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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝:天高く豆肥ゆる秋
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【4】巨大エンドウ豆vsホワイトハリケーン一号

 気持ち良い秋晴れの空の下、北風よりも冷たい空気が辺り一面に立ち込めていた。

 シリルの前にそびえ立つのは、巨木のごとき成長を遂げたエンドウ豆。

 エンドウ豆は、その長い蔓を鞭のようにしならせてシリルを狙う。だが、その蔓がシリルを絡め取るより先に氷の矢が降り注ぎ、蔓を切り裂いた。

(えぇい、きりがない……!)

 シリルは早口で詠唱を続け、次の攻撃に備えた。

 魔力吸収体質のシリルは魔導具のブローチを外せば、すぐに消費した魔力を回復することができる。

 とは言え、無尽蔵に魔術を使い続けられるわけではない。魔術の連続使用はそれだけで体に負担がかかるし、集中力もだんだんと途切れてくる。

(それでも、休むわけにはいかん……っ)

 モニカのように無詠唱で魔術を使えたら、どんなに良かっただろう、とこういう時に強く思う。

 短縮詠唱が精一杯のシリルは次の攻撃に備えて、すぐに次の詠唱を始めなければならない。必然、呼吸が乱れる。

 ラウルの元に蔓が向かわないよう氷の壁を維持しつつ、氷の矢で自分に襲いかかる蔓を切り裂いて、エンドウ豆の攻撃を全てこちらにひきつける。

 言葉にすると単純だが、実行するには凄まじい集中力が必要だ。

 なにより、詠唱一つ間違えればその瞬間、敗北が確定する。その緊張感がシリルを焦らせ……視野を狭めた。

 氷の槍が正面の蔓を切り裂いた瞬間、足元から忍び寄っていた蔓がシリルの足に絡みつき、その細い体を持ち上げる。

「ぐっ……しまっ……」

 逆さ吊りになった瞬間、頭に血が上り、それと同時に体内の魔力が吸われた。それも凄まじい早さで。七賢人であるモニカの魔力を即座に吸い上げただけのことはある。

(それでも……まだ、私の魔力は枯渇していないっ)

 シリルは魔力吸収体質だ。故にエンドウ豆の魔力吸収攻撃を、少しだけ相殺できた。

 そうして生まれたほんの僅かな時間で、シリルは氷の槍を生み出し、己の足首を絡め取る蔓を切断する。

 ブヅリと蔓が切れると同時に、シリルの体は地面に投げだされた。

「……っ!?」

 運悪く畑から離れた傾斜に投げ出されたシリルは、受け身を取ることもできぬまま、ゴロゴロと傾斜を転がり落ちていく。



 * * *



 世の中には危険察知能力に長けた人間と、そうでない人間がいる。

 メリッサ・ローズバーグは自分が前者なのだと固く信じているので、巨大エンドウ豆を発見するなり道を引き返した。

 あれはまずい、すごくまずい。具体的に何がまずいって、自分が関わったことが親族の耳に入ったら、いよいよメリッサはローズバーグ家から追放されてしまう。

「アタシは何も知らなかったし、この山には森林浴に来ただけよ……えぇ、そうよ、アタシは何も知らないただの可愛い通行人」

 自分にそう言い聞かせ、メリッサはそそくさと山を下りようとした。

 その時、背後の茂みが大きく揺れ、人間が飛びだしてくる。より正確に言うと、転がり落ちてきた。それも、メリッサのすぐそばに。

「ぎゃっ!?」

 メリッサは短く叫んでその場を飛びすさり、転がり落ちてきた青年を凝視する。

 年は弟のラウルと同じぐらいだろうか。プラチナブロンドの長い髪を背中で束ねた線の細い青年だ。身につけている服から察するに、ハイオーン侯爵家ゆかりの人間なのだろう。

(やばいやばいやばい、侯爵家の人間にアタシの関与がバレたら……)

 青年がふらつきながら立ち上がった。綺麗な顔の青年だ。長いまつ毛に縁取られた青い目なんて、まるで最高級の宝石のよう!

(いやいや見惚れてる場合じゃなかったわ)

 侯爵家の人間に顔を見られるのはまずい。

 メリッサが慌てて日傘で顔を隠すと、青年はメリッサを気遣うような声で言った。

「お見苦しいところをお見せしてしまい、大変失礼いたしました。お怪我はありませんか、レディ?」

 淑女に向けるような真摯な声に、メリッサの心臓が跳ねる。レディなんて言われたのは、いつ以来だろう。

「え、えぇ、大丈夫ですわ……」

「それは良かった」

 メリッサは日傘の縁を少しだけ持ち上げて、青年の顔を見上げた。

 青年は気遣わしげにメリッサを見つめている。彼は真剣にメリッサの身を案じてくれているのだ。

「この辺りに人里は無かったと思うのですが……道に迷われたのですか?」

「オホホ、そ、そんなところですわ」

 弟の泣きっ面を拝みに来た、という本音は当然飲み込んでおく。

 メリッサは愛想笑いを浮かべつつ、チラチラと青年を観察した。

(やだ、すっごく誠実で真面目そうだわ。ちゃらんぽらんな、うちの男どもとは大違い……! ハイオーン侯爵家の方よね?)

 メリッサはここ数年ほど社交界から離れていたのでうろ覚えだが、ハイオーン侯爵には娘しかいなかった筈だ。だとすると、この青年はその親戚だろうか?

「あ、あの、貴方のお名前は……っ」

 メリッサが訊ねたその時、茂みがガサガサと揺れてエンドウ豆の蔓が伸びてきた。あれは、メリッサが肥料に細工をしたエンドウ豆だ。

 メリッサは「げげっ」という声を噛み殺し、甲高い声で悲鳴をあげる。

「きゃあ!」

「危ないっ!」

 青年はメリッサを背に庇い、短縮詠唱を口にした。氷の槍が襲いかかってきた蔓をズタズタに切り裂く。

(やだ素敵! アタシを庇ってくれた!)

 メリッサは日傘をギュッと握りしめ、そばかすの浮いた頬を紅潮させる。

 青年は鋭い目で前方のエンドウ豆を睨み据えると、メリッサをチラリと見て言った。

「ここは危険です。私が時間を稼ぐので、すぐに山を下りてください」

「え、えぇ、ありがとう。親切なお方!」

 できればもう少しこの青年と話していたかったが、ラウルと鉢合わせするのは気まずい。

 メリッサはくるりと踵を返すと、トクトクと高なる胸を押さえて走りだした。



 * * *



 赤毛の女が山道を駆け降りて行くのを見送りつつ、シリルは苦い思いを隠せずにいた。

(よもや、こんな山奥に一般人が迷い込んでくるとは!)

 冷静に考えれば、とても一般人とは思えない格好だったのだが、焦っているシリルはそんなことにまで気が回らなかった。

 ハイオーン侯爵領の人間に、危害が加えられるようなことがあってはならない。次期領主としての使命感を胸に、シリルはエンドウ豆と向かい合う。

(ここで食い止めねば、こいつは山を下りて人に悪さをしかねない……)

 なにより、モニカの身が心配だ。

 魔力が空になると、人間は貧血に近い状態になり身動きが取れなくなる。

 中には魔力が空になっても、元気に弟子を追い回して逆さ吊りにして煙攻めにする規格外の魔術師もいるのだが、そんなのは例外中の例外である。

(まだか、ラウル・ローズバーグ!!)

 ラウルが走り去っていった方角を睨んだシリルは、思わずその目を丸くした。

 エンドウ豆の背後から、巨大な何かが近づいてくる。

 緑色の蔓でできた巨体──それだけならエンドウ豆と変わらないが、「それ」は明らかにエンドウ豆とは別物だった。

 エンドウ豆が、ただ蔓を撚り合わせただけの不恰好な塊なら、「それ」は意味を持って造られた造形物。


 緑色の蔓が絡み合ってできた竜だ。


 形だけなら、翼を持たず二足歩行する地竜と似ている。だがその体に鱗はなく、太い足も胴体も、全てが絡み合った蔓でできていた。

 蔓には凶悪な太い棘があり、ところどころに白いバラの花が咲いている……あれは、全てバラでできているのだ。

「なんなんだ、あれは……」

 呆然とするシリルの目が、バラの竜の足元に見慣れた赤毛頭を見つける。

 おーいおーい! と笑顔で手を振っているのは〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグ。

「どうだい、カッコいいだろ!」

 ラウルはとっておきの玩具を披露するかのように、無邪気な笑顔であった。

 シリルは思わず詠唱を放棄して叫ぶ。

「なんなんだ、その奇怪な竜は!!」

「バラの花にオレの魔力を付与しただけだぜ!」

「魔力を、付与した、だけ?」

 ただ、魔力を流し込んだだけの一時付与では、精々草を少し動かすのが関の山。

 まして、元々は小さなドライフラワーのバラがここまで肥大化しているなんて、尋常じゃない。

(これが……国内最大魔力量の保持者……〈茨の魔女〉の本気……!)

 ラウルの先祖である初代〈茨の魔女〉はバラ園を要塞に変え、敵国の軍を滅ぼしたと言われている。

 シリルはそれを誇張された伝説だと思っていたのだが、目の前の光景を見ると充分にあり得るように思えた。

 初代〈茨の魔女〉の先祖返りと言われている美貌の魔術師は、白バラの竜を見上げて頭をかく。


「えーっと、名前は何にしような……白バラを使ったから……行け! 『ホワイトハリケーン一号』!!」


 極めて頭の悪い名前をつけられたバラの竜は、当然だが鳴き声一つあげない。

 バラの竜はその巨体で周囲の木々を薙ぎ倒しながら、地を滑るように移動して、エンドウ豆に肉薄した。

 エンドウ豆に知性があるのかは分からない。だが、確かにエンドウ豆はバラの竜を脅威と認識したようだった。

 或いはバラの竜に込められた桁違いの魔力に惹かれたのか、エンドウ豆はその蔓をバラの竜に伸ばす。

「甘いぜ!」

 ラウルが宙で指を振るう。すると、鋭い棘を持つ緑の尾がしなり、エンドウ豆の蔓をブチブチと引きちぎった。その巨体もさることながら、膂力が尋常じゃない。

 ラウルが叫ぶ。

「さぁ『ホワイトハリケーン一号』が押さえ込んでいる今のうちに、モニカを!」

「……どこにいるかは、分かっているのだろうな?」

 モニカがエンドウ豆に取り込まれて、だいぶ経つ。

 シリルには今、モニカがエンドウ豆のどこにいるかまでは分からない。

「…………」

「…………」

 ラウルは、ペチンと額を叩いた。

「いけね。そこまで考えてなかったぜ」

「貴様なんぞ絶交だ」


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