95日目 危険魔法生物学:トカレ・チフ=チルチカの生態について
95日目
何もない?
ちゃっぴぃの乳下チェック完了。汗疹がすっかり消えていた。ギルのおかげ……なのか?
ギルを起こして食堂へ。相も変わらずちゃっぴぃの発情期は続いている。俺の左腕にがしっと抱き付くため朝餉がたいそう取りにくい。そのくせ『あーん♪』を強要してくるとかこいつは一体何を考えているのだろうか。
そんなわけで朝餉は片手でも食べられるサンドイッチをチョイス。良い機会なので野菜マシマシの健康に良さそうなものにしてみた。ちゃっぴぃのやつ、『きゅ、きゅう……?』って媚を売りたい気持ちと困惑の気持ちが入り混じった何とも言えない表情をしていたっけ。もちろん、普通にきちんと食わせたけれど。
ちなみに、今日はジオルドも野菜マシマシサンドイッチを食っていた。『アリア姐さんの前でそれは問題ないのか?』って一応聞いてみたんだけど、『あいつ、割とその辺ドライ……というか、気分によるっぽい』と返される。実際、アリア姐さんも“愛さえあれば問題なくない?”とばかりにジオルドを抱きしめていたし。
たぶん、アリア姐さんは目の前で瀕死になっているアビス・ハグがいたとしても、ジオルドへの愛を取るだろう。ジオルドがその愛を受け取るかどうかは別問題だけれども。
なお、今日もロザリィちゃんは『ちゃっぴぃ……どう……?』ってこっそり俺に近づいて聞いてきた。が、敵(?)の気配を感じたのか、ちゃっぴぃは凄まじく猛って『ふーッ!!』って威嚇。『ちゃっぴぃ……ごめんね、ママのせいでこんなにグレちゃって……』ってロザリィちゃんは涙目。
涙目のロザリィちゃんもステキだけれど、さすがにこうも落ち込んでいる姿を見過ごすわけにはいかない。左手でちゃっぴぃのあごを撫でて注意を反らしつつ、『ロザリィちゃんは何も悪くない。クレイジーしかいないこの環境が、ちゃっぴぃをグレさせてしまったんだ』と優しく囁いて抱きしめておいた。
もしこれがうちの宿屋だったら、そもそもとしてグレる余裕なんてどこにもない。逆らうことはそのまま死を意味していた。現に俺は反抗期なんてなく、自他ともに認める真面目な良い子として育った。さすがは俺である。
一応書いておく。ちゃっぴぃのへその下のハートの紋様はまだくっきりと濃い。顔や全身に広がった紋様も同様。この様子だと発情期が終わるのはまだ先だろう。そしてギルはやっぱり今日も『うめえうめえ!』とジャガイモを貪っていた。
今日の授業は俺たちの兄貴グレイベル先生と我らが天使ピアナ先生による危険魔法生物学。『…調子は……まぁ、見ての通りか』、『やっぱ夢魔は子供でもしっかり発情期になるんだねー』と、先生二人はちゃっぴぃを見て呑気に笑っている。
意外なことに、『……きゅうん?』と、ちゃっぴぃはピアナ先生には威嚇をしない。嘲笑うってわけじゃないけど、そもそもとして競争相手として認めていない節がある。“おこちゃまはお家に帰ってミルクでも飲んでなよ?”とでも言わんばかりにピアナ先生の肩をぽんぽんしていたし。
『もう、ナマイキ!』なんて言いながらちゃっぴぃをぎゅっと抱きしめるピアナ先生が、本当の本当に天使で全俺が癒されまくった。夢魔のガキに対しても天使とか、ピアナ先生はいったいどれだけ天使なのだろうか。
さて、肝心の授業内容だけれど、『…割とレアものだぞ、今日のは』ってグレイベル先生が連れてきたそれは、ちょうど俺の膝小僧くらいまでの高さの石像(?)のような何か。崩れた三日月みたいな形(出来損ないの三角錐みたいな形)をしていて、ヤバい原住民のヤバい祭壇に祀られているヤバい石像みたいな雰囲気を醸し出している。すごく特徴的な紋様らしきものが全身にびっしり彫り込まれていた。
その紋様は見ているだけで気持ち悪くなってくるくらいに異質で、イカれた悪魔の目玉みたいなそれが彫り込まれている。
なんかうまく伝えられないけれど、【ヤバい目玉と異質な紋様が彫り込まれた小さな三角錐の石像らしきもの】って表現が一番しっくりくると思う。あ、石像って表現しているけど、正確には……普通の石にしては妙に人工的で、大理石にしては原始的(?)に思える【白い石のような何か】で構成されたものね。
なんでもこいつ、トカレ・チフ=チルチカと呼ばれる魔物らしい。パッと見は石像と変わらない……というか、生きている様に見えなかったけれど、それは単純に『…今は休眠状態だからな』とのこと。
『なんかひんやりしていて、ちょっとぺたぺたする』とはポポルの談。見かけに反してそこまで重くはないらしく、比較的非力なあいつでも普通に持ち上げることが出来ていた。
『見た目が気味悪い以外は、なんとも……』だなんて、ポポルが更なる批評を続けた瞬間。唐突にそれは起こる。
うん、彫り込まれた模様としての目とは別にさ、赤い一つ目がいきなりぎょろって開いたんだよね。
おまけに一匹の目が開いたと思ったら、他にいたトカレ・チフ=チルチカ全ての目も開いたんだよ。
『なんだよこれ!?』ってポポルはそいつを振り払う。トカレ・チフ=チルチカから蟹とも蜘蛛とも取れる、本体に対してやけに細いヤバそげな脚が生えてきた。しかもなぜか脚の生え方がアシンメトリー。こいつホントに生き物なの?
で、振り払われたトカレ・チフ=チルチカはしっかりと着地。赤い目玉をぎょろつかせ、すんごい勢いでポポルに飛びかかった。
『なめんじゃねーよ!』ってポポルは杖を突きつけた。当然、飛び込んだトカレ・チフ=チルチカは空中にいる故に無防備……っていうか、そのまま杖に突っ込む形になっている。ヤバい魔法生物にもビビらず逆に攻撃態勢に出た、ポポルの度胸の勝利と言えるだろう。
このまま連射魔法でハチの巣になれば終わりだ……だなんて、たぶんポポル自身も思っていただろう。俺だってそう思った。
トカレ・チフ=チルチカの体が縦に裂けた。裂けたそこには拷問器具みたいなヤバそげな牙がいっぱい。
でもって、トカレ・チフ=チルチカは呆然としているポポルの腕に杖ごと噛みついた。
『いってェェェェェェ!?』ってポポルの絶叫。なんかトカレ・チフ=チルチカが猛烈な勢いで回転している。割とシャレにならない勢いで血飛沫のスプラッシュが。
文字通り、鋭い牙でポポルの腕を削っていたのだろう。魔法生物としては小さめの牙とは言え、高速回転のおまけつきとなると……。
血液噴霧器と化したポポルを見て、助けに行かないなんて選択肢があるわけがない。近くにいた男子が『この野郎!』ってトカレ・チフ=チルチカに向けて杖を抜く……も、トカレ・チフ=チルチカの回転によりポポルがふらふらと振り回されていたため、狙いをつけることが叶わず。
そして、ポポルの腕に食らいついているトカレ・チフ=チルチカは回転している……迂闊に近づいたら、その脚に引っかかって俺たちの体もズタズタにされかねない。
しかし、おこちゃまポポルだって魔系である。腕を噛み千切られようとしているのに、杖だけは離さなかったらしい。『ふざけんなよ! スプーン握れなくなったらどうすんだよ!』って、今までに見たことないくらいの激昂の表情で──噛み千切られようとしている腕から連射魔法をぶっ放した。
口内。超至近距離。これで死なない魔物なんて、よほどの例外を除けばいない。
問題なのは、トカレ・チフ=チルチカがその【よほどの例外】だったことだろう。
うん、なんかあいつさ、ポポルの連射魔法を受けて分裂したんだよね。ちょうど縦に裂けた大きな口を境にして、そらもう見事に二体になっていたよ。
サイズがちょっと小さくなったトカレ・チフ=チルチカ。新たに脚が生え、そして赤い目玉が開眼。分裂した状態でさらにポポルに襲い掛かろうとして──。
『これなら巻き込まねえ』、『ちょうどいいサイズになったな!』、『単純にムカつく!』って、ジオルドの具現魔法による堕落姫の魅惑のフォーク、ギルの眼突き、パレッタちゃんの浸食呪がトカレ・チフ=チルチカをとらえた。
が、トカレ・チフ=チルチカはさらに分裂。フォークで裂けた体がなんともないように動き出し、ギルの指で潰された目玉が二つに分かれ、浸食呪を糧にするかのようにしてぴんぴんと動き出す。
おまけに全力ぶっぱされたポポルの連射魔法はいまだ健在。分裂したトカレ・チフ=チルチカがさらにハチの巣にされ、どんどん増殖していく。
どうやら魔法攻撃も物理攻撃も……普通の攻撃じゃ、こいつを殺すことは出来ないらしい。というか、分裂させることにしかならないようだった。
さて、ネズミの群れのようなサイズ&数になったトカレ・チフ=チルチカ(グレイベル先生が連れてきていた他のトカレ・チフ=チルチカも休眠から覚めていた)は、そのヤバそげな脚をカサカサと動かし、ヤバそげな牙をカチカチと打ち鳴らして周りにいたクラスメイトに襲い掛かった。
攻撃しても増やしてしまうだけだとわかっているから、みんな迂闊に反撃できていない。そうこうしている間に足を伝って体によじ登られる。振り払っても振り払っても、数が数だけに意味がない。
そして、トカレ・チフ=チルチカは俺たちの腹を食い破ろうとしてきた。
『ぎゃあああああ!?』、『ちっくしょうがああああああ!』と、なかなかにエグい悲鳴がそこかしこで上がる。女の子はみんな女の子がしちゃいけない顔をしていたし、男子も秘蔵のプリンをくすねられたかのようにブチギレている。みんなみんな血塗れで、俺を含めて無事な奴なんて誰もいない。
文字通り、無数のそいつらに体を食い破られようとする激痛だけれど、幸いにしてすぐさま致命的なダメージを受けるってわけじゃない。分裂増殖しただけサイズが小さくなっているから、攻撃力そのものは下がっているのだろう。拷問レベルは極大になっていたけど。
もっと小さく増殖させて、バター炒めにして食ってしまえばさすがに大丈夫だろうか……なんて、血塗れになりつつ思案していたところ、戦場に奇妙なメロディが。
以下に、その歌詞を記す。
りーでぃか るーら とれっちぃかぁー♪
しすてむ ぱい おーるぅー♪
とーかれ ちーふ ちるっちぃかぁー♪
らでぃある とーぺるくー♪
りーでぃか るーら とれっちぃかぁー♪
しすてむ ぱい おーるぅー♪
とーかれ ちーふ ちるっちぃかぁー♪
らでぃある とーぺるくー♪
その可愛らしい歌声が紡がれていくにしたがって、トカレ・チフ=チルチカの動きがスローになっていく。分裂増殖していた奴らがノロノロと一か所に集まりだし、赤い目玉がトロトロと眠そうに。さっきまでの勢いはどこへやら、みんなが落ち着き出すころにはもう、掃き寄せられた瓦礫のようにしか見えなくなっていた。
『──うぇーら あーるぶ らららど れいしーらぁー♪ ぱーてる しぇい みーるぅー♪』って、ピアナ先生がちょっと恥ずかしそうにしながら歌を締めくくる。同じく、 『──ぱーてる しぇい みーるぅー♪』って、グレイベル先生が無表情で歌を締めくくった。
二人の合唱が終わった瞬間、トカレ・チフ=チルチカは──最初に運び込まれた時と全く同じような、石像と変わらない休眠状態に戻った。
『とりあえず、ケガの治療からね!』、『…最初以外、むやみやたらと攻撃をしなかったのは良い判断だ』って二人からはコメントを頂く。よくわかんないままにピアナ先生の天使の愛による治療がほどこされ、そしてグレイベル先生から『…おつかれさま』って兄貴の肩ポンがされた。
……みんな体中の傷が凄まじいことになっていたけど、ピアナ先生の植物魔法はすっかりそれを治してくれた。かなりヤバい感じに腹を食い破られていた人、耳を噛み千切られていた人……なにより、ポポルは腕を拷問器具にかけられたに等しいのに、傷跡一つ残っていない。良くも悪くも、ただの物理的なケガしかなかったってことだろう。
落ち着いたところでトカレ・チフ=チルチカの解説タイムに。やはりというか、トカレ・チフ=チルチカは分裂増殖の性質を持つヤバい魔法生物らしい。基本的にどんな攻撃を受けても分裂するほか、分裂の代名詞でもあるスライムと違って類稀なる残忍さ、俊敏性、凶悪性を持っているため、被害も大きくなりやすいのだとか。
ただし、奇妙な弱点も。『先生たちがさっき歌っていた変な歌詞の歌があるでしょ? あれね、トカレ・チフ=チルチカの鎮め歌って言われているの。現代の魔法学界では実測と経験則を以って、あれを歌うことでトカレ・チフ=チルチカに対処できるってことになってるよ』ってピアナ先生が言っていた。
『…察しの通り、裏もあるんだがな』ってグレイベル先生が恐ろしい言葉をつづける。なんか今回の授業、ヤバいのベクトルがちょっと違うような気がするのは気のせいだろうか。
ともあれ、トカレ・チフ=チルチカの内容をまとめたものを以下に記す。
・トカレ・チフ=チルチカは謎の多い魔法生物である。どこに住んでいるのか、何を食べるのかといった生態が一切不明であり、分裂以外の方法で増殖しているところ、すなわち一般的な生物における生殖形態もわかっていない。
・トカレ・チフ=チルチカは基本的に休眠状態であることが多い。休眠状態であるトカレ・チフ=チルチカは材質不明の像と変わりが無く、攻撃性も示さない。一種独特の奇妙な嫌悪感があるが、魔法学的な異常は今のところ確認されていない。
・休眠状態から目覚めると、トカレ・チフ=チルチカは赤い目玉を開眼し、アシンメトリーの脚を生やす。脚は軽いが丈夫であり、刃物のように鋭利であるため、簡単に大抵の生物を切り裂くことが出来る。
・休眠状態から目覚めたトカレ・チフ=チルチカは近くにいる獲物に手当たり次第に襲い掛かる。特に、縦に裂ける全身の大きさ程もある口を用いて、対象の体にかじりつくことが多い。獲物に齧りついた後はその体の構造を利用し、アシンメトリーの脚を振り回して自らを回転させ、齧りながら対象を掘り抜いていく。噛みつかれた場合、サイズによってその脅威度は上下するが、刃物のように鋭い牙を高速回転させた状態で齧りついているため、総じて尋常じゃない痛みを伴う。
・トカレ・チフ=チルチカは分裂増殖能力を有している。魔法、物理の区別なく、攻撃を受けるとそこから裂け、分裂して増殖していく。分裂した個体は赤い目玉が開眼し、(無かった場合)新たにアシンメトリーに脚が生えてくる。分裂の度にサイズが小さくなっていくものの、体構造そのものは変化せず、分裂前後でトカレ・チフ=チルチカは必ず同じ姿をしていることが知られている。また、分裂の限界は現在の所確認されていない。
・上述の通り、トカレ・チフ=チルチカは攻撃を受けると分裂するが、核を攻撃することで分裂させずに倒すことが出来る。ただし、核を持っているのはオリジナルの一体だけであるため、分裂させた後に核を見つけ出すのは非常に困難である。
・実測と経験則から、トカレ・チフ=チルチカは以下の歌(通称:鎮め歌)を聞くとその活動を停止し、再び休眠状態に戻ることが知られている。鎮め歌を聞いたトカレ・チフ=チルチカは動きがゆっくりになり、分裂体をまとめて元の一体のオリジナルに戻って休眠状態となる。赤い目玉が開いているうちは休眠状態になっていないため、この手法でトカレ・チフ=チルチカの対処をする場合、【歌い手を護りつつ、トカレ・チフ=チルチカを攻撃しない】ことが重要となってくる。
──【鎮め歌】──
Ridica lure torechica !
Sistem pie ore ?
Tokare tif chiruchica !
radiare tuepe lque ?
(繰り返し)
※目を閉じた後
Ridica lure torechica !
Sistem pie ore ?
Tokare tif chiruchica !
radiare tuepe lque ?
Weala !
Arlve lalalado rey shearue !
Puatele syei mealue !
─────────
・魔物は敵。慈悲は無い。
『…解ってないことが多くてな。かなり古い魔法生物であるのだけは確かだ』とはグレイベル先生。この謎の鎮め歌も、どこぞの村の古い伝承で伝えられているもので、とある考古学者がなんかの調査をしている際にたまたま知り、その伝承に出てくる化け物がどうもトカレ・チフ=チルチカ(当時は未確認の新種で名前が無かった)くさいぞ──ってことで魔法生物学者の知人に話して検証してみてもらったところ、なんかマジで効いちゃったという逸話があるのだとか。
『ただねえ、どうしてこの鎮め歌でトカレ・チフ=チルチカが鎮まるのか、その原理は今になってもまるでわかってないんだよね』ってピアナ先生は困った様に笑う。
魔系でない人間であったとしても、よほどひどい音痴じゃない限りは、誰でもこの鎮め歌でトカレ・チフ=チルチカを鎮めることが出来るのだとか。『最低限それだとわかる旋律と、はっきり発音できている歌詞、あとは生の歌でさえあれば、割と何でもいいみたいなんだよねー』って先生は言っていた。
ただ、歌詞を知らなかったり、メロディが間違っていた時は悲惨。どう悲惨なのかってのは、今更語るまでもないだろう。
『そんな時でも対処できる方法はないんですか?』とはクーラス。『…ないこともない』とはグレイベル先生。
『…基本、やつらは俺たちの体を齧ってくり抜こうとしてくることが多い。分裂前であるのなら、最初に噛みついてきたときに腕を口の中に突っ込んでかき回せば、上手い具合に核を引きずり出すことが出来る』……ってグレイベル先生は告げる。
『…だが、分裂すると口の中に腕を突っ込めない。生半可な攻撃じゃ分裂を促すだけ。…何もかも飲み込むほど巨大で、分裂させる間もない刹那で全てが終わる攻撃をするしかないだろう』と、あまり役には立たなさそうなアドヴァイスも。
ちなみに、オリジナルと分裂体とで血肉を喰らった時の反応が違うらしい。だから、ダメージ覚悟であえて体を食わせれば、見分けることも不可能じゃないのだとか。
ある程度分裂が進んでいた場合、量が量だから判別すること自体不可能に近いし、判別できたとして分裂させずに核を壊すことは難しいから、結局は分裂前に核を引きずり出すか、鎮め歌を歌うのが一番らしいけれど。本当にこの魔物、厄介すぎやしないだろうか。
また、『さっきも言ったけど、鎮め歌についても古すぎてわかっていないことが多いの。実は、古代の伝承の中で怪しいのがあってね……』と、ピアナ先生はさらなる衝撃の事実を教えてくれた。
なんか、トカレ・チフ=チルチカと対になるリディカ・ルラ=トレチカなる魔物が存在している……かもしれないのだとか。
『どっちかが【災厄の月喰蟲】、どっちかが【生命の歌星精】らしいんだけどね、文献が古すぎるからどっちがどっちかわかっていないの。厄災に対抗するため、大きすぎる犠牲を払って歌星精が古の魔術で造られたみたいなんだけど……それ以外は何もわからないんだよね。実際、誰もそれっぽいのを見たことがないし』ってピアナ先生は言っていた。
トカレ・チフ=チルチカは明らかにヤバい生物だ。鎮め歌による対処方法を知らなかったら、村がいくつも滅んでいてもおかしくない。
だけど、そんなヤバい生物がどうして鎮め歌で鎮まるのか。そんな風に動かせるのなら、それは造られた歌星精の方じゃないのか。厄災と戦うために造られたのだから、制御方法が残されていてもおかしくないじゃないか。
いいや、月喰蟲は歌星精と戦い、それに敗れたからこそ歌を──歌星精が月喰蟲を退治する英雄譚、すなわち鎮め歌を恐れるようになったのではないか……だなんて、いろんな説がまことしやかに唱えられているそうな。
『…歌星精が来るべき厄災に備えるため、獲物を喰らって力を蓄えているとも言われている。歌星精は月喰蟲に勝てず、「未来の子孫を捧げるから、今この瞬間は見逃してくれ」──そう月喰蟲に歌を捧げて問題を先送りにしたのが鎮め歌なのだという説もある』と、グレイベル先生がさらなる説の紹介もしてくれた。
いずれにせよ、文献も伝承も古すぎるため、伝承の解読・解釈が全然進んでいない……正確に言えば、学者ごとにかなりの違いが出てしまっているんだって。
ババアロリだし、特殊な一族の出身だし、ミニリカなら何か知っているかもしれない。歌と踊りは密接な関係があるし、意外と新たな事実がわかったりする……かも?
その後はみんなで鎮め歌の練習をする。まずは男女に分かれて練習して、その後にお互いの合唱を聞きあって改善点を指摘しあい、最後に男女混合で合唱するって流れね。
さすがに命に関わることだから、みんな真面目に練習していた。歌詞がちょっと間抜けで気が抜けるとか言ってられない。途中でマジで本気になって楽しそうに歌っていた連中がいたのを一応ここに記しておく。
夕飯食って風呂入って雑談して今に至る。なんだか妙に日記が長くなってしまった。最近どんどん記述量が増えてきているから困る。眠る時間だって大事なのに……やはり少しは内容を吟味したほうが良いのだろうか。
ギルは今日もクソうるさいイビキをかいてぐっすりと寝こけている。そして発情状態のちゃっぴぃは、何を思ったか俺の枕を抱き枕にして寝ている。自分の匂いでも擦りつけているのだろうか。まぁ、顔面をよだれでふやかされるよりかはマシだろう。
いい加減眠くなってきた。ギルの鼻にはシンプルにトカレ・チフ=チルチカの欠片でも詰めておくことにする。おやすみ。