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超能力者一年生!  作者: アルリア
第一章
9/26

どんな中傷も彼の勇気と勝利を汚せない

 9

 授業中。みんなが一様に授業を受けている。


「なぁ……超能力ってあると思うか?」


「なんだよいきなり。授業中だぞ」


 山方は不快そうだった。


「香川のお嬢様の菌でも移ったか?」


 山方が続ける。

 沈黙。カリカリと黒板の文字を転写する。


「…………」


 なにか取り返しのつかないことが起きている気がしていた。


 ガタァ……ギ…。


 無痛覚になった気がする。なのに、椅子と床が擦れる音までも耳に入っている。この教室の全てが目に入る。皆がヒロを見ている。しかしヒロは教室の出来事に価値を感じていなかった。


 自分の体ではないように硬い。このまま動かずにいると震えが襲ってきそうだ。


 ヒロは教室を飛び出した。走る。教室を飛び出す。廊下を走る。校門を出る。

 まだ走る。


 自分が何をしているのか分からない。ただこのままで良い訳がない気がしたから。ときどき息が切れ走るスピードを緩め、しかし何かに憑かれたように押されるようにまた走り出す。

 向かう場所は香川の家でなく、ヒロが未玖珠から受け取ったレポートに記載されていた研究所の住所。香川家に行っても会わせてもらえないだう。



 研究所。

 近代的なデザインの未玖珠の好みそうな建物。受付はなく、モニターが入口にあるのみだった。

 カードキーを読み込む場所があった。


 ヒロはそれを受け取っていた。カードキーを取り出しかざす。


 権限が無効になっていないでくれという思いは果たして通した。かろうしてまだなにかは繋がっている。

 ヒロがゆくロビーに人は一人もいなかった。案内板には地下にさらに施設があることを指していた。


 エレベーター。下降していく。不意に止まった。

 しかし目的地についたようではなかった。スピーカーから声が降ってきた。


『中居ヒロくん』


 そうです。とは言わなかった。


『何の御用でしょうか』


「未玖珠に会いに、いえ未玖珠を助けに来ました」


『帰ってください。あなたは所長に会うことはできません』


 ふっとヒロは笑う。監視カメラが動揺したようにぎこちない挙動をする。


「おい未玖珠! 聞いているんだろ! なあ。話をしようぜ。俺はまだ超能力者だ」


『……お帰り願いたいのですが、かなわない場合強制的な措置を取らせていただきます』


「(ダメか……)」


 ヒロは言葉を続ける。


「僕は超能力者ですよ? 無能力者たちでは僕を止めることはできません。僕を止めたいのなら未玖珠が出てこなければ不可能ですよ。無理やり突破させていただきます」


 ハッタリだった。向こうから何かアクションを起こされる前に先手をとる。未玖珠はヒロの超能力のレベルを知っている。しかし命令伺いと命令の間に時間差が発生するだろう。


「(ギリギリだな…)」


 超能力全開。鋼鉄の扉を開けようとする。開かない。普通のエレベーターなら難なく開けることが出来るが。操作されてロックされていることを確認して、本命に狙いを定める。


「(天井なら破壊できる)」


 間に合わせてみせる。そうヒロが思いながら天井を破壊しようとした時にスピーカーから声が放たれた。


『……分かりました。暴力はやめてください。話し合いをしてくれませんか』


 疑問詩がヒロの頭に浮かぶ。


「(もしかして……未玖珠は今いないのか?)」


 エレベーターが再び動き出し、そして止まり、エレベーターが開く。その先には薄暗いオペレータールームが広がっていた。ブルーライトの電灯が暗い光を放っている。パソコンのブルーライトも所員の体に反射しているほどだ。それ以外は普通の会社のオフィスとそう変わりないように見えた。


 一様に緊張した面持ちでヒロを見ている。

 その部屋はただならぬ緊迫した雰囲気に包まれていた。

 闖入者をまるで想定していなかったのが手に取るように分かる慌てぶりだ。


 かなり恐怖と抵抗の意思のなさを所員たちの反応から伺えた。

 未玖珠はいないのだとヒロは確信した。この大人たちは未玖珠の力を基準にして考えている。すなわちヒロも未玖珠並の力を備えていると。


「こんにちわ。主任代理の岡本たつきです」


 握手をしようと手を差し出してくる。周りの研究員たちは言葉にこそ出さないが、岡本のこの行動に驚きと称賛の眼差しを向けていた。人の気が岡本に集中している様子を見てヒロはすぐに岡本が今の中心であり頭であることが分かった。ヒロは思わず皮肉めいた笑みを浮かべる。誰も彼も人外を見るような目でヒロを見るからだ。ここは未玖珠のホームのはずだ。


「(なぁ未玖珠。いつもお前はこんな目で見られているのか? ここはお前の居場所じゃないのかよ)」


 超能力者だって人間だ。


「エレベーターの中で僕にどういうことをするつもりだったんですか? 蜂の巣にでもするつもりでしたか?」


 隠さなくていいですよ。という口ぶりで話す。


「………いえ催眠ガスを注入するつもりでした。普通の人間相手ならいざしらず、サイキック相手には意味をなさない装置でしたがね」


 岡本は言った。未玖珠が付けさせた機能なのだろうとヒロは思った。警戒心が強く用意周到な未玖珠。

 ヒロは自己紹介の続きをした。


「僕は中居ヒロと言います。僕は未玖珠の、友達です」


 その言葉に張り詰めた顔の所員らの動きが止まる。誰も彼も宇宙人が何か言ってるみたいな顔でヒロを見ている。


「未玖珠は今どこにいるんですか?」


 超能力者の横暴による世界で一番の被害者達だ。まったく抵抗せず彼はまず説明から始めようとした。


  「お嬢様は昨日とても厳しい、いつも以上の凄まじさでClass3へお行きになりました」

 どこか言葉を探している様子だった。


 「今現在……お嬢様は脳開発実験を行っているんですよ」


 岡本がヒロに説明するあいだ他の所員たちは止まっていた時間が動き出したように働き出した。それはどこか恐慌状態にも見えた。


 「放射性元素が20Rd……ガイガーカウンター上昇率が危険域に突入…!」


 「ダメです!細胞の融解が始まってます……!」


 薄暗い部屋に青が充満していたのが、急にブレーカーが落ちるような音がしたと思ったら真っ赤に変わった。

 大観衆のブーイングのように耳障りなブザーの音とそれにまったくかぶさらないのがふしぎなほどの爆音でアラームが鳴り響き始めた。


  「岡本さん。未玖珠は何をやってるんですか!」


 ヒロは詰問する。超能力開発部主任代理は答えた。


「高濃度のO派とお嬢様の頭に入っている電極によって脳のある部分を刺激することによって超能力の開発を試みています」


 聞き流せない不穏なワードばかりが出る。


「電極?」

「磁束密度が3万4千度を超えました……!」


 悲鳴を上げるように叫ぶ研究員。

 岡本は続けた。


「DBS、脳深部刺激療法。超能力の発現原因と思われる脳器官、松果体の刺激しています。ま、人体実験ですな。安全性など一mmもないです」


 ヒロはだんだんと苛立ってきた。何に? 分からない。


「僕は未玖珠に会いに来ました。未玖珠はどこに?」


 こちらです。岡本は一人でヒロを案内した。喧騒が遠ざかるのを意識の隅に置きながらシャッターをいくつもくぐり薄暗い廊下を歩く。さらに下へ、下へと降りてゆく。地獄の階層を降りていっているようだ。


「我々は階層によって超能力を扱う危険度、難度を分けました。物質に作用できる力、取り返しのつかなさ、つまり破壊力の大きさです」


 CLASS1を過ぎ、CLASS2と大きく壁に書かれた階をさら下り、さらに下に行く。

 岡本は震えていた。所長代理は体をこわばらせ何かにじっと耐えているように見えた。

 CLASS3と書かれた壁のある階まできた。


 そこにあったのは立ち塞がる巨大な黒い壁、ガンマ線も中性子線も、そして何より重要なオミークロン派も通さない堅固で冷たい壁だった。 放射能マークのような分かりやすい危険を予告するマークが大きく描かれていた。


  「この先は重度の能力開発放射線が乱気流のように渦巻いてます。その線量を身に受けるというのは……被爆という状態が一番近いです。 いくら中居さんがサイキックとはいえ、高濃度の放射線をいきなりその身に受ければどんな症状が現れてもおかしくないでしょう。身体への影響は計り知れませんよ。お嬢様でさえ何年もかけて順応してきたんです」


  クールな主任代理は淡々と喋る。 しかし、その目はヒロを見ていない。ヒロを見ているのだけれど、ヒロという人間を見ていない。


  「そこに案内してください」


「今何の対策もしていない君がCLASS3に入ったら一時間で致死量分の被爆を受けることになりますよ」


 構わない。俺のために構わない。


  「十五分以上長居しないこと。なんらかの症状が現れた場合すぐに退室することですね」


 隔壁が開く。ここからは完全にヒロ一人だ。ヒロはたった一人、さらなる深部へと足を踏み出した。


 隔壁の前に残った岡本は通信用のマイクのスイッチを入れ、上のスタッフと会話をした。


「今中居ヒロがCLASS3に向かいました。私はそちらに戻ります」


『…………岡本主任代理。あのぅ。いいんでしょうか……』


 岡本は良い訳ないだろうと口をついて出そうになったが堪えた。


『未成年ですよね。中居ヒロさん。O派でどんな影響が人体に出るか分からないのに……』


 この後に及んでも現実を見たがらない所員だ。物事をハッキリさせることもできないのだ。


「ああ、死体が一つ、出るかもしれませんな。貴重なサンプルです。保存の準備をしておいてください」

 岡本は全身に力を入れ翻って来た道を戻る。


「(もし、中居ヒロが死んでそれが明るみに出たら、我々はクビどころか全員逮捕だ)」


 岡本はヒロと未玖珠に対して口の中で呪詛を呟いた。


 ヒロの周囲は自分の息遣いすら聞こえてくるほどの静寂に包まれていた。進めば進むほど後戻りは出来ないという感覚ととんでもないことをしているという感覚が強くなっていく。壁は白い壁からむき出しの鋼鉄に変わっていた。


 ステージ台のような昇降機に乗り、台座にあるスイッチを押す。説明によれば、もうこのすぐ先に未玖珠がいる。


 ゴウンゴウンという体に響く重低音。重く響く音を発生させながら昇降機は垂直に下降する。誰も行きたがらないところへ。ヒロの体に足元からダイレクトに振動が伝わる。地獄を降っているようだ。


 赤の線で囲まれたでかでかとマークが描かれた隔壁。これが最後。この先に未玖珠がいる。

 ヒロの頬に冷や汗が伝う。おどろおどろしいマーク。内部被爆。


「(未玖珠。何やってんだよ…………)」


 この先は本当に猛毒や、病原菌のようなものが渦巻く危険な場所であることを表していた。今すぐ地上に出て、壁のないところに行きたい。こんな不健康なブルーライトではなく、日の光を浴びたい。新鮮な空気を吸いたい。つまり、安全な場所に行き、逃げたいんだ。


 呼吸を整えた。今行かなかったらきっと後で後悔する。自分に出来ることを考えて出した答えはこれなんだ。


「(僕は…………)」


 船の内部へと通じる入口のように回す形の取っ手を回してゆく。でかい金属とでかい金属をこすり合わせてでるような音が響く。


 最後の部屋に足を踏み入れる。一面が白い光の壁と天井。当然窓は無い。そこに未玖珠はいた。計器類に囲まれた寝台の上にぽつんと未玖珠が横たわっている。


 ようやく会えた。どうしてここまでする必要があるんだという自問をさっきまでしていたが未玖珠の姿を見た瞬間氷解する。


 寝台の上に横たわる彼女の姿は神聖な雰囲気すら醸し出していた。流れるような髪が未玖珠の肩にかかっていた。白い光が自然物を美しく彩っていた。その姿はもうすでに王の気品を身にまとっていた。


 中心に向かって歩み寄る。どう話しかけたらいいのか、そもそも話しかけていいのかすら未玖珠を見た途端躊躇って、迷ってしまったが、未玖珠に近づくとそれどころではなくなった。


 未玖珠は苦しそうに息をしていた。顔を紅潮させ、首筋に汗が滴っている。胸が呼吸する度に上下していた。尋常な様子ではない。


「未玖珠!」


 呼びかけに返事がない。熱に浮かされているような様子だった。


 ヒロはパニックになりそうだった。何度呼びかけても返事がない。意識が無い。


 未玖珠の呼吸が止まる。ヒロの頭は恐慌状態だった。そうかと思うと次の瞬間には未玖珠はかろうじて呼吸を取り戻し、再び息をし始めた。大きく息を吸うととともに未玖珠の体が浮き、そして沈む。


 未玖珠の呼吸はさっきまでに比べたら落ち着いた。しかし予断を許さない苦しそうな様子であることには変わらない。何か悪いものが悪意を持って未玖珠を蝕んでいるかのようだった。


 とてつもない痛みが襲っているのだろう。歯を食いしばりすぎている。見ていて歯と歯がくっつくんじゃないかというぐらい。


 超能力開発。自分で自分をモルモットにしている。こんなところでたった一人で、頑張り続けていた。誰にも頼れないから、さらに力を求めて。ぼろぼろになるまで。


「(彼女にここまでさせるのは一体なんだ?俺にもっと力があれば未玖珠はここまでしなくて済んだんじゃないのか? 命を削らせることにはならなかった。もっと俺に力があれば…………)」


「う……ぁ………お父……さん…………ぅ……」


 ハッとしてヒロは未玖珠を見た。意識が戻ったわけではなく悪夢にうなされる幼子のようなうわごとだった。


「未玖珠」


 もう一度彼女の名前をヒロは呼んだ。それが呼び水となり、はるか過去の記憶という出口のない牢獄から未玖珠を救い出した。


「ヒロ………?」


 未玖珠は不思議そうにヒロを見ていた。


「よぉ……未玖珠。会いにきたよ」


 依然苦しそうな未玖珠。


「ここクールでかっこいい建物だな。秘密基地にしては大掛かりすぎるな。しかしなにやってんのこんなとこで………ホンット……なに…やってんだよ……」


 ヒロの声は震えまいとしても震えてくる。涙が出そうだった。しかし、未玖珠の立場を分かった気になって、心中を理解した気になって涙を流すなんて駄目だ。失礼にも程がある。だから泣いちゃいけない。未玖珠の痛み、決意、想い。ヒロには解らない。


「こんなところにヒロがいる……ハズがない……」


 未玖珠は自分に言い聞かせるように呟く。


「実像だよ」


 ヒロは未玖珠の手を取った。しっかりと握る。手は払いのけられなかった。ヒロは少しの間待った。未玖珠はまだ混乱しているようだったから。


「嘘でしょ……」


 未玖珠は驚愕した表情でヒロを見て言った。


「なんでこんなところまで来るのよ……あんたって……」


 まだ何がなんだか分かっていないような声だった。


「未玖珠。ここまですることはないんじゃないか?このままじゃ、死んじまうよ」


 その言葉に途切れかけた未玖珠の意識が戻り、焦点が結ばれる。


「仕方ないじゃない……仇をとるって誓ったのよ。裏切るなんてできないわ」


「誰の仇。誓ったんだよ?」そいつのせいだ。ヒロは思った。


「私よ」


 彼女は言った。


「育てられた世界全てから粉々に砕かれるまで蹂躙された七年前の私に誓ったのよ。あの時の彼女を私は裏切れない」


 私は私を裏切れない────


「サイキックの国をつくってね。王になるのよ。そうすることでしか彼女たちは───私は、納得出来ない」


 静かな口調だった。それがかえって強固さをヒロに感じさせた。何度も何度も何度も未玖珠は想いを重ねてきたのだろう。


「一度実の親に捨てられ、再び育ての親に捨てられた時……彼女は死んだの。私の見ている前で。私の一部が死んだんじゃないわ。全てが死に絶えたの。

その死を止めることは出来なかった。一番近くにいたのに。彼女たちの悲しみ、怒り、屈辱、無念、痛み、死を知ってるのは私だけなのよ。私が辞めたら誰が仇を打つの? 誰が救うの? 誰がその魂を解き放ってあげるの?」


 未玖珠はヒロと初めて会った日、自殺をしようとしていた女性を広場で見ていた。未玖珠はその女性のことをあの場にいた誰よりも悼んでいた。そして怒りと痛みと悲しみが渦巻いていた。

 彼女は解っていた。死を選ばざるを得ない人間にどういう景色が見えているのかを。死まで追い詰められた人間の無念を。ビルの上でたったひとりで震えている女性を見て心の奥底では誓っていたのだ。必ず仇を打つと。


「僕が─────」


 手に力がこもる。


「(僕が、僕が君を救うよ!!!)」


 と心ではそう続いた。しかし頭では違う言葉を続けた。


「(僕が……………僕が……人形師を捕まえなければならない)」


 それしか方法が無い。そうしなければ、未玖珠は自分すらその身の中の業火で焼き尽くしてしまうだろう。未玖珠は誰にも頼れない。頼らない。たった一人なんだ。


 ヒロは人形師を捕まえるという自身の考えに恐怖した。あの本物の悪人のところへもう一度行く。地獄の門をもう一度くぐる。捕まれば今度こそ想像もつかない苦痛を味わわされるだろう。実際に死んだ方がマシ、心の底から殺してくれと願うなんてことを体験するかもしれない。震えが止まらない。


「ヒロ。この部屋には危険物質が渦巻いてるわ。早くここから出なさい」


 苦しそうな未玖珠がヒロの顔を睨みつけるように言う。ヒロは肩をすくめた。


「どうやらそれがいいみたいだね」

 しかし二人を沈黙が包んだ。ヒロが口火を切った。


「嘘をついていて悪かった。騙すつもりじゃなかったんだ。未玖珠が僕に興味を無くすのが怖かったんだ。嫌われたくなかった」


 ヒロのそのはっきりした言い方に未玖珠は不安なものを覚えた。未玖珠はヒロの言葉に続く言葉にしていない部分があると思い、それは『嫌われたくなかった。でも今は違う。お前なんかに嫌われても痛くもなんともない。さよなら』ではないかと。


「私も無茶ばかり言ってごめん………」


 その先の言葉を探している間にヒロが口を開いた。未玖珠の目をしっかりと見据えて。


「まだやるつもりなの?」


 未玖珠の答えは決まっていた。


「うん」


 ヒロの答えも決まっていた。


「そう。でも自分の体を大切にしてよ。王になるんだろ。国をつくってもそれを見る時間が少ないなんて嫌だろ。今は眠るといいよ。僕は最後までいっしょだから」


「うん」


 未玖珠はこの瞬間苦しみも痛みも過去も忘れていた。

 微かに顔を綻ばせた。髪が汗で額に張り付いている。


 ヒロは未玖珠の前髪を撫でてその後、額に口づけをした。未玖珠が絶対にこんなこと起こらない、起こるはずがない、起きがたいことだと思っていたことが──少なくとも自分には起こらないと思っていたことがこの瞬間に起きていた。


 未玖珠は五年間感じることの無かった安心と共に優しい眠りに落ちていった。

 ヒロは未玖珠の側にいた。


 ヒロは未玖珠を抱えて危険物質が渦巻く部屋から出て、昇降機で上がっていった。超能力と筋力を合わせて使えば未玖珠の身体を両手で簡単に抱えられる。


 それでも彼女の全てを抱えていると思うとそれは量れないほどに重い。

 ズキン! ヒロの頭から背骨まで落雷のごとき痛みが走る。


「う………」


 足で踏ん張る。ヒロは倒れない。


 どろり。鼻血が出てきていた。O波は確実にヒロの体も蝕んでいた。頭がズキズキと痛む。

 血が滴り落ちる。そしてそのまま未玖珠の服に───途中で重力が地球から消え失せたように小さな球になって血は空中で止まった。


 両手は塞がっている。しかし問題なく血を超能力で少し浮かせて、横に落とした。

 ヒロは未玖珠の安らかな微笑みが浮かんでいる寝顔を見ていた。

 そしてヒロは決意を顔に確かに刻み、心は落ち着いていた。


 研究員たちは中居ヒロの帰還に緊張が走った。唇の上が赤く滲んでいるのでO波の影響を確認した。 意識のない未玖珠を抱える少年により一層凄みが増しているように見えた。何人かは殺されると思った。

 少年は研究員達に尋ねた。


「未玖珠は大丈夫なんですか?」


「一度や二度じゃありませんよお嬢様がこんな状態になるまで負荷を自分にかけるのは!……ですから、おそらく……回復すると思われます」


 スタッフはおずおずと少年を上目で見る。


 少年は優しく微笑んだ。

「未玖珠を安静にさせておいてください」


 研究員達はその言葉で我に返ったように一気にあわだたしくヒロをメディカルルームに案内した。未玖珠を担架に寝かせ、様々なチェックを迅速に行うために駆けていく。研究員たちも医療分野のプロフェッショナルである。


「滞在時間十八分三十二秒……君……君は確実に寿命が縮んだんだぞ」


 研究者にとってなぜこんなにも目の前の少年が落ち着いているのか理解できなかった。


「回復しえない数値ではないが…」


 ごくりと男はのどを鳴らす。


「確実に十数年は寿命が縮んだはずだ」


 少年はそうですかと返事をしただけで狼狽えも追及もしない。そのあまりの超然とした様子にやはり超能力者は化け物なんだという思いを確かにする。


「これから君の脳のダメージを見るためにMRIにかかってもらいたい。金属製のものを持ってたら外してくれ」


 テキパキと少年に言う研究員。その後O波の影響の診察を行い、体に異常がないか調べる。


「そんな時間はありません」


 少年の言葉に研究員は度肝を抜かれた。


「僕にはやらなくちゃいけないことがあるんです」


 住んだ瞳でそう告げる少年に研究員はあらゆるリスクの説明をして、検査を受けるよう促した。しかしそれへの返答はこうだった。


「未玖珠が何故こんなリスクを選び自分の身を危険に晒すか知ってますか?」


 その少年の質問にプロフェッショナルであり、常識人でもある大人達は一瞬口をつぐんだのち、言葉を放った。


「ああ、彼女には誰もついていけないからだ……!」


 少年は頷いた。そのリラックスした態度に研究員達はいらいらとしていた。


「 お気遣いには感謝します。 しかし僕はこれから第一級殺人犯を検挙しに行きたいんです。もし、未玖珠や僕を心配する気持ちがあるのならそれを手伝ってもらえませんか」


 少年は大人達に囲まれ言葉を投げかける。


 誰も返答はできなかった。お互いの顔を見るばかりだった。何故高校生のこの少年がそんなことを言い出すのか。危険極まりない犯罪者を捕まえに行くなんてそんなことをいきなり言われても、というところだった。


「……未玖珠が普段何をやってるのか聞いてなかったんですか?」


 少年は怪訝そうな顔をした。


「………我々は何も聞いていない」

 返答に窮していた。


「我々の契約にはそのような職務は含まれていません。契約外です。我々は仕事でやっているんですよ」


 岡本は微笑みながらスタッフと少年の会話に割り込んだ。少年はそれに屈託のない自然な微笑みを返した。


「では本来の仕事の未玖珠の健康管理をお願いしますね」


 これ以上話すことは何もないのなら僕はもう行きますよ、というような顔で少年は何も言えない研究員をぐるりと見渡した。それから少年は行ってしまった。


 ヒロはエレベーターの扉が閉じた時に笑いだしそうになった。気分が良かったことを認めつつ反省をした。


「(相手を攻撃するだけだと軋轢を生む。未玖珠はそれしかできない。それが未玖珠の力だ。でも国をつくって王で居続けるには織田信長じゃあ駄目なんだ。それを未玖珠に言ったら物が飛んできそうだけど)」


 激昴しヒロを論破するまで自論を述べようとする未玖珠を想像して苦笑する。


「(人には逃げ道を与えなくちゃ……俺は一般人でもあり超能力者でもある。超能力者と一般人の橋渡しが俺には出来るんだ。それは俺にしかできないんだ……!)」


 名宰相の誕生の瞬間かもしれなかった。

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