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超能力者一年生!  作者: アルリア
第一章
6/26

犯罪者

6

 車はどんどん人気のないところへ行った。 一つの倉庫の前で止まった。 廃材がそこかしこに積まれていた。


 赤錆だらけの戸を土屋さんが開ける。


 ヒロは体の自由を支配されていた。未玖珠は抗うことができるのかもしれないがヒロは体を全力で動かそうとしたが自分の体じゃないように主の意思を聞かない。


 一時的に肉体の操縦権は水島が握っているということが分かった。今まで生きてきていて自分のものだったものが奪われた時はパニックになったが今は静かな闘志を漲らせ、落ちついている。


 そしてバレない範囲で超能力を使おうとしたが超能力もまた何度試みても発現しなかった。


 体が操られているのはやはり超能力と考えて間違いない。目で未玖珠に尋ねると彼女も頷いた。


「(無能力者に対する普通の人間の警戒のなさは俺もよく分かっている。弱点をつくとしたらそこかな……?)」


 体を勝手に動かされるという気持ちの悪さを味わいながら二人は倉庫に入らさせられた。


 中にはマネキンがたくさん置いてあった。打ち捨てられたマネキンが何体も並んでいた。朽ちた木やカビの生えたものも転がっていた。一体一体ぼろぼろの服を着たそのマネキンに統一性はなく、老若男女の様々な体型のものが立っていた。倉庫の外観の汚さとは逆に中はかなり清潔で掃除も行き届いていた。天井は倉庫にしては低い。圧迫感がある。こんな部屋に何日も閉じ込められたら気が狂う。


 水島は鼻歌を歌いながらマネキンの手入れをし始めた。


 土屋は命令待ちのロボットのように扉の前に立っていた。その目はどこも見ていないようだった。


「待たせて悪かったね。どうしても気になるところがあって」


 水島は言った。人形のどこが気になって直したのかヒロには分からなかった。


「さて……香川未玖珠君に……君は?」


 警察手帳で名前を見たから水島は未玖珠の名前が分かっていた。


「お……」


 喉から声が出る。


「お前が連続誘拐殺人事件の犯人だろ!」


「質問してるのは私なんだよ!!」


 水島がいきなり語気を荒げ手をヒロに向ける。するとヒロの頭の中にある命令が浮かんだ。


『自分の名前を言え』


「(嫌だ!)」


 拒絶する意思は封じ込められる。その命令に押しつぶされるようでとても苦しい。


『自分の名前を言え』


 そのこと以外の思考がどんどん抜け落ちていく。思考と思考がバラバラになり、単語すら頭に浮かばなくなる。


『自分の名前を言え』


「な……中居ヒロ……」


 かすれた声で絞り出す。すると頭を押しつぶしていたものがすっと和らいだ。しかしすぐに答えなかったことや抗ったことに対する罪悪感が自分の意思とは関係なく吹き出す。思考と思考が繋がらないこの感じは和らいだとはいえまだ頭に残っている。


「(解るのはこいつが能力を強くしたってこと)」


 ヒロは未玖珠に小声で言った。


「こいつの能力……相当ヤバイよ」


 未玖珠は頷いた。水島は質問を未玖珠に投げる。答えを強要する尋問。


「君たちの歳は?」


 未玖珠は答えない。未玖珠自身も能力を確かめようとしたのだろう。だいぶ長い時間耐えてからギリリとこちらまで聞こえてきそうなほど歯を食いしばり、耐えた。それから未玖珠は質問に答えた。


「十六歳……」


 未玖珠はかなり疲弊したように見えた。しかしヒロは知っている。彼女の誇り高さを。その屈辱を考えたらヒロも悔しくなった。


「あああ……簡単に壊しちゃもったいないじゃないか。こんなに美しい人形が手に入ったんだからね。ふふふ」


 ねっとりとした目で未玖珠を見る水島。


「気が強いんだねぇ未玖珠君。ふふふ。いいねぇ。すごくいい。ならいいよ。私が質問するごとに一つ君の質問を答えてあげよう」


「あんたのこの力は何?」


「これは超能力と呼ばれるものだ。信じられないかい?」


 水島が愉快そうに続ける。


「……………」


 未玖珠は短期的な目標に絞ることにした。たとえ前提が揺らいだとしても。


「攫った人たちは?」


 未玖珠は誘拐された人達を心配しているわけではなく、失踪人を見つけた方が功績になり、警察への交渉材料になるからだった。


「二度質問したなっ! ルールを破るなっ!!」


 バシン!と人形師は未玖珠の顔を殴った。彼女にとっては殴られることもその理由についても慣れたものだった。


 彼女は決められたルールをたとえ手を挙げられたとしても内なる衝動に従い、破る。


 だが、彼女は自分が殴られるなんて思いもしなかった箱入り娘の少女のような目の色をした。


 水島が超能力者だったからだ。目が、揺れている。


「き……貴様ァアッッ! 何しやがる!! 汚い手で触るんじゃねえよ!!」


 水島に激高するヒロの声が上から未玖珠に降った。未玖珠の頭の中で超能力者が自分を殴り、超能力者が自分がのために怒るという事実が振り子のように揺れていた。


「攫った? 違うな。彼女たちは自分の意思で私のために働いてくれてるのだよ」


 人形師の明朗な声。倉庫内に響き渡る。そして未玖珠に喋りかける。


「だいたいは奴隷コミュニティに売ったが、君みたいな子は私の店のスタッフになってもらおうと思ってるんだ。良い待遇を約束しよう。食事も三食とらせてあげる。入ったばかりの子には普通は食事はないんだよ? 月に一度は外出だって許可するし、なるべく長く心を残してあげよう」


 ヒロと未玖珠は嫌悪に顔をしかめた。


「(何を言ってるんだ。こい……つ……)」


 ヒロは頭をフル回転させ全てを読み取ろうとするがまるで意味が理解出来ない。本物の悪。ヒロは悠長だった。こういう時は敵の戦闘力のみを読み取るべきなのだった。しかし、ヒロの行為は本当の意味で間違ってはいない。


  「中居ヒロ君は未玖珠君の友達かな? そうだ! 質問ごとに彼に傷をつけていこう!」


  水島は相手が傷つくことが嬉しそうだった。

 ───人の心を持たない外道。悪魔が目の前にいる。ヒロは目の前の人間が人の形に擬態した悪魔のように見えて足がすくみそうだった。


 心臓がばくんばくんいっている。少しでも優位をとりたいという気持ちが心を上滑りする。


 水島は未玖珠に言った。


「君の意思でね……」


 それはさらに『命令』を強めることを意味していた。水島が腕を伸ばしかける。

 瞬間。


 未玖珠は懐に差していた刃を抜いた。つまり超能力を発現した。

 一瞬の出来事だった。やはり未玖珠は超能力を使うことができていた。水島のマリオネットとでも言うべき超能力より彼女の超能力はやはり強かった。


 サイコキネシスはうねり、波動とかし、サイコウェーブとなり水島の胸骨を圧迫しながら吹っ飛ばした。そして水島はマネキンに突っ込む。マネキンが鈍い音をいくつも響かせドミノのように倒れる。

 その時二人を襲っていたマリオネットの諸症状が全て解けた。重い荷物を降ろしたような解放感。


「万ッ倍にして返してやる………!!」


 未玖珠が射抜くような目で意思を拡散させる。

 

 水島は五mほど吹っ飛んだ。相当な音が倉庫内に鳴り響く。

 未玖珠のサイコキネシスの力は瞬間的に二十Gの力を人体に加えたように強かった。


 吹っ飛んでぶつかった先のマネキンも柔らかい素材とは言えない。


 水島は起き上がってこない。マネキンが倒れて壁に当たったりした音の残響のみがヒロたちをあざ笑うように倉庫内をけたたましく乱反射する。


 やつは普通じゃない。その普通じゃないということが未玖珠が隣にいるにも関わらずまだヒロが警戒を解いてない理由だった


 そして起き上がったのは水島ではなかった。


 マネキンが、起き上がった。


 生命のない無機物であるはずのマネキンが動いているではないか。長い間駆動していなかった関節を人形のように規則的に単調に動くその姿は不気味そのものだった。


「う……」


 ヒロの喉から声が漏れる。恐怖とおぞましさにひきつった表情がヒロにも浮かんでいる。

 未玖珠は笑った。


「すごい……そんなこともできるのね」


 その声に込めたのは感嘆か。

 そんな未玖珠にヒロはこちらに立っておられるのもまた魔女なのであると思う。

 マネキンたちはいっせいに襲いかかってきた。マネキンの山に埋没した水島が何かしらの操作をしているのがようやく見えた。未玖珠がサイコキネシスで水島を掴んだ。


 目に見えない巨人が水島をつまんだかと思うといきなり重力が反転したかのように壁に叩きつけられた。


「ゴハッ!!」


 息を吐く水島。壁に張り付けにする未玖珠に容赦はない。必要ない。目の前にいる男の悪行は今証明された。


「謎が解けたわね。失踪者は人形師によって人形にさせられていた。彼らは全員人形師の被害者だわ」


 被害者である彼らは人形師の忠実な兵隊となっていた。その目はどこも見ていないような感情というもののない目だった。


「この人たち全員が!?」


 老若男女がいっせいによたよたとロボットの真似をしているような動きでこちらに歩み寄ってくる。酔っ払っていると言われた方がまだ救いがある。酷くおぞましい。


「来るわよ! しっかりしなさい! ヒロ。戦う術は私たちにはあるでしょ! 忘れてたの? マヌケ!」


 こんな状況でも未玖珠はいつもと変わりないように見えた。余裕そうに人形たちから視線を外しヒロをちらっと見た。その声は鮮烈だった。


 自衛する術がある。未玖珠に言われて手を人形たちにかざす。手から放たれた念動波は確かな力だった。実際的に人形たちをヒロたちから遠ざけることができた。サイコキネシスを連続して使い、とにかく吹き飛ばした。


「(戦える)」


 この場所で確かに自分の力が通じている。人形たちに対して制圧効果がある。


「あの対人訓練は結構役立ったよ。それに未玖珠がいなきゃ足が震えて何かすることもできなかったと思うよ! ありがとよ! 命の恩人!」


 ヒロと未玖珠は手をかざし、人形たちを吹き飛ばす。


 二人はサイコキネシスは混じりあわせ、一つの力場を発生させるように人形たちを磁石にひっつかせるみたいにひと塊にしていった。

 ユニゾンのような状態。ヒロは自分が暴れ回る未玖珠の力をパワーが分散しないよう整えたりできることに気づいた。


 通奏低音のように音楽を奏でているかのような一体感。

 ある種官能的なまでの昂りがある。


  「超能力最高!」


 未開拓の領域。過去に超能力という分野が本当に研究されたことはない。フロンティアなのだ。

 そのワクワクする世界で未玖珠はずっと前から遊んでいたのだ。そして燦然と輝く高貴な香川未玖珠という少女が路地裏でヒロをその世界に無理やり引っ張っていった。


 唐突に楽譜をびりびりと引き裂くようなことが起きた。

 ヒロは何かにぶっ叩かれた。それは爆音だった。

  即興のジャズのような演奏につきものの不確定さか。だがそれは意識が刈り取られるほどの衝撃だった。 耳の痛みに目を閉じ顔をしかめた。目を開くと景色は一変していた。そこらには砂煙と砂塵が舞っていた。


「………!!?」


 ヒロは何が起きたのか分からなかったが、人形たちや人形師を押さえつけていたサイコキネシスから力が──未玖珠の分が──なくなり、ヒロの力だけとなっていることがまず分かった。では未玖珠の力はどこへ行ったのか。


 答えは徐々に分かっていった。粉々に砕けたフロントガラス。ひしゃげたバンパーにナンバープレート。

 大型トレーラーが倉庫の壁をぶち破り突っ込んできたのだった。それに未玖珠は超能力を向けていた。


 女神の前に跪く神の獣のように彼女の差し向けた腕の先で動きを停止させている。

 唖然とする。こんな大きな運動エネルギーを止めてしまった未玖珠に。人間の力をはるかに超越した力。それが超能力。ぶるっとヒロの体が震えた。


 人間は知恵によってあらゆる力を制御し、発展させてきた。しかしそれは正解ではないのではないか?本当は超能力の進化こそが人類の正しい進化ではないのか。そうヒロが啓蒙にも似た思いを抱くほどその力は分かりやすく、そして神秘的な属性をかもし出していた。


 中に乗っているのっぺりとした顔の人形がいくらアクセルペダルを踏んでもピクリとも動かないのでだんだんと顔色が悪くなっていき、聞き取りずらい言葉をごにょごにょとつぶやいてから、運転席から転がり落ちるように飛び降りた。


 命令を遂行できないとものすごい罪悪感と自己否定感に襲われる。一度人形師の能力をその身に受けたからヒロは解る。


 しかしだからと言って未玖珠に襲いかかる人形の突進を看過することなど到底できない。露払いをするようにヒロは人形をサイコキネシスで拘束した。


 未玖珠がふらっとよろめいた。


「未玖珠!」


 よろけたがなお力を解除せずしかも自分の力だけで立とうとする誇りの高さに感服する。彼女を支えた。


「止まったよ! こんな大きなトレーラーが止まってるよ! やっぱ未玖珠はすごいよ!!」


 流石に力をすぎたようだった。あんなに大きな力を使い、なお水島や人形たちを抑えている力を使っているのだ。無理もない。頭が痛むように目をしかめる彼女をヒロは献身的に支えた。


「~~~っ」


 ヒロはどうしたらいいかわからない。ただ胸の奥が痛んだ。


「この程度……どうってことないわ」


 不敵に笑う。不屈の心。不朽の精神。

 ヒロは精一杯人形たちと水島を押さえつけたがサイコキネシスの力の配分はヒロの力が一なら今の未玖珠の力は五ぐらいだった。ちょっと休んでてよ。あいつらは俺が抑えておくから。ということができない自分が悔しいと思った。


 その時、先ほども聞こえていた微かな大型動物のうなり声のような音をヒロの耳が捉えた。今度は先ほどの危険を本能が鑑みて、しっかりと拾ったのだった。


 それはエンジンの排気音。耳を通して頭に危険を伝える。

 未玖珠の名前を叫んだが、大きな振動と金属が弾ける音にかき消された。もう一台の大型トレーラーが二人をミンチにしようと突っ込んできた。


 二人は悲鳴にも似た叫び声を上げながらサイコキネシスを全力で放った。

 吹き飛ばすでもなく止めるでもなく動きを受け流すために二人は放つ。


 最初から止めきれないことは分かった。ヒロの限界は平均的な成人男性の三倍程度の筋力だ。それを広範囲で使えることができるが。時速九十km以上の速度で突っ込んでくる大型トレーラーを止めるだけの力はヒロにはない。もちろん成人男性三人でも止められることはない。そんなことをすれば成人男性は一瞬で跳ね飛ばされミンチになるだろう。ヒロもそうなったか?否。


 香川未玖珠という凄腕の超能力者と彼女の機転が九死に一生の状況を救う。

 彼女は一秒を刻んだその刹那に左側のタイヤのみをホイールごと吹き飛ばした。


 前と後ろの片方のタイヤを吹き飛ばされた大型トレーラーは火花を吹き上げて散らしながら横滑りする。つんざくような音が獣の咆哮のようにあたりにあるもの全てにぶつかる。音の乱反射。


 ヒロはもはや危機感が麻痺し、高揚感ばかり感じていた。


 二人が立っているところから右にそれていく。長い時間がたったような気がヒロはした。だが実際は最初の爆音から三十秒も経っていなかった。しかしそれでも人形師たちにとっては十分に逃げ切るための時間が足りていた。


「ヒロ! やつが逃げる!!」


 ぼかっとかなり強く叩かれたがまったく痛くなかった。意識が止まっていたヒロは急いで人形師の方を向く。


 人形師は人形たちに運ばれて大型トレーラーが開けた穴から出ていくところだった。


 手を人形たちに向ける。しかしろくな力が出なかった。距離が四mぐらい離れていることを抜きにしてもほとんど力が発生しなかった。超能力が弱まっている。使いすぎた筋肉のように。焦る。横の未玖珠は人形たちをサイコキネシスで掻き分けていく。ドリルで掘削するみたいに。


 掻き分けて掻き分けて、最後の人形を吹き飛ばし、人形のトンネルは開通した。しかし、その先に水島の姿は無かった。ヒロは訳が分からなかった。


「Fuck! フェイクかよ!!」


 未玖珠は悪態をついて、他の方向を見た。もう一つの大型トレーラーが開けた穴からも前のドアからも人形たちが出ていくところでどちらから出て行ったのか分からない。


「ふっっっざけんんんなぁっっ!!」


 未玖珠から何かオーラが立ち上っているのを見ている気がするほど怒っている。あたりは凄まじい惨状だった。ヒロも加担したとはいえ、ほとんどこの暴王の力だ。


 そして流れが逆流するように、通勤電車から降りた群集とはまた違う群集が今度は乗り込んでくるように無機質に倉庫内になだれ込んできた。


 倉庫内になだれ込んできた人形たちは未玖珠が嵐を起こすように空中ですごい勢い回転させて行く。

 後にヒロはこの時を思いだしあんな使い方もできるのかと感心することになる。そして自分でも使ってみてかなりサイコキネシスを使う負担が少ないことにも気がつく。


 建物の中に台風が起きている。その台風の目の中にヒロはいた。そして中心には未玖珠が。

 金属の破片が、小石や砂が、紙類が、靴が、服が、マネキンが、水色のトレイのようなものが、無数の木の葉が、激しい勢いで倉庫の壁に叩きつけられる。


 しかし、その暴風雨の中を体に無数の傷がついても痛みを感じない人形が次から次へと突っ込んでいく。

 体に無数の傷をつけるのもいとわない。念動波の渦を抜け、こちらに到達しそうになる人形もいる。

 これだけたくさんの人形を一人の力で動かしているという事実。


 そしてそれよりもこんなにも人を洗脳する人形師にヒロはゾッとする。ヒロはその些細な変化に気が付かなかったが、土屋や最初のころに出てきた人形たちに比べるとこの人形は簡単な動作しかしていない。人形師は人形一体一体の精度を下げることで大量の人間を操ることができるのだった。


 人形は念動波に全身の肌を引っ張られて、目の周りの肌がものすごく引っ張られながら迫ってくる。ぎりぎりぎりと腕や足はあらぬ方向に向いている。普通なら激痛であんなことはできない。しかも人形たちは全方位から来ている。


「逃げよう!」


 ヒロは未玖珠の耳元で叫んだ。このままでは囲まれる。自分は超能力切れなのだ。未玖珠は意見を飲み込んでくれるだろうか。


「もう水島は逃げたよ!」


 人形は増える一方だ。未玖珠もヤバイとは思ってるはずだ。


「~~~~くそっ」


 未玖珠は口惜しそうに地団駄を踏んだ。回転させていた念動波を飛散させ、未玖珠は走り出す。ヒロは引くことを選んでくれて胸をなでおろした。


 人形たちの間をすり抜けて、すり抜けて走る。電灯があまりないこの場所。倉庫の影からいきなり人形が飛び出してきて本当にビビる。全力疾走した。


 よく高校で友達とかとふざけて走るあれより、体育の時間のランニングより、真剣に必死に走る。ヒロはクラスでも足だけは速かったが、未玖珠もまたオールマイティな彼女らしく足も速い。


「未玖珠! どうする!?」


 彼女から返事はない。ヒロは焦りながら喋る。


「どこまで逃げる?逃げ切れるかな?」


 後ろをちらっと見るが人形たちはまだまだ追ってくる。人形は疲れを感じず、ヒロたちは次第に息が上がってくる。


 ───捕まるのも時間の問題か。どれだけの距離をどれだけの時間走ったのか、そしてどこを走ったのか分からないほどだった。だが後ろを振り向くと足の速い人形はすぐそこにいる。走っても走っても振り切れないという恐怖。超能力切れの上、運動しながらの超能力は不可能と思えるくらいうまくいかない。

 そしていつもなら的確な指示を飛ばす未玖珠が何もアクションを起こさない。そのためヒロは未玖珠の先を半身ほど行く形となった。


「(どこへ逃げる!?)」


 何かいい方法はないのか。いつまでついてくるのか。なんとか撒けないか。頭はそれで占められる。

 いつもなら突然全力疾走をするとお腹が痛くなるものだが今日はそれも感じない。水島の影がそこかしこに見える気までした。あの人形たちの糸の先に水島がいるのだ。


 逆らうべきでないものに逆らってしまったのではないか。全力疾走の苦しさと追いかけられる恐怖からかそんな考えにヒロの頭は占拠された。


 無意識のうちに明るい方に、人通りの多い方を目指して走る。何度も路地を曲がるがなかなか撒くことはできない。どころか、他の方向からも回り込まれている。


 二人は階段を飛び降りた時身体がその衝撃の吸収で少し止まったときパートナーの顔を見た。

 目線が交錯する。 たまたま同時にお互いがまだそこにいることを確認し合ったのだった。目を瞬かせるそれすらも綺麗だとこんな時なのにヒロは思った。


「本当にヤバイ」未玖珠が言う。

「最悪だよ!」ヒロも叫ぶ。


 そして緩急のついた調子で二人して同じ路地に切り込んでいく。室外機を避け、空のケースを思いっきり飛び越えながら二人の少年少女は駆ける。


 二人に突然の不運が舞い込んだ。確率的にそろそろ起こりうることだったが。逃げ道が途切れたのである。ヒロたちとって今最も起こって欲しくないことナンバーワンだった。行き止まりだ。


「ヤバイヤバイヤバイ」


 彼らは慌てたが先にも行けず、焦燥は体の中で行き場を求めてぐるぐるしている。


 目の前に大きな建物が二人をあざ笑うかのようにそびえている。

 左右にも乗り越えられそうな高さの建物はない。

 あと数十秒で人形たちが追いつく。


 はっはっはっと息を切らしながら立ち尽くし二人は顔を見合わせた。彼らの顔は紅潮していた。驚いたようなうっすらと笑っているような顔だったが、お互いに本当にヤバイという感覚に包まれているということを分かちあっていた。ある意味永遠かと思えるような時間。


 もう時間がない。ヒロはあたりを見渡すと小さな──だがなんとか二人は入れそうなゴミ箱を見出した。駆け寄って薄汚れたざらざらした取っ手を開ける。なんとか二人入れそうだ。


 ヒロが先にゴミ箱に飛び込み次に未玖珠が飛び込んだ。

 ヒロの体に未玖珠の体がのしかかる。体を受け止めるというより、クッションに乗るようにヒロの体に。そして中に入っていた生ゴミがまたクッションになった。ビニールが裂ける音を二回りくらい嫌な感じに鈍くしたような音がこの狭い箱の中で起きる。


 ガタンと衝撃で蓋が閉まる。どろどろと生ゴミが袋から飛び出る。

 真っ暗になった。一瞬後ものすごい臭気が襲ってきて鼻があることをヒロたちに後悔させた。未玖珠の女性的な曲線を描く細い腰にヒロの腕が回っていた。


 狭すぎる。

 彼女の手のひらがヒロの脇腹にかかっていた。

 二人はどちらともなく自然と音を立てないようにと口で息をし始めていた。


 男の子と女の子違う荒い息が箱の中で響く。もがいたり息を整えたりで異性同士の二人の体が重なって触れ合う。未玖珠の肌がヒロに触れる。全力疾走した後だけあって熱い。耳元でする未玖珠の艶めかしい息遣い。


 ヒロは顔が全力疾走のせいだけではなく赤くなっていた。未玖珠も顔を赤くしていたがお互いの顔は暗くて見えない。ばくばくと心臓が動く。未玖珠の肢体はすらっとしているのに触って見ると不思議なくらい柔らかかった。彼らは心臓の音が聞こえるほど密着していた。


 未玖珠も心臓がばくばくしていた。ヒロがこんなに近くにいて低い息遣いをしていることを意識していた。

 未玖珠のサラサラの髪の毛がヒロの顔にかかっていた。


「っ、っ、うっ、くしゃみでるっ」

「するな!」


 目をまわした未玖珠が後ろ手でヒロの首を締めた。


「(ぐわぁぁっマジかこの女っ)」おののくヒロ。

「止まった! 止まったから!」


 小声で未玖珠に言ったら親指にかかる力が緩んだ。


 たくさんの人の足音が四つの耳が合わさり一つとなった耳に届く。その足音は尋常な人の歩き方ではない。人形たちだ。


 彼らはどちらともなくもがいたりするのを止め、ぴたっと止まる。息遣いすら向こうに聞こえないようトーンを落とす。


「(こんなに大きな心臓の音があいつらに聞かれないかしら)」


 頭がこんがらがってる未玖珠は普段なら冷静に考えてありえないことを心配した。

 ぎゅっと、つい未玖珠はヒロの手を握っていた。ヒロも体がこわばり未玖珠の手を握り返した。人形たちはカタカタと足を鳴らし、不規則な動きをしているようだった。


「(早く行ってくれっ……!)」

 ヒロはそう願わずにはいられなかった。

「(未玖珠はまだ超能力を使えるよな?)」


 自分の体の上に乗っている未玖珠の体重を感じながらそう思う。麗しの令嬢とゴミ箱の中で生ゴミ──魚の腐った匂いやべちゃっとした嫌な感触の液体──に二人まみれてる。


「(至近距離ならワンチャンあるか?)」


 近い距離なら体重何十kgかの人形を一体ずつ処理できるかもしれない。

 

 ドキドキドキと箱の中で心臓が二つ鼓動を刻んでいた。

 心臓も今は一つだ。

 生ゴミが冷たく二人に被る。

 やがて足音が遠ざかっていった。


「行ったかしら……?」


 透き通った未玖珠の高い声にヒロはドキリとする。と同時に癒されるような安心感を覚える。


「たぶん……」


 かすれがかったヒロの低い声に未玖珠はドキリとする。と同時に癒されるような安心感を覚える。


「うっ……」


 緊張が解け二人は限界が来た。鼻があることを後悔するぐらいの悪臭だ。我先にと二人はゴミ箱からはい出た。 路地裏の切れかけた電灯が点滅していた。


 一時間前まで綺麗だった彼らの格好は生ゴミだらけになっていた。

 ゲホゲホと咳き込みながらあたりに人形がいないかかぶりを振って確認する。


 何事もなかったように路地裏はいつものように冷たい沈黙を横たわらせている。暗い路地裏は昼でさえ暗くじめじめしていて、色彩に乏しいのに夜はなおさら黒く、暗い。


 汚い腐ったゴミで汚れた服を見てヒロは顔をしかめた。ゴミを一つずつゆっくりと落としていく。

 フラフラと二人は立っている。未玖珠の顔がめちゃくちゃ土緑色になったと思ったら壁に向かって吐いた。


 それを見てヒロもこみ上げてきた。胃の中のものを地面に吐き出した。


 これまでないくらい吐いて、ヒロは口元をぐいっと拭った。ティシュやタオルなんかないし、今さら手が汚れてもたいした代わりはなかった。


 ヒロは顔色がゾンビみたいになっている未玖珠とまさにゾンビのような汚い格好に気がつくと笑いがこみ上げてきた。


 そしてそれを見た未玖珠もヒロもぐちゃぐちゃな様子なのにこっちを見て笑ってきているということがおかしくて笑い出した。

 こんなに汚れているにも関わらずすっきりとした小気味のよい笑い声が路地裏に木霊した。若い気持ちのいい嬌声だった。


「汚なっ。アハハハハ!」お腹を抱えて笑いこげる未玖珠。

「そっちこそ!」笑いすぎてお腹が痛いヒロ。


 頭に魚の骨が乗っている未玖珠の姿は可笑しかった。


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