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火薬の花

「そうそう、この技術はもともと華羅で発展していたんだけど、僕がそれをさらに大きなものにしようってこと。爆竹は知っているよね」


 藍那と由真はうなずいた。


「爆竹を鳴らすと音といっしょに火花が出る。この火花に色をつけて、それを鑲嵌(モザイコ)のように夜空に浮かべるってのが、僕の考えなんだ。それには火薬に混ぜる金属の粉を調べる必要があってね、金属が燃えるときに出す色の分類を、このひと月あまりずっとやっていたってことさ。これには――」

「先生、皆さま、まったく話しについて行けてないようですよ」


 いつの間にか部屋にいた茄瑠(ナスル)が口を挟む。苦笑いを浮かべ、狐につままれた表情の三人に詫びた。


「すみません、先生って自分が分かっていることは他の人も当然分かっているって前提で話しますから。なんのことかさっぱりですよね。先生、良かったらお三方に、実物を見せてあげたらどうでしょう。研究室の掃除も終わりましたし、お通ししても大丈夫かと」

「ああ、そうなの。そうだなあ……それじゃ、見たほうが早いか」


 陦蘭はぼさぼさの頭を手のひらでかき回し、立ち上がる。


「んじゃ、こっちへどうぞ」


 北側の廊下をさっさと歩き出した。慌てて立ち上がった藍那たちもあとへ続き、中庭に面した回廊を通り過ぎてから、研究室の扉をくぐる。

 なかは珍しく鎧戸が開けられ、風が通されていた。それでも壁や床にしみついた硫黄やさびた鉄や、そのほかのわけの分らない匂いがどこかから漂ってくる。


 左の壁には東西から集めた研究文献。右の壁には動物昆虫鉱石あらゆる標本が、硝子の箱に入れられて陳列されてある。天井からは星の動きをあらわす惑星儀が下がって、複雑な歯車の仕組みで動いていた。


 床のほとんどは実験に使う広い木卓が占めている。

 いつもは硝子製の蒸留器や三角容器がすき間なく置かれているが、今日はずらりと並べた色とりどりの丸皿に、火薬とおぼしき粉末がひとつずつ盛られていた。

 長衣の袖をまくり上げながら


「じゃあ見せようかな。茄瑠、準備して」


 陦蘭が命じると茄瑠が鎧戸を閉める。すべての窓を降ろすと、その上からさらに黒い窓布を降ろして外からの光りを遮断した。


「ちょっと暑いかもしれませんけど、暗くないと見えないので我慢なさってください」


 扉を閉めると室内は暗闇に包まれる。卓上の酒精灯がともり、陦蘭が両手に厚い革手袋をつけた。酒精灯のそばに置かれていた細長い金属匙を取って、緑の皿から火薬をすくう。


「じゃあ手始めにこれでいこうかな」


 匙を酒精灯の火にかざした。とたん、硝煙の匂いとともに緑色の炎が鮮やかに立ちのぼる。


「きれい!」


 由真が声を上げると、陦蘭は嬉しそうな表情になった。


「じゃあ、こっちはどうかな」


 黄色の皿からすくった一匙が黄色い光を放ち、やがて消える。次は赤、紫、そして黄緑――。その美しさに由真ばかりか藍那まですっかり見とれてしまった。

 炎が消えてこもった空気のなかに煙がたちこめる。若干の息苦しさを覚えたが、瞼に焼き付いた鮮やかな残像に誰もがしばし言葉を失っていた。


 暗闇に閉ざされた室内で陦蘭が口を開く。


「うーん、この実験はこれがちょっとばかりなあ。茄瑠、もう窓を開けてくれ」

「けむたいでしょう。いま外の風を入れますからね」


 茄瑠がそう言って黒布を引き上げ、続けて鎧戸を開け放つ。爽やかな風が室内を通り抜け、深呼吸した由真が嬉しそうに陦蘭を見上げた。


「火って赤いだけだと思ってました。緑や黄色なんて初めて」

「この火薬にはいろんな金属の粉を混ぜてあるんだ。皿の色と炎の色が一緒なんだけどね。緑は銅の粉、黄色は重曹を混ぜてある。火をつけると金属が色を出すんだ。不思議だろう?」

「ではこの色を使って、空に咲く花を作るということですか」


 藍那の問いに陦蘭は頷く。


「そう。この紫の皿には明礬(みょうばん)、黄緑は硼砂(ほうしゃ)、赤は貝殻を細かくすりつぶした鉛白を混ぜてある。今のところ分かっているのはこれくらいだけど、他にもないか調べているのさ。それに空に打ち上げるとなったら、火薬の量や形状も考えなくちゃいけない」

「陦蘭さんすごいです。なんだか魔法みたい」

「ははは、由真ちゃんに褒められると嬉しいねえ。おじさん張り切っちゃう。それに由真ちゃんだって勉強すれば、こんなことくらい出来るようになるさ」

「本当ですか?」

「ああ、もちろんさ。僕の予想は外れたことがないからね。そうだろ、藍ちゃん」


 そう言って藍那に片目をおどけたようにつぶって見せた。藍那もまた、


「由真、いいもの見せてもらえて良かったね。来年から学校に行けば、錬金術だって勉強できるようになるわ。楽しみだね」


 そう微笑む。



 ***



 あれから一度も()州に戻ったことはない。

 殺めた男が何者なのか、圓奼(マルタ)があれからどうなったのか、璃凜は未だに知らなかった。

 だが、なんとなく分かっているのだ。圓奼は命をかけて璃凜を逃がしてくれた。だから、きっと、もうこの世には居ないのだろう。

 役人に捕まり責め苦を受けるよりも、彼女はきっと死を選ぶに違いなかった。


 結局のところ、一縷の望みと頼った回龍(パウロ)は、宮栄(クヴァ)にはいなかった。

 寺の僧侶の話では、彼は五年前から荒羅塔(アララト)の結界寺院にこもっているという。荒羅塔ははるか西の多島海(ペラゴ)に浮かぶ島にあり、どう考えても訪ねるのは無理だ。あての外れた璃凜は剣の腕だけをたよりに、用心棒をやって食べていくより他なかった。


 それから四年。

 旅商や大道芸一座、あるいはお屋敷や商家の用心棒をやり、時には一つの街に腰を据え、流れ流れてたどり着いたのがこの帝都阿耶だ。それまでに斬ったはったの命のやりとりなど数えきれぬほどで、いったいこれまでに何人斬ったのか憶えていない。


 たとえそれが誰であろうと、命を奪うことに無感覚にはなれなかった。

 ほとばしる血の鮮やかな赤、切り裂かれた肉の温かさ、はみ出した臓物の糞便臭、それら全てが厭わしいものとして記憶されている。さすがに嘔吐することはなくなったが。


 信じていた人物に騙され、妓楼に売り飛ばされそうになったこともある。そんなときは死んでしまいたいほど辛かったし、自分を残して逝った母を恨んだりもした。

 それでもここまで命をつないでこられたのは、あのとき逃がしてくれた圓奼(マルタ)の想いを無駄にしたくなかったからだ。


 だからこそ璃凜はもらった命を誰かにつないでいきたい。

 自分はおそらく一生誰かに嫁ぐこともなく、独り身で生涯を終えるだろう。しかし、由真をいずれ養女にして、彼女が学問を修めて自分の進むべき道を歩めたなら、圓奼の犠牲は決して無駄ではないのだ。


 陦蘭の工房からの帰り道、はしゃぐ由真を見つめながら藍那はそんなことを考えていた。振茶ブルサから戻った蔵人から使いが来たのは、それから六日がたった十六日のことである。



第三章「萌芽」に続く

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