婚活戦線異常あり~振り回される人々の狂想曲~
「おはよう、フレデリック!」
今日も元気すぎて能天気な少女の声が学園の朝の澄みわたる空に響く。
「ああ、おはよう」
理想の王子様スマイルで本物王子であるフレデリックが答える。親しくない者に向けるフレデリック王子の標準的な表情だ。
にもかかわらず、少女はそれをそのまま受け取って、親しげに話しかけるのを周囲にいた学生たちは眉を顰めて見ていた。学園では学生の平等を謳われているが、貴族の学生でも王族に対して親しくもないのに気軽に話しかけることは憚れる行為だ。それを平民の少女が対等でもあるかのように話しかけるのだから、顰蹙を買って村八分にされてもおかしくはない。
しかし、この少女はただの平民ではなく、全属性を持つ少女だった。魔法を使いたくても、自分の持っている属性の魔法しか使えない世界なので、貴重な資質を持つ彼女の振る舞いは大目に見られている。
それでも、その言動は行き過ぎていた。
だが――――
「おはよう、フレデリック!」
毎日、何度も遭遇しては繰り返される挨拶にフレデリック王子も多少は気を許して挨拶を返す。少女に何の含みもないとわかった結果だった。
「おはよう」
「聞いてよ。今日の朝食、目玉焼きが双子だったんだよ。朝から運がいいよね」
何のてらいもなく身近な幸運を語られたフレデリック王子はその楽しそうな様子に自然な笑みを浮かべる。
それを見ていた周囲の女子学生は取り巻きをしているフレデリック王子の婚約者のディアドラにボヤいた。
「見まして、ディアドラ様。殿下がお笑いになりましてよ。いくら平等だからと言って、殿下や皆様に気軽に話しかけすぎですわ」
「相手は平民ですもの。仕方がなくってよ」
こんなことを話すことすら面倒だと言わんばかりにディアドラは言った。フレデリック王子との婚約は完全に政略的な意味合いで決められたもので、フレデリック王子の動向など一々聞きたくもなかった。
気に入った少女ができてくれたのなら、彼女が代わりにフレデリック王子の婚約者になって欲しいとさえ思っていた。
「だからと言って、あのような態度を学園の外でもできるとお思いなんでしょうか?」
「彼女は貴重な全属性なのでしょう? 仕方がないわ。光属性は純粋でなければ使えないもの」
「純粋だからって、婚約者のおられる方にまで馴れ馴れしくするなんて、信じられませんわ!」
「純粋だからわからない方なのよ。我慢してあげなさい」
王子の婚約者である侯爵令嬢はいきり立つ取り巻きの令嬢をなだめた。光属性が純粋でなければなれないことを指摘されても、取り巻きの令嬢は納得がいかない様子だった。
王子と無邪気な少女、そして王子の婚約者とその取り巻き。彼ら以外にもその場には人がいた。
その人物は言った。
「これはうまく行くかも」
それから数日後――――
「おはよう、フレデリック!」
敬称もなく、親しくもない相手から呼びかけられたフレデリック王子は以前のように理想の王子様スマイルを浮かべる。
「ああ、おはよう」
「おはよう、フレデリック!」
別の令嬢からも同じように馴れ馴れしく挨拶をされ、フレデリック王子は内心戸惑った。それどころか、その令嬢に答える前に他の令嬢からも同じように挨拶をされる。
(なんなんだ、これは?)
全属性の少女と同じような行動をとり始めた婚約のまだ調っていない下位貴族の令嬢たち。それを見ていたディアドラの取り巻きはまたいらないというのに、それをディアドラに告げる。
「まあ、ディアドラ様。ご覧になりまして? 男爵や子爵の令嬢たちが殿下に馴れ馴れしく挨拶をし始めましてよ」
「前例がございますもの。それを咎めなかった皆様の自業自得ですわ」
今日もディアドラは高みの見物をしていた。好きでもない婚約者が困っていようと、所詮は他人事である。
むしろ、この婚約者が嫌いなディアドラは以前は友好的だった彼に対して、今や無関心というか、しくじって廃嫡になってくれないかとさえ思っている。
「自業自得だなんて、言い過ぎですわ。ディアドラ様」
「そうですわ。光属性だからと馴れ馴れしい方がいらっしゃったとはいえ、相手は平民。彼女たちは貴族ですのよ?」
嫌いな婚約者を擁護するような取り巻きをディアドラは諭す。
「結婚相手を捕まえるのに貴族も平民もありません。ご覧なさい。学園の男子学生たちはみな、全属性の少女の虜。条件の良い殿方の御心をつかむ為に嗜みを身に付けてきたのが貴族に生まれたわたくしたちですもの。彼女たちの行動は理に適っています」
王子の婚約者である侯爵令嬢ディアドラは下位貴族の令嬢たちの狩りを好意的に受け止めていた。
「ですが・・・!」
「この程度のことで靡くようなら、それまでの器ということ。わたくしたちは彼らが役に立たなかった時の為に殿方の嗜む勉学にも力を入れましょう」
最早、色気に弱い男子学生たちと成り代わることすら考えている王子の婚約者。
「カッコいいですわ、ディアドラ様」
「殿方は掌の上で転がせられるくらいの可愛げが必要ですが、無能では困りますものね」
ホホホホ・・・と楽しげに笑う王子の婚約者とその取り巻きの令嬢たち。
その後、ディアドラの言葉は婚約者が全属性の少女の虜となった令嬢たちに伝えられ、令嬢たちは見切りをつけて婚活の狩りに出る者、殿方の代わりに自分が仕事をしようと考える者など、様々な反応を示した。
――――世は婚活と女性の地位の下剋上の時代を迎えたのである。
「フィリップ~!」
静寂に支配された図書室に女子学生たちの声が響く。ベテラン司書は呼ばれている男子学生に冷たい一瞥をくれた。
ショックを受けたのはその男子学生である。
入学以来、友好関係を結び、同好の士となったベテラン司書からの軽蔑の眼差しは本を愛する彼にとって大ダメージだった。
「なんで、そんな目で見るんですか?」
令嬢たちをふりきって戻ってきた男子学生はベテラン司書に聞いた。
ベテラン司書は以前の温かい眼差しなど嘘のような取りつく島もない様子で答えた。
「ここは図書室です。私語をなさるのなら、誰の邪魔にもならないような声で話してもらわないと困ります」
「僕は何もしていないじゃないですか」
「あのお嬢様方だけの話ではありません。以前からあなたに話しかけられていたお嬢さんの声が大きく、彼女が来られると何人も立ち去っていました。あなたはようやく友ができたと思われたようですが、その影で迷惑を被っている者もいるのです」
全属性の少女に何度も声をかけられ、友となった男子学生はベテラン司書から迷惑していた旨を告げられ、自分が軽蔑していた騒がしい人物に成り果てていたことに更にショックを受けた。
剣の訓練場でも婚活中の令嬢たちの雄叫びが上がっていた。
「うるせー!!」
思わずそう言ってしまったのは、御年40歳の平民上がりの騎士だった平教師(絶賛、嫁募集中)だ。堅実なのが功を奏して騎士になれたものの、パッとしない見かけと地味な存在感で、未だに婚活令嬢たちにロックオンされていない平民向けの超好物件である。
が。
もちろん、貴族の令嬢たちは彼のことなど眼中になく、ターゲットの名を叫んでそちらに差し入れを差し出している。
全属性の少女はここでも人気だったが、好みに合ったかというとそうでもない。可愛い系と言っても、それにはジャンルがある。可愛いよりも美人なほうがいいという好みもある。もちろん、背が高くてスラリとしている子がいいとか、背が低くてちんまりしている子がいいというのもある。
自分の好みの女の子から甲斐甲斐しく差し入れをされて、全属性の少女と同じように励ましてくれる女の子がいたら、好みの子のほうがいいに決まっている。どこの世に同じことをしてくれても、気まぐれにしか来ない好みではない女の子を選ぶだろうか。
ターゲットを絞って、まめに来ることで婚活令嬢たちは見事に騎士志望の男子学生たちを射止めていった。
「学園にこんなとこがあるなんて、知らなかった~。ありがとう、ダン」
全属性の少女は驚きの声を上げた。
その光景はとても一言では言い表せないほど素晴らしい。木々に囲まれた泉から流れ出た水は小川となってこの空間の入り口のほうに流れ、ベンチの置かれている手前で二手に分かれて円を描くように泉の後ろへと戻って行く。小川によって小島のようになっている草地には色とりどりの花が咲き乱れている。小川に沿って歩けるように作られた外側の遊歩道の内側にも細やかな花を付けた低木が植えられていて、あるがままの自然と作られた庭園の美しさが見事に調和していた。
彼女を連れてきた天才魔法少年はドヤ顔だった。
天才魔法少年は全属性ではないが、土を除くすべての属性を持っている。全属性の少女を除いたら、彼は天才と呼ばれるにふさわしい素質の持ち主だ。
「ここは水の精霊に愛されているから、とても気持ち良いんだよ」
天才魔法少年が言う通り、気持ちのいい場所だ。精霊に愛されるほど清浄な空気と美しい光景。
しかし、泉の周辺には休憩用のベンチなどが何脚もあるにもかかわらず、誰の姿もない。天才魔法少年もここには何度も来たことがあるが、いつも人がいたことはなかった。
天才魔法少年の高鳴る鼓動すら聞こえそうな静けさを第三者の声が破る。
「うるさいわ。どこかに行って」
囁くような音量だが、若い女性のキツイ声だった。
「水の精霊の声?!」
全属性の少女は水の精霊に話しかけられていると思った。
「違うよ。水の精霊は人前に姿を現さない。ほら、学生だよ」
言われて泉の向こうの低木から学園の女子学生の制服を着た後姿が見えた。どうやら、直に遊歩道に座りこんでいるらしい。
よく来ている天才魔法少年すら、ここで誰かと会うのは初めてだった。声を出されなければ、茂みに紛れていることすら気付かなかっただろう。
「なんだ~」
「出て行ってと言った声が聞こえなかったの?」
女子学生は押さえた声で言う。
「ここはあなただけのものじゃないんだから、そんなことを言う権利はないじゃない」
全属性の少女は女子学生が声を押さえている理由など考えもせず、出て行けと言う発言に憤慨していた。
「ここは水の精霊のお気に入りよ。水の精霊に敬意を表して近寄らないか、来ても静かにするのが常識でなくて? それすらできない人間には出て行っていただかなければならないでしょう?」
「彼女の言う通りだ、ニーナ。水の精霊の機嫌を損ねるのはまずい」
天才魔法少年も精霊の大切さはわかっている。いくら多くの属性を持っていても、精霊の機嫌を損ねれば呪いをかけられる可能性だってあるのだ。
呪いは昔話にもよくあるポピュラーな現象で、精霊どころか、妖精に呪いをかけられただけで不幸になるのだ。
特に足の小指が不運になる呪いは有名だ。何もしていないのに、一ヵ月に何度か足の上に物が落ちてきて、それがいつも足の小指に当たるという、地味に痛い呪いである。
他にも風でいつも髪がくしゃくしゃになる呪いや、物が見つからない呪いなど、どうでもいい呪いはたくさんある。
力の弱い妖精ですらこれができるのだから、精霊の呪いは考えたくもない規模になることは明白だ。ただし、これを軽視している者もいる。
「水の精霊が騒がしいのが嫌だって言ったの? 勝手に決めつけているだけで、本当は水の精霊も寂しいと思っているんじゃない?」
勘違いなことを言って素直に従わない全属性の少女に女子学生も焦って声を荒げる。
「どう思ってもかまいませんが、早急に立ち去りなさい!」
「そんなこと言って、こんな素晴らしいとこの独り占めはダメよ!」
女子学生の気遣いは全属性の少女に届かなかった。
「ああ・・・」
嘆くような声が女子学生の口から洩れた。何か恐れていた事態が起こったらしい。
「何やら騒がしいようだが、どうかしたのか、ソフィア」
「ぃ、いえ・・・、なんでもありませんわ」
男の声に慌てて女子学生は答える。
低木で男の姿は見えないが、女子学生のすぐ傍にいるらしい。
「水の精霊だって人がいたほうが寂しくないっていうのに、彼女ったら、ここを独り占めして出て行けって言うのよ」
全属性の少女は男に女子学生のしたことを言いつけた。
「そなたはここを気に入ったのか?」
「ええ!」
姿の見えない男の問いかけに全属性の少女は元気よく頷いた。
「そうか。戻るぞ、ソフィア」
「お待ちください、まだ授業が残っております」
「授業に出たいとお前が言ったから、学園に連れて来たのだ。授業などに出て、わたしをこの者たちと一緒に待たせるつもりなのか?」
懇願する女子学生に男はすげなく言う。
天才魔法少年は気が気ではなかった。せっかく、ニーナと二人っきりで過ごせることになったというのに、まだニーナの魅力を知らない将来のライバルと過ごしたくない。
「そのような恐れ多いことはいたしません」
女子学生は恐縮しきっているようだ。
「では、戻ることに異論はないな」
「はい」
諦観の滲んだ声で女子学生は言った。
そこに空気を読まない全属性の少女が口を挟んで来た。
「こんな素晴らしい場所だもの。こんなに広いんだし、あなたが一緒でも平気よ」
「そなたが良くとも、わたしが嫌なのだ。火と光の属性を片方どころか、両方持っている者は好かない」
男は天才魔法少年の気持ちを知ってか知らずか、全属性の少女のことを嫌いだと言い放った。彼女のことを悪く言われて、天才魔法少年はムッとした。
男が起き上がったのか、金とも銀ともつかない色の髪が見える。次いで、魔法使いのようなゆったりとした白いローブに包まれた身体が。立ち上がった男は後ろにいた女子学生を振り返った。
雪花石膏でできた彫刻のようにも見える男の額には水色の宝玉が埋め込まれていて、それがゆらゆらと目と同じ紺青から薄い緑まで色を変えている。人間ではない。
「あ、あれは・・・――」
天才魔法少年は男の正体に気付いて、それ以上言葉にならなかった。
「どうかしたの、ダン?」
全属性の少女は男の正体に気付いて愕然となっている天才魔法少年に不思議そうに聞いたが、天才魔法少年は何も答えられない。
そんな二人の様子を気にも留めず、男は女子学生に言う。
「戻るぞ、ソフィア。戻って、そなたのリュートでわたしの心を鎮めるのだ」
「・・・。喜んで・・・」
言葉と裏腹に女子学生は渋々了承し、男の差し出した手を取る。
「リュートが嫌なのか? それなら、そなたの歌でもかまわないぞ。そなたの声はいつまでも聞いていたい声だからな」
女子学生が立ち上がると男は彼女を抱き締めるようにその身体に腕をまわし、そのまま二人は忽然と姿を消した。
彼らの姿が消えてからようやく天才魔法少年は唾を飲み込み、全属性の少女の疑問に答えることができた。
「あれは水の神だ。王子の婚約者が水の神の寵愛を受けて別の人間に変わったというのは聞いたことがあったけど、まさかこんなところに来ているなんて・・・」
話せるようにはなったものの、まだ呆然として様子で、声には畏れすら宿っている。
「ええっ?! ここは水の精霊が気に入っているんじゃなかったの?」
「違う。水の精霊じゃなくて、水の神がいたから水の精霊ってことにされたんだ。神がいるなんて、そんなことを大っぴらにできないから・・・」
水の神の機嫌を損ねた全属性の少女と天才魔法少年は水魔法が使えなくなっていた。属性はあるのに、水の神の呪いで使えなくなってしまったのだ。
公爵令息は逃げ回っていた。
彼はチャラくて女扱いがうまかったが、今の婚活令嬢たちは別だった。
彼がうまくあしらえるのは同類の女の子だったり、恋にのぼせ上がっている女の子で、ルール無用な猪娘には調子を狂わされてしまう。不用意に褒めたり同意しようものなら、求婚されたと騒がれて、互いに自分への求婚だと争ってくれなかったらその日のうちに親同士の話し合いをさせられそうな勢いだった。
たとえるなら、RPGの旅立ちの町周辺のモンスターが10匹出ても公爵令息は平気だが、中ボスが5匹も出たら即死魔法が100%効くか、街を全壊させる規模の魔法が使えないと無理ということだ。最低でもレベル50は必要である。
全属性の少女一人なら、公爵令息でもなんとか対処ができた。面白そうだと思えるほど余裕があった。
しかし、今はただ純粋な猪娘ではなく、結婚を狙うハンターの猪娘だ。頷くだけで結婚の意思があると解釈する超ポジティブな相手が複数で襲いかかってくる。
ソロでなければ勝てるのではないかと思った公爵令息は、一番の大物と合流することにした。負けたとしても、身代わりにして逃げることのできる相手といえば一つ――――
「何故、こちらに来るんだ! ルイス!!」
同じように逃げ惑っている王子は猪娘付きでやってくる公爵令息に叫んだ。
「奇遇ですね、フレデリック様」
公爵令息は走りながらにこやかに笑って見せた。ルイス~!と叫ぶ猪娘が土埃を上げそうな足音を立ててその後を追っかけて来ている。
「奇遇じゃないだろう! 意図的にやってるだろうが!」
「意図なんてありませんよ。走っていたらフレデリック様がおられた訳でして。それにしても、フレデリック様のほうこそ授業でもないのに、何故、走られているのですか?」
「走らなければこやつらから逃げられんのだ」
それを聞いた公爵令息は舌打ちをした。授業や非常事態以外で走るのは下品と言われる行為だからだ。フレデリックならこの事態でも優雅に過ごしていて、簡単に捕まる獲物に猪娘が一匹か二匹くらい簡単に引っかかると思ったのだ。
「今、舌打ちしたな?!」
「舌打ちなんてしていませんよ」
「いや、した!」
「していませんって」
胡散臭い笑顔を浮かべて公爵令息は徐々にスピードを上げる。まだフレデリックを生贄にすることを諦めていないらしい。
結果から言うと、公爵令息はフレデリックを追い抜いて一人で逃げ切った。
脱落した猪娘もいたが、フレデリックのもとには公爵令息に振り切られた猪娘が合流して、人壁でフレデリックは捕獲されてしまった。猪娘だちも運動とはほぼ縁のない深窓の令嬢たちのはずだが、非アウトドア派であるフレデリック王子がふりきれないほどの活躍をした。さしずめ、筋肉を使い慣れていない彼らは今夜は筋肉痛だろう。
「どうしてこんな真似をするのだ?! 今まで、こんなことはなかっただろうが!」
フレデリック王子はこの異常な事態に逆切れして理想の王子様スマイルなど忘れてしまっていた。
「今までは今までのこと。男の子はこっちのほうが好きなようだし、あたしたちもそれに合わせたの」
「誰に合わせたんだ、誰に?! このような相手に好意など持てるか!」
他の99人が好みだろうが、猪娘はフレデリック王子の好みではない。完全に風評被害だ。
(一体、誰なんだ。こんな猪娘が好きな奴は?!)
「嘘吐き。ニーナにデレデレしていたのに、フレデリックってツンデレ?」
「デレデレなどしていない! ニーナは全属性を持っている特別な人物だ。特別扱いをするのも当然だろう」
全属性を持っている者は今現在、ニーナだけなのだ。フレデリック王子が特別扱いするのもわかるだろう。
「そんなこと言ったらソフィア様は水の神さまに愛されているわよ。全属性どころか、神の花嫁のほうが特別じゃない」
神の花嫁が哀れな状況であることを知らない婚活令嬢はその特別性を強調して、全属性ですら神の恩寵は得られないことを強調した。
「そのソフィア様と婚約できなかったから、フレデリックは全属性持ちのニーナと結婚しようとしたのよ」
「ディアドラ様がかわいそう。ソフィア様がフレデリックと結婚できないからって、相思相愛の婚約者と別れさせられたっていうのに、浮気男と婚約させられるなんて」
ディアドラがフレデリック王子を嫌っている理由がコレだった。繰り上がりで結婚することになって、相思相愛の婚約者と別れさせられたら恨みたくもなる。
「浮気って、ちょっと待て! 浮気なんかしていないぞ、俺は」
「浮気よ、浮気」
「そうよそうよ」
「王族と結婚できるなら、浮気男でも大丈夫!」
猪娘の一人はとんでもないことを言い出した。
「浮気などしてないのに、どうしてそのように言うのだ!」
「完全に浮気してる」
「馴れ馴れしく話しかけられて言動を窘めない時点で、浮気ですわ」
「ツンとすました貴族より、馴れ馴れしい平民がお好きなんでしょうよ」
段々、素に戻ってきている婚活令嬢たち。
「嫌そうなフリをしていても、殿下は押しの強い女性が好きなんですわ。ディアドラ様は殿下のことなんか爪の先ほども考えたことはありませんし、代わりにわたくしたちが頑張って略奪して差し上げないと」
「そうですわ! わたしたちがディアドラ様の代わりになってあげなくては!」
「という事で、殿下。誰にしますの? わたくし?」
ズイっと婚活令嬢の一人が一歩詰め寄る。フレデリック王子は無意識に後ろに下がった。
「それとも、わたし?」
ズイズイっと婚活令嬢の一人が一歩詰め寄る。フレデリック王子の踵が後ろの壁にあたる。
「いいえ。あたくしよ」
ズイズイズイっと婚活令嬢の一人が一歩詰め寄る。フレデリック王子は後ろが壁でこれ以上、下がれない。
「やめろ! こちらに来るな! 近付くな! 俺は王子だぞ。王子にこんなことをしてもいいと思っているのか?!」
「それがどうかしまして? ここは学園。学生はみな、平等ですわよ」
「そうですわ。それにわたしたちは恋人と引き裂かれたディアドラ様の代わりに立候補しているだけですのよ?」
「数日前まではこのような真似をしなかったではないか」
至近距離まで詰め寄ってくる婚活令嬢たちにフレデリック王子は恐怖を感じた。今までは身分の差があってこんなことをされたことはない。せいぜい、遠くから眺められて、キャーキャー騒がれた程度だ。
それが無遠慮に馴れ馴れしくなったら、身分をどうこう言っても役に立たない状態になってしまった。
「だって」
婚活令嬢Aは他の婚活令嬢たちに意味ありげに目くばせをする。
「ねえ」
「殿下はニーナさんのような女性を好まれるからお側に置かれているとばかり」
笑顔で別の婚活令嬢が言った。
「てっきり、ディアドラ様のことを嫌ってらっしゃるとばかり思いましたわ」
次から次へと、それはもういい笑顔で。
「浮気されますし」
ただし、目だけがギラギラと笑っていない。
「ニーナをそのような目では見ていない・・・」
「でしたら、ニーナさんが馴れ馴れしく接してくるのに苦言を呈してくださいませ」
「容認するなんてもっての外ですわ」
「ニーナさんが殿下に馴れ馴れしくするなら、わたくしたちも同様の行動をとらせていただきます」
「だって、学園にいる間は学生はみな、平等ですもの」
「貴族らしく慮ったり、とり澄ましたり、身分を弁えたりする必要はありませんもの」
ホホホホと笑う婚活令嬢たちに王子は女性の怖さを初めて知り、全属性の少女に嫌われるほど行動を改めるように言おうと思った。
「何故、ニーナのことであのような目に遭わなければならないのだ?」
婚活令嬢たちから解放されたフレデリックは一人で逃げ切って、猪娘を押し付けていった裏切り者に愚痴っていた。
「一人なら興味深くても、複数でやられたら堪ったもんじゃないということですよ」
チャラい公爵令息はいつものようにのらりくらりしていた。
「それはどういう意味だ?」
「貴族や平民でも身を弁えているものは身分の上の人物に話しかけたりしないということです。みだりに話しかけるは、敬語どころか呼び捨てにする者が数多いる状況が如何に不快か実感されたはず。一人に許せば、このような不快な出来事を招くといい経験になりましたね」
「他人事のように言うな。お前だって知らなかったくせに」
「知っていましたよ。知っていてニーナを野放しにしておりました。ただ、貴族の令嬢たちがそれを真似るとは思ってもみていなかっただけです」
いくら女の子たちと遊ぶことが好きなルイスでも、婚活令嬢たちの思考までは読めない。
「わかっていたなら、言ってくれればいいではないか」
「何故、私がフレデリック様にそれを申し上げなければいけないのですか? 私の兄からディリーを奪ったあなたに。兄はそのせいで修道院に入ってしまったのですから」
ルイスの兄はフレデリック王子の婚約者であるディアドラと相思相愛の婚約者だった。フレデリック王子の婚約者だった公爵令嬢のソフィアが水の神の目に留まって、その次に位の高い釣り合いの取れる相手だったディアドラに白羽の矢が当たったのだ。
おかげで、恋人と引き裂かれたルイスの兄はディアドラ以外と結婚したくないと修道院に入ってしまい、気軽な次男として女の子たちと遊ぶのが好きなルイスが嫌々結婚させられる羽目になるところだった。どうにか、結婚相手ぐらい自分で選ばせて欲しいと言って、のらりくらり婚約を引き延ばしている最中である。
「わかった。ディアドラとは婚約を解消するから、そう根に持つな」
「根に持ちますとも。私の兄からディリーを奪い取った挙句、他の女にのぼせ上がるとは言語道断です」
家を継ぐはずだった兄が修道院に入ってしまうわ、自分は面倒な立場になってしまうわ、チャラい公爵令息にとってフレデリック王子とディアドラの婚約は厄災でしかなかった。
その元凶がディアドラよりも他の女の子と親しくしていると見たら、嫌がらせの一つでもしたくなるのが人の人情である。
「奪い取ったのではない。ソフィアが水の神の寵愛を得てしまって、繰り上げで決まっただけで・・・」
「婚約者を繰り上げるくらいなら、他国の王女にしてください。迷惑です」
「その婚約も俺の意思でなくてな・・・」
「自分の意思は通してください。余計に迷惑です。今回のことも、あなたの優柔不断な態度がこのような事態を引き起こしたのですからね」
自分が引き起こした事態に気付いたフレデリックは外国の王女を娶ると言い出し、彼との婚約から解放されたディアドラは恋人が入った修道院まで迎えに行った。
全属性の少女は水魔法だけが使えないおかげで水の神の呪いを受けたことがバレて、天才魔法少年共々、使える魔法の属性が減ったのでランクが落ちた。
騎士志望の少年たちも、それ以外の少年たちも好みに合わせてくれた女の子にゲットされて幸せになった。
男というものがあてにならないと、実家や伝手を使ってアシスタントとして働き出した令嬢たちのおかげで、その国は他の国よりも早くに女性官僚や女性大臣が誕生した。
迷惑をかけられた図書室の利用者に謝罪をしたフィリップは官吏になりたい令嬢の為に便宜を図ったり、エリート文官になった彼も女性の活躍の役に立った。
ルイスは相変わらず女の子たちと遊び、修道院から戻ってきた兄に怒られた。
婚活令嬢たちを唆した黒幕はフレデリック王子を自責の念に駆られるように誘導までした。そんなろくでもない人物は兄のお説教がいつも通りだと笑ってしまって、更にお説教の時間が増えても笑っていた。
こうして、激動の時代の婚活戦線は終わりを告げた。
最初から最後まで水の神に執着されて逃げ場のなかったソフィアを除いて、誰もが予期せぬ未来を手に入れた。
乙女ゲームのヒロインみたいなのがたくさんいたら、学園の教職員は迷惑するだろうし、攻略対象も嫌になるだろうと思い、書きました。