アドルフ・ヒトラーの生まれ変わりみたいな女の子に振り回されるんですが
3
ヒロと未玖珠はエレベーターに乗った。
エレベーターボーイがどちらにお行きになりますかと未玖珠達に尋ねる。
未玖珠がことなげなく目的のフロアを告げる。
中世のイタリアの意匠が施された制服を着た有能そうなボーイはお客様である未玖珠が大展開する電波発言を聞いてもまったく動じない。
かなり広いエレベーターだがそれでも未玖珠のバイタリティ溢れるトークを載せたプリズムボイスが木製の室内にこだまする中、ボーイが眉ひとつ動かさないのを見てヒロは驚嘆した。
ホテルの威信などを背負っているからか。
歴史を背負っていることを自覚している感じだ。
よく見れば若い。
エリートコースを歩んでいるのだろう。
優秀そうだ。
支配人になるのだろうか。
とにかくヒロみたいな庶民はますます居心地が悪い。
やはりイタリア風の銀細工の施されたエレベーターのドアがするすると開く。
開いた先にはホールが広がっていて、高級そうな服装に身を包んだセレブたちがリラックスしていた。
目に入る全員が洗練された気品を漂わせていたのでヒロは恥ずかしくなって、身を縮こませた。
空間そのものが下界と違うような。
「俺こんなところに来ていいのか?なんかすごい場違い感するんですけど」
あえてぶっきらぼうに言う。しかし小声である。
「そう? まあ確かにその格好じゃあダイニングに入れないわね」
未玖珠はそう言ってヒロをフロアの一室に案内した。一人で歩くのに慣れているのかこちらに歩幅を合わせない歩き方だ。
このビルのイタリアンダイニングにはドレスコードが必要だった。
部屋には芸術的なまでに洗練、確立されたオーラをまとった老年のマスターがいた。彼はヒロの寸法を図りはじめた。
「あの……俺そんなお金ないっすよ……」
ヒロは未玖珠にこそっと耳打ちする。
「そんなの些細な事よ」
未玖珠には本当に些事らしかった。
彼女の思考は常に先へ先へと行っているようだ。
うきうきしていると言うのがふさわしい落ち着きのなさが未玖珠にはあった。
「未玖珠さ~ん??」
ヒロは小声で不安そうに言う。
長年の研鑽の果ての手際で、ヒロの採寸を済ませたマスター。
体にぴったりとフィットするジャケットを用意した。
滑らかなネクタイ。
上着を触ると普段自分が着ている制服の生地と比べて段違いに柔らかい。
ヒロは鏡の前に映る自分を見てなんだか誠実そうな感じになったと思った。
馬子にも衣装? 笑えるぜ。ヒロは内心で自嘲した。
未玖珠は自分の毛皮のコートを、ヒロは服装一式をクロークに預けた。
上下を濃紺のダークスーツに揃えて試着室から出てきたヒロを待っていたのは、鮮やかなヴァーミリオンのノースリーブのワンピースの未玖珠だった。
露出した肌が今までヒロが見た中で誰よりも健康的で、瑞々しく、不思議な魅力をたたえていた。目を奪われているのに、なのに直視が難しいという矛盾した状況。
彼女の首のオニキスのネックレスが黒く光る。
最高級の笑顔に見送られてヒロ達は部屋を出た。未玖珠は支払いをしていなかった。
「(どうなってるんだろう……?)」
そうヒロは思ったが情けないし怖いし聞けなかった。
シティホテルの廊下を迷いなく進む未玖珠の後を追うようにして歩く。
ヒロは自分の格好に本当に変な感じがしていたが、少なくとも多少はこの異常金持ち空間との調和が取れているようにはなったんじゃと思った。
「(これで目立たなくなってくれればいいんだが……つうかこれ本当にいくらなんだよまじやべーっす)」
ヒロはふと思ってたことを未玖珠に聞いて見ることにした。
「やっぱりあの大会社、香川工業の娘ってのは本当みたいだな」
ヒロが何気なくぼそっと言った言葉に横を歩く、ライトブラウンの髪を持つ彼女の空気が下がった。
「違うわ。私はサイキックの香川未玖珠よ」
暖色の彼女の雰囲気が寒色になった。
「ここのお金は香川って大企業から貰った小遣いじゃないのか?」
ヒロは手を広げる。
この馬鹿みたいに大きなビルも。
機能性と希少性を兼ね備えた衣装も。
貧乏人のやっかみだった。
しかし未玖珠の答えは意外なものだった。
「ふっ。全部私のお金よ?なら一介の十六歳の小娘に過ぎない私の資金源が疑問?」
皮肉めいた笑みを口元に刻んでいる。ひらっと近づき耳もとで小悪魔の囁きを呟く未玖珠。
「この身体を売ったのよ」
「おまっ」
頭が炸裂しかけたヒロ。
「はっ。まさか。私の資金源は他でもない超能力よ。それ以外の方法なんて、ありえないわ。この街は汚泥に溢れてるけどね。自分たちのかけがえのない清潔な生命の炎を自分から汚してしまう愚かな連中っていうね!」
吐き捨てるように。
烈火とはこのことか。
彼女の放つ覇気とも言える凄み。
なにを怒っているのかとヒロはびっくりした。
自分の配慮に欠ける言葉が彼女を怒らせたことは分かった。
そして感心した。
「全部自分の力だけでやってきたのか。すごいよ。そうか……いやほんとにすごいよ。君ってすごいんだな」
感心したからこそそんな言葉が自然と口から出てきた。
「えっ。そっそうよ、超能力はすごいのよ!!」
まだまだ未玖珠は言い足りなさそうだったが顔色が変わった。
ヒロ達はいくつもあるエレベーターの一つに乗り込んだ。
未玖珠がエレベーターボーイに四十三階と階層を告げる。
今度は未玖珠は黙っていた。
無音。
密室の箱がもたらす上昇感と隔絶感の中で目的地に着くまで待った。
目的のフロアはダイニングだった。
そこは全体的に薄暗い。
夜景が美しい。
テーブル一つ一つに上から光が当たっていた。
天井を見上げると吹き抜けになっていて上には青い人魂がまばらに散っていた。
魂が浮かんでいるような青いランプ。
バロック音楽が流れている。
一面のガラスの壁から見える輝く夜景の中ではライトアップされた東京タワーとスカイツリーがひときわ存在感を放っていた。
ヒロがテーブルクロスの敷かれたテーブルに座り一息つくと、絶妙なタイミングでタキシードを着たウェイターがテーブルまで無駄のない足取りでやってきた。
雰囲気に調和している。
ウェイター達が未玖珠のボトルを差し出した。
二十一年もののシングルモルトのウィスキーとグランドシャンパーニュのコニャックだった。
どちらのボトルもまだ半分以上残っていた。
未玖珠はその両方を丁寧に断って、ルーマニアのワインを頼んだ。
チャウシュシェクの時代に造られたらしい。
ウェイターはオーク材のしっかりとしたカウンターの奥に一度下がり、ワインを未玖珠達に提供した。
ヒロは注がれた赤ワインをちろっと舐めてみた。
「(ファ〇タグレープ……)」
未玖珠は一気に喋っていく。
合間合間にワインを飲んでいるがかなりペースが速い。
改めて聴いた彼女の声は美しく、そして明朗だった。
内容はやはり、超能力についてだった。超能力の概要。
世界中で行われた実験。専門的な話とかが多くヒロはあまり理解できなかった。
神経とか脳科学とか細胞とかなんとかにまで話がおよんでいた。
だんだん超能力の話なのか歴史の話なのか生物の話なのかすらヒロにはよく分からなくなってきた。
途中で一度ウェイターがお代わりを勧めてきた。
「喋っている最中に話しかけるな!!」
と未玖珠はウェイターをねめつけた。ウェイターは恐縮して謝った。
「私は」腹の底から怒りをにじませて言った。
「石が浮かんで木の葉が沈む。そんな世界がどうしても見たい……どんなことをしてもどんなものを犠牲にしてもね」
ここではない誰かに、どこかに、なにかに燃やしている怒りで髪が逆立ちかねないような様子だ。
「超能力が世の中に浸透し民衆は私達の力を支持し喝采する。ねぇヒロ。地球の弱肉強食のピラミッドの頂点に立つものはなんだと思う?」
「えーと人間だろ」
「Non! 超能力者なのよ! 超能力者こそが万物の霊長なのよ。確かに今は普通の人間がのさばっているわ。でもね、ピラミッドで人間の一つ上に超能力者が君臨せしめるようにしてやる!」
テーブルの上には光る花の芸術的な細工物が置いてある。
緑色のしっとりとした優しい光が相まって幻想感を演出するのに一役買っていた。
それから夜景に手を広げた。
散りばめられた宝石の中でひときわ強く、そして鮮烈に未玖珠の瞳が光った。
「見なさい。この世の中のありとあらゆるものを集めて飲み込んだような東京の街を。今の支配基盤を私はめちゃめちゃに壊すわ。のうのうとふんぞり返っていた偽りの王とその一派は地に伏せるだろう」
その光景を幻視しているのかいきなりお腹を抱えて笑い出した。
それからおもむろに真剣な顔になった。
「 Government of the psychic , by the psychic, for the psychic.超能力者主義の社会を作り出すのよ」
未玖珠はかつてリンカーンがゲティスバーグ演説で民主主義を民衆に伝えたように熱を込めて語った。
「超能力者の、超能力者による、超能力者のための政治…………」
ヒロは呟いた。
「さて……いろいろと話したけど、ここからは誰にも言ってないことをあなただけに教えるわ。最終目的は日本国から独立したサイキックだけの国をつくることよ。そして私はその国の王になる!!」
「は…………」
ヒロはさんざん突拍子もない事を聞かされてさらなる爆弾級の電波発言に現実感がなくなってきた。自分の常識と未玖珠だけの常識との境が曖昧になる。
それから未玖珠は具体的に超能力で建国するまでのプランを流れるように喋った。そしてヒロに協力を申し込んだ。
「あなたも超能力者の国が見たいでしょ!?」
未玖珠はその悪魔じみた弁舌と説得力でヒロを説得しようとした。ヒロは未玖珠の説得を聞いていると自分が超能力者達全員の命運を握った権力者かなにかにでもなったような気がしてくるのだった。
しかしヒロはなかなか首を縦に振らなかった。
…………ヒロは引いていた。ほんとのところブルっちゃっていた。 なんなんだこの人…………。
ヒロからしてみれば「僕は東京の高校に通う一青年です。それで、あなたはなに??なんなんですか??」ということだった。
「………俺は正直この超能力をなくしたい。こんな力があるなんて怖すぎる」
赤いワンピースを纏う少女は目をぱちぱちさせてヒロを見た。それからどこか脱力したような反応をした。
「これだけ言ったら普通根負けすると思うけどなぁ……………人類が初めて火を見て恐怖を感じるようなものかしら。こんなにわくわくする力を手に入れたっていうのにあなたって人は………ヒロにとっては残念だろうけど超能力に覚醒してそれをなくすことなどありえないわ。知ってしまったらもう知る前に戻ることはできないのと同じようにね」
「……………ははっ…………なんてこった」
ヒロは未玖珠を意識と視界から外して言った。
頭に浮かぶのは今日骨を折った荒井や、恐怖の眼差しを向けられた見知らぬ初老の女性。
「コントロールできないのはまずいでしょう? ヒロにとっても。いきなり暴発とかしたら大変ね」
そんなことになる可能性もあるのか。ヒロはうっとつまる。
「超能力はなにもサイコキネシス、つまり念力だけではないわ。今のところあなたが使えるのはサイコキネシスだけみたいだけど透視、発火、念話、瞬間移動、サイコキネシス以上に扱いが危険な能力に覚醒し始めたらどうなるかしら。 あ~あ困ったなぁ。誰か超能力に詳しい人いないかなぁ。うーん?でも世界中見渡してもそんな人なかなかいないよなぁ。うわっ超幸運。十年以上のキャリアを持つ熟達したサイキックが目の前にいた! 」
本音を喋っているように自然に見える。大した女優だった。天は二物を与えるどころじゃない。
「それとも自分でなんとかする?」
にこにこと恐ろしいことを言う。
「…………分かったよ。どうかご師事よろしくお願いします」
それを聞いて未玖珠はとびきりの笑顔を浮かべた。 それは天使のようなまばゆさを放つ。 ヒロはどきどきしながら自分の綺麗さを自覚してからそういう顔をして欲しいとそう思わずにはいられなかった。
熱々のコーンクリームのホットパイはサクサクとした食感でスープに絡めて食べたらうまかった。
キムチカルボナーラはなめらかなソースでキムチのからさがよく合っていてこれも美味しかった。
出てきた料理が全部美味しかった。ヒロは食事の礼を言った。
彼女をどこまで信用していいのか判断しかねるところがあった。
今まで出会ったことのない種類の人間だったこともある。
しかし一番は超能力の存在を無理やりヒロに叩きつけたこと。
挙句の果てには王になるとか今に超能力者の国ができるとか言う始末だった。
対峙してみて分かったが彼女にはとてもとても強い引力がある。
魅力があると一言では片付けられない。
目が独特だった。
見るもの全てを吸い込むようなその目。
ふとした瞬間にとてつもなく無防備に見えるその目。
それこそ超能力のようで、 彼女はなにも喋らずとも目だけで語ることができた。
なんにせよこのままではおちおち眠ることも出来ない。
自分の力をコントロールできないというのは遅くとも小学生で卒業するのが普通だ。
今のままでは何が起きるか、自分が何をしでかすか分からない。
眼下の夜景はこんな状況だというのにとても綺麗だった。
そして未玖珠のオーラ。
何かしらの高揚感のような全能感みたいなものをかすかに覚えていた。
眼前に収まってしまうミニチュアの街に世界を掌握している気になったのかもしれない。
デザートを食べ終わり、服を預けた場所まで戻った。
未玖珠は酒に強いようであんなに飲んだのに酔っている様子はほとんど無かった。
正常が異常で異常が正常になっているわけのわからない逆転感覚に包まれっぱなしだった。
クロークで未玖珠は毛皮のコートを着て、ヒロは元の服が入った紙袋を受け取った。
未玖珠は唖然とすることにダークスーツ一式はあげると言ってきた。
ヒロは固辞しようとしたが未玖珠に言いくるめられて受け取ってしまった。
ロビーにはまだ橘がいた。これにはヒロは少し驚きを感じた。
「一杯のコーヒーで一時間半くらい居座るのはけっこうきつ……」
橘はそう言いかけてヒロの姿を見てOの形の口になり目を輝かせた。ヒロのシュッとしたスーツ姿は橘の琴線に触れたようだった。
「きゃあ。きゃあきゃあ! 恰好いい! いゃんステキーっきゃあ………ッ……………………………………その服はどうしたんだい?」
興奮していたのが途中で冷静に戻った。
しかしうふふと声が漏れながら目を奪われたようにヒロを見つめてはいる。
お金がないのは橘も知っていたからだ。
警察官の橘の理性は詐欺を疑っているのだ。
「…………貰ったんだ。気持ちだとか、同胞には援助をとか……気持ちは形にして表すのが……えーっと俺が黙って受け取るべきなんだって。そうするべきだと」
「??」
ヒロは未玖珠に言われたことを思い出すが自分でもうまく言えない。
「だってドレスコードが必要だったんだもの」
未玖珠がそう言った。
金銭感覚がだいぶ違ったのだった。
未玖珠の中ではこんな程度援助のうちにも入らなかった。
未玖珠は肩をすくめた。
「何かを契約して買わせたとか後で代金請求するとかじゃないのかい?」
橘の普段の警官の習慣がにじみ出る口調。
「契約ね……大丈夫よ。あとで食事代もスーツ代も請求なんかしたりしないわ。これでいいかしらお巡りさん?」
橘は胸ポケットにICレコーダーを入れて未玖珠の言質をとっていた。安心する気持ちになりかけたがそれが染み込む前に自分の職業を当てられてどきっとした。橘がヒロに「言ったの?」と顔で聞くも、ヒロは首を横に振り「言ってない」と答える。
「なんで私が警察官だって分かったの??」
橘は心底不思議そうに尋ねる。橘は私服だ。
「んー秘密。今度教えてあげるわ」
未玖珠はふっと笑って答えた。
「(超能力か?)」ヒロの頭に思い浮かぶ。
「いやー未玖珠さんは手ごわそうだなぁ…それじゃあ私はそろそろ行くね。二人とも早く帰らないと明日寝坊して学校に遅刻するよ」
「ええ、またね」
そうして橘は去っていった。
二人はシティビルのロビーから出た。
時刻は夜の九時近く。
びゅうびゅうとビルとビルの間に風が吹いている。
静かなホテルの中と比べて外はうるさかった。
人が行き交っている。
雪が降ってきた。
しかしヒロの胸は暖かい。
スーツは防寒性もよく、寒さからヒロを守ってくれた。
未玖珠の高価そうな服装とダークスーツで今度は二人のバランスがとれていた。
その服は街の中でヒロが着ても高レベルの課金アイテム装備のように周囲の人々の中で突出していた。
未玖珠は清らかな川のような澄んだ瞳で喧騒の中人々に言葉を放つ。
「ねぇ!」
唐突だ。エキセントリックだ。
「この風を感じないの?ビル風なんかじゃないわ。この遥かなる、未来圏から吹いてくる、吹いてくる、静謐な風を感じないの?」
しかしそれはヒロにも向けられていた。
「空が、燃えているわ! 星が、燃えているわ! みんなには見えないの!?」
未玖珠が指を天に指す。言葉を聞いて通行人たちは一瞬空を見上げるがすぐにつられて見上げたことを恥ずかしがったり後悔したように歩き去る。
大都会の真ん中で星など見えるわけがない。 誰も止まらない。
みんなの前でたった一人彼女は息を弾ませて立っていた。世界に自分以外の人間がいないような顔をして。
ヒロには解った。未玖珠は嘘をついているのではない。
彼女の肌はその風を感じているのだろう。
彼女には燃えていると表現するそれらが見えているのだろう。
仁王立ちしていた彼女が不意に体の力を抜き妖艶に微笑んだ。
雪がしんしんと降る中、ふいに目を閉じ、舞を舞うかのように軽やかに回っている。
白い吐息が柔らかな唇から漏れ、肌を流れて光と闇の間に消える。
さっきまでものすごい硬さだったのが今では布のように柔らかい印象になった。
その稀有なありように理解が遅れる。
彼女は髪をなびかせ立ち止る。
ヒロは無意識のうちに彼女に歩み寄り彼女の目をのぞき込んでいた。
自分でも思わずに。
彼女の瞳には鮮明に彼女の見ている映像が映っていて、もしかしたら、自分にもそれらを見ることができるのではないかと思ってしまったから。
彼女がヒロを見る。
未玖珠がヒロという存在を見ているということにどうしようもないほど快感を感じてしまう。
かつてヒロが見たどんな微笑みとも違うそれに魂を奪われる。
目の前。顔は5センチと離れていない。
未玖珠の人形のような顔には赤みが差していて可憐で。
吸い込まれそうになる瞳。
宇宙のような虹彩。
「超能力者の国を私は創るわ。私は王になる。ヒロ。あなたが欲しい。あなたの全てが」
「うん」
「私に忠誠を誓ってくれる?」
未玖珠が喉を震わせプリズムボイスを奏でる。
ヒロは我に返った。パッと顔を離す。
それでも迷った。そんなことできるわけないと笑うことはできたけど、彼女がそれを望んでいるとは思えなかった。だが自分がどうしたいのか。
実際のところ自分が何を望んでいるのか分からなかった。
「あなたがあなたで──サイキックでいられる場所は世界中探しても私のところしかないんだから!」
国を創る。
彼女にはそれを実現させてしまうかもしれないと思えたが、果たしてそれがいいことなのかも分からなかった。
「…………今のところは協力するよ」
明らかに彼女は満足していなかったが
「まぁ、良し」
超能力者の女の子はそう言った。
それから音もなく止まった黒塗りの高級車に乗り込んで帰っていった。
ヒロも自分のねぐらに帰ることにする。
今日はさすがにこれ以上遊ぶ気にはならない。
今までの夜の遊びがとてもくだらなく思えてきた。
卑下するわけではないが今までで一番かわいく才気溢れる完璧な女の子と──唯一の欠点はあの異常性──二時間近く一緒にいれただけで幸運だろう。
流星がヒロに当たるかのような幸運。
しかもその苛烈な性格さえ我慢すればこれからも関わることができる。
これはサンタの贈り物か?
しかしヒロは家路につくというルーティーンの中で自分の中でニュートラルに物事をひとつひとつ整理し、吟味する。
それが自分に何をもたらすのか、それがどういった性質のものなのか考えてゆくのだ。
カードゲームで配られたカードの一枚一枚のテキストを必死に読み込んでいる最中のような時間だ。
情報を反芻しているうちにそれはもしかしたら自分にとって良いものではないのかというような考えが人格に訴えるように意識の中で主張してきた。
「(冷静に判断できてないな……仕方ない。最近は本当にいろんなことがあったんだから……)」
冷たい部屋に帰ると一人になって集中はできたものの何か物足りなさを感じた。
魔法が解けてしまったあととでもいうのだろうか。
「ふっ、まるでシンデレラだな……」
それくらい現実感がない。
「王子様と綺麗なドレスを着て灰かむりは舞踏会に行きました……」
王子様とシンデレラの配役の性別が違う。
自分の思考に思わず苦笑する。
だとするなら魔法使いのおばあさんは超能力ということになるのかと考えながら服を脱ぐ。
ハンガーが何も無いところでくにゃりと曲がった。
ヒロの機械的な動作がこの予期せぬ事態に停止する。
ハンガーにスーツをかけようと意識を向けた時に起こった。
認めたくはないがサイコキネシスだった。
「…………………」
やはり、練習してこの能力を抑える必要性を感じた。
寝ている間に部屋がおかしくなってなければいいんだけどと思いながらベッドにダイブしてそのまま眠りについた。
ヒロは冷え込んだ朝に目が覚めた。窓に霜が張り付いている。
「あなたは水準で言ったら超能力者一年生ね」
「そして私はその国の王になる!!」
「私に忠誠を誓ってくれる?」
彼女の言葉が脳裏に蘇る。
一日経ってみると昨日の出来事のどこからが夢でどこからか現実なのかわからない。
しかし、簡素なこの部屋には不釣り合いな最高級のダークスーツが一式ハンガーにかけられていた。
そしてくにゃりと曲がったハンガーも。
「………………」
雑事を片付ける。
今日着るのはもちろんブレザーだ。
壁に束になってぐちゃぐちゃにかかっているネクタイを乱暴に取り築三十年のぼろいアパートを後にする。
授業を受ける。
いつも通りに過ぎる一日に不思議に思った。
ふわふわする。
授業にもほとんど身が入らなかった。山方や柴崎とはあれから何事もなかったかのように普通にいつもの関係に戻った。ほとんど表面上はなにもなかったかのように見える。
「(こいつらに俺が超能力者だってことを言ったらどうなるのかな……)」
授業と授業の間の十分休みにヒロは考える。しかし当然実行はしない。
授業中だった。ふと今超能力を使ってみたくなった。いたずらごころと言ってもいいかもしれない。机の上に置いてある使いかけの消しゴムに向かって念じる。
「(浮け………)」と。
浮かない。ものすごく念じてみる。
「(浮け……! 浮け……!!)」
しかし、微動だにもしない消しゴム。そのことになぜか足に力が入らなくなってくる。 昨日の出来事がぼやけてくる。
ふうっ。音を出さずに静かにしかし大きく息を吐く。ものすごい焦りを感じた。
「(浮け………!!!)」
ぶるぶると体が震えるほど全身に力を入れて消しゴムに全精神を集中させる。
目は思いっきりつぶり、拳はぎゅっと握りしめている。
先生から見たら不審さを感じさせてしまうレベルまでいっていたが、やってしまった。
そして、ふわりふわりと消しゴムが念力で浮き始めた。
わずか十センチほど。
やがてぽとりと机に落ちた。
すごい達成感だった。
と同時に安心感のようなものも覚えた。
ヒロは昔からある想いを胸に宿していた。
特別になりたい、という。
これがそういうことではないのか。
誰にもない能力が間違いなくヒロにはある。
特別────なんて甘美で心地よい概念なのだろう。
他の誰にもなく、自分だけにしか使えない特別な力。
ヒロは授業中に消しゴムや他のものを使ってサイコキネシスの練習をした。
黒板の下のチョークを動かそうと思い、最初はぴくりとも動かなかったが、だんだんとカタカタ動き初めてついには浮くようになった。
三時限ずっとこれをやっていたのだから呆れる。
香川工業。
年商二兆超えの多国籍企業。
その社長の娘香川未玖珠。
才色兼備な女の子。
白く透き通った肌。
整った顔立ち。
鬼のように美しい、見上げてうらやむしかない決して手の届かない高嶺の花だ。
しかしヒロは彼女の核とも呼べる一番重要なものを今は共有している。超能力だ。
「(練習か……一体どんな練習を彼女はしてきたのだろう。そもそも超能力はサイコキネシスだけではないみたいな事を言っていたけど彼女の力は……?)」
三時限目が終わり、携帯を見ると未玖珠から通知が来ていた。
『やっほー。未玖珠だよ。超能力は暴走してないかしら?』
『今のところノープロブレム。結構コントロールが効いてきたぜ。超能力って未玖珠が言った通り結構楽しいもんだな』
ピロンと返事が来る。
『でしょ! よかったぁ。ヒロにもようやく分かったみたいね。でもちょっと遅すぎるゾ☆ね、内側の中心からから外側の全方位に球体上のイメージで引っ張るようにサイコキネシスをかけてみると面白いわよ!爆発するから!』
ヒロはそれを試してみることにした。
消しゴムに再度狙いを定める。
「(えーっと、全方位にひっぱるような感じに……)」と手順を考えた。
料理の手順のように正確にしていないとうまくいかないことは今までの使用で分かってきていた。
そして、消しゴムが爆発四散した。バン! と言う音を立てて。
「ヤッター!!」
ヒロは思わず立ち上がる。
結構大きな声だったようでいらぬ注意を引いてしまった。
「ど、どうした中居……?」
先生がクラスの人間を代表するようにヒロに聞いた。
「あ、いやなんでもないです」
ストンと着席する。
成功を未玖珠に言うと彼女はたくさんのサイコキネシスの面白い使用法について語った。
どれも早く試してみたいと思い始めてしまっていて、まんまと彼女の計略に乗せられてしまっているようだった。
『今どこ?』
『学校だけど』と答えると
『はぁ?』
『未玖珠は逆になんで来ないんだよ』と返す。それから返事を待たず、
『わりぃ。もう授業が始まる』
そう打ち込んで携帯を鞄にしまった。
四時限目は歴史の授業で、いつも通り薄毛の社会教師が枯れた声で催眠音声を垂れ流している。
その他には教室にはチョークでかつかつと黒板を叩く音とシャープペンの音とページをめくる音しか聞こえない。
学校に二人しかいないうちの一人の超能力者は腹減ったなと思っていた。
その時、ガラっと前の扉が開いた。
何事かと視線を向けると超能力者がいた。
超能力者がいたことに気がついたのはヒロだけだった。
あとの生徒はそこに完璧美少女を見た。
「 失礼します。授業中すみません。私は中居ヒロに用事があるので彼をお借りします」
ぺこりと頭を下げた、品位のある、高貴で丁寧な態度。
普通の世界で生きていては決して身につかない振る舞いに慣れている様子だった。
そして、普通ではない世界の中でもさらに頂点に君臨する資質を持っている者のオーラ。
人を惹き付けずにはいられない完璧な淑女、あらゆる賛辞が彼女に贈られるだろう。
時の止まった教室で未玖珠はヴィーナスのような笑顔をヒロだけに向けていた。
栗色の髪を優雅に揺らし、日本人離れしているというか浮世離れしているというか、類を見ない造形の顔に不思議な輝きの笑みを浮かべ、一直線にヒロのところへ近づいてくる。
彼女には畏敬の念を覚えるほどの輝きがあった。
彼女が纏う雰囲気は『生きることが楽しくてしょうがない』みたいな感じだ。
教師を含め、二十数人の視線を一切の気後れなく受けている。
「ヒロ。あなたに会いに来たわ。早く行きましょ。おーい。どうしたの? フリーズしちゃって」
100万ワットの瞳がぱちぱちと音を立て彼女の目から出ているみたいだった。
ヒロは入学式の日に見たはずなのになんでこんな人を忘れていたんだろうと疑問に思った。
ヒロは気づいていなかったが実際柴崎を初め、未玖珠を覚えていた人達もこれほどの輝きを四月には感じていなかった。
平凡極まる教室に突如として彗星が降ってきたようなものだった。
校外。
「香川さん?」
ヒロは驚愕した。
その涼しげな声の持ち主はカチューシャをつけたお嬢様だった。しゃなりとした佇まい。
育ちの良さそうな、 こんな人が本当にこの世にいたんだと感じるぐらいの気品を漂わせている。
「きゃーっ。三年ぶりね。中学一年生の時以来ね」
長い髪を小さく揺らし健康的な可愛らしさと無邪気さで未玖珠に話しかける。
未玖珠が見る者の心を奪うほどの怪しい光を一身に放つ真紅のルビーだとしたら彼女は透明性の中にも複雑な虹色の煌めきを見いだせる削り出されたばかりのオパールだ。
食べてきたものも見てきたものもヒロとはまったく違う選ばれし民ってやつ。
人口比にすると一%以下!
テレビとかでお嬢様特集を組まれるのは本当の良家じゃないんだ。
と思う。
本当の良家のお嬢様はそういうメディアには露出しない。
などと思ったぐらいにはこれまた美しかった。
「……中学一年生の秋頃から塞ぎがちだったから心配だったの。あのあとすぐに転校してしまったけど。元気だったかしら?」
とカチューシャのお嬢様は言う。
ヒロは未玖珠が教室の時のように礼儀正しく対応するのだろうと思ってちらっと彼女を見た。
「!」
彼女の顔は怒りで紅潮していた。
何度か経験があったのでヒロはこの後未玖珠の顔がどういう風に変化するか分かった。
「そんなこと、あんたには関係ないでしょうが!!!」
あたりに声が響き渡る。カラスのぎゃあぎゃあと鳴く。
「行くわよヒロ!」
「えっ、ちょっ、いいのか……?」
箱入り娘っぽいお嬢様はあわあわと狼狽している。
こんな事は体験がなかったのだろう。
未玖珠はずんずんと先に行った。
「(えと……なんというか……その、ご愁傷さま………)」
ヒロも未玖珠の後を追おうしたその時、
「ねぇ………あの人は本当に香川未玖珠さん……?」
困惑と戸惑いでいっぱいいっぱいな様子の元同級生は変なことをヒロに尋ねる。
「そうだと思うよ」
ヒロは美少女を前に声も出せず、目もろくに見れないほど緊張していたがかろうじてどもらずに言えた。
「信じられない……何があったの……?? まるで別人だわ……」
手を口元に当てショックを隠せない様子だった。ヒロは気になって口が動いていた。
「それってどういう……」
「ヒロ!」
先の方から未玖珠がヒロに呼びかける。
怒気を含んだその声でヒロは先行く未玖珠を追った。
どこに行くかも分からずにヒロは未玖珠と歩いている。
ヒロは先ほどのカチューシャのお嬢様の様子を思い返していた。
「(会った時からこいつはこんな風だったけど?未玖珠は未玖珠だった)」
逆にあのカチューシャのお嬢様のような態度を未玖珠にとられたらそっちの方が違和感がある。
肩を怒らせる未玖珠は興奮さめやらぬ様子で一人しかいない聴者に演説を続けた。
「あいつは糞システムの未来の糞生産の元締めの妻になる最大の加担者にして、諸悪の根源になる存在よ!!」
香川工業とつながりのある大会社のお嬢様。
だと未玖珠は後に説明してくれた。
香川工業や今の社会の仕組みに未玖珠はほとんど憎しみさえ覚えているようだった。
それから未玖珠の演説は学校教育の批判になった。
一つ一つ例を上げていた。
彼女に言わせれば学校はただ馬齢を重ねただけの教師の意味の無い言葉を聞く場所に過ぎないのだそうだ。創造性を奪い、人をロボットにする場所だと言う。
未玖珠はいつもなにかに熱狂しているかさもなくば激しい悪口を言ってるかのどちらかだった。
彼女は周囲のもの全てを変化させたがっていた。
ふざけた調子で「なるほど」とか「おっしゃるとおり」とか言ってたら尻を綺麗なフォームでキックされたので、良き聴衆でいた。
激しい剣幕で怒っていたかと思うとこんなことを言い出した。
「でも……勉強はしないといけないわよ」
「え? 言ってることが矛盾してるよ……いったいどういうこと?」
「無駄な勉強をするのは愚かだって言ってんの! 自分の役に立つ勉強はどんどんするべきよ! そうしないと脳が腐るわ。脳が腐るとろくでもない人間にいいようにされるわ。いい?自分をないがしろにしちゃいけないのよ。自分の価値を守りなさい!自分の権利にどういうものがあるのか本当に本当に解ってるの? それをはっきりわかってなきゃあなたは自己を放棄しているのと同義よ。世の中の人間はなぜどいつもこいつも義務についてばかり語りたがると思う? そういう風に教育して得をする人間がいるからよ。私達みたいなサイキックは特に警戒する必要があるの。分かったヒロ?」
「誰が得をしているんだよ?」
「無能力者よ。中でも利権の傘の下にいる連中は最低最悪。知識を得ていかなければ吐き気を催す事に加担させられても気づかない! 気づいたとしても力が無ければやはり従わされる! だから、今から力を手に入れに行くわよ!!」
「手に入れるって……どうやって?」
「決まってるじゃない。私達の持つ超能力で」
ヒロの方を見てふっと微笑む。
神から力を湯水のように受け取っているのではと疑うほどのエネルギッシュさだ。
未玖珠は無敵の存在みたいだった。
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