94日目 魔力学:定容変化と断魔変化
94日目
ドアノブが真っ赤っか。触ってみたらクソ熱かった。マジ何なの。
ギルを起こし、ちゃっぴぃにほっぺをキスされながら食堂へ。ついついうっかり学生部に行きそうになってしまったのは俺だけじゃないらしく、何人かがちょっぴり恥ずかしそうな顔をして食堂へとやってきていた。やっぱりみんな、染みついてしまった生活習慣というのはそうそう変えられないらしい。
ちなみに、今回もアエルノとバルトの連中は見受けられず。今頃清々した顔でレポートボックスに怨嗟の塊をぶち込んでいるのだろう。
朝飯にて真夏のトロピカルジュースなるジュースをチョイスする。ぶっちゃけただのトロピカルジュース(ただし、フルーツたっぷりである)なんだけど、何とも恐ろしいことに(?)妙にカラフルでハート形をしたストロー……それも、なぜか飲み口が二つに分かれているものがついてきていた。
『上級生が個人的な研究の一環で育てた魔法植物らしいんだけど、「恋人といちゃつくために作ったのに、よく考えたらいちゃつく相手がいなかった」って大量に持ってきてねえ……。捨てるのももったいないし、ここは若い力で有効活用してもらおうかと』っておばちゃんは言っていた。
一応、特殊調整した魔法植物ではあるものの、見た目や形状以外は普通のそれと変わりないらしい。
で、例によって例のごとく、『きゅん♪』ってちゃっぴぃがせがんできたために、わざわざチョイスすることになったってわけだ。
もちろん、味はいたって普通。ちゃっぴぃと一緒にストローに口をつけたわけだけれども、だからどうだって話である。なんか息が合わないと上手く吸えなくて酷く飲みづらいし、ほのかにちゃっぴぃのヨダレ臭がするような気がしてあんまり楽しめない。
なにより、面前に鼻息を荒くしてこちらをガン見するちゃっぴぃ……と、その後ろで同じジュースを持ち、この世の終わりを見たかのような絶望の表情を浮かべているロザリィちゃんを見てしまえば、ジュースの味なんてわかるもんじゃなかった。
あえて書くまでも無いけど、ギルは今日も『うめえうめえ!』ってジャガイモを貪っていた。ミーシャちゃんが『一緒にジュース飲むの!』って誘っていたけれど、あいつはミーシャちゃんが差し出したそれにすぐに吸い付き、『うめえうめえ!』って一息で全部飲んでしまっていた。
ミーシャちゃん、文字通り呆然としていた。一緒に飲もうと誘ったのに、一気に全部飲まれるとは思ってもいなかったのだろう。怒りを通り越してしまったのか、『み……』って表情を変えずに一粒の涙を流していたっけ。
今日の授業はアラヒム先生の魔力学。じめじめむしむししているからか、教室のカビ臭さもかなりすさまじいことに。お鼻の敏感なロザリィちゃんは涙目だし、他の連中も鼻をつまんでいるものが大半だった。
『それなりに魔術の研鑚は積んできたつもりですけどね、このカビ臭さばかりはどうにもなりませんね』ってアラヒム先生でさえ眉間の皺を隠せていない。熱魔法でカビの全てを燃やし尽くしてくれたんだけど(カビだけをピンポイントで、である)、一瞬カビの匂いが消えるだけですぐに元に戻るっていうね。
『いったいどこから湧いてくるのか……私の魔法で燃やし尽くせなかったのは、これのほかには炎龍のタマゴくらいですよ』ってアラヒム先生はコメントしていた。件のタマゴでさえ、灰にするところまでは行ったらしいけれど。
……炎龍のタマゴってマグマの中に産み落とされるんじゃなかったっけ? あの教室のカビ、ヤバい魔法生物のタマゴ以上に炎耐性があるの?
肝心の授業内容だけど、今回は定容変化と断魔変化について学んだ。前回までにサイクルの変化の種類として等魔変化と定魔圧変化を学んだわけだけれども、定容変化と断魔変化もその一種らしい。前者が魔度一定、魔圧一定という条件であるのに対し、後者は魔法体体積一定、外部からの魔力のやり取りが【無い】変化とのこと。
以下にその概要を記す。
・定容変化
魔力学的サイクルにおいて、常に一定の魔法体体積の下で行われる変化。定容変化において変化するのは、主に魔圧や魔度である。ざっくり言えば魔法体に(体積的な)変化を与えないよう拘束しながら魔力を与えたりするっていうアレ。
・断魔変化
魔力学的サイクルにおいて、魔力の出入りが無いという条件下で行われる変化。断魔変化において変化するのは、主に魔度、魔圧、魔法体体積である。魔力のやり取りが無いのに魔度が変わるとはこれ如何に?
定容変化はまだイメージがわくけれど、わけわかんないのは断魔変化。今まで魔力を与えればほぼ間違いなく魔度は上がるもの……いわば、魔力と魔度はワンセットであるようなものだと思っていたのに、ここにきてそうでないと言われてしまうとは。
とりあえず、わかんなかったので質問してみる。アラヒム先生は『その積極的な姿勢、嫌いじゃありませんよ』って前置きをしたうえで語ってくれた。
『内部魔力や第一法則の式は覚えていますか? 皆さんはあまり意識していないでしょうが、魔力学の根幹に関わってくるのはそれです。閉じた系であるならば、魔力はその形態を変えようとも、その絶対量は必ず一定になるのです。今回の断魔変化の場合、魔力のやり取りが一切ありません。したがって、魔圧、魔法体体積のいずれかを増やした場合、その帳尻を合わせるために魔度が下がるのです』……と、要約するとだいたいこんな感じ。理論派の先生は話が長いから困る。
加えて、魔法体体積の変化って≒で魔法的仕事と置き換えることができるのだとか。だから、いつぞやの第一法則の式と併せて考えれば、不思議なことは何もない……のか?
それでもまだ俺たちが納得していないのがわかったのか、『しょうがありませんね……』なんて言いながら、アラヒム先生は杖を振るう。単純魔力で構成された魔法体(たぶん理想魔法体)が現れた。
『こいつに魔力遮断結界を張ります。その上で、とんでもないスピードで封縮をかけると……』ってくいくいってアラヒム先生が手招き。『任せてください!』ってギルが躍り出る。『ちょれえちょれえ!』って思いっきりその魔法体を握りしめた。
次の瞬間、教室の中で小規模な爆発が。断魔変化で急激に超高魔圧、超封縮(正の魔法的仕事)がなされたために瞬間的に超高魔度になり、魔法体の魔度限界を超えて爆発したのだとか。
『普段はこんな限定条件で変化させることは無いですから、あまり想像がつかなかったのかもしれませんが、再現自体はそこまで難しいわけではないです。日常の中の何気ないことでも興味・関心を抱き、知見を広げる努力が出来るようになりたいですね』ってアラヒム先生は言っていた。
『もしよくわかんなかったら、魔力保存の法則がすっごく大事だって覚えておいてください。基本はそれで全部解決です。あとは正の仕事か負の仕事か、魔力を与えたのか受け入れたのか……計算式における符号のミスが非常に多いので、そこを特に注意するように』とも付け加えてくれた。例年、そんな凡ミスをして泣きを見る人間が非常に多いのだとか。
その後は普通に練習問題を解く。今更ながら気づいたけど、アラヒム先生の言っていた通り、前回の等魔変化、定魔圧変化も含めて全部魔力保存の式に則っている。結局のところ、総量が変わらないんだから、何かを固定して何かを変化させれば、自ずとわかっていないそれがわかるようになるってだけの話。
この【何を固定しているのか】ってのが、今まで学んだナントカ変化ってことなんだろう。
夕飯食って風呂入って雑談して今に至る。さすがに発情期のちゃっぴぃを男子風呂に入れるのは憚られたのか、ロザリィちゃんが『今日は絶対に一緒におふろに入ってもらうからねっ!』って嫌がるちゃっぴぃを抱きかかえて女子風呂に行っていた。
が、帰ってきたときにちゃっぴぃの腕を引いていたのはミーシャちゃん。『あたし、この子にそんなに威嚇されないの』となぜか目が死んでいる。
ちゃっぴぃは女子風呂で誰彼構わず威嚇をし、メンチを切り、暴れまくって大変だったのに対し、ミーシャちゃんだけはちょっと機嫌が悪いかなってくらいの態度で接してきたのだとか。
『私もけっこう威嚇されちゃった……!』、『ええ、どーせ私は二、三回くらいしか威嚇されてませんよっと』、『わ、私なんて……ひきちぎられそうになった……』って女子たちがひそひそと話していたけど、いったい何のことだろうね? なんか妙に勝ち誇っている人と、悲しそうな顔をしている人とではっきり分かれていたんだよ。
『……着やせするタイプ、このクラスは多いんだな』ってジオルドが呟いていた。あいつは一体何を言っているのだろうか。
ロザリィちゃん? 『…………』ってマジで目が死んでいたよ。俺がぎゅっと手を握っても全然気づかないレベル。キスしたらようやく目に光が戻ったけれども。
ロザリィちゃんなのに俺といちゃつく余裕も無いとか、ちゃっぴぃはいったいロザリィちゃんに何をしたのだろうか。あるいは、文字通り何もしなかったのだろうか。俺が女の子だったら、女子風呂での様子を余すことなくこの目に焼き付けられたのに。世の中は本当に理不尽だ。
ギルは今日も安らかにクソうるさいイビキをかいている。そしてちゃっぴぃは俺の足を抱き枕にして寝こけている。執拗に胸を押し付けてくるのはいいんだけど、くすぐったくって敵わない。あと地味に暑い。汗をなすりつけられているだけのようにしか思えな……待て、なんだこれ?
ちゃっぴぃのやつ、胸の下の所に結構な汗疹が出来ていた。意外と蒸れるのだろうか。目立たない場所故に気付くのが遅れた自分が恨めしい。とりあえず薬でも塗っておこう。早く治るといいんだけれど。
ギルの鼻には……めんどくせえ、このまま塗り薬を詰めておく。おやすみなさい。