小休憩
11
中居ヒロは超能力者である。
通称とかそう呼ばれるほど卓越した能力を持っている優秀な人、ということじゃなくて単純に超能力を有している。
彼は新薬の注射によってそれを獲得した。
神が設計した人間の機能の枠を逸脱した存在。
高校は冬休みに入った。
ヒロは自宅で後回しにしてしまった雑事と師走の時期にやる大掃除を終え、あとは穏やか気分で趣味のコーヒーや紅茶を煎れたり、家電用品やゲーム機の仕組みを調べたりしていた。
ヒロのワンルームの部屋には電気ストーブが置いてある。住宅街の外れにあるヒロのアパートの近くの家庭用ごみ捨て場に置いてあったものだ。
ある日通りがかった時、まだ新品同然なのにその役割をもう終えてしまったと言われたかのようにごみ捨て場に捨てられているのを見た。
その佇む姿に妙に惹かれていた。
不良品ならば買ったお店に言えばすぐに取替えてくれるだろう。どういうことなんだろう?と思ったりしながら朝と夕方にその姿を見てきた。
なんとなくヒロにはその電気ストーブがかわいそうに見えてきていた。
ある日に窓の外を見ると雨が振り始めた。彼のどこが悪いのか分からないがこのまま雨に濡れたら完全に彼は壊れてしまう。
早足で行った。
しゃがみこんで傘をさして完全に向こう側へと渡ってしまうのを引き止めた。雨の伝う電気ストーブを撫でてみる。
まだ俺はなんにもしてないと訴えているように見えた。
俺が俺として生まれ、そして俺が俺として一番輝ける時間がまだ俺には訪れていない。と。
部屋に運ぶ事にした。重量はかなりあったがだったが超能力でなんなく運んだ。
できることをしてみようとヒロは思った。
電気ストーブを解体していく。
超能力を使って。
その姿は不思議な光景だ。ヒロは手に何も持たず一つ一つの部品を点検しながら電気ストーブを解体していく。彼はドライバーすらもっていない。完全に手ぶらのように見える。
ハードはまったく新品同然でどこが悪いのか最初は分からなかった。
両手でいろんな角度から見ていってその上、拡張領域的に念動力で材質や、硬さ、役割、生産状況などが一つの映画を鑑賞しているように頭の中を流れてゆくようだった。
ドライバーやスパナは超能力が代わりになった。
何もないよう空間でネジがひとりでにキュルキュルキュルキュルと外れていくように見えるだろう。
電気ストーブの中で機能不全を起こしてしまっている部分を見つけた。
瞬間的に心の中で嬉しさがはじけた。
手と手を繋ぐことができたみたいに感じられる。
あれ。手持ちにこの部品がない。
近所の電気屋まで買いに行き帰ってきた。
ストーブはちょっとどこかでなにかがつまりを起こしていて、それで全体の循環が上手く行かないだけだった。
ヒロにはちょっとの力しかないけど少し手を差しのべてそれで善い循環の一つなれる時心がほんわかとなる。
すれ違いわずかばかりの交信しかできない量子と量子のすれ違いみたいなものかもしれない。
ゆっくりと念動力を解してゆく。
休憩しながらではあるけど何時間もつづけて超能力を行使していた。
「(超能力者二年生ぐらいにはなれたかもしれないな)」
これでどうだろうと思いそしてやや確信しながら回路を繋げ、スイッチを入れる。
わずかばかりの念動力をたゆらせながら発熱部分を凝らして見る。
徐々に赤く光ってゆく。ビンゴ。
「わーい」
電気ストーブは今までの分を取り返すようにかっかと熱を発している。
目が痛い痛い。
窓を開ける。二階なのでよく冬の風が部屋の中に舞い降りる。それは外と中がひとつなぎになるということだった。
冬の空気は空気中になにもないがあるみたい。
ヒロは電気ストーブで暖をとってニコニコにやにやする。
「すごい力強さだね」
彼に言った。
念動力はある一定の手順を習慣化することができる。パソコンでプログラミングするようなもので言語を知っていれば自動で念動力は差異なく同じことを繰り返す。
どういうことかというと意識を向けずに超能力はいろんなことをしてくれるということ。
ヒロは超能力を知って以来それの持つ広大さ、深さ、どんな姿にも形を変える世界のようでそれでいて人の心のようでもあるそれに、夢中になっていた。
プログラミングすれば本を読みながらお皿を洗うこともできる。
読書で別の世界を楽しみながら隣では虹色の泡を立てて食器は水洗い、汚れ落とし、ふきふきして、きゅっきゅっとして、念入りに確認する主婦の目をくぐるようにしてカゴにいれる。とできる。
料理も超能力で自動化できる。
料理は一つ一つレシピが違うので超能力の自動化は至難。
焼く、煮る、炒めると大まかなところはできなくもない。
調味料を念動力で入れるとそれは無意識のうちに行われる行為なので間違いも起きる。
塩が砂糖になっていたり、ひどい時はコンソメの代わりに豆板醤を入れてキャベツの巣ごもりココットがもう閻魔様のお得意様メニューのようになってしまったことがある。
調味料の近くに炭酸水素ナトリウムなんかが置いてあった日には殺人的なメニューが出来上がるというドジっ子ヒロインみたいなことになってしまう。
しかしヒロは密かに思うのであった。
いつか得意なメニューを完全超能力化することに成功させようと。
なぜか未玖珠の喜ぶ顔が本の一ページに差し込まれたように頭に思い浮かぶ。
未玖珠はヒロの料理をぺろりと食べる。
それにしても超能力は面白い。ヒロからするとこんな使い方も面白かった。
修理をしたり、料理をしたり、洗濯を畳んだり、掃除をしたり、ゴミをまとめたり超能力はいろいろなことができる。
未玖珠とカルタでもしようかなぁ。
新年も一緒に遊ぶから。超能力でばしばし絵札をとっていくことになるかな。 とぼんやり思った。
ヒロは自由に冬休みを満喫していた。
ヒロの日課となりつつある超能力で日常生活をこなすという試みの最中だった。
意識の遠くの方でチャイムの音が聞こえた気がしていた。2度目のチャイムで意識が戻りつつあったがまだ意識は超能力に向かっていた。
正確にはチャイムは聞こえているのだがチャイムの意味するところを理解できていない。
そして未玖珠が合鍵を使ってヒロのアパートサンマルコ204号室に入ってきた。
未玖珠が部屋に足を踏み入れた時彼女の目に飛び込んできたのは宙に浮遊する工具と部品の数々だった。棒ヤスリやニッパーやドリルの先端や、なんとはんだごてやレーザー装置まで浮かんでいるではないか。
ヒロはその時、超能力で掃除機を分解、点検、組み立てを繰り返していた。
まるで宇宙空間のような室内の様子に未玖珠は超能力者としてくすぐったいようなむずがゆい嬉しい気持ちになる。
そして未玖珠は自分に気づかぬ唐変木に挨拶するように念動力を発した。この部屋にたゆたう念動力に干渉する。それは肩を叩くようなものだった。
ヒロの口の端からはヨダレが垂れようとしていた。すぐはっとしたようにヒロはあたりを見渡した。
「よ」
未玖珠が片手を上げるとヒロは顔を崩した。
「未玖珠!」
「ねぇ今のいつからやってたのかしら?」
「え?8時ぐらいからだよ」ヒュウ。未玖珠が口笛を吹いた。
「来るの13時ぐらいって言ってなかった?まだ昼にもなって────」
そこでヒロが時計を見ると時計は確かに13時になっていた。
よっぽど楽しかったようねと未玖珠は肩をすくめる。
「じゃあご飯も食べてないのね。出前とるわ」
「やったー」
二人はピザを注文した。
夜はもちろん年越しそばを食べる予定だった。
◇
「ほう…向かってくるのか……逃げずにこのヒロに近づいてくるのか……」
ヒロの不敵な強そうな声が狭いアパートの1室で放たれる。それを受けた未玖珠はクールな面持ちで答える。
「近づかなきゃ、てめーをぶちのめせないんでな………」
ゴングが鳴る。
筋骨隆々な男たちが己の背後霊を出し合い闘う。
二人が目を見張るようにしているのはテレビ画面だ。現行の機種の対戦ゲームを二人はプレイしていた。
「URYYYYYYYYYY!!」
「ちょ、それヒロマズイって!」
「え?なにがッ!?」
「なんか分からないけどそれすごいマズイ気がするわ!」
お互いコンボの腕が上がっていっている。
最近ヒロがカードゲームを引っ張り出してきた。
日本で1番売れているあれだ。三世代くらい前のカードの束でヒロたちは遊んだ。未玖珠は意外にもこのカードゲームを楽しんでいた。どちらかというとカードゲームは男の子にしか興味がないと思っていた。
未玖珠も三世代前のそのカードゲームのアニメを見ていたのだった。
未玖珠は主人公のデッキを。ヒロはその仲間のデッキをつくった。あとは未玖珠は主人公のライバルのデッキも好きみたいだった。
ヒロのデッキは黒い鳥をテーマにしたデッキだった。ヒロが小学生のとき世界大会で何度も優勝しているテーマデッキだった。なのでそのカードのカッコよさが幼子心に残ったのだった。そう。僕には黒羽の血が流れているのだよ。
未玖珠のデッキはかなり弱いモンスターをたくさん出して合体したり、力を集めたりして一体を強くするデッキだった。強いモンスターをこつこつ積み上げて出すようなデッキだ。
今度TRPGとかやってみると面白いかもしれない。やったことないけど面白そうだとヒロは思った。
ヒロたちは東京の神社へと赴いていた。
除夜の鐘を鳴らすためだった。
未玖珠はいつもの甘めのデザインのハーフコートに茶のかかとの低いヒール。ネックレス。黒色のマフラー。社会人がつけてそうな手袋をつけている。
深夜帯に近いがこの日は外に子供も若者も多い。
そういえば僕はまだ十六歳でしかないんだ。という思いになる。
日本は治安がいいので比較的ということになるけれど警戒心が薄くなる。
ヒロや未玖珠に防犯グッズの類も必要はない。
超能力があるからだ。
喧嘩慣れした人間を赤子扱いできるくらいには戦闘能力は格段に高まった。
それでも、僕達の心は十六歳相応のものでしかない。
未玖珠は違うのか?そうではないところもあるしそうであるところもある。彼女はことさら力を求めているので外からは分かりづらいところがある。
それどころか彼女自身ですらよく分かっていないのかもしれない。
ヒロはマフラーに顔を埋める。
未玖珠と会ってからヒロの生活スタイルは大きな変動があった。未玖珠はもちろん橘ともより関わるようになった。それもこれも12月から始まり12月18日に決着した〈人形師事件〉が原因だ。
しかし本当の原因は超能力だ。超能力が僕らを引き寄せ、超能力により翻弄され、超能力によって高められる。
未玖珠の目的はシンプルだ。超能力の国をつくりその国で王様になること。
ならば僕は?僕はなにを望み、なにが欲しいのか?
「何が欲しいのか。何が言いたいのか。私は常にそれをはっきりさせたいの」
未玖珠は繰り返しこう言った。
常に目的を確かにしていないと、彼女は気がすまないのだ。
「そうしてないと落ち着かないわ」
しかしヒロは常にそれをはっきりさせる必要があるのか本当のところ分からない。やや曖昧なままでもいいと思っているぐらいだ。
「(自分がなにを望んでいるか突き詰めていくと話は避け難く重くなるんだ…………………………)」
ヒロと未玖珠はたくさんの面倒で正反対の気質をしていた。でも水と油のように合わない性格というわけではなく、妙に馬があっていた。
二人の友情が瓦解していない理由の一つに二人は超能力に心酔している、というものがあった。
神社の境内は山というか丘の頂上にある。
祭りのように人が多い。
ヒロと未玖珠は並んで座り、露店で買ったたい焼きを食べている。 未玖珠は頭から食べている。どうやら頭から食べる派らしい。
冬の寒さの中で食べるたい焼きは格別だ。
皮のぱりっとした感じと上等なあんこがうまくマッチングしている。ほのかの香るこれはシナモンだ。全てが調和してお菓子はより美味しくなる。
ヒロは頭の中でたい焼きの評価を加点方式で伸ばしていった。
通りゆく人々。
もう1人の超能力者を見ると彼女はライトアップされた本殿を見上げていた。
「除夜の鐘をどうやって鳴らすか考えた?」
ヒロの言葉の意図を未玖珠は理解し、にやりとした。
「それ、面白いわね」
神社の正確な参り方はヒロには分からない。ヒロと未玖珠は階段の下のところで手を清める。
長い石の階段を登る人が八割、降りる人が二割といったところか。
二人並んで登る。未玖珠の足が早いのでヒロがそれに合わせる形なのはいつものことだった。
人が多いのはヒロはなかなかいい気分になるのだけれど未玖珠は違うみたいで苦に思っているのが伝わってきた。
僕は間違ったことをしているのだろうか?唐突にそんなことを思った。
「未玖珠。おみくじ引かない?」
「私はいい……」
案の定未玖珠は口数が少なく、元気もなくなっていった。
「来年の運勢が気になるなぁ」
今年のうちにこういうのを引いていいのかどうだったか分からないけど。
「ヒロがどうしても引きたいなら……」
「そうこなくっちゃ。大吉が出るといいなぁ。そういえばくじとガチャってなんか似てるなぁ。廃課金すれば大吉は必ず出るね。アハハ」
元気を出そうと少しはしゃぎぎみになるヒロ。未玖珠は誰とも楽しい気分を分かち合えない人のように、楽しさが大気に広がる本殿でたった一人苦しそうな顔をしていた。
そんな未玖珠を見てヒロは黙った。
浮かない顔をしている未玖珠にどう声をかけたらいいのか分からなかった。
「…………人に酔った?」
未玖珠はその綺麗な容姿が世界に馴染めないみたいに孤独の苦しみが顔に出ていた。
「分かるでしょ?」
「うん……」
無能力者の中にいることに息苦しさを覚えるらしい。そして怒りも。
ヒロはことさら未玖珠を元気づけたいという気持ちになった。
「(やっぱりもっと人が少ない神社を探してそこにするべきだったかもしれない)」
という後悔の気持ちも起こる。
境内の真ん中の方では溢れる煙に人だかりができている。
ヒロたちは巨大な賽銭箱の前で二人並んで手を合わせ神様に話しかけた。神様とコミュニケーションを図るのも普通の人なら一年に1度だ。
ヒロは除夜の鐘の方を未玖珠に指さして見せた。
ヒロはその後除夜の鐘を鳴らす巨大な木を念動力で動かし鳴らした。
未玖珠が笑いヒロも笑った。
神主や客の驚きっぷりも面白かった。臨時アルバイトもぽかんとして超常現象を見ている。
「なみあみだぶつなみあみだぶつ……」
おじいさんやおばあさんがそれを見て念仏なんかを唱え始めたりした。
「神様のしわざだ」
年配の参拝客がそう話しているのを耳にした。
みんなも今日ばかりは不思議なものをみた、ぐらいで終わらせてくれている。
未玖珠はいくらか気分がすっきりしたようだった。
軽やかに二人は階段を降りていく。上りは渋滞しているが下りはすいているのですいすいと降りることができた。
人の流れの正反対を行く時の未玖珠は水の中で泳ぐ魚のように生き返ったように軽やかになっている。
反社会的体質な彼女。
「待ってくれ~」
下に着くころには体がいくぶんか温まっていた。
露店の一つに少々暇そうで浮かない様子のおばさんがいた。なにを考えているのか真冬のこの日にソフトクリーム店を出していた。ほんとうになにを考えているのだろう。というかどういう事情があるのだろう。他の露店には行列ができているというのにかわいそうに閑古鳥が泣いている。
「スーパーデラックスストロベリー一つ!」
未玖珠が頼んだ。店主は嬉しそうに準備し始めた。
「未玖珠は甘いものが好きだね」
なんかいろんなものをてんこ盛りにしたやつを頼んでいてヒロはうげぇとなる。
「 超能力を使うということは脳を使うということであり、よって私は糖分が必要なの。分かった?」
焦ったようにそっけなく未玖珠は言う。
彼女は何故か隠したがる。
「(もしかしたら未玖珠が男性になりたい願望を抱いているのでは?)」
未玖珠が元気が出てきてヒロは嬉しくなってきていて、次の予定のアイディアを思いついた。
その後二人は森の中を歩いた。
時として都会の喧騒やその他すべてのものから離れ、自然の中に立ち返ることが必要になる時がある。
それは本当は言うまでもないことなんだけど、すごくリフレッシュできることだ。ミミズクかフクロウの鳴き声が耳に届く。
特に両極端に触れがちな生き方をしているとより一層心地よく感じるものだった。
自然は人の社会で排斥するものを受け入れる。それも最も健全な形とやり方で。
そこに不自然さはない。自然さしかない。人間が造った歪な機構から逃れることができるのだ。
ここにはいかなる人間性はない。
木の根に腰を下ろし二人は話をした。話に疲れると超能力でいろいろなものを弄んだ。
見上げると薄ぼんやりとした光が僕たちに降り注いできている。月光。
月は薄くまばらな雲を挟みその先で光輝いている。
ヒロたちは同じ空を見た。
あの光は太陽の光を反射しているんだ。月の光は太陽の光だから。
────どおりで優しいわけだ。ヒロは地上に平等に優しく降り注ぐ月光のシャワーを浴びながらそう思った。
雲がゆっくりとゆっくりと移動する。気まぐれな自然が赴くままに姿を変え、好きなところに行く。
薄ぼんやりとしていた月は繭がはなれるみたいに雲の切れ間に浮かぶ。
月はそのクレーターの跡がはっきりと見えるくらいまではっきりと見えるようになった。
ヒロが隣を見ると同じように月を眺める未玖珠がいる。目が慣れてきていたとはいえほぼ暗闇の中にいたのだが未玖珠は月の光に見初められたみたいにその光の下にごく自然にそこにいた。
「いつまで続くとも分からない権力闘争に少し疲れていたわ。でも、国を造り、私が王になればそれも終わるわ」
「(どうなんだろう)」
ヒロは振り返って考える。12月18日に端を発した〈人形師事件〉。一連の事件は紆余曲折あり、解決へと導かれた。そして僕たちは僕たちの目標へと確かな1歩を踏み出したはずだ。
「私は自分自身の輝きを持て余すときがあるのよ 。地球に大気圏突入する隕石がその過程でその身を燃やし溶かし尽くしてしまうみたいにね」
「そりゃあ大変だな」
未玖珠は自信満々にそう言い放ったが内心では疑念と不安でいっぱいだった。
本当にヒロの中に自分と同じ風が吹いているのかどうか不安になるのだ。それを確かめるために未玖珠はムチャなことを人にする。
「 あぁ僕はせいぜい未玖珠が燃え尽きないように手伝おう」
その答えは回答の半分を満たしていた。
未玖珠はにっこり笑った。
あとの半分は行動だからだ。
2人は黙って大自然の中に身を置き、そこで耳を澄ました。葉の揺れる音を聞き、涼しさを感じた。そして懐の広さもそれに伴って分かる力強さとか。文明が進みすぎてすっかり野生を無くしてしまったかと思ったけど、こうして森の中にいれば命の流れを感じないでもなかった。
「山の頂上まで行きたい」
未玖珠はぽつりとこう言った。
「順路も何もないけどどうするの?」
「とにかく行きたい」
やれやれ。ヒロは肩をすくめた。
ここから先を語り始めるともうそれは大変の一言に尽きる。明かり持たず月の光だけを頼りに山の頂上を目指す。
クレイジーである。
とにかく念動力で木々をかき分けたがヒロはそういうことはしたくないなと最初から思っていた。
それは未玖珠も同じでなるたけ自然を傷つけないようにとヒロに厳命した。そのことでヒロは安心した。未玖珠は目的の為なら、手段を選ばないところがあるから。
誰もいないところで誰にも助けてもらえないところで真っ暗闇の中で人間の力がまったく及んでいない中で二人して足をとられ肩がつかえたりしながら進んだ。
汗が次から次へ吹き出してくる。
ヒロは驚いたことに虫がほとんど気にならなくなっていた。土についた手の指の上を虫が這っても全く気にならなかった。疲れ果てて気にしている余裕がないからなのかそれとも自然と一体化しているということなのか。
最初から遭難への懸念があったのだけれど未玖珠は気にしていないみたいだ。
いずれにせよ未玖珠は人混みの中で無理に周囲に合わせていたときよりも遥かに生き生きとしていた。
彼女の嬌声がヒロの乳酸まみれの頭に心地いい音楽のアクセントのように響いた。
イカレたお姫様に付き随う矮小なる存在。
姫はときどきヒロの方を振り向いてちゃんとついてきているか確かめて、罵倒するか、冗談を言うか、励ましたりした。
「ああ、楽しいわ!」
やがて僕たちは頂上にたどり着いた。
未玖珠は笑顔を浮かべていた。
しかしそこはそこへ行こうとして思い立ったときのイメージそのままの場所ではなかった。
僕達は獣道を辿ってきて訪れた頂上は人の手の入っていない、自然そのままの場所だと思っていた。
しかしそこにはベンチとよくわからない芸術家の名前が書かれたよくわからない作品がそこには鎮座していた。
頂上にたどり着いた喜びは急速に膨らんだ風船がしぼむように薄れていった。
未玖珠は腕をその像に向けた。超能力を発する気なのか?とヒロが十テンポぐらい遅れて思った時には未玖珠はもう腕を下ろしていた。なにを思ってそうして、そこにどのような葛藤があったのかはもちろん他人であるヒロには分からなかった。
稜線はここだった。もうここから上はない。
どこにも行く場所がない。終点は既に誰かの手がついていた。
下山する時はヒロに疲れがやってきた。
「僕が先に行くよ」
ヒロがそう言うと未玖珠の顔に波紋のように驚きが浮かんでいった。その驚きだんだんと大きくなる。
登る時があれば降りる時がある。太陽は登るものだが沈むものでもあるように。
未玖珠はなんとなく建国のイメージを自分の中でもう一度確かめた。そしてそれだけでは飽き足らず、その手順の考えられる問題点とその途上にある難関の攻略方法について考えた。
「私が先導するわ」
ヒロは未玖珠の後に戻った。しかし今度は未玖珠にあれこれ話しかけ、未玖珠の体調を気づかった。
あえて国をつくるという話には触れない。
それどころか、ヒロは普通の考え方と常識的な価値観の話をした。
つまり未玖珠が嫌がり、苦しむ話を。
しかし長く続けることはできなかった。
「ねぇ未玖珠。まだ国が欲しい?」
「当たり前でしょ?」
即答。未玖珠は顔にかぶったクモの巣をまったく気にすることなく言った。
「いい国にしてくれよな」
「………当然よ」
未玖珠は少し経ってから振り向かずに答えた。
「ヒロ。気はすんだ?」
人形師事件が終わってからの休暇期間について言っているのだ。ヒロが休憩したがっているということは未玖珠は分かっていた。だから未玖珠はヒロに合わせていたのだった。
「やっぱり今の世の中では生きられそうにない?」
答えは帰ってこなかった。しかし沈黙が時として何よりも雄弁に語る時がある。今がそうだった。
「オーケー」
言葉を形成する感情のそのほんの少しだけ哀しそうな粒子を未玖珠は感じ取った。未玖珠もヒロが哀しんでいるのを感じ、少しだけ哀しくなった。
「ごめんね」
ヒロは肩をすくめた。
「未玖珠」
ヒロがそう言うと未玖珠は思わず立ち止まった。そして口元を結ぶ。
「たった一人で頑張ってきたんだな」
「?、?」
暗闇のためお互いの顔が見えない。しかし付き合った時間は短くともお互いのことはよく知っていた。未玖珠は困惑した顔をして、ヒロは真面目な顔をしていた。
「そして最悪の場合一人でもやるつもりなんだろう」
ヒロは未玖珠を抱きしめた。
未玖珠は抵抗した。腕を突き出した。ヒロはショックを受けて少し止まる。
しかし本気で嫌ならば超能力で僕を問答無用で吹き飛ばしてくれるはず。と思い、再び動き出す。
「未玖珠は間違ってるけど世界はもっと間違ってる。だから未玖珠は間違ってなんかない……!未玖珠が正しいんだ……!ずっとずっとそうだ。未玖珠こそが気高く美しい……!」
今まで研究者たちや周りの人間にヒロみたいな人はいなかった。
全ての人はただ、未玖珠についていけなかった。
未玖珠は系が切れたみたいにその体から力が抜けた。ヒロの背中に伸ばすその手は震えていた。
未玖珠の目が揺れる。口は震えていた。その泣きそうな顔にヒロの心は激しく痛んだ。
ここまで動揺するぐらいに一人ぼっちでいる時間が長かったんだろう。
そのことに怒りさえ覚える。
「…………ね、ヒロ。最後までついてきてくれる?」
「ああ。最後の最後の最後まで未玖珠についていこう。僕は僕のものだけど、未玖珠のものだ」
未玖珠がヒロに求めた二つの矛盾する要求の答えがこれだった。
それにしてもとんでもない選択をしたものだとヒロは思った。これから訪れる可能性もある最悪を想像した。
今さら……と思わなくもないけどそれでもやはり怖いものは怖い。
すると未玖珠の震えがヒロにも伝わってヒロ震えだしたがすぐにそれを抑えていた。
未玖珠を不安にさせてたまるか!と思った。
安心できる自分であろう。
あのドグマに降るようにしてCLASS3に行った時にもう決めていたのだから。
決意と守りたいという想いは折に触れるごとにミルフィーユの生地を重ねるみたいにヒロの中で重なっていく。
未玖珠を最後の最後の最後まで裏切らない男になる!
その時ヒロは国をつくることよりも幸せになることをはっきりと望んだ。
2人の関係は共依存に近くて。
何時間外を歩いただろうか。たっぷり歩いて二人は体が冷えたので屋台のラーメン屋でラーメンをすすった。未玖珠も庶民の生活に少しずつ慣れてきていたようで勝手知ったるで替え玉を頼んで、替え玉に金をとることに他のラーメン屋はとらなかったと文句を言った。
ヒロは苦笑しながら美味しいですよなんて言いながら醤油ラーメンをすすった。
「お嬢ちゃん。うちのラーメンになにか文句があるんなら帰ってもらおうか」
「誰もまずいなんて言ってないわよ。おいしいわよラーメンは!」
「じゃあ何が気に入らねぇんだお嬢ちゃん」
「その腕組みが気に入らないわ!」
ヒロは声を立てて笑った。
「だいたいなんなんだこんな大晦日の日にそんな木の葉とか木の枝とかクモの巣とかつけて来て。おれはたぬきかキツネがラーメンくいに来たかと思っちまったぞ」
化けてでたなんてわけないわよ!未玖珠がそう言ったあと水を飲んだ。ヒロはスープをすすっていた。
「金……あるんだろうな?」
不審げにおっさんは言った。
「あるわよ!」
未玖珠は高価そうな財布から万札を見せた。
「木の葉じゃねぇだろうな?」
「だから化かしてないわよ!」
「大晦日なのに屋台出していいんですか?おかげで助かりましたけど」
ヒロがめんまを噛みきって飲み込んだあとそう言うとおっさんはこう言った。
「一番の稼ぎ時なんだよ。他にやることもないしな」
二人は同じタイミングでスープを飲み干して台に音を重ねて置いた。ごちそうさまでしたと二人で言って屋台を後にした。
おっさんは店じまいするようでポリバケツに腰を屈めて両手をかけながら、おおよ!また頼むわ!と笑って言った。
街は黄金色に光っていた。雪がちらついてきた。手袋を外し、その雪を手に受け止めてみる。
───僕たちはこれからどこへ行くのだろう。
例えば未玖珠の記憶の中を最初から本にして然るべき人がそれを読んだら答えが分かるのだろうか。優れた劇作家ならば。あるいは学者ならば。あるいは…………。もし本になるのならば大勢の人間がそれを見るわけだからそれこそたくさんの解決策が提示されることだろう。
でも、とヒロは思う。未玖珠はそんな過去など誰にも見られたくはないだろうなとおもんばかる。
僕だったら嫌だ。でも未玖珠なら、目的のためなら手段を選ばない彼女なら目的のためなら自分の恥など世間に向けて晒してしまうだろう。それで国が造れるならと。王座が手中に収まるならと。
その本の中の主人公はもちろん未玖珠だ。彼女はその本の中の赤い点だ。現れて踊り出す。
つられそうだと思うなんてどうかしてると思いながら世界中の人が彼女の人生を見る。
山を降った未玖珠は今度はどんどんどんどん降っていった。滝のぼりを終えた鮭が海へと帰るみたいに僕達は港に向かった。
道はどんどんなだらかになっていった。あたりに森は見当たらなくなっていった。フィールド自体が移り変わっていったのだ。匂いも違ってきた。電灯や照明器具が辺りに多いので夜中でも明るい。
道路とコンクリートの堺を超えてヒロたちは海岸へと近づく。
「初日の出を見ましょう!」
静かな明け方の水平線を見つめながら未玖珠が言う。
僕らは堤防の先端まで来ていた。この先に進むことはできない。いやだが超能力者である未玖珠なら…………そして僕がいれば……。そう考えていたところで未玖珠は
「まぁいいわ」
と言って堤防に腰を下ろした。
超能力には無限の可能性がある。
科学的な考え方をすると不可能だと証明されていないことは可能であるかもしれないということになるのだ。
僕は未玖珠の隣に腰を下ろした。二人並んで足を際にかけてぶらさげた。淵に腰を下ろして遥か彼方水平線をこれまで幾人もの人々が見てきた事だろう。
そして冒険心、ここではないどこかに行きたい、まだ見ぬあそこに行きたいという思いを秘めていた人がいたのではないだろうか。その人達は満足できたのだろうか。
夜がまだ明けない空の下でヒロは考える。
太陽を見て大勢の人間がそれぞれの感慨を抱くだろう。
西の水平線がほのかな光を放ち始める。太陽が姿を現すことで全ての生命に色がついてゆく。2人も太陽を浴びる。未玖珠もヒロもその姿により強度や深みを増したようになる。
命が顔を上げる。植物は萌芽し、動物は産声を上げる。
夜明けだ。
夜露が朝露に変わる瞬間を見た。
「私たちに明日を約束しろ……」
西の空は眩しい。ヒロは時折違う方を見ながら目を休ませているのだが、未玖珠は太陽の方をじっと見て目を離さない。
サングラスでも持ってくるんだったなと思ったがそれも違うかとヒロは思い直す。
灯台のこととか海辺の生き物とか釣りについてとかいろいろ話しかけたが未玖珠の返事はつれないものだった。釣りだけに。
彼女の気を逸らすことはできなかった。神社に御参りした時よりもよっぽど真剣に祈っているようだった。
ヒロは最終兵器を懐から取り出した。それは二つの鉄製のコップと魔法瓶だった。堤防の地面にコップを置き、魔法瓶の蓋を緩めていく。未玖珠ようやく注目してくれている。僕はやや緊張しながら手順を進めていく。蓋をとってしまうと出口から湯気がゆらりと微かに立ち上った。しかしそれは寒々しいこの最先端の場所の打ち付ける波や、冬の海が運ぶ風に負けていないサラマンダーだった。
「カフェオレを入れてきたんだ」
コップに注ぎながらヒロは言う。熱を伝えやすい鉄製のコップはたちまち暖かくなる。手が温もりでじんわりと熱くなる。
僕たちはコーヒーを飲みながら再び日の出を見た。
未玖珠は体の芯からぽかぽかするようなものをコーヒーから受け取った。
「何を祈った?」
「建国よ」
「あなたは?」
「…………僕達が幸せになれますようにって」
「何言ってるのよ。私達が幸せになるのは当然のことじゃない。今年もよろしくねヒロ!」
そうして僕たちはお互いに口を揃えて五、五、五の挨拶を述べたのだった。
「「あけまして、おめでとう、ございます」」
太陽は誰にでも平等に降り注ぐ。2人の姿を西日が照らした。
「未玖珠、今年はあんまり無茶しないで欲しいんだけどね…………」
「分かってるわよ。でも今年は今までの屈辱を晴らす年になるわ」
やえやれ。僕は喉元を過ぎて熱さを忘れてしまいもう一度熱々のコーヒーを飲むことになった。




