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超能力者一年生!  作者: アルリア
第一章
7/26

リリンが生み出した文化の極みだよ

 7


「これからどうするの?」


「……………」未玖珠は黙って歩いている。


「服をなんとかしたいよ。最悪だ。これ」


 さっきから喋っているのはヒロだけだ。

 七色のネオンが虚しく世界を煌びやかに飾っている。


 もうこの時間未玖珠の関係者はほとんど契約時間外で、車を呼ぶことができなかった。


 ぶるっと体が冷える。生ゴミは冷たかった。冬の寒さが二人を凍えさせる。


 未玖珠はどうどうとしたいつもどおりの様子を振舞って歩いていた。ただ口数が少ない。

 未玖珠の美貌とモデルのようなすらっとした長い股下に魅力的なファッションで飾られたプロポーションは人目を引くのだが、それと二人からする生ゴミの強烈な臭いと汚れのギャップにさらに人々は奇異の目線を注いだ。


 ヒロ自身この汚い服を一刻も早く着替えて、服の汚れを落としたい。服が台無しになった。


 ヒロの普通の服よりも未玖珠の高そうな服の方が台無し感は強いが、それでも不思議とこの街の中で彼女はそこらにぼんやりと行き交っている人よりも存在感があり、光っていた。


 人々があたりを絶え間なく歩いている。同じ方向を行く人は二人のそばに来ると咳き込んだり、顔をしかめたりした。たくさんの人が歩道を歩いているのにヒロたちの周りには空間ができていた。


「えっ何この臭い! くっさ! 超くさいんだけど何これ~」


 語尾を伸ばしたような喋り方で数人の女子が騒ぎだす。彼女たちはすぐ近くにいるヒロと未玖珠が臭いの元とは気がついていないようだった。


 だがすぐに気がついたようだった。こそこそと声のトーンを落として喋りながらヒロたちから徐々に離れる女子たち。こんなにたくさんの人ごみの都会騒音なのに臭いとか、そういう大きな声も、小さな声もヒロの耳にしっかりと届いていた。


 顔がかーっと赤くなる。

 思わず猫背っぽくして身を縮ませて速足で離れようとするヒロ。下を向いていたのであることに気が付かなかった。


「あ、あれ?」未玖珠の姿が忽然と消えている。

 まさか。と思って振り返るとずんずんと肩を怒らせさっきの女子たちに向かって道を戻る彼女の後ろ姿があった。


「うっうわーっ!」


 彼女を追いかけ、止める。説得というかなだめる。


「こんなことしてる場合じゃなかったわね……私衝動的に行動してたわ」

「でも確かにムカつくよね」


 しおらしい彼女が反省しているように見えたのでついそういう言葉が口をついて出る。二人で歩き直した。


 通りがかったタクシーを未玖珠が手馴れた動作で止める。緩やかに停止した車に乗り込む未玖珠。

 未玖珠は乗り込んでからヒロに何か言おうと口を開いたがその前に黄色い車内のライトに照らされたの運転手が野太い声を放つ。


 ほとんど黒に見える深緑の肌をしていた。


「ちょっとお客さん何なのその臭い。冗談じゃいよ。シートが汚れちまう。降りてくれ」


 腰を捻らせてこちらにしっしと手で追い立てる運転手の男。


「黙れ! さっさと走らせなさいよこの下郎が!」


 未玖珠。ブチギレる。なんだとコノというような態度で応戦し、たちまち喧嘩となった。


「ご、ごめんなさい降ります! どうもすいませんでした~~」


 ヒロは慌ててにこやかに運転手のおっさんに言いながら無理やり未玖珠に降りてもらう。

 なおも文句を言おうとする未玖珠を引き止めているとタクシーのドアは自動で大きな音ともに締められた。それは車全体で二人を拒絶し、放り出したみたいだった。冷たくタクシーは走り去る。


 未玖珠は手を遠ざかっていくタクシーに鋭く突くように向ける。


 あっと思う間もなかった。次に目に飛び込むのは横転するタクシーの姿だとヒロは思った。実際その光景を幻視していた。しかし三秒たっても十秒たってタクシーがかなり離れてからも何も起こらない。


 俥は四十mほど離れた。未玖珠の全力の距離はわからないが未玖珠ならまだサイコキネシスは作用するはずだ。


  「(うっ………)」


 つまり、未玖珠も超能力切れを起こしていたのだった。だとすればさっきはかなり危険な状態だったことになる。戦慄する。


「くそっ! ~~~~っ!!」


 未玖珠は超能力切れにさらに怒りを燃え上がらせダンダンと足を踏み鳴らす。

 お嬢様が使ったらやばいような言葉と身振りをさんざん使ってタクシーを見送る未玖珠。テールランプが豆電球ほどの大きさになっても悪口を言い連ねた。


 人々が嘲笑ったりしながら二人を見ている。にやにやとした好奇のイヤな目を通行人は浮かべている。スマホを向けてくる人間までいた。


「見せもんじゃないのよ! 何見てんのよ!!」


 彼女の一喝に周囲は静まり返る。 未玖珠は周囲にガンを飛ばしまくった。 未玖珠を揶揄していた連中は目をサッと逸らしそそくさと散っていく。 無言であるいは仲間内で意地の悪い捨てゼリフを石のように投げつけながら。


 彼女はヘイトを一身に受ける。それでも胸を張っている。


 人々は周囲からさらに離れて行った。側にいるのはヒロだけになった。二つの点がぽつんと大都会の真ん中で浮かぶ。 未玖珠はどんな状態になっても、地べたに堕ちようと女王として君臨する誇りを捨てなかった。


 走ってかいた汗が今になって二人の体温を奪う。


 車も呼べず、タクシーにも乗れず、周囲も冷たい視線を彼らに注ぐのみだ。二人は大都会のギラついた明かりの中でさまよっている。世間のつめたいつめたい風が吹きさぶ。


「くしゅっ!」


 隣で未玖珠がくしゃみをした。彼女の方を見ると、ティッシュで顔を育ちの良い貞淑なお嬢様のするような動作──しかし未玖珠らしいお転婆さがふんわりとにじみ出る──で拭くところだった。


「大丈夫??」


 ヒロは心配して尋ねる。寒いはずだ。ヒロもとにかく寒い。


「ふん。なんでもないわ。……平気よ」


 彼女は鼻の周りを赤くさせ、世界を睨みつけるようにして言い放った。未玖珠の吐息が水蒸気となって空に消えていく。


 ヒロもガタガタっと体が震えはじめた。


「やばい。本格的に冷えてきた。この分じゃ暖をとるために店にも入れないか」


 急を要する。水島の事を話し合う余裕はない。


「ヒロ。寒いわ。なんとかならない」


 例えゴミにまみれようと周囲から隔絶しようと堂々としている彼女だが、こちらに正面から向かう体の震えを抑えながら未玖珠が話していることがヒロには分かった。鳥肌が立っているからだった。


 なんとかヒロは頭を巡らす。標識を見てあることに気がつく。


「ここは錦町だったのか。やった。俺のアパートが近い」


「ならそこに早く行きましょう。凍えちゃうわ」


 二人の体は芯まで冷え切っていた。自然と二人の距離が近くなる。暗闇の中でたった二匹で身を寄せ合う小鳥のようだった。吹きさすぶビル風の冷たさに耐え忍びながら二人は黙々と歩き続けた。


 路地に入っていくと人の数も少なくなり、人々の視線も格段に少なくなったというのに未玖珠は刀の収めどころを知らない人のようにいまだ怒りが冷めやらぬようだった。神経を尖らせ、肩を張っていまもヒロの隣を歩いている。ヒロはそんな未玖珠を見ていて聞きたくなった。


「ねぇ未玖珠。それってさ。そんな風に……やってて疲れないの?」


 ヒロはとは物事を具体的に言わず、かなりの比喩や暗喩などを使った自分の語り方に辟易することがなくはなかった。今回も自分の本当に言いたいことが表現できたり、伝えたりできたか分からない。自分がクラスメイトとうまくいってないのはこういうことが原因ではないのか。ふとヒロは思った。


 チカチカっと瞬きするように電柱の明かりが二、三度瞬く。周囲では家屋からほのかな橙色明かりが漏れ出している。五つつ間を置いてから未玖珠は言った。


「疲れる。疲れるわよ。でも誇りを忘るなよ。ナメられるな。ナメられたらおわりよ」


 ガンを飛ばした未玖珠の強い勢いの言葉にヒロは返事をしなかった。その返事で確かにすとんと落ちるような納得はできなかったのかもしれない。



  ◇



「ようやく我が家にたどり着いた……」


 アパートまで帰ってこれてなんとなくほっとした気分になるヒロ。


 ヒロが高校に入って一人暮らしを始めたアパートだ。中学の時から実家でもほとんど親は家に寄り付かなかったためそのころから一人暮らししていたようなものだったが。


 階段を登るカンカンという足音が重なる。 ドアに鍵を差し込み、軽い扉を開ける。中は当然暗い。


 電気をつけるパチッと言う音が無人の部屋にする。未玖珠は興味深そうに部屋の中を見ていた。白い壁。白い光を注ぐ蛍光灯。ヒロの部屋は男子高校生の一人暮しにしてはかなり綺麗にしてある。アパートの外見のぼろさと中の綺麗さにギャップがある。


 未玖珠からすればとても狭いが不思議な清潔感が気に入った。ヒロという同い年の人の部屋に入るのが彼女にとっては新鮮だった。今まで同級生の家に遊びに行ったことすらない。今まで家屋やアパートなど外から見ることはあっても中に実際に入ることは無かったので、なるほど庶民の家というのはこういうものなのか、と。


「シャワーを浴びたいわ。風呂場を貸してよ」


 未玖珠はこの清潔感のある部屋に自分の服装の汚れが気になり遠慮なくヒロに言った。


「俺も寒いし早く着替えたいからさ。手早く頼むよ」


 ヒロも寒いし、汚いのが嫌だったので早くシャワーを浴びたかったが。


「服はどうすればいいの?」


「そうだなぁ……」


 べとべとの汚れがついたハーフコートやストッキング。ヒロの方も似たような汚れまみれだ。

「一度手洗いしないと駄目だな。服脱いだら洗濯カゴに入れてよ。軽く手洗いするから。今すぐ手洗いしないと落ちない汚れもあるかもしれない」


「えっいいわよ別に」


 未玖珠が驚いたあとそういった。


「別にって。今やらないと汚れも臭いも残るかもしれないんだ。俺としてはそれは見過ごせないよ」

「捨てればいいじゃない。汚れた服なんて今までもたまにそうしたもの」


 未玖珠の考えにヒロは呆れる。湯水のように使える金銭のせいか。マリーアントワネットみたいだ。服が汚れたなら捨てればいいじゃない。


「何万するかも分かんない上等な服を捨てるなんてもったいない。洗わせてくれ」


 未玖珠は何かをしばらく思案していたがやっぱり言った。というより悩んでいるようだった。


「やっぱりダメ!」


 結論はやっぱり不可だそうだ。


「洗濯機があるじゃない。これじゃ落ちないの?」

「多分落ちると思うけどもう九時だ。こんな時間に回したら近所迷惑だよ」

「じゃあどうするのよ」

「うーん………コインランドリーが近所にあるけど………」


 未玖珠がコインランドリーがなんなのか知らなかったようなので説明した。未玖珠はそれでいいじゃないと言って、そんなことより早くシャワーを浴びたそうだった。


 ヒロは時間がたったあとコインランドリーで洗って落ちるか心配だった。


「じゃあ俺はここで俺の服は手洗いして待ってるから」


 キッチンにある水場を指差し未玖珠に言う。キッチンはヒロがだいぶ改良し、拡張してある。もちろん敷金が帰ってくるよう配慮するので傷をつけるようにはしていない。


「私今日ここに泊まっていくから」

「は?」


 未玖珠が何を言ってるのか分からない。意気揚々とこの落としがいのある汚れを落とすためにどの洗剤と洗濯用具を使おうと考えていた頭に別方向からの言葉がぽーんと投げつけられる。そのボールを投げ返せないでいるとさらに変わったボールが投げられた。剛速球。


「ヒロがそこでなにかやってると臭いが移っちゃうじゃない。外で待ってなさいよ」

「なっ」


 確かにヒロもそれに関して気になってはいたがそれは妥協しなきゃいけないな。と思って諦めていたのだ。


「この極寒の中外で待ってなきゃいけないって言うのか? 流石に冗談じゃねえよ」

「なによ。しょうがないじゃない。この臭いの中一日泊まるなんて私は嫌よ」

「そんなに言うなら未玖珠が外で待ってればいいんだよ。俺がそのあいだシャワーを浴びるからさ 」


 ヒロは笑いながらこの提案がもたらす状況の面白さを想像して言った。お嬢様をさしおいて俺が優雅にシャワーを浴びる。


「絶対に嫌だわ! なんで私がそんなことをしなきゃいけないよ!」


「『そんなこと』を人にやらせようとしたのはどっちだよ! ここは俺んちなんだぞ!」


 一理あると思ったのか未玖珠は口を尖らせた。ヒロと未玖珠が口論してたいがい折れるのはいつもヒロだ。しかし部屋の中でさえこんなに寒のに外で待つなんて冗談ではない。


 ヒロと未玖珠は黙って睨みあった。こうしている間に寒さと汚い服を着ている不快さはそのあいだ二人に降りかかるし、臭いも部屋に移る。このままでは埒が明かない。平行線ってやつだ。意見の折衝は難しい立場同士の二国間交渉のように難航した。そしてヒロはいらいらと言った。


「じゃあ二人で同時に浴びるっていうのは」


「!」


 今度は未玖珠が驚く番だった。


「布を目隠しにしてそれで浴びればいいよ」


 ヒロが問題の解決するために妥協案を言った。それには新たな問題が含まれていたが。むちゃくちゃなことをいうやつはむちゃくちゃなことをいわれるのだと考えながら。もうじゃんけんで決めるしかないんじゃないか。とヒロが思っていたとき予想外のことが起きる。


 未玖珠は挑戦的な笑みを浮かべた。


「いいわねそれ」


「(く、くっそ……)」


 未玖珠のその態度にカチンとくる。逆にたじたじとした顔をしたヒロに未玖珠は満足そうだ。淡い緑色の生地の布を受け取った未玖珠は透けないかどうか確認した。


「ちゃんと目隠ししなさいよ。してなかったら分かってるわね」


 歌うような声でシャッと脱衣場のカーテンを閉めながら横目でヒロに言った。その目はひどく挑戦的でヒロは肩をすくめた。


「やれやれ……なんてお嬢様なんだ」


 そう言う他ない。むちゃくちゃだ。未玖珠はむちゃくちゃだ。しかし、その流れに乗る自分もむちゃくちゃだと思った。初めて未玖珠に会った時から、いや超能力がはじめてこの身に起きた時からその轟流はずっと続いているのだった。


 ヒロはハイになっていたが実は未玖珠もまたハイになっていた。

 行ってやろうじゃないか。なんとなく男を試されているような気がしたのだ。

 浴室に先に入る未玖珠。ヒロも意を決して浴室へと入った。


「………………」


 未玖珠の足跡、息遣いがこちらまで聞こえてくる。心臓の鼓動がおかしい。目隠しで何も見えないが近くにいる未玖珠の気配を感じる。急に気恥ずかしくなった。早く浴び終わってしまいたい。


「せ、狭いのよこのシャワールーム……」


 上ずった声の未玖珠が言う。お風呂と洗面台のついているユニットバスで、一畳分の広さもない。

 彼女の隠しきれない恥ずかしがる声につられるようにヒロの気恥しい気持ちも増してゆく。

 しかしそれだけではないなんというかお日様の光のような浮かれた気分にもなる。


「シャワーはどこよ……もうっ」


 軽く拗ねる子供のような口調。ガタガタとシャワーヘッドを探して手を動かす未玖珠にヒロは低く笑い声を漏らしてしまった。


「ばかっ」


 未玖珠は顔を赤くした。怒ってヒロの頭を叩いた。とはいえあんまり無茶な動きをしないで欲しいとヒロは思う。接触という不慮の事故を起こす可能性がある。なにしろ二人とも今身にまとっているのは目隠しの布だけなのだから。


「未玖珠ちょっとどいて。うん。下がって」


 未玖珠がタイルの床をぺたぺたとたどたどしく横にずれるのを感じながらヒロはシャワーの水栓に手を伸ばした。


 ここでようやく未玖珠はヒロのアパートの浴室なのでヒロは見なくてもどこに何があるのか分かるのだということに思い至った。未玖珠は悔しげに口を曲げて腰に手を当てて胸を反らして


「………ヒロの癖に」


 と言った。

 水栓をひねりシャワーからお湯が降り注ぐ。お湯は冷えた体に染み込むように二人の体を平等に優しく温めた。


 豊かなお湯は肌を温め、まず人を癒す。落ち着かせてくれるのだ。活力を蘇らせリフレッシュさせる。


 お互いに気持ちよさそうな息を漏らしたがそれを異性の隣の人間に聞かれても特に気にならなかった。

 むしろこの満たされる時間を共有することが幸せですらあった。幸せな気持ちを誰かと寸分違わず共有できる。これ以上の幸せがあるのだろうか。


 タイルの床はあっという間にお湯で濡れた。ぴちゃぴちゃという二人の足踏みがする。未玖珠はカモシカのようにすらっとした足でいくつも波紋をつくる。


 体重が軽いのではないかと思わせる軽やかで元気いっぱいの足どりだった。


 極寒の中で冷えた体がようやく暖まってゆく。

 ドドドドと心地好い濁音が連続している。


 そしてそれが浴槽のふちからジャーっと満杯になったダムから溢れるようにしてザパっとタイルの床に波を起こす。目隠しをつけていたからそうなるまで分からなかった。二人はシャワーを堪能しながら体を洗った。


「体を洗ってよヒロ」


 未玖珠は不意にそう言った。彼女は不意を突くのが好きなようだ。


「えっ………えーと、えっと……」


 さすがにそれはどうなんだろう。


「普通のことよ。私が昔から知ってる乳母とか側女の仕事だけど」


 だって女の子に触れるとか今までの人生にそんなイベントはなかった。 いやいや何を考えているんだ。ただの風呂じゃないか。その証拠に未玖珠もただそれだけの口ぶりだ。妙に意識する自分の方がおかしいのだ。反省しなきゃ。罪悪感を覚える。


「わ、分かった」


 意識的に変なことは何も思ってないみたいな声を出そうとするがどうしても普通にはできなかった。

 ヒロは務めて冷静に義務を果たそうと考えた。


 そこに未玖珠の肌がある。なんたってこんなに意識してしまうんだ。布で拭く未玖珠の背中は当然ながら男のそれとはまったく違った。意外に小さい体をしている。肌は絹のように柔らかいので傷がつくんじゃないかとひやひやして丁寧に優しく洗った。ウエストは滑らか。とても細い。


 きゅっと締まった体つき。


 目隠しをしているにも関わらず未玖珠の体の情報がたくさん届いてそれだけでいっぱいいっぱいになった。


 未玖珠が何も言わないのが心地いい。ヒロも何も言わない。シャワーで洗い流す。この美しい女性のお世話をしたということが誇らしかった。


「ありがとうヒロ。ねぇ。今度は私が流してあげようか?」


 未玖珠がヒロに言う。


「ええっ………ええと、その……俺は…大丈夫。自分でできるから」


 しどろもどろになって答えるヒロ。


「遠慮するなよ」


 男口調で未玖珠があかすりを手に取りヒロの体を流しはじめた。その手つきは勢いがいい。


「意外に筋肉あるじゃん」


 なんて意外そうに、可笑しそうに言う未玖珠。

 チャプ………と未玖珠が湯船につかる音がする。

 やはりヒロが満杯の風呂に入ったらもっとお湯は溢れるはずだ。

 しばらく未玖珠が気持ちよさそうな声を出しながら湯にゆっくりとその完璧に近い黄金比の肢体を沈めていった。


「気持ちよさそうじゃん。俺も入っていい?」


 ヒロは声にふざけた調子を伴わせて言った。 一人暮らし用の狭い浴槽だ。もし二人も入るとなるととんでもない状態になる。

 未玖珠は超能力で風呂桶を操りお湯をヒロの顔にぶちかました。


「バーカ」


 笑う未玖珠。楽しい時間だった。 黄金の蜜のように甘い時間。 魔法のようなひととき。



  ◇



 二人は風呂から出た。風呂には結構長い時間入っていた。いつもはパパッと済ませるだけだが未玖珠と話をしていて四十分くらい入っていた。


 汚れた服は袋に入れておいた。ご飯を食べてからコインランドリーに行くことになった。時刻は夜の十時。


「もうこんな時間か。あの騒動のせいで夕飯を食べ損なったね」


 未玖珠に話しかける。未玖珠はヒロの服を着ていた。男物の服を上下に着る未玖珠。

 大きなTシャツがあまり未玖珠にフィットしていなくぶかぶかだが、そのモデルみたいな体型と本当にお姫様のようなしなやかな髪と整った顔のせいか、かなり似合っている。


 男が女の服を着たらおぞましくなるだけなのに女が男の服を着ても様になるというのはなんだか不公平な気がした。誰に言うわけでもないが。そういえば去年の文化祭で女の格好とメイクをさせられて、口ではすごいいやいや言っていたが、ほんの少しだけ面白かった事も同級生には言ってないな、とヒロは考えた。

 それだけじゃないな。とヒロは思った。未玖珠は姿勢が良いのだ。


「お腹がすいたわ! 何か出前でも取りましょうよ」


  風呂上がりらしく顔を火照らせてなんだかうきうきとした様子でヒロの部屋を物色していたと思ったらおもむろに未玖珠は言った。


 Tシャツの下には肌着しか着ていないため未玖珠のプロポーションが強調されて分かりやすくなっている。顔をつやつやほくほくと光らせている未玖珠。


 未玖珠が生き返ったようでヒロもほっとしていた。

 ヒロは人形師のことを話しあいたかったが、未玖珠に人形師の話を振っても気のない返事しか返ってこない。


 未玖珠は人形師の話を避けていたのだがヒロはその事にはっきりとは気付くことはできなかった。またそれがどういう意味なのかも。


 今はヒロは未玖珠が幸せそうで胸が暖かくなっていた。未玖珠も今はあまり過激なことや何かの批判を言う気分じゃないんだろうと考えた。


「俺が料理するよ。こう見えて料理はまぁまぁできるんだ。まぁ俺は何の特技もない平凡以下だけどね……」


 だからずっと将来どうしたらいいかって不安なんだ。誰にも言えないけど。

 未玖珠はヒロの顔をまじまじと見ながら首を傾げた。


「ヒロ。何言ってるのよ。あんたの一番の特技は超能力じゃない」

「!……あ、ああ……! そうか。そうだよな……!」


  本当になぜそんなことを言うのか分からない、と未玖珠の顔に書いてある。


「おかしなことを言うやつねぇ……」


 ヒロは誤魔化すように習慣化した動きで料理の準備をしていく。


 ───そうか。そうだよ。俺は超能力者なんだ。ヒロは新鮮な感慨に包まれた。

 今まで人に誇れるような能力などなかった。誰にでもあるわけじゃない特別な能力など。だが今はそれがある。エプロンをつけて慣れた手つきで工程を進めていくヒロの姿を興味深そうにキラキラした目で覗く栗色の髪の少女。カスタマイズしたキッチンから手際よく調理道具や調味料を出してゆく。


 本来ならヒロなどとは全く接点を持たない別次元の存在。そんな未玖珠と同じ超能力がある。未玖珠は風呂上りなので香水などなにも使っていないにも関わらずとてもいい匂いがした。


「(やば……なんでこんなにいい匂いがするんだよこいつ)」


 フローリングが白い光を反射している。ヒロが普段からよく磨いているからだ。電気カーペットのところでスリッパを脱ぎ、コタツのテーブル台上に料理をたっぷり載せた大皿を置いた。コタツでお待ちいただいたお嬢様は待ちきれないとばかりに器用に目だけをそわそわさせている。


「いただきます」


 未玖珠は礼儀正しく食べ始めた。テーブルマナーの綺麗な未玖珠。ヒロとは育ちも全く違う未玖珠。

「美味しいわ。驚いたわ。超能力の他にこんな才能があるのねヒロ! 三ツ星レストランのどんな料理人より、家の料理人より美味しいわ! すごい才能ね!」


 めちゃくちゃオーバーな賛辞だとヒロは思った。未玖珠はオーバーに言うものなのだ。しかし未玖珠の言葉には力がある。


 関心するぐらい美しい所作で食べるが次々に口に運ぶ未玖珠が心からそう思ってることを証明していた。

 顔を綻ばせる未玖珠をあまり長い間じっと見ているのもまずいので時々目に焼き付けるように見た。そしてヒロは抗い難い力でゆるみそうになる顔を隠すために頑張らなければならなかった。


 自分のために作る料理と人のために作る料理はこんなにもモチベーションに差が出るものなのかとヒロは思っていた。

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