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共鳴

 花蓮がぱたりと音を立て、本を閉じた。そして両手をならして祖尼娃ソニアを呼ぶと、湯桶に新しい湯を入れてくるよう言いつける。


「紫園はどうしておる?」

申武サリムと仲良くしておりますよ。申武ったら絵を描いてもらって、すっかりご満悦のようですね」

「そうか。紫園と申武にも茶と菓子をやってくれ」

「かしこまりました」


 祖尼娃が出て行った後、花蓮が訊ねた。


「さて、藍那。お主、紫園とこの剣について、なにか思い当たることはないか」


 藍那はため息をつく。そして紫園が金亀楼にきた当初のことを話した。

 紫園が剣に執着し、客の剣を預かり処から持ち出したこと。彼から感じた得体の知れぬ気配。そして紫園が夷修羅イシュラ人であることを。

 黙って話を聞いていた蔵人は厳しい表情になり、花蓮は


「なんと、夷修羅人とな……そうであったか……」


 そう言って夫の横顔をちらりと眺め、軽く咳をした。ちょうどそのとき、祖尼娃が沸きたての湯で満たした湯桶と替えの椀を運んでくる。


「紫園さんにもお茶とお菓子を差し上げましたよ。絵を描いては申武に見せて、それは楽しそうでした」


 微笑みながら藍那に言った。


「お気遣いありがとうございます。もうしばらくかかるかもしれないと、紫園に伝えてくれますか」

「分かりました」


 祖尼娃はうなずき、冷めた茶と椀を盆に載せて出て行った。蔵人は湯桶から銚子に湯を注いでから、藍那へと視線を戻す。


「藍那、差し出がましいことかもしれないが、悪いことは言わない。拝み屋が言ったとおり、こいつはこのまま《大尊ダイソン》に納めるべきです」

「蔵人……」

「剣身をあらためたわけでないから、確実なことは言えない。しかし、おそらくこれは天星羅アストラと対の剣、龍三辰ルシダではないでしょうか。だとしたらあの紫園に近づけるのは危険すぎる。彼は何より夷修羅人です。こいつに込められた千年王国再興の呪詛、もし彼がそれに取り憑かれているとしたら」

「しかしロウ、決めつけるのは早急じゃ。それに、それを言うなら藍那とて夷修羅人の血を引いているかも知れぬ。この天星羅を継いでいることが、何よりのあかしであろう。そしてこの龍三辰をどうするかは、天星羅の所有者である藍那が決めるべきこと」


 蔵人は銚子から椀に茶を注ぎ、椀を藍那へすすめた。


「たしかに花蓮の言うとおりです。あるいは、全ては私の考えすぎなのかもしれない。しかし、泉李イズミルの大火事のようなことがこの阿耶で起こるのは勘弁願いたいのですよ」


 藍那はすすめられた椀に触れた。汗ばむほど暑いはずなのに、指先がひやりと冷たい。茶の温もりであたためてから、ひと口含んで考える。

 蔵人の言うことはもっともであった。


 もしこれが本物の龍三辰ルシダなのだとしたら――。

 六星王の聖遺物でありながら、王国再興の宿願とともにおびただしい血を吸わされた魔剣。拝み屋の言葉どおり、とても人の手に負えるものではあるまい。助言にしたがいこのまま寺に納め、誰にも触れられない場所で永久に眠らせておくのが賢明だろう。


 だがそう思案する一方、身のうちから抗えない衝動がわき上がってくるのを覚えるのだ。この剣を自分のものとしたい、そして封印を解き、その剣身を一目見てみたいという抗いがたい誘惑。

 封を切り、鞘を抜く。目に飛び込んでくるのは輝くような白刃と、そこに刻まれた太陽と月、六星につがいの龍――。


 どうしてもどうしてもそれを目にしたかった。その美しさをこの眼裏まなうらに刻みつけたい。でもそれにはまず、この邪魔な封印を解かなければ。

 ああでも、それをやろうとすればきっと蔵人が必死に阻むに違いない。

 だとしたら……。


 ――コロシテシマエバイイノダ。


「藍那、どうかしたのか?」


 花蓮の声に我に返る。すかさず立ち上がり、卓上の天星羅へ手を伸ばした。柄を掴んで鞘からぬくと、こぼれだしたまばゆい光りがまなこを射る。


「これは!?」


 蔵人と花蓮が同時に声を上げた。瞠目する彼らの眼前で自ら発光する抜き身。そこに刻まれた龍と七星は光りのなか、虹色の輝きを帯びながらかすかに揺らいでいる。


「まさか、もう一対と共鳴している?」


 訊ねた蔵人に藍那は頷いた。天星羅が放つ光が藍那の心に忍び寄ろうとしていた《なにか》を祓い去ったのが分かる。先ほどまでの執着が嘘のように消えると、同時に剣から放たれていた光りもまた消えた。


 剣身を鞘へ収めると、糸が切れたように身体が椅子へと沈む。額の汗を拭うと椀に残っていた茶を飲み干し、お代わりを所望した。


「なんということじゃ。まさかこのようなものを、生きているうちにこの目にするとはな」


 花蓮は苦々しげに呟く。その隣で蔵人は湯桶から銚子に湯を移し、無言で葉を蒸らした。


「藍那よ。訊ねるが、以前にもこのようなことがあったのか?」

「いいえ……いえ、少し状況は違いますが、似たようなことなら。でも、今のは……」


 鞘を抜いたのはとっさのことだ。考えるより先に身体が動いた。自分の意思というよりも、天星羅に導かれたようでもある。


「たしかにこれは、人の手に負えるものではありませんね」


 藍那は疲れた口調で言うと身震いした。まだ耳の底に《アレ》の声がまとわりついているような気がする。冷たい水底から聞こえてきたような、思い出すだけで身の毛がよだつような声。


 コロシテシマエバイイノダ。

 

「蔵人。これがこの天星羅の片割れ、龍三辰ルシダであるかは推測に過ぎない。だけど、私もこの剣の処遇についてはあなたと同意見です。これをすぐに《大尊ダイソン》へ納めようと思います。それが天星羅を所有する私の務めだと、今それが分かりました」

「それはなによりです」


 蔵人は銚子から茶を注ぎ、口の滴を切った。


「この魔払いの霊符があれば、剣の障りをある程度抑えることは出来るそうです。しかし油断はなりません。今のあなたの様子を見ても、それが語りかける声に抗うことは容易ではなさそうだ」

「蔵人にも聞こえたのですか?」

「いいえ。でも禍々しい勁の流れを感じました。聴こうと思えば聴けたのかもしれない。ですが、その度胸はありませんでした」

「それは良かった」


 黙って二人の会話を聞いていた花蓮に、視線を向けた。


「花蓮、聞いての通り、これからこれを《大尊》へ納めに行きます」

「うむ、賢明な判断じゃ。その前にもう一杯、茶くらい飲んでいけ」

「しかし……」

「焦って行っても、表の奴らを喜ばせるだけじゃ。どうせこの店を張っているなら、もうしばらく焦らしてやれ」


 花蓮の言葉に思わず息をのむ。まさか、つけられていたのか。しかしそのような気配はなかった。だとしたら――。

 椀を手に蔵人が窓の外へと視線を投げた。


「私が振茶ブルサから戻ると同時に、この店が誰かに見張られているのですよ。しかも一人じゃない。見張りは複数いて、気配から察するにただのチンピラ風情でもなさそうです」

「もしかして、州知事の配下でしょうか」


 泉李イズミルでこの剣を捜していた役人たち。その背後にいたのが州知事であるらしいことは蔵人から聞いていた。あるいは表からの探索は無理とわかり、密偵を使って裏街道からの伝手を頼ったか。


「その可能性はありそうです。しかしこの店に押し込んで来ないところをみると、あまり目立った動きをしたがらない連中ですね。なんにせよ、《大尊》までの道中は気をつけた方が良さそうだ」

「ありがとう、気をつけます」


 礼を述べてから外の気配に感覚を研ぎ澄ませた。たしかにこちらを探る動きを感じる。気の乱れが少なく、身のこなしに無駄がない。おそらく訓練を受けた間諜に違いなかった。


 干した椀を蔵人へ戻し、三度手刀を切る。中左右。白絹斜封三道印はっけんしゃふうさんどういんと呼ばれる、客が暇を乞うための作法だ。

 蔵人が一礼すると同時に立ち上がる。卓上の天星羅を取って腰に佩いた。


(やれやれ、果たして無事に《大尊》までたどり着けるのかね)


 藍那は心のなかでため息をついた。



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