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探索の依頼

「ではお借りした本だけお返ししましょう。次にお借りするのはまたの機会で」

「伝えておきますよ。ところで由真、今日はずいぶんときれいな着物を着ているんだね。よく似合っているよ」

「ほんとうですか? こないだのお休みに、先生に買っていただいたのです」


 褒めてもらったのが嬉しいのか、頬を染めた由真はにっこり笑う。

 さすがに絹とまではいかないが、上質な木綿の袖無し襦袢に更紗の単衣は藍那が見立ててやったものだ。更紗は白地に花々が桃色の染料で描かれ、若い由真によく似合っている。


「そうか、良かったな。ところできのう珍しいものが手に入ったんだ。華羅の飴細工だよ。奥に祖尼娃(ソニア)がいるから、行って紫園さんと一緒に見てごらん。先生は私と大切なお話があるから」

「由真、紫園を連れて奥に行っててくれない? 祖尼娃によろしくね」

「は、はい。それじゃあ行こう、紫園さん」


 (さと)い由真は何かを察したらしく、けげんな表情の紫園をひっぱって奥へと消えていく。藍那は二人を見送ると、一番手近の椅子を引き寄せて腰掛けた。ふたたび水煙管の吸い口をとった蔵人に礼を述べる。


「ありがとうございます、助かりました。少々剣呑な話なもので、どうしてもあの二人には聞かせたくありませんでした」

「もしかして、泉李(イズミル)で探されているという剣の話ですか」

「ご存じでしたか?」


 驚く藍那に蔵人はうなずいた。水煙管から煙を吐き出し、


「ここ最近、帝都の武器商が顔を合わせればその話ですよ。店にも泉李の武器商からこっちに流れてきてないかと、いくつか問い合わせが来ましてね。なんでも役人が血眼になって探しているって代物だ。さぞや由緒ある名剣と察しますが、先生がそんな話に首を突っ込むとは意外ですな」

「剣身に龍と三辰の彫り物があるとか」

「ああ、そんな話です。しかし私がいままで扱ったおぼえはありませんし、同業にも問い合わせてみましたが、今のところこの阿耶アヤには流れてきていないようです」

「あの大火で燃えてしまったということは」

「可能性としてはそっちの方が高そうです。ですが、半年もたった今になってなぜ役人たちが探し回っているのか……。どうもせませんな」


 そこに祖尼娃(ソニア)が盆に黒茶を二人分のせて運んできた。昔からこの夫婦に仕える初老の女中で、花蓮とともに由真のことを可愛がってくれている。


「由真ったら今日はおめかしして、かわいらしいったらないですね。きれいな着物を着ると、若い子はぐんと華やかになりますよ」


 そう笑った祖尼娃に藍那が訊ねた。


「由真と紫園はどうしてます?」

「お二人とも飴細工を見て、今は油餅(ロクム)を召し上がっています。なんだか仲のいい兄妹みたいで、ほほえましいですわ」

「紫園はすっかり由真のお気に入りになりましたからね。私もなにかと助けられています」


 祖尼娃が奥へとひっこみ、出された茶を飲むと蔵人に訊ねた。


「ところで、泉李の役人たちを動かしているのは市長でしょうか」

「それがどうも……」


 蔵人はそこで声をひそめた。


「あくまで噂ですが、裏で手を引いているのが州知事って話で。先生のおっしゃるとおり、どうも剣呑、きな臭い。ですが厄介ごとにこっちはなるべく関わりたくないんでね、もし店に流れてきたら役人に知らせようと考えていたんですが。しかし先生が一枚噛んでいるとあっちゃ、話が変ってきます」

「そんな。興味あるってだけで、べつに噛んでいるわけじゃないですよ」

「ほう」


 蔵人が藍那を一瞥した。その鋭利な視線に隠した牙の匂いをかぎ取とると、藍那は反射的に天星羅へと指先を伸ばす。

 この店には天星羅を何度も研ぎに出している。彼はこの剣身に刻まれた七星と龍の刻印のことも承知していた。だとしたら探されているという剣とこの天星羅が何処か似ていることも、そこにあるかも知れないなんらかの関係性についても気づいているはずだ。

 しかし藍那としては、今はまだ、そこまで手の内を明かす気にはなれなかった。

 沈黙が流れる。奥の方から由真が嬉しそうに笑う声が響いてきた。


 やがて張りつめた弦を緩めるように、蔵人が弄んでいた水煙管を口にくわえる。なにくわぬ顔で深々と吸っては吐き出し、煙の流れる先へ視線をやった。


「もし先生がお望みなら、人を使って探させますよ。こっちにだっていろいろ伝手はある。少し時間はかかるでしょうが」


 目を細めた蔵人を見つめ、気取られぬよう息を吐きながら指先の力を抜いた。それから客間で由真と油餅を頬張っているであろう紫園のことを考え、しばしためらう。


「ですが……もしそちらにご迷惑をおかけすることにでもなれば」

「なあに、こんな稼業をやっていれば危ない橋を渡ることだってあります。それにちっとばかし興味もある。商売の血がうずくって言うんですかね。どんな名品なのか、それをこの目で一度確かめてみたいというのが正直なところです」


 吐き出された煙を横目に藍那は考えた。

 探されている剣の剣身には、龍と三辰の彫り物がある――それを杏奈の話から知ったとき真っ先に思った。この天星羅に似ている……と。


 雄剣の存在を示唆する套路|《月影》。

 すべての秘密を抱えたまま死んだ母。

 金亀楼に来た当初、紫園が見せた天星羅への並ならぬ執着。

 紫園の失われた言葉と過去、両手のひらの剣ダコ、そしていまだ明らかにされていない大火の原因。


 それらばらばらに散らばった事実をつなぎ合わせるのが、もしかしたらその剣なのではないか。根拠はない勘のようなものだが、できるものならその剣を見てみたかった。いや、本当は実物を見てこの天星羅と似ても似つかないものだと安堵したいのかもしれないが――。

 蔵人は捜し物にかけては鷹の目を持つと言われている。その彼が探してくれるというのだから、これはまたとない好機であった。一礼し、


「それならばぜひともお願いします。また近々、花蓮さまに本を借りに伺いましょう」

「伝えておきましょう。たいそう喜びますよ」


 ぬるくなった茶をすすり、蔵人はそう言って穏やかに微笑む。先ほど見せた牙の片鱗はもうどこにもなかった。


「ところで先生、あの紫園とかいうお弟子さんですが、ずいぶんと珍しい目の色をしておりますね」

「あの色に最初は私も戸惑いましたが、今ではもう慣れました。おそらくご存じでしょうが、彼は記憶をなくしてまして。紫園というのも杏奈先生が目の色からつけた名前です」

「伺っておりますよ。それにしてもずいぶんと先生に懐いておりますな」

「はい、まるで犬のようだと由真にからかわれております」

「しかしお気をつけなさることです。この私から見れば、先生は苦労されている割にお人好しだ。情けが必ずしも良い結果を生むとは限りませんからね。なんといっても素性の知れない相手です。あまり油断なさらない方がいい」

「ご忠告、胸にしみます」


 祖尼娃ソニアから残った油餅ロクムをお土産にもらい、満腹になった由真と紫園を連れて店を辞した。表に出ると笠松の葉を透かせて照る強い日射しに目をすがめる。広場の老人たちは相も変わらず馬弔マーチャオにいそしんでおり、打ち合う牌の音がうるさいほど辺りに響いていた。


 もう間もなく獅子月、厳しい暑季の始まりであった。



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