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超能力者一年生!  作者: アルリア
第一章
8/26

君は何を見てるの?

 8

  「おとおさーん。おかあさーん。」


 四歳くらいの女の子が泣いている。ぬいぐるみを手に抱えた女の子の顔は不安そのものを表している。

 人。人。人。展望台の中は人がひしめいている。


 怯えた顔をした、目が潤んだと思った次にはすぐに涙が出てきた。


 泣きじゃくる女の子。涙を溢れさせ怖い人の群れの中をぽつんとおもちゃを抱えて泣き続けている。長いまつ毛を伏せて女の子な泣きじゃくり、 おとおさんとおかあさんを呼んだ。


 サービスセンターのお姉さんが女の子に話しかける。どうしたのかな。お名前は。と。


「ひっく……ひっく……」


 しゃっくりをしていて顔をくしゃくしゃにしてほっぺはりんごみたいに赤くなって、なかなか言葉を言えない。そしてようやく喋ったその名前は。


「■■■■みくす………」


 正面から見上げる女の子はまだあどけない顔をしていた。


 ハッと未玖珠は目を覚ました。


「(嫌な夢だった)」


 かつてのあどけない子供は時という不可逆の流れを経て、まだ少女という齢だが、その姿は美しい女性のものになっていた。


 長いまつ毛、自分の宿命を果たさんとする意思の強い目。

 醸し出す雰囲気はがらりと変わって、変わり果てていると言えるくらいだが、それでもかつての面影とその奥にある健全さと純粋さと生命の炎の力はたとえどういう形に変容したとしても彼女の中にあり、そしてそれは美しさに昇華されている。


 朝日が登っている。その陽を眩しそうに見る。

 そしてそれから部屋の中の寝ているヒロの姿を見下ろした。


 眠る少年の体を、顔を、髪の毛を、醸し出している柔らかいお日様みたいなを雰囲気を、眩しそうに見ていた。


 そして幾許かの間考えていた。


 まぶたを閉じ彼女は今までそうしてきたように自分一人で結論を出した。



  ◇



 ここは警察署。


 連続失踪に犯罪が結びついていることに警察官らも気が付き始め、遂に捜査当局が開かれるまでに至っていた。水島が犯人で確定であることを知っているのはヒロ達だけだ。


 ヒロは未玖珠が一日中沈んでいるのをみていた。鉛を口に含んでいるかのようにまずそうな顔をしていた。


「前見た時美味しそうだと思ったから私もヒロのお弁当を食べてみたかったの」


 そういうことを言われてしまえばヒロもお弁当づくりに密かに気合いを入れた。

 ヒロと未玖珠が少年課のオフィスでお弁当をつついている。

 橘はお弁当の中身が同じことに気がついてニヤニヤしながらいろいろ言ってきた。

 高校生カップルを見るような目にヒロはにがわらいするしかなかった。最終的には「いいなーいいなー私もつくってよう」

 などとヒロにせびり始めた。


 嵐の前の静けさだった。空気中は水分を含んだ風が吹き荒れている。まだ雨は降っていないが空の雲は真っ黒になっていて今にもどしゃぶりの雨が降りそうだ。


 未玖珠は、卵焼きを、飲み込むと、きっぱりと言った。


「もう一度人形師に会いに行くわ」


 ヒロはその言葉の重みに耐えられない。未玖珠はその重さをしっかりと受け止めているようだった。


「な、なんで……?」


 無理だ。無理な理由なら百個ほどある。なぜわざわざ運良く助かったというのにまた死地に飛び込むのか。橘さん。あいつになにか言ってやってくださいよ。助けを求めるようにヒロは橘を見る。


「人形師。犯人に会ったっていうの!?」


 橘の顔が変わる。ほら、橘がふざけてない。これはとても危ないことなんだよ。やめるべきだ。

 橘はヒロから人形師のことを聞き出した。ヒロは何でも喋った。悪さをした子供がやったことをゲロったような様子だった。共犯者の自供を未玖珠は目を閉じて黙って腕を組んで聞いていた。


「これはもう私達だけで手に終える状況じゃないんだよ。お願いよ。それを解って」


 橘は未玖珠に言う。未玖珠の優秀さと能力を知っているからこそのものいいだ。


「解ってくれたら今から捜査会議が置かれてる他の署まで行きましょう。あなたたちの情報がかなり捜査を進展させるよ」


 素早く受話器に手を伸ばしている橘。


「警察の力は借りないわ」


 再度きっぱりと未玖珠が言う。ヒロと橘は顔を見合わせる。


「幼稚な意地で言ってるんじゃないわ。それじゃ意味がないのよ。警官の力無しに超能力だけで事件を解決する。そうしなければいくら私でもSPI課設立まで持っていけない。」


 上層部との交渉。邪魔するやつは誰であろうと潰すという覇気に橘は静かに受話器を置いた。


  「(私じゃ止められない。止められるとしたら、ヒロだけ)」


 ヒロのまだ少年の年齢の横顔。


「分からないのかよ。昨日は人形師がまだ俺達が超能力者ってことを知らなかったから能力が使えたんだ。能力を使うなって命令をされたら? 絶対に抗えないよ。意識を完全に持っていかれたら? 本物の犯罪者ってやつには関わるべきじゃ──」


「腰抜け」


 未玖珠がヒロを一瞥して言った。


「───っ」


 なんだよ、それ。


「びびって丸まってればいいわ! この警察署内は安全だもの。でもね警察官なんて所詮公僕よ。私達は現体制からはじき出される運命にある存在だわ。体制の一番上の司令が下の公僕まで届いて私達は駆逐されるのよ。あんたはそれを黙ってみている腰抜けだわ!」


「だからって言ってあんな異常者に会うなんてどうかしてるよ。先手をとって相手を無力化しようにもどこまで無力化すればいいのか分からないだろう! 接触自体危険じゃないか」


「攻撃はしないわ。私達が超能力者って向こうも気づいたはずだもの。昨日は成り行きで向こうも反撃してきたけど超能力者だとわかった今同胞に危害を加えてはこないでしょう」


「…………本気で言ってるのか?」


 ヒロの顔に苦悶と驚愕が刻まれた。

 未玖珠はまったく表情を変えない。つまり未玖珠お得意の事をうまく運ばせるための身内を欺く嘘ではない。


 あの聡明な未玖珠がこんなことを信じている。本気で人形師が自分たちに危害を加えたりしないと。


「尚更行かせられないよ。今度こそ、殺されてしまうかも。あいつの人形になる未来は目に見えてるだろ! そんな簡単なことわからないの!? 超能力者を信用しすぎなんだよ! 超能力者なら誰でも信じられるなんて幻想なんだよ!」


 ヒロの言った言葉は未玖珠の信を打ち砕くようで未玖珠に突き刺さっているようで辛い。そしてその言葉は自分にも深々と刺さっている気がしたが、血を流しても振り上げたナイフを最後まで振り下ろしてしまう。息を切らして。


 橘はヒロと未玖珠のヒートアップしていく言い合いを歯がゆそうに見ていた。


「だって、あんたは………っ。どうして賛同してくれないのよ!なんで!?」


 未玖珠の顔にあの時水島の車に乗っていた時に浮かべた困惑の色が浮かんでいる。そして………傷ついていることが分かった。とても、とても痛そうにしている。


「(なんでだ。昨日はあんなにうまくいってたじゃないか───それなのにどうして)」


 危ういバランスでまだ破裂していない風船の上に立っている二人は同じ風船の上に立っているのに、それをつつきあっている。


 プルルルル。口論を続ける二人に神が仲裁をした。未玖珠の携帯が鳴った。二人は体と顔をお互いから背けた。


「(くそっ。くそっ………!)」


 まだ怒りは簡単には冷めない。破滅に向かっているのは分かりきっているのに止める術がないことに、そして『未玖珠にとって超能力者なら誰でも良かった』というすうす分かっていたことに。


「私よ」


 イライラと電話に出る未玖珠。電話の向こうの声は焦っているのかヒロにまで聞こえてくる。

『未玖珠さん。試薬品は失敗作なんかではありませんでした!』


 その情報はヒロにぽつっと引っかかりを与えた。


  「(あ………)」


 怒りの熱は急速に冷却された。平熱を下回っても冷えは止まらず体が凍り始めるみたいに固まっていく。

『島根がようやく吐きました。島根は人体実験をしてたんですよ!研究機密の持ち出しです!』


 怒りは一時的にもはやはるか彼方にいっていた。 ヒロの頭が、全身が凍る。 怒りの代わりに他の感情が心に湧き出て、全てを入れ替える。引き潮が満ち潮にありえない速さで変わように。


 ヒロは電話に耳を寄せる未玖珠を吸い寄せられるように見る。誰かに頭を掴まれているようにその挙動から目を話せない。顔を背けられない。


「(ああ…………)」


 ヒロの心を一瞬で満たしたのは、崩壊の予兆。崩れ落ちる感覚。


 未玖珠もまた固まって電話から放たれる言葉を邪神に魅入られたように聞いている。


『島根のレポートによれば被験者の名前は中居ヒロ。二週間前は正真正銘の無能力者だった少年です!』


 未玖珠がヒロの名前を聞いた瞬間目を見開いたのをヒロは見ていた。

 やけにスローモーションに見えるから。

 それからゆっくりとした動きで蒼白な表情のまま顔だけをヒロの方に向けた。まるで別人を見るかのような顔だ。超能力者から無能力者を見る目に変わっている。味方を見る目から敵を見る目に。


「(ああ………)」


 電話口の向こうの研究員は実験の成功か島根の背信行為のせいか、場違いに興奮している。自分がもたらした情報で電話の向こう側が冷えきっていることに研究員は気づいていない。


 ヒロは終わりを悟る。ヒロの心は大事なものの乖離を、別れを鈍い痛みを起こし拒絶していた。

 一切携帯を見ることなく電話を切る未玖珠。


 ヒロには未玖珠の目がいつも無能力者を見る時のゴミを見るようなものに変わっていくように見えた。未玖珠の目には自分はもはやゴミにしか映っていないということを思うと身をよじられるほど辛い。

 未玖珠は怒りを通り越して蒼白な顔色になっている。わなわなっと未玖珠の唇が震える。


  「私をずっと騙してたのね……」


 呟くようなその言葉。


「(……違う………違うんだ未玖珠………)」


 しかし確かな言葉となって口から出てこない。

 未玖珠もまた凍りついているみたいに体が固まっている。


 周りがスローモーションになっている。ヒロは知らなかった。ここから本当の痛みがやってくることを。本当の破局を。


 未玖珠は両の拳を握りしめ、ぶるぶると怒りで震えている。


「……裏切り者があああああああっ!!」


 純然なる敵意と拒絶と否定の眼差し。未玖珠がそれを他人に向けるのを傍らでいつも見ていた。それが今はヒロに向けられている。どんなものより鋭いと言い切れる言葉のナイフがヒロを刺し、背中まで貫いた。

 来ることが分かっていたのに、ヒロの愚かな予想をはるかに超える痛みが体を貫き、切り裂いた。目の前が真っ暗になる。


 ヒロは動くことも喋ることもできなかった。


「出ていけ!! 消えろ!! これ以上一秒でも顔を見たくないわ!!!」


 どうしようもない決裂の言葉が続く。ヒロは未玖珠が許さないと言ったら一生許さない気質であることを今ではほのかに理解していた。


 出ていけと言ったのは未玖珠なのに彼女はドアを弾き、廊下をバタバタと音を立て出ていった。キィキィと揺れるドアだけが彼女の残した残滓だった。永遠の別れは唐突に訪れることがあるなんて少年であるヒロにはまだ知ることのなかったことだった。少年は拒絶の痛みを受け止めきれずにいた。心の中はぐちゃぐちゃだ。


 やがて混乱と悲痛を顔に刻み、しかしどこか安心するように椅子にドッと座り込んで呆けた顔をしていた。


 終わった。何もかも。腹水盆に帰らず。ハンプティ・ダンプティはもう元には戻らない。絆はずたずたに千切れて再び結ばれることはないだろうと経験の乏しいヒロでも理解できてしまった。



  ◇



 ヒロは家に帰った。SNSで未玖珠に呼びかけてみたものの返事は返ってこない。ヒロは家の中で考えていた。


 明日はどうすればいいのか?


 目にはこの数週間存在を忘れていた通学用の鞄が映った。ようやく自分の存在に気がついたことで鞄は満足そうだった。学校に行くしかない。今まで営々と続けてきたこのルーティーンの中に戻るだけのことなのだ。未玖珠に出会う前そうしていたように学校に行くのに間に合う時間に目覚ましをセットした。


 翌日学校で山方と柴崎と会話をしながら弁当を食べていると未玖珠に会う前のいつもの自分が戻ってきた。山方と柴崎もいつもの普通のヒロを求めている。彼らは超能力者のヒロなど別に求めてやいやしない。ただの進学校としての立場を共有した十六歳の男子同士としてのヒロを求めている。


 ならそれでいいじゃないか。

 他愛のない会話を繰り広げる。今ここで俺が超能力を使ったらどんな顔をするだろう?


 化物となじられるだろうか。それともそんなものくだらないと言うだろうか。絶交されるだろうか。哀れみや侮蔑の眼差しを向けるだけだろうか。それともただ、なんとなく疎遠になっていき、次第に避けられるようになっていくのだろうか。


 超能力を使うヒロのことを未玖珠ならかけがえのない宝石を見るような目で見てくれた。そんな未玖珠を思い出してしまう。

 今日はあまり食欲が無かった。


 気にしたくはないのに、確認する度に胸が痛むのにスマートフォンを何度も何度も見てしまう。未玖珠からのメッセージが来ていないかどうか。しかし何の更新もない。


 何かを見たり聞いたりする度に未玖珠の言葉が脳内で再生されることが何度もあった。その度に彼女の存在を確かに感じた。学校の人々の中にいると未玖珠のことがよく分かってくる気がした。


 柵のある渡り廊下から見る空はどんよりとした曇り空だった。


「(未玖珠。今どこで何をやっているんだ。大丈夫なのか?)」


 学校の中は人がたくさんいて、山方や柴崎と話していると寒さは特につらいものではない。特に図書館は格別の暖かさだ。いつも図書館で趣味の読書をわずかばかりした後帰って勉強をすることが日課だった。暖かい図書館で勉強している生徒は数多くいて席の奪い合いになるほどだが、ヒロにとって図書館はあまりにも誘惑が多すぎる場所だったので勉強するのに向いている場所ではなかった。


 ヒロは学校という社会とそこに暮らす人々の中に帰ってきて自分は、自分たちはいかに多くの人やシステムから守られているかを知った。そして世界にはたくさんの危険があるということ、そして自分が見てきたのはその一端でしかないことを理解した。


 放課後、今日は図書館に行くこともなく、風が吹きさぶ寒い渡り廊下に立っていた。


「(今も一人で何かやってるんだろうか。人形師に接触したのか?無事なのか?)」


 心配が募る。しかし自分とはもう会ってはくれないだろう。


「(俺は裏切っていたんだから……)」


 人形師のことが怖い。


「(腰抜けか…………でも未玖珠。それが普通なんだよ。普通の一般人の考えだ。なんでも自分を基準に考えすぎなんだよ)」


 未玖珠は強い。その強さにヒロは目が焼ける。もう人形師に立ち向かえそうにない。人形師の怖さが芯まで染み込んで、それを破れない。


「(怖い。だって、死ぬかもしれないんだ。もっと悪いことをされるかも。無理だ。どう考えても無理だ。すぐに捕まってさんざん痛い目に合わされて、後には何にも残らない。証拠も跡も残らない。人形にされて、もう普通の生活には戻れない。これから歩む人生全部取り上げられるわけだ。冗談じゃない。あんな犯罪者に関わってどうするんだ。関わらなきゃいいだけだ。おしまいだ。何にも分かってなかった。ちょっと調子に乗っちゃったんだ。今なら引き返せる)」


 頭を殴られてようやく我にかえる感じだ。

 もう一つの声が話し始めた。


 ヒロ。お前はそんなやつに会いに行くっていう未玖珠を放ってきた。それも人形師に攻撃しないつもりの未玖珠を。お前は人形師に話し合いなんか通じないことを分かっていた。なのに置いてきた。お前は未玖珠を見捨てて逃げてきたんだ。


 凡人は未玖珠の近くにはいられない。激しい渦に飲み込まれてしまうからだ。渦の中自分の自我を保って大きな流れに逆らうことができるのは突出した才覚のある者だけだ。 僅かな間だったが未玖珠の側にいて自分は周囲とは違い、価値があるような気になった。特別という自負すら芽生えかけたような気がする。全部勘違いだった。未玖珠の領域に自分がついていくには強さも、才覚も、力も、なにもかも足りなすぎる。


「(彼女は俺なんかいなくたって一人でやっていけるさ。いずれ放っておいたって王になっちまう人なんだ)」


 自分の力なんて必要ない。


「(そうさ。必要ない。俺はいらない)」


 自分の思考にズキズキと胸を痛ませながらヒロは踵を返し歩き始めた。

 それでも頭は、もっと早く注射を刺されたことを打ち明けていればもっと違った結果になったのでは、などど未練がましい恥ずかしいことを無意識のうちに考えてしまう。もう二度と見ることのできない彼女の笑顔が頭に蘇る。彼女を喪ってしまったことを急に実感してくる。


 でも知ってしまったんだ。あの眩しさの特別さを知りさえしなければこんな気持ちを味わうこともなかったのに。


 狂おしいほどの喪失感。涙が出そうだった。彼女に拒絶された。もう生きていく意味がない。



  ◇



 都内にある研究施設の地下。

 そこは地下百mほどある研究所の最下部だった。だだっ広い部屋にいくつかのごてごてした機材が置かれている。そこで未玖珠は機材の調整を行っていた。これから行う実験のためだ。この部屋は周囲がチタンと鋼鉄の合わせて厚さ四mの壁で覆われている。危険物質を外に漏らさないための措置だった。


「第五十七次超能力開発実験開始」


 マイクに向かって話す未玖珠。ビーっと言うけたたましい機能性以外なにもない音が部屋に鳴り響く。実験が始まった。分厚い壁の外には金と香川家の名前と未玖珠の作った伝手で雇った研究員が実験記録を取ったり、データを見ている。少し前まではそこにDr.島根もいた。


 しかし、今はいない。

 いつもそうだ。いつも決まって最後はズタズタになる。



  ◇


 

 十年前。

 実の両親に捨てられ、施設に預けられた未玖珠は二年間そこで過ごした。そこでは知能テストや運動テストなどが頻発に行われていた。その中で未玖珠は周りの子より抜きん出た能力を持っていた。神童だった。そして活発な気質を持っていた。未玖珠が自分が居た施設が普通の孤児施設とは違うということを知るのはもっと後になってからだった。


 頻繁に綺麗な身なりをした大人たちが施設に出入りしていた。それは入れ替わりが激しく、たくさんの人が施設に訪れていた。


 そして六歳になった時、未玖珠はいつもの通り知らない大人に会った。子供たちが遊んでいるところを見たりしている大人が、子供と個室で話すことは少なくなかった。


 応接室のソファにちょこんと乗った未玖珠はこの時間はお菓子が食べられるからとても好きだった。施設の人とその大人と未玖珠が応接室にいた。


 その日の大人はとても怖い男の人だった。地のそこから響くような声に未玖珠は怪獣を想起していた。

 そしてお別れ会のあと未玖珠は施設からその人に引き取られた。


 施設はお金持ち御用達の機関だった。養子にするにせよ、使用人にするにせよ、目的はなんであれ、あらゆる背景的にまっさらな子供を欲する人間のために運営された施設だった。


 未玖珠が連れていかれた先で見たのはどこまでも続いているように見える瓦の乗った塀。常時手入れされているのは内の方もだが、外の方が力を入れていた。いかつい門に掲げられた文字を女の子は見上げながら読んだ。


「かがわ」


 書道家が書いた下書きに一流の職人が彫りを入れたその表札には香川と書かれていた。

 あどけない横顔で不思議そうに見上げる未玖珠。長いまつ毛にきょとんとした目。こうして未玖珠は香川未玖珠となった。


 香川家に子供ができなかった。そのための養子だった。最初の二年は花よ蝶よというように育てられた。香川家の当主から、その妻から。未玖珠にとって幸せな日々はこの時期だった。


 …………だが香川家に子が生まれた。香川家の当主とその妻の実の子だった。全てがひっくり返った。その時から全てが変わってしまった。養子であることも、また香川家当主による帝王学的思想による優生論もまざまざと突きつけられ頭に刷り込まされた。どこのものとも知れない雑種であると突きつけられた。


 悲しみと痛みと混乱の暴風雨の中未玖珠はそれでも成長した。未玖珠の中で反逆の牙が研ぎ澄まされなら。


 十三歳の冬。香川家の一使用人となっていた未玖珠。名目上は姉でも立場は使用人だった。その当時ただ黙々と任務をこなしていた。心の底のほうに彼女自身でも気が付かなかったが、こうして言うことを着実に聞いていればいつかは親の愛が戻るのではないか、という働きがあった。


 それは彼女にとって希望と絶望だった。


 そんな日々を未玖珠が過ごしているとある事件が起こる。未玖珠を暴漢が攫った。ちんぴら同然の連中が身代金目的で香川家を狙ったのだった。しかし暴漢たちには誤算がたくさんあった。一つ目の誤算は香川家当主の人柄を知らなかったことだ。


 身代金要求の電話は香川家当主まで繋がった。当主は誘拐ではなく未玖珠の脱走だと考えていた。


「へへへ……大事なお子さんは預かったぜ。かわいそうに怯えてるよぉ」


『誰だ貴様』


「誰でもいいだろォ! いいか? よくそのお偉い耳かっぽじって聞けよ。かわいい娘を返して欲しかったら……」


『香川家には一切関係ない』


 そうして切られた電話の前で誘拐犯たちは立ち尽くした。そして未玖珠を昆虫のような冷酷な目でみた。

 誘拐犯たちはもう一度電話をかけた。


「おい。俺達がハッタリを言ってるかどうか娘の声を聞けばその能天気なお偉い脳ミソにも分かってもらえるか。お子さんはパパに助けてもらいたがってるぜ」


 嘲った口調だが誘拐犯は電話をいらいらしたように未玖珠に押し付けた。


  「……お父さん……? 私よ。助けて。この人たち本気なんだ。本気で私を殺す気なの………助けて! お父さん助けてぇ………!!」


 誘拐犯たちは野卑に顔を歪ませてそうそうと言うように頷いていた。

 未玖珠の耳には非常なぷつっと言う音とツー………ツー………という音だけが聞こえていた。切られたのだと言う事実は早鐘のように頭に響いていた。


「(お父さん……!)」


 未玖珠はかつてない危機感を抱いた。利用価値がなくなったら殺される。


「うん、分かった! お金をお兄さんたちに渡してくれるんだね! 場所はそこなんだ!分かった!」


 未玖珠は機転を利かせ当主が了承したように振舞った。

 誘拐犯は未玖珠から電話をひったくった。


「きれちまった 。おい受け渡し場所はどこなんだ」


 未玖珠は考えた。できるだけ離れた場所にしなくては。すぐに嘘がバレてしまう。


 目的の場所に到達する間に未玖珠は考えた。しかし、良案は浮かばなかった。受け渡し場所で待てども待てどもいっこうに来ない金に誘拐犯は痺れをきらし、未玖珠の首を締めようとした。九歳の子供だ。良心というものが無ければ大の大人には簡単なことだった。


 その時だった。彼女が遥かなカオスから超能力という力を手に入れたのは。


 未玖珠にその時超能力が発現した。


 誘拐犯たちが浮き上がったり叩きつけられたりねじれたりする光景を引き起こしているのが自分の見えない力ということが未玖珠は分かった。


 それは未玖珠にとって奇跡の力だった。その力に涙していた。歓喜と解放感と支配感が胸の内に生じていた。


 九歳児は服とそれ以上に心をずたぼろにさせて家まで帰った。自分が神から奪った力を抱いて。


 しかしこれらのこと全ては香川家当主の目論見通りだった。これもまた当主にとっての『教育』だったのだ。 帝王学やありとあらゆる偏見、人の闇を注ぎ込むという『再教育』だったのだ。


 大きな力に飲み込まれずにはいられなかった。 表舞台に未玖珠は二度と立てなかった。ただひたすらに闇と暗部の役割ばかりをこなした。常軌を逸した香川家当主は実の子供を陽を持って育て、未玖珠は陰を持って育てることに方針を転換させたのだった。バラを育てたいなら鉢は陽向に置く。フクシアを育てないなら鉢は日陰に置く。どういう花を育てるか驕り高ぶった怪物の手のひらの上で転がされていた。


 結果、決して癒せぬ痛みと決して癒せぬ怒りが未玖珠の魂に刻まれていった。


 対抗するために超能力や世界に対して未玖珠は徹底的な肯定かまたは徹底的な否定しかできなくなっていった。香川家とその会社の方針には徹底的な否定を。超能力に関しては徹底的な肯定を。十六歳。危ういバランスで咲きつつあるフクシアの花。



  ◇


 

 未玖珠はこの三年間心の底から安らげたことは無かった。暴風雨のような日々。未玖珠の中には夏か冬しか存在していなかった。



 彼女の中には真夏と真冬しか存在していない。

 ごうごうと燃やし、全ての大陸を熱し、広め、一気呵成に火柱を上げる灼熱業火の夏。


 ひえびえと冷やし、全ての海を凍えさせ、広め、底のない奈落に落とすような絶対零度の冬。


 彼女は生きているうちに春と秋を忘れてしまった。


 彼女の生き方は激しい。激しすぎるのだ。


 ヒロの中には四季が存在している。


 そして彼の中では秋と春の性質の方が大勢を占めている。ヒロは春と秋が好きだ。のんびりすることや誰かを待っている間の幸せな時間が好きだった。


 ヒロは春と秋の大切さを知っている。豊かさも。素晴らしさも。


 夕立の後の水たまりに映る空に心が綺麗だと思い顔を輝かせていつまでも眺めることができるような心の持ち主だった。


 感受性に富み、魂のマテリアルが柔らかい。ヒロの魂もまたかけがえないもので美しいものなのだ。

 未玖珠はヒロの家では心から安心して眠れた。


 本当に嬉しかったのに。記憶がぬくもりを乱した。


「(せっかく………せっかく………)」


 ヒロの笑顔の輪郭がぼやけて消えていく。

 自分から壊してしまった。

 涙目の未玖珠はかぶりを振った。


「(今やるべきことは)」


 超能力の強化。それに尽きる。もっと力を。全然足りなかった。もっと力があれば。そうすればヒロも───世界も───


 オミークロン派。科学名o派。


 ヨーロッパのある大学の院生が発見した放射線である。

 そのオミークロン派を脳の松果体に放射することで超能力は活性化することは解っていた。

 人体に著しく悪影響を与えることも解っていた。


 その有害度は放射能と同レベルである。


 未玖珠が放射能に似た有害なオミークロン派という放射線を浴びて致死レベルの悪影響がもたらされないのは微量な線量から少しづつ少しづつ長い年月をかけ、脳細胞を変化させていったからである。もちろん運動や環境要因をいじることで脳機能を変化させていく方法も行っていたし、薬物も施していた。しかしまだそれだけでは放射能のようなオミークロン派の放射に脳は耐えられない。未玖珠は松果体と呼ばれる脳の器官の下のところにチップを、小脳の近くに電極を埋め込んでいた。


 これら全て、彼女が望み、彼女が手術を要求したのだ。


 彼女以外のほとんどの人間がまったくそんなことは彼女に望んでいなかった。


 しかし彼女は望んだのだ。望んでしまったのだ。

 未玖珠がさらなる力を手に入れるためである。

 未玖珠が超能力者の国をつくるためである。

 彼女はそのためならどんな犠牲でも払う。

 彼女は今地獄の真っ只中にいる。

 過酷な実験は未玖珠の脳を焼いた。

 脳が、灼ける。

 呼吸ができない。

 死ぬ?………かも。


 そして最悪だと思っていた、これ以上の痛みはないと思っていた苦しみを簡単に超えるものがやってきた。


「─────ッッッ───アアアァァァアアアアアアアアッッッ!!」


 真っ白な部屋の中で極黒の悲鳴がつんざく。

 あまりの苦しみに彼女は意識をシャットアウトしたが、気絶ですら彼女の救いの役にはあまり立っていなかった。

 彼女は今地獄にいる。彼女が望んで。

 国を手に入れるために。


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