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大立回り

 血相変えた由真の顔を見て最初に思ったのは、刃傷沙汰か娼妓の足抜けかということだ。

 先月、泰嘉(タイカ)楼の上朧(じょうろう)だった霧香(キリカ)が、客との情のもつれから頬に刀傷を負わされた。幸い命は助かったものの、美しかった顔には消えない傷が残り、霧香はひっそり尼寺にこもったという。


 足抜けと刃傷沙汰はどこの娼家でも頭の痛い問題だ。だからこそ藍那のような用心棒稼業が食いっぱぐれないのだが。


「どうしたの?」

「大変なんです! し、し、紫園さんが」


 あいつか。昨日奉公に来ての今日、いったい何をやらかしたというのか。そのとき中庭の方角から、


「悪いと思っているなら、それなりの態度で示してもらおうかっ!」


 とがなりたてる男の胴間(どうま)声が聞こえてきた。かなり訛りがきついが、どうやら北方からのおのぼりさんらしい。


 天星羅アストラを手に由真の案内で中庭に出ると、屈強な男が三人、いずれもややあか抜けない単衣に大振りの太刀を腰に下げている。そのうちの一人が首根っこを押さえ、地べたに這わせているのがかの紫園で、まるで悪さをしてつかまった野良猫だ。


 こめかみに青筋を立てた男を前にして、楼主の杷萬(ハマン)は落ち着いたものだ。酒樽を抱えた狸の置物そっくりな風貌と体格は、まさに彼の本質をよくあらわしている。

 強面の男三人を前にしても眉毛ひとつ動かさない。なにを考えているか窺えぬ得体の知れなさがあった。もっとも、これくらいで狼狽(うろた)えていては妓楼の主などとても務まらない。


「たしかにうちの下男に粗相があったことはお詫びいたします。しかし、遊び代を踏み倒すのは感心致しませんな」

「きさまっ! 踏み倒すとはなにごとかっ! 武人にとって刀は魂、その刀をこのような(けが)らわしいものが触れて、詫びひとつ入れぬとは、我らを愚弄するか!」


 真ん中のどうやら立場が一番上らしいひげ面の大男が、そう言って鞘の先で紫園の後頭部を打った。ごつりと音がして紫園が呻く。藍那の隣で見ていた由真が


「ひどい」


 と小声で呟いた。


「ですからこちらとしてはそのお詫びとして、遊び代は半分でよろしいと申し上げているのです。それでも気に入らなければ、その下男をどうぞお心ゆくまで打ちすえて下さい。ただし残り半分の遊び代は、きっちり払っていただかないと困ります」


 腰は低いが杷萬の口調には有無を言わせぬものがある。それで藍那にも客たちの真意が見えた。

 なに、最初から遊んだ金など踏み倒すつもりだったのだろう。派手に飲み食いして娼妓を抱き、ではお代をというときに何かしらいちゃもんをつける。

 いいだけ凄んで相手が折れてくれたらしめたもの。遊び代は踏み倒し、なにかしらの手土産までもって出ていくという算段だ。いかにも手口がこすっからい。

 

 このような妓楼では、刀剣のたぐいは帳場で預かるのがしきたりだ。今の話から察するに、どうやら紫園が彼らの剣を無断で持ち出し、それを咎められた。彼らはそこにつけ込んで、こうして支払いをごねている。

 もちろん非は紫園にある。だからといって遊び代をまるっとただにしてやる謂われもない。


 たとえ腹いせに紫園を切り刻んだところで、杷萬はもらうものはきっちりともらう。客たちにしてみれば、紫園をどうしたところで払う金がないのだから、にっちもさっちもいかないのだ。

 あくまで動じない杷萬の態度とは対照的に、男たちの方に焦りと苛立ちが見えてきた。正当な理由もなく遊び代を踏み倒せば、どうなるかは彼らとて知っている。


「楼主! きさま、我々を田舎者だと思って馬鹿にするかっ!」

「とんでもございません。どちらからいらした方も、私どもには大切なお客さまでございます」

「ではおぬしの望みどおり、この男の首をいまここで落としてやる」


 刀を抜かんばかりの殺気だった形相に、藍那は今が潮時と杷萬の前に出た。


「まあまあお師匠さん。せっかくの業もの、こんなところで抜いてつまらない男の血で汚すこともないでしょう。下男はこちらでしっかりしつけ直しますので、ここは残りのお代を払って、丸く収めてくれませんかね」

「なんだ、きさまは」

「この(うち)の用心棒をやっております、藍那と申します。以後、お見知りおきを」

「なんだ、この楼は。小娘を用心棒にやとっておるのか」


 あからさまな愚弄の表情に、間違いなくおのぼりさんだと確信した。この界隈で金亀楼の用心棒、藍那の名前を知らぬものはいない。いや帝都に住む剣客で藍那の名前を知らなければ、そいつはモグリかよほどの世間知らずだ。


「嬢ちゃん、あんたの出る幕じゃねえんだ。ちゃんばらごっこなら余所でやんな」

「そちらこそ、まさか最初から払う金もなくて、こちらでお遊びになったわけじゃありませんでしょう。せめて半分なりとも耳を揃えて払うのが、そちらさんの度量の見せどころではありませんか。でなければ、出るところに出てもらうことになりますが」

「きさまっ! 下手に出ておればつけあがりおって!」


 いったいどこかどう下手に出たのかと訊きたいが、いつの間にか杷萬と由真たちは後方に下がっていて、ことの成り行きを見つめていた。

 彼らだけではない、男衆や下女、そして娼妓たち。中庭に面した廊下には、暑気除けに草網細工の(すだれ)をかけている。その隙間から多くの視線が注がれているのが分かった。


 おりしも帝都の大聖堂、曾妃耶(ソフィア)寺院の鐘楼が十一時を告げる。泊まりの客たちのほとんどはとうに色街を後にしており、残ったのは彼らだけであろう。ならば遠慮は要らない。

 男たちから目をそらさず、藍那は右手の指を背に向けて鉤に曲げた。背後の杷萬に由真といっしょになかに入ってくれという合図だ。ここから先は由真にはあまり見せたくなかった。


「それではどうでしょうか。この私に勝てたなら遊び代はちゃらにいたしましょう。ただし、負けた場合は身体で払ってもらうことになりますが」

「よかろう、お前たちは下がっていろ」


 大男が命じると、後の二人が距離を置く。首根っこをつかまれていた紫園は放り出され、それをすかさず男衆の一人が引きずって藍那の後ろへと動かした。


 男が太刀を鞘から抜く。呉鉤剣(ウーゴウ)と呼ばれる刃先が膨らんだ東洋式の曲刀。大根みたいな太さの柄といい、牛を解体できそうな白刃といい、とうてい並みの男には扱えぬ代物で、この男の膂力(りょりょく)のすごさが分かる。


 対する藍那の天星羅(アストラ)は剣としては小ぶりなつくりだ。こちらも鞘を抜き、天星羅の(つか)を逆手に持つ。鼻先まで近づけ、そろえた人差し指と中指――剣指を立てた左手をそっと添えた。合掌にも似た構えを、初めて見るものは必ず奇妙に思う。


「なんだその構えは。どこの大道芸だ」


 せせら笑う男の構えは飛燕。深く腰を落とした構えは、たしかに重い太刀を使うに適している。構えに隙はない。おそらく腕には相当の自信があるのだろう。

 熊のような剣客とまだ少女の面影を残す女用心棒。なにも知らぬものが対峙する二人を見たら、まるで大人と子どもの喧嘩である。


 しばしの静寂。咳払いひとつ聞こえない。

 そして一閃。


 先に仕掛けたのは男の方だ。

 巨躯に似合わぬすばやさで薙ぎ払った太刀筋が藍那の腰をかすめる。続けて返す刀で繰り出された突きを紙一重でかわし、剣指を突き出して抜け目なく距離をとった。


 たしかに強い。素早さもある。しかし己の腕力に頼りすぎて動きに無駄が多い。なまじ力に自信があるだけに、すべてを力押しで通そうとするのだ。そして、こういう手合いが藍那にとっては一番やりやすい相手でもある。


 二閃、三閃と続いた袈裟がけの太刀筋をかわし、藍那がようやく柄を握り直した。

 逆手から順手へ。

 踏みこみと同時に大きく弧を描いた下段の横払いを男の剣が受ける。しかし大振りがよくなかったのか、藍那の身体がとたんにぐらりと揺れ均衡をくずした――と誰の目にもそう映ったに違いない。

 それを見逃さず、男の白刃が藍那めがけて鋭い突きを。

 

 巧みな陽動――男がそれに気づいた時にはもう遅かった。


 くるり。

 藍那が軽く手首をひねると天星羅が太刀を巻き込みながら回転する。それだけで剣筋の威力を渦に殺されたばかりか、そのまま刀を弾く力へと転じられた。


「――!?」


 呉鉤剣(ウーゴウ)が弾かれ、柄を握った太腕が外側へと大きく開いて隙をつくる。すかさず宙を飛んだ藍那が男の懐深く入り込んだ。

 驚愕と疑念に男は目をむく。明らかに剣をふるうには間合いが近すぎる。

 一瞬で藍那は宙を蹴った勁力を腰から腕へとつなげた。

 徒手でいえば弧拳の応用。軸の回転と同時に横から正面へ。握った柄が目にも止まらぬ速さで男のこめかみを打ち抜く。


 ごすん。

 剣首が鈍い音をたてた。

 白目をむいた男の躯がぐらりと(かし)いで、石敷きの地面に崩れおちる。柄を握り締めたままの腕は硬直し、あんぐりと開かれた口からよだれが流れでた。


「おおおぉ――――っ!」


 藍那の背後にいた男衆たちが歓声を上げる。対照的に地を這った仲間の信じられない体たらくに、二人の男が青ざめた。藍那と仲間を交互に見ては、金魚みたいに口をぱくぱくと開いて閉じる。どうやら驚きのあまり声も出ないらしい。


「水!」


 剣を鞘に収めた藍那がひと言命じた。間をおかずに男衆の一人が、桶一杯に汲んだ水をのびた男に威勢よく浴びせる。


「ぶへえくしょっ!」


 大きなくしゃみとともに目を覚ました男を、縄を手にした男衆たちが縛り上げ始めた。他の二人も棒きれを手にした男衆に退路を断たれ、塩をふられた青菜よろしくしょんぼりと肩を落とす。あとは食い逃げとして役人に引き渡すだけだ。

 もっとも払う金がないのではどうしようもない。結局はこの楼で働いて、身体で払ってもらうしかないだろう。


 やれやれと藍那はこの騒ぎの張本人を探した。

 男衆に地べたを引きずられていた紫園。いったいこの騒ぎの発端はなんなのかを彼から聞かなければ――と、たしか彼は口がきけなかったのだ。ならば……。


 そこまで考えて、先ほどまで居たはずの紫園が見当たらないことに気がついた。さっき彼を引きずっていた男衆は巨漢を縛り上げるのに夢中で、とうに紫園のことなど頭から抜けている。

 ふと――。


 背後。


 振り向きざま、鞘におさめた剣尖をそのものへと突きだした。

 背に感じたただならぬ《なにか》の気配。

 その何かは喉元に突き立てられた剣尖にまるで気がついていないのか、ぼんやりと藍那の前で立ち尽くしている。


「あ、あなた!?」

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