二話 真夜中の来訪者
家の者がみんな寝静まった後。
身体は赤ん坊だが頭脳は大人な私はテンション上げ過ぎて逆に眠くなくなるという状況に陥り、致し方なく今日集めた情報を整理していた。
案の定というか希望通りこの家は裕福な家だった。
正確には爵位持ちのお貴族様で、領地の管理関係が父レオナルド、そこに加え美容やドレスなど女性向けの商売をしているのが母ジェーンだった。
その間に生まれたのが私、子爵令嬢のレイチェル・バレンタインと言う訳である。
「(とりあえず立って歩けるようになるまでは、この屋敷うろつくのはお預けだな。はぁ~~、暇ァ!ゲームしたいよ~~!!)」
寝付けない為に愛らしいぬいぐるみやら玩具やらが入れられたベビーベッドの中でゴロゴロと転がる。
本来なら夜泣き等があるのだろうが、お生憎様中身は元は大人まで育った人間だ。同世代の友人達にも何人か子供は居た為、夜泣き等で睡眠時間をゴリゴリ削られてる親になった彼らを知っている。
こんな素晴らしい環境を与えてくれた事に感謝こそすれ、わざと彼らを叩き起こす真似はしたくない。
「(安心して寝ててくれ美形夫婦…。あつぅ~い夜を過ごしてても良い子で寝た振りしててあげるからさ。むふふ。)」
無駄に広い、というか二次元でしか見た事無い広さのベッドに横たわる夫婦を見つめる私。あんなに仲が良いのだ。すぐで無いにしろ近い内に兄弟が出来る可能性は高い。
来るべき日に備えて『今私は爆睡しています』という完璧な演技を身につけるべきだろう。寝た振りで演技というのも変な話だけど。
赤ん坊である事を利用してニヤニヤとロクでも無い事を企んでいた。
――――その時だった。
「(ん?何の音?)」
ミシリ、ミシリと、ゆっくり体重をかけて歩いているかのような音が耳に入った。
私には「皆を起こさないよう頑張って忍び足で歩いたけど無理でした。」みたいな感じに聞こえた為、家鳴りでは無く誰かが出歩いてるのだと判断した。トイレですかな?気にせずさっさと行きたまえ、漏れても知らないぞ。
念の為寝ている両親の方へ視線を移すも、動いた様子は無い。仲良く抱き合いながら爆睡中である。ほほえま羨ましいなリア充。
「(って事は廊下か。使用人の誰かかな。)」
むくりと体勢を変えて扉の方を見るも、まぁ当然扉は閉じている為変化は無い。ミシリと失敗している忍び足は扉の向こうの右側から聞こえてくる。トイレの場所は把握していないが、おそらくその先なのだろうか。
「う?(は?)」
ミシリ
ミシリ
ミシリ
その音は扉を通り過ぎる事無く、扉の前で止んだ。
「(…誰だ?)」
音は動かない。
じっと扉を見つめる私。チクタクと時計が秒針を刻む音だけが部屋に響く。先程までトイレかなとか呑気に構えていたが、湧き上がる胸騒ぎに私の心臓は少しずつ早鐘になっていった。
どれくらい見つめていたか。少しの時を要した後、キィ…とその扉はほんの隙間を作る程度に開いた。
「――――…!」
あんな隙間程度開けたぐらいでは人は通れない。せいぜいネズミまでの筈だ。
しかし暗闇に慣れた目がしっかりと誰かが入ってきたのを確認した。
「(な、何…っ?!)」
目が捉えたものは人のような黒いもの。暗闇に馴染むような全身真っ黒な「何か」
頭の先から爪先まで絵具でも被ったかのように黒いが、凝らして見れば腕があり足がありきちんとした人としての形はあった。
―――あらゆるパーツが異様に細い事を除けばだが。
それは何をするでも無く、ゆらゆらと扉のすぐ近くで立ち止まっていた。自分の心臓の音で耳が支配されかけていたが、視線だけは何故か逸らせずひたすらその「何か」の動向を窺っていた。
刹那、ゆらゆらとその場に立ち止まっていただけの「何か」が、ゆっくりとこちらを向いた。
「――――っ!!!」
―――気付かれた。
目は無い。口や鼻が付いているのかも分からない。不自然なほどにその部分には暗闇しか無かった。所謂のっぺらぼうに近い顔だったが、何故だろうか。こちらを見ているのは分かった。
本当は今すぐにも駈け出して逃げ出したいが、残念ながら私は今赤ん坊で、更にはベビーベッドの中だ。前後左右、逃げ場ナシの見事な詰み状態だった。
声も出せないまま硬直している私を尻目に、そいつはよりにもよってこちらへを歩を進めてくる。
「(は!?何でこっち来るわけ!!?帰れ変えれ!こっち来んな…!!)」
ミシリ
ミシリ
ゆっくりと、だが確実に距離を詰めるそれ。動くに動けない私。
予想外の危機的状況に思考回路が上手く動かない。理解不能なまま、はくはくと言葉にならない声を出しながらそれが迫るのをただ見つめた。
ミシリ
ミシリ
『―――――……。』
ベビーベッドに辿り着いたそれは私を凝視する。しているように見える。すると何か、声のようなものが耳に入ってきたが理解には至らなかった。正直理解したらヤバそうだったので分かる言語で無くて助かったのだが。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。するりと沈黙を保っていた目の前の「何か」は、異様に細い手を私に向かって伸ばしてきた。腕の動きから見て抱きかかえようなどと思ってはいまい。どうみてもそれは掴もうとする動きだた。
「(オワタ…マジで死んだ…。)」
ゆっくりと。ゆっくりと。私に手を伸ばしてくる。
これで終わり。何もしてないのに終わり。折角いいスタート切れたのに。第二の人生が始まる所だったのに。努力の一つすら出来て無いのに。
死を覚悟した私だが、限界まで高まった緊張感にとうとう耐えきれず、涙を流しながら。
―――大爆発した。
「―――うっ、うわぁぁあぁああああん!!!!!!!!!!」
赤ん坊特有の甲高い泣き声。
それは溜まりに溜まったストレスを爆散させる為に腹から出た渾身の声だ。深い眠りに落ちている者でさえ、聞けば問答無用で現実へ引き戻される。
故に両親も例外では無かった。
「あっ、あらあら…どうしたの〜…?」
「うぐぅ…我が天使ながら見事な声量だな…決まった時間にやってくれればいい目覚ましだ…。」
慌てて起きる母と叩き起こされた所為か地味にダメージを食らっている父。緊急事態だったんだよすまぬ。
母は近くにあったテーブルランプを付け、暗闇に包まれていた部屋に暖かな橙色の光が灯された。
ぎゃん泣きしている私に駆け寄り、あやすように私を抱き上げ優しく声をかけてくれる母マジで聖母。状況からしたら完全に夜泣きじゃんよ!ごめん本当に!でもマジで無理。無理なモンは無理。
大抵のホラーには耐性あるけど命の危機が迫る系は流石にビビります。ホラゲー得意な奴がリアルガチホラーにも強いと思うなよ!?幻想だぞ!
落ち着いた頃、先程まで「何か」が立っていた所に目をやるもそこには何も無い。そんな馬鹿なとぐずりながらも周りを見渡すも、勿論影も形も無かった。
そうやってやるだけやって音も証拠も無く即退散出来るの狡いと思うんですけど。
「(違う…あれは、本物だった…)」
人ならざるもの。
創作でしか見た事も無い、この世のものでは無いもの。それがさっきまで自分の前に居て尚且つ確実に私を「認識していた」。
あまりにも鮮明な記憶と感覚に身震いし、夢では無いという事実に狼狽えた。
「(今日はもう無理…どうかこのまま朝まで気絶するように眠れますように…。)」
もう深く考える気力すら無い。 全ては朝日と共にスッキリした頭で考えよう。
大泣きしたおかげか、襲い来る倦怠感と睡魔に勝てる筈も無く、揺りかごのように揺れる母の胸に抱かれそのぬくもりに包まれながら私は無事気絶するように眠りに沈んだ。