇな、レイ! 姉ちゃんが言ってた台詞、そのまんまだぜ!」
「ほら見ろ! あの女が、まともに俺を祝うはずなんて無かったんだ!」
レイが髪を掻きむしりながら、キィキィと喚き散らす。
レイとメリッサは、ほぼ同時期に七賢人になったのだが、どうやらモニカが想像している以上に微妙な関係のようだった。
レイの金切声が落ち着いたところで、モニカは控えめに訊ねる。
「あのぅ、レイ様。今日はフリーダ様は……」
「もう少ししたら来ると思う。今、皆をもてなすための菓子を作ってて……フリーダが作るケーキは、すごく美味しいんだ……」
視線を彷徨わせ、意味もなく横髪を弄るレイに、ラウルがニコニコしながら言った。
「フリーダといい感じなんだな!」
「い、いい感じ? いい感じの基準とはなんだ……? だけど、うん、うん……俺の人生基準でいくと、ものすごくものすごく、いい感じな気がするぞ……ふふ、ふふふふふ……そう、いい感じだ……」
レイの笑い方はなんとも陰気で不気味だが、確かに幸せそうだった。
いつも病的に青白い顔が、今はほんのりと朱に染まっている。
「この間は、フリーダと一緒に遠乗りに行ったんだ……これってデートだよな? この俺が、女の子とデート……くくっ、くふふふふ……」
「あれ? レイって、馬に乗れたっけ?」
「乗れるわけないだろ。フリーダが手綱を握って、俺が後ろに乗ったんだ」
ヴァルムベルクの女は、剣術だけでなく馬術も達者らしい。
レイを後ろに乗せて、颯爽と馬を走らせるフリーダの姿が目に浮かぶようである。
「しかも……しかも、散策中に、俺が転びそうになったら、フリーダが手を掴んでくれて……そのまましばらく、手を繋いで歩いたんだ……」
そこまで言ってレイはにやつく頬を両手で押さえた。
笑みを隠しきれていない口からは、ふひへへへ……と不気味な笑い声が聞こえてくる。
「手を繋ぐって、いいな……すごくいい……くふ、くふふ……」
好きな人と手を繋いで歩く。
それを自分に置き換えて想像したモニカは、自分に差し伸べられる指の細い手を思い浮かべ……
(………………。わぁーーーーー!!)
動揺に赤くなる頬を、両手で覆って俯いた。
そうして、ものすごく濃厚な夜の営みを聞かされたような顔で一言。
「それは……あの……すごくすごい、ですね」
「あぁ、すごくすごかった……くふ……」
繰り返すが、手を繋いで歩いた話である。
レイは意味もなく指を捏ね、ニヘニヘと笑いながら言った。
「お、俺は愛してるって、言葉にできないけど……それでも、愛してるって、伝えられるようになりたいんだ……だから……いつか、愛してるって伝わるように、手の甲にキスを……」
「失礼します。茶菓子をお持ちしました」
菓子を乗せた皿を手に、室内に入ってきたのは、短い金髪に鋭い灰色の目の長身の女性──レイの婚約者、フリーダ・ブランケである。
レイは顔を赤くしたり青くしたりを交互に繰り返しながら、フリーダを見た。
「い、今のっ、聞いて……」
「愛情表現の方法は人それぞれですし、形式にこだわる必要は無いかと思いますが、レイの誠意を嬉しく思います」
「あばばばば……」
「私の手が必要な時は、いつでもお申し付けください」
「おぼぶぶぶ……」
フリーダは菓子を乗せた皿をテーブルに乗せると、モニカとラウルに向き直り、一礼をした。
「ご無沙汰しております、〈茨の魔女〉様、〈沈黙の魔女〉様。まずは茶菓子をどうぞ、赤スグリのジャムを使ったケーキです」
フリーダはテキパキとケーキを切り分け始める。
ケーキはクッキーに似た硬めの生地で、赤スグリのジャムを挟んだ物だ。生地からは蜂蜜とシナモンの良い香りがする。
フリーダは「どうぞ」とケーキを勧めてくれたが、モニカはケーキを食べる前に、どうしてもフリーダに言いたいことがあった。
「あのっ、フリーダ様……」
「はい」
「こ、この間は……意地悪をして、すみませんでしたっ」
フリーダと初対面のモニカは、悪役令嬢としてフリーダに意地悪をした。
それを、まだきちんと謝っていないことが、モニカにはずっと心残りだったのである。
モニカが深々と頭を下げると、フリーダは怪訝そうに眉を寄せて首を傾げた。
「私は〈沈黙の魔女〉様に、意地悪をされた記憶が無いのですが」
なお、悪役令嬢モニカ・エヴァレットがしたことと言えば、扇子の影で不気味に笑った。ただそれだけである。
だが、あれはモニカにできる、渾身の意地悪だったのだ。
「わたし、すごく意地悪しました……本当に、すみませんでした……」
「まったく気にしていないので、どうぞお気になさらず」
フリーダのさっぱりとした返事に、モニカは思わず感極まったように目を潤ませた。
「や、優しい……あんなに意地悪したのに……」
「そうなんだ、俺の婚約者、すごく優しいんだ……くふ……」
ジーンと感動しているモニカと、クフクフ笑うレイ。
そんな二人に構わず、ケーキをぱくついていたラウルは、思い出したように塩の小瓶をフリーダに差し出した。
「これ、うちの姉ちゃんから、婚約祝い」
「塩ですか。私の故郷は海から遠いので、一昔前まで塩はとても貴重な物でした。ありがたく頂戴いたします。レイ、今夜のスープは期待していてください」
フリーダの言葉に、レイが「俺の婚約者が素敵!」と叫びながら床を転げ回る。
ルイス・ミラーが見たら「呪術師殿は、モップになられたので?」と言いそうな有様だが、この場にかの暴言の魔術師はいなかったので、その代わりにフリーダが淡々と「服が汚れますよ」とレイを嗜めた。