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超能力者一年生!  作者: アルリア
第二章
18/26

もう十分堪能したよ

 18


 社交界の人々は未玖珠の姿を見ると汚らわしいものを見た、というような冷たい目を向けた。

 にやにや笑いであからさまに異物を鑑賞する体でいるのは十代以下の人間だけだった。


 未玖珠は他のウェイトレスと同じ制服を着ていた。


 黒と白のその格好は他のウェイトレスと同じなのだが美しすぎるその容姿を他の者は認めたくない存在を見るような眼を向けているようだった。


 これもまた香川工業の未玖珠への排斥の一つだった。


 白いテーブルからスプーンが落ちる。

 それを未玖珠ともう一人の使用人が拾おうと身を屈めた時、ばしゃあ。未玖珠の頭にその使用人が料理が浴びせた。


 人間に絶望するのに充分な分の悪意だった。

 触れたら火傷するほどに熱せられたビーフシチューがぽたぽたと垂れる。


 未玖珠は瞬時に念動力でクロスを引き寄せてその襲撃を防いだ。

 当然テーブルの上に上品に配膳された高級料理セットはぐちゃぐちゃになった。


「ちょっと!気をつけなさいよ!」


 たくさんの視線がこちらに集まっている。誰か知らない意地の悪い声音の叱責が降りかかる。

「申し訳ありませんでした。ただちに片付けます」


 皆がくすくす笑いと嘲る顔をしている。皆同じ顔に見える。嘲笑は続く。


 今日も今日とて迫害日和だ。


 誰も彼も未玖珠が謝るのは当然、という顔をしている。

 給仕の準備室のような部屋に戻る最中に未玖珠は小声で呟く。


「うざいわ…………」


 大きな部屋から出るとパーティ客の高校生ぐらいのガキどもが未玖珠の顔にバットでフルスイングした。


「ひゃはは」


 ブオォンと風を切って振り切られる金属バット。

 未玖珠は念動力で防ぐ。造作もない。

 たたっと後ろに下がる。


 現実的に未玖珠に超能力が無ければ先ほどのスープで重症の火傷を負い、今、顔面は二度と見ることが出来なくなっていただろう。


 そしてそれがすべて不当に未玖珠の過失ということにされるのだった。


 目の前の糞親から生み出された糞ガキと対峙するような格好になっているが、未玖珠から手を出すことはできなかった。


 本当は未玖珠はこの状況を作り出している〈元凶〉から叩き潰して行きたかった。


 だがまだ〈力〉が足りない。組織力、地力、交渉力、圧力、財力、そして超能力も。自身が最も寄る辺とする超能力ですらまだまだ力の不足を感じていた。


「こいつが燃えるとこ見たくね?」

「見たいー」

「いいねー」


 ガキどもが小型の火炎放射機を取り出した。炎が未玖珠に向かって放射される。

 香川イズムの元でこの社会で未玖珠は一番下の者だからだ。


 やがてガキどもはいっせいに炎で花火をつけ始めた。

 未玖珠はうまくそれらを全て避けた。


 大勢の使用人が客の暴虐を見て見ぬフリをしていた。

 無為な奴隷的作業。


「おい雑種ゥ。この部屋の汚れはなんだ!サボんなよぼけぇ!!」


 そしてあと片付けも未玖珠の仕事というわけだ。


 雑種というのは未玖珠をmixと文字った悪態だ。香川家の血筋ではなく平民の捨て子というという差別。

 香川が全員に加えるストレスのはけ口になっているのが、 使用人でもあり、香川家の人間でもあるという奇妙な立ち位置にいる未玖珠というわけだった。


「けっ……化け物が」


 公的な制裁が黙認されている。

 催しものの一つに今日は手品をやるらしい。


 音楽や照明を使ったパフォーマンスが始まっていた。

 香川工業関係の青年が主人公の下らない人形劇が進行していた。香川家を称える話らしかったが、無視できていた。しかし、あることを目にし未玖珠は自分の心に踏み込まれそうになった。


「さあご覧下さい!愛らしいわんちゃんが悪の手先に捕らえられてしまいました!」


 ぐるぐる巻きにされているのは未玖珠の私物だった。


 それは未玖珠が実の両親に捨てられた時に持っていた両親からもらった犬のぬいぐるみだった。


 未玖珠の背筋が冷えた。あれがここにあるということは部屋を荒らされたということである。


「下衆どもが………っ!」


 歯ぎしりと共に殺意を噛み砕く。


「どうなってしまうのでしょう!あの次元装置が稼働すれば目も当てられない惨状が待ち受けています!」


 劇では青年が敵を倒すために犬が自らを犠牲になる。

 とうとう爆発するときに未玖珠は超能力でそれを止めさせようとした。あんな劇クソ喰らえだった。

 しかし、ある男の耳打ちが未玖珠を止めた。


「やったら調査部に報告するよ」


 瞬間、男の正体、言葉の意味。植え付けられたトラウマが蘇り未玖珠は固まる。


 振り返ると狐のようなわざとらしい笑み。振り向いた時にはもう諦観していた。

 そう。ぬいぐるみは爆発四散した。


 煙のせいで客からはよく見えないが未玖珠は綿がばらばらに弾け飛んだだろう。

 未玖珠は憎しみにこもった目で男を睨みつけた。


「ああ。青年が危険なその時助けに来たのはあの犬だった!忠義心を忘れず雄々しい成犬に成長していたのだった!」


 劇では犬は死んでなく、成犬になり土壇場で青年を助けた。

 実際にはぬいぐるみは子犬のものから成犬のものに変えなくてはならない。


 煙の中子犬のぬいぐるみは確かにばらばらになっているだろう。

 劇は拍手で終わった。男は盛大な拍手を送っていた。


 香川工業の役員の一人である柿屋が部屋に来た。鼻の高い、火星人のように頭の回る男。


 この男は未玖珠の自由をある程度許しはするが何を考えているのか分からない。

 調査部では香川工業の思想調査の部署で、未玖珠は特に念入りに思想教育が施されており、長年における従順な態度と未玖珠の練達な学習方法で香川の調査部を欺いてきた。


 だが、柿屋には見抜かれていた。未玖珠はこの男のすべてを見透かしているような態度が気に入らなかった。


「おもしろかった」


 流暢な日本語を話すが、3カ国語を自在に操るこの男の本当の国籍すら闇の中だった。


「小学生並の感想ね。このくだらない子供だましのなにが面白いの?」


 あんなぬいぐるみは自分にとって何の意味もない。よってダメージはないと。


 くくっと柿屋は口を抑えて笑った。


「自分の心の声を聞かないフリをしているといつか本当に聞こえなくなってしまうよ」


 未玖珠の心を引っかき回す。


「あのぬいぐるみは君みたいだな。君はこうして成長し強く、ほとんどのものが及ばないほどの一角の人物となった。しかし、子犬だった頃の君はたしかにあの時ばらばらになって死んでしまった」


「失礼。仕事がありますので」


 そう言って足早に離れようとする。やつに対しては無視を決めこむのが最善策だからだ。


「あそうそう。さっきのぬいぐるみ。遠目には分かりずらかったかもしれないけど、あれはよく似たものを使っただけで、本物はほら。ここにある」


 未玖珠が思わず急いで振り返り、柿谷の手にぬいぐるみを見つけて、ぬいぐるみをひったくるように受け取った。


 ぬいぐるみの無事に心を撫で下ろす。嬉しさを隠すためにほころぶ顔を抑えるのに苦心した。今すぐ抱きしめたかった。


 しかし、よく見るとそれは未玖珠のぬいぐるみではかった。よく似た違う物だった。


「…………ちがう、じゃない」


 柿屋は笑みを崩さない。


「ちがう………?これが、君のものだろう?」


 上の者が白と言えば黒も白になるとはこのことか。


 未玖珠は青い顔でぬいぐるみを下げる。その動きはひどく狼狽していることが簡単に分かるものだった。


「……………ありがとうございます」


 そんな未玖珠の様子に柿谷は低く笑いはじめた。


「ん?少し耳の形が違うな。あぁーあ。間違えて君のものを爆破してしまったのか!すまないすまない間違えたんだよ! くくくくくくっ」


 身長の高い、髪をブロンドに染めた男は手を額に当てて声を潜めて笑い続けた。


 ひととおり笑い、柿谷はあっけなく言った。


「あそうそう。調査部にはちゃんと報告しといたから。この後第二ビルまで行きなさい」


 その一撃は未玖珠に自覚せぬまま彼女の駆動を損なわせた。

 その後使用人としての仕事をこなしている最中によく見る幻覚を見た。


 自分が倒れているのである。誰も未玖珠が倒れていることに気が付かないのが不思議なほどにくっきりと見える幻覚。


「(早く終わらせて、第二ビルに)」


 カクン、と膝が折れる。これもよくあることだった。

 何歩か歩き、また………カクンと崩れる。


 それを何度か繰り返し、うつろな顔で作業をするが、途中で薄暗い非常階段に退避し、ペタリと座り込む。

 あと1時間もすると『再教育』が始まる。


 今度の再教育で未玖珠の人格を完全に破壊しに来ることだろう。

 香川家の機械になるか廃人になるかのどちらかだ。もう逃げ場はない。


 未玖珠の顔は髪に隠れ周囲からはよく見えない。

 子供の泣き声が聞こえる。今もまた、助けを求めて泣いている。


 どこか泣き続けている。未玖珠は泣き止まぬ子の声を聞いていた。

 朝から晩まで叫び声が耳から離れなかった。


 体が震え始めた。

 見える。捨てられた女の子が、助けを求めて、泣いているのが。


「こん……な……ところは、もう………いやだよぉ……」


 現在と過去が一体となり、心の中で絶叫する。


(こんなところはもう嫌だ!!!)


 落涙する。

 そうして彼女を救うヒーローが現れる。


 涙を拭う。

 勢いよく立ち上がる。


 自信に溢れた横顔。

 その振る舞いは超能力の申し子未玖珠のもので、挫けることのない超人を具現化したものだった。


「待っててね!今助けに行くわ!!」


 彼女は未玖珠が世界一信頼する英雄だった。



 ガラスが一斉に割れる音がフロア中に広がる。連続で割れる照明。

 あたりざわつきのあとは悲鳴が徐々に大きくなっていく。


 何事かと未玖珠は思った。

 また柿屋の仕業だろうか。


 しかし様子がどうもおかしい。

 ヘリコプターの強いライトが暗闇に包まれたフロアを真横から照らす。


 窓ガラスが粉々に割れる。

 未玖珠のドレスが暴風にはためく。


 誰かがこのパーティ会場に降り立った。

 閃光のように眩く、峻烈に現れる。


 その乱入者は 普通のパーティ用のスーツに白いフルマスクをつけて窓際に立っていた。

 強い逆光が当たっている。


「準備が終わった。さぁ行こう」


 未玖珠は呆然として動けない。

 臆することなく乱入者は未玖珠にすっと手を差し伸べた。


 柿屋を含む黒服が仮面の男に銃を構え、躊躇いなく撃ち放った。

 平和なパーティ会場は一瞬にして戦場さながらの状況へと変貌する。

 柿屋は銃のアマチュアチャンピオンレベルの腕前を持っていた。


 確実に脳天を撃ち抜かれる弾丸が放たれた。

 発射音がしてから数秒が経った。


 仮面の男は倒れなかった。


 銃弾はどこにも着弾していない。

 仮面の男が手を広げ腕をまっすぐに突き出していた。

 弾丸を空中で止めていた。


 厚い絨毯の上にぼたぼたと落ちる。

 黒服たちは驚愕が行動に現れるくらい狼狽していた。セレブ達は手間取るその様子を忌み嫌うように見ている。


「……………お前はなんだ?」


 柿屋が聞く。恐ろしい声音だ。


「超能力者だ。見てわからないのか」


 黒服が一瞬で吹っ飛んだ。

 紙切れのように宙を舞い、壁に激突した。


 柿屋はふーっとハンドガンを弄んでから、未玖珠に銃を突きつけた。

 未玖珠は仮面の男から目を離せなかった。


 柿屋は躊躇なく未玖珠を撃ち抜き、悪魔じみた手腕で都合よく情報操作をするだろう。それが香川のやり方だということは未玖珠は見に自分にも染み付いて落とせない汚れのようによく分かっていた。


 轟く罵声が悲鳴に変わっていく。それはパーティ客のものだった。

 パーティ会場で2本の足で立っているのはいつまにか3人だけになっていた。


 気がつけばあとの人間はもれなく全員天井に張り付いていた。

 彼らは今日の日に覚えた恐怖体験を二度と忘れることはないだろう。


 仮面の男の力だった。いつの間にこんな力を?普段のトレーニングで見ていたがここまでの力はなかったはず。


「馬鹿なことはやめるといい。君は若さと無知と蛮勇が合わさりこんなことをしているんだろうが…………どこの回し者か、君の人生をかけるだけの価値が君の行為にあるのかな?気がついてなければ教えよう。君の人生は今日終わった。これから終わっていくんだ」


 柿屋は余裕そうだ。


 香川の力はちっぽけな組織なら当然のように超法規的な手段を持って、あたかも絶対正義が執行されるかのように潰す。


 仮面の男はこの状況で泰然としている。それからやや笑いを漏らして言う。


「その少女にそんなおもちゃのようなものが通じると思ってるのか?彼女にとってのハンドガンは凡人にとっての輪ゴム鉄砲並の危険度だ。つまり抑止力は無い」


「香川の子飼いの未玖珠はどこにも逃げられない。もちろん君もどこにも逃げられないんだよ中居ヒロくん」


 仮面の男は仮面を外した。床に放る。


「我々は長い腕を持っている。長い長い腕をね。どこまで逃げても、地の果まで追いかける」


 あくまでも引く気はない。譲歩も交渉もない。準備は整った。


 未玖珠はヒロを見る。ずっと、見ている。どうするつもりなのかは未玖珠には分からない。しかし未玖珠はヒロを信じていた。


「未玖珠。aアーBベーが実用可能段階まで到達した」


 未玖珠の驚きで目を見張る。それから目をうるませ、眉を震わせた。その情報をゆっくりと染み渡せるように咀嚼する。


 いきなりジャケットの内側のホルスターから拳銃を抜きそれをまたヒロに撃った。見事な早打ちだった。

 しかしことなげなくヒロはそれを防ぐ。


 柿屋は両手で連続して撃っていった。


 衝撃がヒロは少しひるむ。さすがに連続で撃たれるとそれに意識がかかりきりになるくらいは。

 柿屋は冷静に威力の高い方のハンドガンがヒロの念動力を打ち破れないのを確認し、先に片方のハンドガンをわざと撃ちつくし、床に投げすてた。


 片方の腕で銃をヒロに撃ち続け、さらに懐から何かを出そうとした。

 ヒロは一気に出力を出し、柿屋を吹っ飛ばした。


 柿屋は顔を歪ませ宙を舞い、意識を失わせた。


「さぁ未玖珠。行こう」


 未玖珠は涙を拭いて、言った。


「行きましょう」


 街中を変装して歩く。


「見ないで……あなたにこんなところ見られたら私は終わりだわ」


 未玖珠は目を手で隠す。


「何言ってんだ未玖珠。まだ俺たち始まってもいないじゃないか……未玖珠ってさ。けっこう泣くよな」

「…………うるさい」


 口元が笑う。

 ヒロは未玖珠を抱き抱える。


「ひゃあっ」


 未玖珠が慌てて悲鳴を上げる。


「そして何度も未玖珠を抱き抱えてる気がする」

「迷惑ばかりかけているわね?」

「重たい」


 ヒロの軽口に未玖珠はヒロの後頭部を叩く。

 未玖珠は顔をほころばせヒロの首に両手を回して抱きついた。


「ありがとう……私の騎士」

「もう大丈夫だよ」

「うん」

「偉かったね。よく頑張ってたね」

「うん……わたし良い子でしょ」

「強くて良い子だ」

「うん」


 そして腕で未玖珠の頭を撫でた。

 恐れが未玖珠を震わせていた。予想もしない幸せとそれを失った時に来るショックへの恐怖。未玖珠は幸せでなかった期間が長すぎた。


「偉かった。未玖珠は誰よりも頑張った。本当にすごい。君じゃなきゃここまでできなかった。未玖珠は世界中の誰よりもいい子だ。たったひとりで今までよく頑張ったね」


 未玖珠はまた泣いている。

 歳月によって積もり積もったものがどんどん雫に変わり流れ出た。


 ネオン光が僕たちに刺すように降りかかる。衆人は誰も僕達に興味を示していない。どこか不思議な感覚を覚える。まるで世界に僕達2人しかいないみたいだ。


 未玖珠はヒロの頬にキスをした。

 凍てついた痛みをぬくもりにヒロが変えた。


 完成したのは超能力を目覚めさせた薬をガス化する装置と、北米への渡る伝手だった。


 全てを捨てる前ってなんでこんなに清々しいんだろう。


 ヒロは駅のホームでスマートフォンを取り出した。


 そこにある連絡先の欄に至条高校のクラスメイト、そして古宇利浄太郎、 上妻桜、橘、そして両親の名前があった。これは彼らとの連絡手段だった。


 ヒロはそれを念動力でバキッと砕き潰した。それをビニール袋に入れてゴミ箱に捨てた。

 全てが変わる前兆を感じている。


 この世界をここで変える。

 変わる。


 祝福の前触れのような、心を満たす行事のような。このくだらない街にいてもぜんぜん違う気分になれた。

 道行く人に祝福をやってもいい。


 間違いなくこれからやることは後の歴史にはっきりと残るだろう。

 未玖珠を見ると彼女も武者震いをしていた。


「さっきは無様な姿を見せてごめんなさい。でも何が来ても私たちの歩みは止まらないでしょうね」

「うん」

「ええ。信じて。あなたのせいで私は今無敵なの」


 繋いだ手は固く。

 これから超能力者化ガスを街中に散布する。


 ヒロが超能力に目覚めるきっかけになったのは液体だったが、そのガス化に成功したんだ。

 それを吸えばに効きの遅い薬のように徐々に超能力へと目覚めてゆく。


 そして我々の目的である超能力者の国は完成する。

 超能力を忌み嫌う、この国の影の王、香川工業会長をそうやって打ち倒す。


「さぁ行こうぜ!」


 スカイツリーまで行くために超能力者たちは電車に乗った。

 奇妙なものだった。ここに乗っているたくさんの乗客は何も気がついていない。

 わくわくしないか?世界が、ひっくり返るんだぜ?


 吊革が揺れている。都会の空気で摩耗した電車の内部。

 その時唐突にすべての音が消えた。


「?」


 ヒロは首を振り、あたりを見渡したが、他の人々は動きが止まっていた。そして隣にいる香川未玖珠すら、静止画のように止まっていた。


「…………………」


 状況が飲み込めず、立ち上がり、周囲を警戒する。

 まるで、自分だけ周囲から切り取られてしまったみたいだった。ここには未玖珠すらいない。せめて未玖珠もこの亜空間じみた不動状態にいたらよかった。


 外の明かりはさっきから完全に固定されており、やはり電車は動いていなかった。


「中居ヒロ、だな」


 男の声に振り向く。と、同時に超能力を叩き込む。

 しかし、目の端に捉えたはずの男の姿がもうどこにもなかった。


 シュラララーンンン…………。

 電車の中を反響する。男が背後で日本刀を背中から抜いた。その直接的な脅威の圧力にヒロはひるんだが、次の瞬間さらにひやりと冷たくなるようなものを感じることになる。


(シン)……東赫(ドンヒョク)………… 」


 目を見開いた先に本物の〈英雄〉がいた。

 申東赫(シンドンヒョク)。革命を終わらせた革命の中心人物。


「なんで……あんたがここに……?」


 ヒロは内心でかなり動揺していた。ヒロと未玖珠の英雄だったからだ。国を越えても彼の絶望的な状況とそれを超えて成された偉業に共感と憧れを感じずにはいられなかった。


 じり、と空気が先程からどんどん怪しくなっていく。

 シン・ドンヒョクは泉の淵のような灰色の目をしていた。


 かつて動画サイトやニュースサイトで一挙一動を食い入るように見た。

 彼は今ユーロ圏で国際会議に出席しているはずだ。


「香川未玖珠を殺す必要がある──」


 そこまで聞けば充分だった。


「(なんであろうと、誰であろうと、こちらに敵意を持った人間はやはり敵だ!)」


 ヒロは押さえつけてから話を聞かなかったことを反省していた。自分にとって重要な人物でそして予想外な人物であったためだった。


 左手で乗客をこちら側に引っ張り、シンを吹き飛ばした。

 日本刀の腹で念動力を受け止めているようだったが、ヒロの力はこの数ヶ月の地の滲むような研鑽によりとてつもなく強くなっていった。


 ガチガチガチガチと悲鳴を上げる日本刀と申東赫(シンドンヒョク)の体。


「この力……」


 申東赫(シンドンヒョク)が意外そうに呟く。しかし、それから納得したように頷く。


 四方八方で金属が無理に動いていく、恐ろしい音がしているが、申東赫(シンドンヒョク)の双方はヒロを見据えたままだった。


 そしてヒロが電車の四方の面を念動力でシンの元に集める。


 ベコガキガキベキギャギャギャ!!!!


 車両は途中でどんな事故でもこうはならない不思議な潰れ方をした。


 死んでしまっても、超能力を使った人間が死ねば、その作用は消える。未玖珠は元に戻る。


 申東赫(シンドンヒョク)は鉄くずに春巻きの具材みたいになって捕まっているはずだった。


 しかし、そこにシンはいなかった。捕まえそこねた。ヒロは右に腕を突き出し、ドアでも開けるみたいに電車の開閉部分を吹き飛ばした。


 ちょうど電車は高架の部分を走っていた。

 固まった未玖珠を抱えて飛び出した。


 吹き飛ばした開閉部分の板が空中で止まっていた。ぶわっとヒロは宙に飛び出す。


「(時間が────止まっている!!!)」


 念動力で着地を和らげてから駆け出した。


 一つ後ろの車両から申東赫(シンドンヒョク)は出てきて、駆け出すヒロを眺めていた。やがてヒロは影に隠れるように路地裏に姿を消した。


 ふっと申東赫(シンドンヒョク)の姿がかき消える。

 ヒロが走っている人混みはやはり時間が停止していた。


 不意に人々が動き出した。世界から静寂が奪われる。


 ドオオオンン!!後方で激しい事故の音が響いている。ヒロはそれと反対方向に走っているが、人々は音がした方に心を奪われていた。


「キャッ」


 可愛らしい声を上げてくれる。


「ヒロ。どうしたと言うの?何があって今この状況なのか説明してくれる?」


 今未玖珠はお姫様抱っこをされている。


「敵だ。能力者だ。たぶん時間を止められる………敵は……申東赫(シンドンヒョク)だ」


 未玖珠もやはり目を見開く。

 その瞬間ヒロの意識が途切れた。


 意識の切断は一瞬のことだった。

 路面を走っていたと思ったら、急に地上何百mかの建物の上にまで来ていた。


 たったったっと駆けていた足が止まる。


「んんんん」


 未玖珠がなにか照準したみたいにしてからヒロにぎゅううっと抱きついてからヒロの手から飛び降りた。

 ただちに二人は背中合わせになる。視認できた途端に撃墜するためのフォーメーションだ。


「時間を止めるか。無茶苦茶な能力だ。ほとんど無敵じゃないか」


 走ったおかげでややヒロは息を整えている。しかし、体力トレーニングのおかげでそうは疲れていない。


「敵が申東赫(シンドンヒョク)とはね。とことん神様は私たちに試練を与えるのが好きみたいね」


 彼が暗闇から歩いてきた。

 ファンという時空が切り替わるような感覚。世界の時間がまた止まり、今度もヒロとシンの時間は止まっていなかった。


「僕に話があるみたいだな。なぜ僕達の邪魔をする!よりにもよってあんたが!」


 ヒロの問いかけに彼はその肉のあまりついていない頬が少し動いた。はっきり言って時間を止める能力の前にはヒロたちを殺すことなど造作もないはず。


 やはり何かに迷っているようだった。

 そして申東赫(シンドンヒョク)は腰を下ろした。


 ここはスカイツリーの展望台の上だった。


  「さっきの乗客は全員無事だ」


 とりあえず、というふうに申東赫(シンドンヒョク)が口を開いた。


 電車に乗っていたと思ったら、道路の上にいてざわざわとする人々。電車内の乗客は全員シンが能力によって避難させていた。


  上空で冷たい一陣の風が吹く。


「殺しに来たのは香川未玖珠だけだ。なぜ、香川未玖珠を殺すか……………それはお前が第三次世界大戦を引き起こすからだ」

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