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雷子  作者: 三幸
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曹操軍襲来 中

曹操軍襲来 中



李典の視界に、人影が映りこんだ。

 その人影は、城壁から曹操軍を見下ろすように立っている。

 無人である新野城に誰かが残っているならば、それは――劉備軍。

 

李典「ん? あれは……」


諸葛亮「曹仁殿と李典殿とお見受けします」


 城壁の上に立ち、曹操軍を見下ろしていたのは孔明であった。


曹仁「誰だ?」


李典「分からん。投降する感じではなさそうだな」


諸葛亮「劉備軍から曹操軍にささやかな贈り物がございます」


曹仁「贈り物? 俺様が欲しい物は、えーと、えーと、くそ! 何で思い付かないんだ! いっぱいある筈なのに!」


李典「何者だ! 名を名乗れ!」


諸葛亮「次にまた会うことがあれば……その時に名乗りましょう……さぁどうぞ、お受けとり下さい!」


 城壁の上から劉備軍の伏兵が現れ、一斉に火矢を放つ。

 厳冬の空気は乾燥し藁や木で作られた家屋は瞬く間に新野を炎で覆う。

 曹操軍は悲鳴を上げて出口を探すが、密集した十万の兵は押し合うばかりで前に進めない。

 本来であれば出口を探すことなど難しいことではない。


 だが孔明のこの火計には出口を分からなくする仕組みがあった。

 それは魚油である。

 魚油を予め家屋の屋根に染み込ませてあったのだ。

 魚油は安価で、かつ人々の生活には欠かせないものではあったが、進んで利用されることはなかった。

 それは他の油よりも煙が多い特徴があったからである。

 

 魚油から立ち上る煙が視界を塞ぎ、油である為に延焼が早い。

 視界を奪われ、退路を塞がれる。

 それは曹操軍から正常な判断力を奪うには十分であった。


李典「これは! しまった! 曹仁! 退くぞ!」


曹仁「退くってどこにだよ!」


李典「くっ! どこに伏兵がいるか分からない! 新野には川があったな……曹仁、川を渡るぞ! あの眼前の劉備軍の先だ!」


 この場において李典だけが冷静な判断を出すことができたが、劉備軍が現れたのは退路を塞ぐ為の蓋であると、ここでやっと理解した。


曹仁「おう! 水で火を消すのか!? 流石だな李典!」


李典「違う! 川の付近はひらけている! 伏兵の心配もない!」


 曹仁の馬鹿な言葉に冗談で返す余裕のない李典だが、この時ばかりは火計に動じない曹仁に頼もしさを覚えた。


曹仁「お前等! 死にたくなかったら! 劉備軍を蹴散らして前に進め!」


李典「家屋を壊し道を拓け! 火は街道を広げれば死ぬことはない!」


 曹仁と李典は将兵を鼓舞し軍の収束を図る。

 曹操軍の兵は訓練の成果か、素早く略奪した物資を捨て李典の指示に従う。




諸葛亮「見事なものですね……流石は曹操軍の武将」


キョウ「先生、僕たちも避難しましょう。城壁への階段を塞いでいるとはいえこのままでは危険です」


諸葛亮「避難する前に少しお勉強をしましょう」


キョウ「こんな時に勉強ですか!?」


 キョウは驚いた。


諸葛亮「キョウ。何故、四方の門を開けたと思いますか?」


キョウ「え……」


諸葛亮「分かりませんか? それは風を城内に吹き込ませるためです。火は風を呼び込むことで大きくなります。魚油で出された多くの煙は煙幕となり視界を奪います。そして門を塞ぐ部隊は、退路がそこしか残されていないと錯覚させる為……」


キョウ「そこまで計算して……凄い……」


ただの火計ではなく、選んだ退路すらも孔明の計略通りであることに、キョウは心から感心した。



諸葛亮「この光景をよく見て下さい。特に敵武将である曹仁と李典を」


キョウ「敵将をですか?」


諸葛亮「死の恐怖に怯える兵に激を飛ばし兵を奮い立たせようとするあの姿。敵とはいえ美しいではありませんか」


キョウ「同じ状況で僕にあのような行動がとれるでしょうか……いや……無理だな」


諸葛亮「今は無理でもいずれ……ね。さぁ避難しましょうか」


キョウ「はい。城壁に避難する為の穴を用意してあります」


諸葛亮「ふふっ。ちゃんと指示通りにしているようですね」


 キョウと孔明は予め整えていた避難経路を辿り、伏兵達と新野城を脱出した。



諸葛亮「キョウは馬は得意ですか?」


キョウ「えっと……趙雲さんの手ほどきでそれなりに……」


諸葛亮「ではキョウに乗せていただきましょうか」


 孔明はキョウの馬に上がる。


キョウ「え……後ろじゃなくて前にですか?」


諸葛亮「いけませんか?」


キョウ「てっきり後ろに乗るのかと……」


諸葛亮「よいではありませんか。行きましょう」


 キョウは手綱を持つ為、孔明を抱きかかえる形で馬を進める。


キョウ「これで曹操軍も撤退しますね先生!」


諸葛亮「これで終わりではありません……曹操軍に地獄を見せるのはこれからです……」


 キョウの腕の中で、孔明は不敵な表情を浮かべた。




 全軍とはいかなくとも数千の兵をまとめあげた曹仁と李典は、門を塞ぐ劉備軍に襲い掛かった。

 曹仁は剛腕で劉備軍の兵を薙ぎ倒し、李典は曹仁が孤立しないように兵を動かし劉備軍を蹴散らす。


曹仁「俺様が曹仁様だぁあああ!」


 曹仁は猛る!

 その怒号は味方の士気を高め敵の士気を削ぐ。

 曹仁が勢いを保ったまま劉備軍を蹴散らすことができれば、挽回の機を見いだせる――

 李典がそう考えていた矢先に、劉備軍は撤退を始める。


曹仁「李典! あいつら逃げてくぞ!」


李典「ああ! 一時はどうなるかと思ったがこれで活路を見いだせる!」


 曹仁と李典は火計から脱出したことを互いに喜びあった。

 劉備軍の撤退によって川への道が開けたことを確認した曹仁と李典に、曹操軍の兵は次々と後を追う。


曹仁「あっちーーー! 火の粉が飛んできた!」


李典「喚くな曹仁! 川は直ぐそこだ!」


曹仁「ちっくしょー! 飛び込みてー!」


李典「ここで体制を立て直すのは不可能だ! この状況で劉備軍と戦うのは危うい」


曹仁「李典! この川そんなに深くないぞ! 渡ろうぜ!」


李典「曹仁! 勝手に行くなよ! くそ! しょうがない! 全く、とんだ貧乏くじだぜ!」


 曹仁と李典は浅い川をバシャバシャと音を立て渡る。曹操軍の兵も二人に続いた。




諸葛亮「ふふふ。行きましたか……ここからが本番ですよ。自然の恐ろしさをその身を持って知るが良いでしょう」


キョウ「先生……一体何が始まるのですか?」


諸葛亮「曹操軍撃退の為の大一番です。先ほどの火計はこの為の陽動でしかありません」


キョウ「火計が陽動!?」


 火計も退路も、曹操軍の渡河も孔明の掌の上。

 キョウは自分の理解を超えた計略にただただ驚きの声を上げることしかできない。


諸葛亮「見ていなさいキョウ」


キョウ「……」


 キョウは孔明の冷ややかな物言いに背筋を冷たくした。



周倉「張飛さん! そろそろですよ! 曹操軍が川を渡り始めました!」


 周倉は木の上から下にいる張飛に声を掛ける。

 周倉と張飛は川の上流で待機していた。

 川の上流ではせきをつくり、水を堰き止めていた。

 大きな石と木で堰き止められた堰を短時間で作ることができたのは、張飛の怪力があってのことだろう。


張飛「じゃあ! いっくよぉおおお!」


 張飛は堰の要である大木を、小柄な身体には似つかわしくない蛇矛で一刀する。

 要の大木が切られ、大量の水が一気に流れ出す。

 その水は周囲の土砂を巻き込み、物凄い勢いを保ったまま下流へと流れていく。


周倉「うわぁ……凄いや……」


張飛「うん……」


 放出された水の勢いに周倉と張飛は唾を飲んだ。




曹仁「李典! 後少しで渡りきれるぞ!」


李典「ああ! 渡り切ったら再編して立て直すぞ!」


曹仁「当たり前よ! この曹仁様がやられっぱなしでいれるかよ!」


 その時、ドドドドド! という大きな音が鳴り響いた……

 それは始めは小さい音であったが、確実に音を増して近づいてくる。


李典「曹仁! 走れ!」


曹仁「えっ……もう大丈夫だろ? 慌てなくてもいいんじゃね?」


李典「いいから走れ! このままでは死ぬぞ!!」


 李典は真っ青な顔で曹仁に怒鳴る。


 曹仁と李典……そして数千の兵達は川を渡り切ったころ……

 濁流が、曹仁を追いかけて来た曹操軍に襲い掛かる。



曹仁「俺様の兵が……」


李典「……」


 曹仁と李典は言葉を失う。

 阿鼻叫喚の絵が目の前の広がっていた。

 だが悲鳴や叫びは聞こえない。

 勢い良く流れる濁流の音がそれらを掻き消していたからだ。


 川を渡る途中の数万ともいえる兵が、茶色い濁流によって消えていった。

 曹仁達は、溺れもがく兵たちをを眺めることしかできなかった。


 新野にはまだ多くの兵達がいたが、洪水ともいえる水計に、やがて飲み込まれていくだろう。


 さらにジャーンジャーンという銅鑼の音が、新野の森から聞こえてくる。

 曹仁と李典は銅鑼の音の鳴る方に目を向けた。



関羽「世を乱す悪賊共め! この関羽が成敗してくれる! その首置いて逝け!」


 関羽が青龍刀を掲げ、兵を率い突進してくる。曹仁と李典は戦慄した。

 関羽の強さを知っていればこそだが――火計からの水計で多くの兵を失い疲労困憊の中、最も出会いたくない将が目の前に現れたからだ。



李典「曹仁! 退くぞ!」


曹仁「まだだ! まだ終わってねー!」


李典「曹仁! 俺たちは負けたんだ!」


曹仁「認めねぇ! 認めねぇぞー! クッソー! 李典お前の言う通りにすれば勝てたんか!」


李典「分からねえよ。今は一刻も早く退くぞ!」


曹仁「覚えてろよ! 劉備軍!」


 撤退途中、うねる濁流の対岸を、李典の視界が捉えた。

 趙と劉の旗を掲げた兵が新野を脱出する曹操軍を追うが、その兵たちの末路は……

 ――その光景を見た李典は兵に『すまない……』と心の中で深く謝罪した。


李典「この大失態……曹操様は許して下さるだろうか……」


 李典は撤退しながら敗北した「責任」をどう取るか考えていた。

 新野の曹操軍は趙雲と劉備の部隊に尽く刈られ、川を渡り切った数千の兵もまた、関羽によって命を失うこととなった。




キョウ「勝った……本当に勝った……」


張飛「だから言ったよねー。張飛が戦おうって言ったからだよー」


関羽「うむ、張の言う通りだ。しかしいまだに信じられん! 孔明軍師の神算、感服いたした」


劉備「孔明、初めて曹操に対して一矢報いた気がします! ありがとう!」


諸葛亮「これは序章にすぎません。劉備様の跳躍はこれからですよ」


関羽「はははは! それがしも忙しくなりそうですな!」


諸葛亮「しかし、これで曹操が荊州を諦めるわけではありません。此度の空城の計で新野城を失いました。今は劉表殿を頼りましょう。本当の戦いはこれからです」


キョウ「先生はなんて凄いんだ……軍師とはこれ程まで凄いのか。僕も先生のような軍師になりたい……」


キョウは孔明に対し憧れの感情を抱いた。


キョウ「僕は偉大な人を師に持ったのですね」


諸葛亮「そう言ってくれること、とても嬉しく思います。ではキョウ、最後の勉強に行きましょうか」


キョウ「え? まだ何かあるのですか?」


諸葛亮「ええ。最も大事なことです」


張飛「ええー孔明さー兄ちゃん独り占めばっかずるいよー」


劉備「飛ちゃん。今は駄目」


 劉備は何かを察したのか張飛を止める。


張飛「……」


 張飛も劉備に止められ、孔明がキョウに何を教えようとするのか察した。


キョウ「どうしたんです?」


 静まり返る仲間にキョウは言う。


関羽「いいから早く行け」


キョウ「わっ分かりました。先生行きましょう」


諸葛亮「では行きましょう」


 孔明は低い声でキョウに応える。



キョウ「何処に行けばよろしいですか?」


諸葛亮「新野に……」


キョウ「新野に? まだ何かあるのですか?」


諸葛亮「行けば分かります」


キョウ「はぁ……」




 新野の門に来たキョウ達は焼け焦げた城と家屋を眺める。


キョウ「激しい炎でしたからね。これを復旧するのは大変だ」


諸葛亮「キョウ。あれを見て下さい」


 諸葛亮は黒い何かを指さした。


キョウ「あれ? 何だろう……」


諸葛亮「あれは曹操軍兵士の焼死体です」


キョウ「!」


 初めて焼死体を見たキョウは強い衝撃を受けた。

 気付かなかった……散らばる黒い棒のようなものは、家屋の支柱が墨化したものだと思っていた。

 よく周りを見渡すと、人の形をした黒いものが至る所にある。

 焼け焦げた遺体は黒く、ところどころ皮膚が焼け破れ、赤身を剥き出していた。


諸葛亮「敵とはいえ帰るべき場所があり家族もいる。そう……決して死んではならない者達も戦に敗れれば全てを失います」


キョウ「……」


諸葛亮「兵の多くは民百姓の出が多く本来であればここにいるべき者達ではありません。ですが彼らはここに来た……そう誰かを殺しに……誰かの何かを奪うために……」


キョウ「先生……僕は……」


諸葛亮「何も答えなくて結構です……キョウは私のことを凄いと言ってくれました」


 孔明はキョウにもたれ掛かる。

 背中を合わせるように孔明は重心をキョウを押すように体重をかけた。


諸葛亮「今日、私は万の人命を奪いました。ですがそうしなければ他の万……もしくはそれ以上の命、生活が奪われるかもしれないからです」


キョウ「……」


 背中合わせで孔明の顔を見ることができない。

 何故、孔明はそんな形でキョウと話すのか。

 それは孔明自身が、キョウにどのような顔をして話して良いものか分からなかったからだ。


諸葛亮「キョウ。この光景を目に焼き付けなさい。この光景は明日は我が身となるかも知れないのですから……」


キョウ「それは……」


諸葛亮「川の下流に一人で行きなさい。そこで何を想いどうするか決めなさい」


 諸葛亮はそう言って立ち去る。

 キョウはどうしていいか分からなかった……安易に凄いと孔明を褒めたことが孔明を傷つけたのではと……。

 キョウは孔明の指示に従い、川の下流に向かった。

 

 下流では曹操軍の水死体で溢れかえっていた。

 泥に埋もれ手足がだけが見えるだけの死体も沢山ある。

 キョウは何故か死体が最も多い場所に足を運び立つ。



キョウ「張飛に会って……初めて人を殺した。やらなければ殺される……そんな世界。命を奪う戦争が正当化される世界……そんな世界で僕は一体何ができるんだ」


 キョウはここで何故、孔明がここに一人で向かえと言った意味を理解した。


 そう『逃げるなら今だ』と機会を与えてくれたのだ。


キョウ「僕が出来ること……違う僕が望む世界……みんなが笑って暮らせる世界。そんな世界がもし実現させることが出来たならどれだけ素敵なことだろう」


キョウ「その可能性は……いや確率? 違う。僕は出発点にさえ立っていない。確率云々で物事を測る卑怯者じゃ駄目だ! どこまでも可能性を信じ、可能性を確信に変えなくてはならないんだ!」


キョウ「戻ろう……僕が自分を嫌いにならない為にも……」


 キョウは先ほど孔明にもたれ掛られた時に『何て軽いんだろう』と感じた。

 その軽いと感じた孔明の綺麗な手は、将兵を死地に向かわせる。

 その眼は命の概念に捉われることはなく、戦う為に思考し研鑽し続ける。


 そんな孔明にキョウは『孔明にも幸せになって欲しい』と願った。

 孔明からの指導は非常に充実しており、楽しいものであり、キョウに向ける笑顔は裏表のない優しい顔だ。

 

 何が孔明を……いや何が人を争うことをやめさせないのか。

 その理由は人によって捉え方が違う。

 争いは人の本質だと言い切ってしまうこともできるが、それを理由に何もしないことは違うと、キョウは心の中で強く感じた。




趙雲「キョウ。ここで何をしている」


キョウ「趙雲さん」


 キョウは自問自答に集中していたため、趙雲が近くに来ていたことに気づかなかった。


キョウ「実は先ほど……」

 キョウは孔明とのやり取りを話す。




趙雲「そうでしたか……それでキョウはどうする?」


キョウ「僕は戻ります。劉備軍に」


趙雲「ふふ。その答えを聞けて自分は嬉しい。みな同じことを思うでしょう」


キョウ「趙雲さんはどうして……すみません……なんて聞いたらいいか……」


 キョウあの惨状を目の当たりにし、それでも劉備軍に身を置くことを選んだこと。

 趙雲はそれを嬉しいと感じたが、自分はキョウに対して伝えなければいけないことがある。

 これから自分が行う行動を目の当たりにしても、

 キョウが抱き続けたであろう自分への印象が反転してしまうにしても。


 趙雲は、キョウの「どうして」という言葉に対して、返答をする。


趙雲「自分は何故、ここにいると思いますか?」


キョウ「え……劉備軍にという意味ですか?」


趙雲「いいえ。この死体が無数にあるこの場にという理由です」


キョウ「それは……敵兵と言えど人であって……」



趙雲「死体から身ぐるみを剥ぐ為です」


キョウ「!」


趙雲「武器である銅や鉄は新たに再利用する為。使えるものは何でも使う。それは生死の概念以上に汚くみえることでしょう」


キョウ「どうしてそんなことを……すみません。必要なことだからですね」


趙雲「そう。物資が足りないのであれば充填しなければなりません。綺麗ごとだけで物事は進まない」


キョウ「はい……」


趙雲はキョウの理解が思いのほか早かったことに、安堵する。

逃げるなら、拒絶するなら、今でもよかったのだが。

キョウはこの光景を見ても、劉備軍に身を置くことを選ぶのだろう。

趙雲はそう考え、話題を転換する。



趙雲「少し話を変えようか。新野の曹操軍を見たな」


キョウ「はい。黒焦げになった曹操軍です」


趙雲「敵は十万。万の兵が水計で亡くなり、逃亡兵も自分と劉備様の部隊に多く討たれた。しかし、火計で死んだのはそれ程多くはない。これ程の短期間で十万の兵全てを打ち負かすことは不可能」


キョウ「全然、気付きませんでした……では他の曹操軍は一体何処に……」


趙雲「自国を目指し逃亡しているでしょう」


キョウ「では、またその兵がいつか攻めてくるのか……」


趙雲「その可能性は低い」


キョウ「何故です?」


趙雲「劉備様の勝利は劉表軍に伝わっている。劉表軍から曹操軍への追撃があるだろう。だが、それでもまだ多くの者は生き延びることになる……だが自国に到着する者は僅か」


キョウ「え?!」


趙雲「新野から曹操の治める場所に少なくとも二十日はかかる。劉表軍の追っ手を躱す為、山道を進み水も食量の蓄えもないまま進むことは困難を極める」


キョウ「それが負けた者達の末路ですか……」


趙雲「割り切れとは言わない。だがそうしてでも戦い、劉備様の治める世を現実させねば戦乱は長くなるだけなのだ」


キョウはこの日、敗北した者の末路を目の当たりにした。

生きたまま火計に呑まれ、焼死体となった者。

水に呑まれ、溺れ死んだ者。

濁流の中で手足がちぎれ、原型を留めていない者。

そしてこれから、退路の中で飢え死ぬ者。凍死する者。


劉備軍に身を置くということは、敵軍の「死」と向かい合う続けることだ。

キョウはそれを理解していながら、劉備軍に戻ることを伝えたが。


キョウ「何をもって僕は……劉備軍に残ると決めたんだ……」


絞り出した疑問は、趙雲に向けた言葉ではない。

自分自身に対してぶつけた、感情の吐露である。



趙雲「人はそれを義憤と呼ぶ」


キョウ「義憤……」


趙雲「そう。キョウに義の心があるからこそ残ると決めた。誰もが乱世が終わることを望んでいる」


キョウ「はい」


趙雲「では戻りなさい。自分はここで回収出来る物資の物量を見極めてから戻る」


キョウ「分かりました」



この日、キョウは多くのものを目にした。


そして、自分があまりにも甘い思考をしていた、そう痛感した。


しかしキョウは己の意志で戦うことを選んだ。

仲間達が、キョウの戻りを待っている。


劉備たちに自身の意思を伝えるため、キョウは自らの足で歩きだした。

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