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由真の行く末

 その日の夕餉。

 藍那の給仕をした由真は、愛紗の新しい暮らしぶりに興味津々であった。由真に問われるまま、藍那は思い出せる限り話してやる。

 豪華な邸宅のことや、愛紗がまとった華羅絹の着物。床に敷かれていた美しい絨毯(キリム)。象眼細工にはめ込まれた玻璃(はり)や色とりどりの宝石たち。

 由真は藍那の話に目を輝かせ、


「なんだか王宮のお后さまのようですね。さすが愛紗さまです、いいなあ……」


 とため息をつく。


「たしかにあの暮らしぶりは、王宮もかくやと思うほどだったね。でもどうなんだろう。結婚って、なんだか窮屈のように私は思えるけど」

「でもやっぱり羨ましいですよ。あーあ、わたしもどこかのお金持ちと結婚して、きれいな着物を着て、たくさんの侍女にかしずかれて暮らしてみたいって、そう思っちゃいます。……ねえ、先生、あのね、ちょっと訊きたいんですけど」


 食後の茶を出してから、珍しくはにかんだ様子で由真が訊ねた。


「なに?」

「あのね、わたしってどうでしょうか。愛紗さまほどではないと思いますけど、ここで働いたら、売れっ子になれると思います?」


 一瞬なんのことか分からず、由真を見つめていた。が、その意味するところを理解すると、藍那は鳩尾がすっと冷たくなるのを覚える。

 妓楼で働く少女が長じて娼妓となる――決して珍しいことではない。借金のかたに売られた多くの娘は、まず下働きとして使われ、やがて客を取らされるのが常だ。

 非道い話だと、まだ女の(しるし)を見ない幼さで相手をさせられる。しかし杷萬(ハマン)はそうしたやり方をひどく嫌って、


 ――年端もいかないガキに客を取らせるなんざ、妓楼屋の風上にもおけませんや。


 そう吐き捨てたことがあった。

 言うことを聞かなければ打ち据えることも辞さない――そんな楼主が多いなか、杷萬はなにかしら思うところがあるのか、どんな娼妓も大切に扱った。

 本人曰く、店の商品を大事に出来ないのは三流ということだが、それだけではないような気もする。


 由真の他にも、この金亀楼には同じような年頃の娘たちがいる。そのいずれも身売りではなく、奉公として働かせているのだ。だから杷萬は彼女たちに、借金分を差し引いた給金を月ごとに払っていた。

 杷萬は藍那の用心棒代から家賃と食い扶持を引いて払うような男だ。だが普段は金にうるさいくせに、そういったところでは妙に人情味のある楼主が、藍那は嫌いではなかった。


 そんな杷萬の人柄を見込んで、いずれ由真を養女にしたいと告げている。だから由真の将来にかんしては、藍那は安心しきっていたと言ってよい。

 ちなみに由真より少し年上の璃娃(リーア)は、艶琉(アデル)の世話係を務めている。彼女はいずれ娼妓になることが決まっているが、それは本人の希望でもあった。


 だが由真が自分から娼妓になりたいなどと思うわけがない。もしやあの食わせものの狸親父が、自分のあずかり知らぬところでなにやら吹き込んだのか。

 そう考えると腹立たしさがわき上がってきた。


「由真、まさか、杷萬にそうしろと言われたの」


 思いもかけず腹の底から低い声が出る。藍那の厳しい表情に由真は青ざめ、答えた。


「そ、そんなんじゃありません。旦那さまはなにも」

「じゃあ、どうしてそんなことを」

「そ、それは……」

「誤魔化さないでちゃんと言いなさい」


 藍那のきつい口調がよほど堪えたのだろう。真っ青な顔でうつむいた後、無言で涙をこぼし始めた。

 しまった、と藍那は心のなかで舌打ちする。

 普段は我慢強く、年上の娼妓や女中の八つ当たりにも黙って耐えている由真。そんな彼女が声も出さずに泣く様子に、藍那は心底後悔した。立ち上がり、由真のうなだれた肩を優しく抱いて詫びた。


「ごめん、ごめんね由真。べつに由真を責めているわけじゃないの。ただ、娼妓になりたいなんて言われてびっくりしちゃって。でも、なにか理由があるのでしょ。それを私は知りたいだけなの」

「理由なんて……ときどき羨ましくなるんです、姐さんたちが。朝は早く起きて水くみしなくていいし、廊下も磨かなくていいです。いつもきれいにしてもらって、習い事だってできますし、いい旦那さんに引かれれば、愛紗さまみたいに夢のような暮らしができて……」

「由真……」


 見上げる目に涙を一杯ためている。そのいじらしい表情に藍那はため息が出た。

 いつまでも子どもだと思っていたが、由真だってもう十二なのだ。そろそろ娘らしいおしゃれ心が出てくるころで、華やかな衣装はもちろん、白粉や紅にも興味がわくのだろう。毎日簡素な単衣で動き回っている由真が、見た目は華やかな娼妓たちにあこがれるのも無理はなかった。


(やれやれ、全く……男親の気持ちってのは、こういうものなのかしらね)


 女を捨てた暮らしが長いせいで、由真の乙女心にまるで疎くなってしまっている。藍那は我ながら情けなくなった。

 由真は給金をあらかた郷里の両親に送ってしまって、彼女の手元にはほとんど残らない。着飾りたくても元手がなくては話にならない。

 いつも明るく笑っているが、由真だっていろいろ思うところはあるはずだ。それが愛紗の話を聞いたことから、ため込んでいたものがつい出てきてしまったのだろう。


「由真、ごめん。ほら涙を拭いて。泣いたら可愛い顔が台無しじゃない」


 懐から手ぬぐいをだして顔を拭ってやる。


「そりゃ姐さんたちを見ていれば、そう思うのも分からないではないけど。でも由真だって知っているでしょ。見た目ほど楽な商売じゃないのよ、身体を売るって」

「分かっています。でも……」


 しょんぼりとうつむく由真に、ここは正論を説いても無駄だと悟った。


「じゃあ今度の由真のお休みに、市場(チャルシュ)に行きましょ。由真の着物を買いに、ね? 曾妃耶(ソフィア)さまのところなら何だって売ってるから、きっと由真の気に入るものがあると思うな」

「そんな、先生にそこまでしていただくわけには」

「いいの、私がしたいんだから。そうだ、紫園も連れて行こうかな。どう?」

「紫園さんも?」


 藍那がうなずくとようやく由真が笑った。

 愛紗に言ったとおり、由真はたいそう紫園に(なつ)いている。紫園も由真を可愛がり、その姿は睦まじい兄妹のようだ。長女の由真は郷里(くに)に妹と弟が一人ずつ居て、小さいときから彼らの面倒を見てきた。


 ――だからね、ずっとお兄さんが欲しかったのです。


 以前由真にそう打ち明けられたことがある。


「じゃあ決まりね。今度のお休み、楽しみにしててね」

「はい」


 ようやくもとの明るさを取り戻した由真に、藍那はほっと安堵した。

 由真が膳を下げ、部屋に一人になる。昼間の愛紗との会話が思い出され、藍那は由真の行く末に思いを馳せた。

 由真が十三になった日に、彼女を学校へ通わせる旨を伝えるつもりであった。つい先刻までは。しかし今の様子だと、もう少し早めた方がいいのかもしれない。


 女は結婚して家に入るもの――それが慣わしのこの国で、女子が通える学校は少ない。良家の子女は学校に通わず、家庭教師から読み書きを習い、花嫁修行ののちに十七・八で嫁ぐのだ。

 女が賢くなると世のためにならない――そう思っている男のなんと多いことか。


 だがそうした慣習に異を唱えるものいる。

 なかでも今上帝の第八夫人、花楠(ファナ)妃は一昨年、帝都に初めて女子のための学校を創設した。そこは貴賤を問わず、学問を希望する娘に対して広く門戸を開けているそうだ。

 学費も貧しければ奨学金が出る。できれば由真をそこに通わせてやりたかった。



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