88日目 危険魔法生物学:シャドーゴーレムの生態について
88日目
ギルのシーツに黒い汚れが。どうやらあいつの指からインクが出ているらしい。とりあえず二瓶ほど採取。名前は……ギル・インクでいいか。
ギルを起こし、ちゃっぴぃをお姫様だっこしながら食堂へ。なんだか妙に騒がしいな……なんて思ったら、いつもの食事を選ぶところに人だかりが出来ているのを発見。平日なのにスペシャルなメニューでも出ていたのかしらんって最初は思ったけれど、それにしてはなんか様子がおかしい。
で、ちゃっぴぃを肩車モードにして人の山に突っ込んでみる。盛大にぶちまけられたスープ(やたらと豆とニンジンが多い)と、カラカラと転がる大きなお鍋があった。どういうことなの。
『お、俺じゃないぞ……!?』、『私でもないから!』、『でも、勝手に転がるようなものでもないだろうよ……』などなど、ざわついた観衆からはそんな声が。話を総合するに、いつも通り順番待ちでスープを取っていたところ、なんかいきなり鍋が吹っ飛んで転がっていったそうな。
たしかに、鍋があったと思しき場所と、スープがぶちまけられたそこにはちょっと距離があった。少なくとも、うっかり腕をひっかけて倒してしまった……って感じじゃあない。
『……まぁ、誰も怪我しなくてよかったよ。やっちまったもんはしょうがないから』っておばちゃんがちょっぴり悲しそうにしながら後始末をしていた。俺たちの不始末をおばちゃん一人に押し付けるのもアレなので、ちゃっぴぃをロザリィちゃんに任せて俺もお手伝いする。
『なんか悪いね』と言われたので、『てめえのケツはてめえで拭けってのがマデラさんの教えですし、実家じゃもっとアレなものを毎日処理してましたから』って爽やか笑顔で答えておく。俺ってばマジイケメン。
……でも、マジでどうしてスープの鍋が倒れたのだろう? ぶちまけられた量的に考えて、ちょっと押したくらいじゃ倒れないと思うんだけど。それに、もしうっかり触ってしまったのだとしたら、その熱さに悲鳴の一つでもあげそうなものだけれど。
ゼクトもシャンテちゃんもラフォイドルも、『ぶつかったようには見えなかった』、『いきなり倒れたように見えた』、『慌てふためく野郎はいなかったな』って言ってたし。不思議なこともあるものだ。
あえて書くけれど、ギルは今日も『うめえうめえ!』ってジャガイモを貪っていた。『スープが無いならジャガイモを食えばいいじゃん!』ってみんなにジャガイモを布教してさえいた。あいつ、スープとジャガイモの区別がついているのだろうか?
さて、今日の授業は俺たちの兄貴グレイベル先生と、俺たちの天使ピアナ先生による危険魔法生物学。二人に会える喜びをかみしめながらいつもの場所に向かう……も、そこにはちょっとだけ驚きの光景が広がっていた。
うん、グレイベル先生がね、すんげえ真っ黒だったの。
日焼けしているのか、それとも地肌なのかはわからないけれど、もともとグレイベル先生は割と色黒だ。実に健康的でワイルドな兄貴らしい肌色をしている。
だけど、今日のグレイベル先生は文字通り真っ黒。肌も目も髪も口も服も……文字通り、何もかも真っ黒。グレイベル先生の影がそのまま立ち上がったって表現が一番しっくりくるレベル。
『グレイベル先生はね、畑いじりのしすぎてこんなに真っ黒になっちゃったんだよ!』ってピアナ先生はケラケラ笑う。『…お前のを使ってもよかったんだぞ』って本物(!)のグレイベル先生が容赦ないデコピンをぶち当てた。『あ、あうあう……!』っておでこを押さえて涙目になるピアナ先生がめっちゃかわいかったです。
落ち着いたところで授業開始。今回扱うのはこの真っ黒なグレイベル先生──すなわち、シャドーゴーレム。名前からある程度分かる通り、影から造ることが出来るゴーレムの一種であり、広義では魔法生物に分類されるものの、厳密には魔導兵器であるものだとか。
以下に、その詳細を記す。
・シャドーゴーレムは影のように黒い体を持つゴーレムの一種である。広義では魔法生物に分類されるが、人の手からでも造りだせることから、厳密には魔導兵器に分類される。実は色黒なのをちょっと気にしている個体もいる。
・シャドーゴーレムは一般的なゴーレムとは異なり、作成にあたって模倣対象を必要とする。すなわち、全くのオリジナルの形をしたシャドーゴーレムを作ることは出来ず、必ず誰かの姿を模倣させる必要がある。人のまねしかできないことをちょっと気にしている個体もいる。
・シャドーゴーレムは模倣対象の体の一部を用いて、魔法的儀式を行うことで作成される。体の一部であれば何を儀式に用いても構わないが、魔法的力が強いものほど完成したシャドーゴーレムの性能は良くなる。あまりに粗末なものを用いると、同期との格差に絶望してろくに動かないシャドーゴーレムになってしまう。
・シャドーゴーレムは模倣元になった対象に準拠した行動をとる。また、模倣元になった対象の性質を色濃く反映していることが多い。例えば、剣の達人が元となったシャドーゴーレムは、その達人とほぼ同等の剣の腕前を有する。ただし、シャドーゴーレムができるのはあくまで模倣であるため、その本人固有の能力を再現することは出来ず、一般的な能力であったとしても、シャドーゴーレムの体の耐久限界を超えた能力であった場合、模倣しきれなかったり、模倣した直後に自壊したりする。自壊してまで模倣した個体は、仲間内で英雄扱いされているという噂がある。
・上述の通り、シャドーゴーレムは人間の手によって造ることが出来るが、いわゆる野良のシャドーゴーレムも存在する。古代の魔導施設が誤作動した、作成したシャドーゴーレムが何らかの理由により野に放たれたことで野生化した……など、いろいろな説があるが、はっきりしたことは未だ不明である。身元がはっきりしていないシャドーゴーレムは仲間内での立場も低いという研究結果もある。
・一般的なゴーレムと同じく、シャドーゴーレムも体の一部が欠損した程度ではビクともしない。また、影の中に入ることにより、体を「くっつけ直す」ことが出来るほか、別のシャドーゴーレムの体を「追加」することもできる。カッコいいパーツはシャドーゴーレムたちの間で取り合いになることが知られている。
・制御下から放たれたシャドーゴーレムは、模倣元となった対象を殺しに行くことが知られている。うまく対象を殺せた場合、シャドーゴーレムは魔法的能力を用いて対象の遺体に『溶け込み』、影ではない対象そのものとして何食わぬ顔で生活を始める。また、自らの正体を知ってしまったものに対しては恐ろしいまでの残忍性を示し、その存在を【無かったことにする】。
・魔物は敵。慈悲は無い。
最初の方こそなんか面白そうな魔物だと思ったのに、最後の説明がエグ過ぎてみんなドン引きしていた。『…割とマイルドな表現をしているが、こちらを本気で殺そうとしてくるシャドーゴーレムは文字通り残忍で凶悪極まりない。…それだけ、本当の体……いいや、本当の自分ってものに憧れているのかもしれん』ってグレイベル先生はコメントしていた。
『逆に、制御下にあるならちょっと面白いだけのまねっこ魔法生物なんだけどねー……。正直、ゴーレムにしては不便だし、模倣の魔物だったら鏡魔がいるし、リスクばかり高くてあえて使い魔にするって感じじゃないかなぁ?』とはピアナ先生。ゴーレムと鏡魔の良いところどりって言えば聞こえはいいけど、実際はただの中途半端な魔物なんだとか。
ただし、制御下を離れたものや野良のシャドーゴーレムは結構ヤバいらしい。特に野良に至っては、成り替われそうな生物に手当たり次第に襲い掛かるのだとか。『でも、やっぱりオリジナルのそれじゃないと体になじまないのか、すぐに別の獲物を求めて彷徨いだすんだけどね』ってピアナ先生は言っていた。
さて、俺たちの目の前にはそんなシャドーゴーレム(グレイベル先生ヴァージョン)が佇んでいる。『…言いたいこと、わかるな?』ってグレイベル先生はどっかりと腰を下ろし、そして目を瞑った。
ふっとグレイベル先生の魔力が霧散するのと、シャドーゴーレムがヤバそげなオーラを纏ったのはほぼ同時。なんだろうね、上手く言えないけれど、シャドーゴーレムが凶悪な獣みたいに身震いして、あるはずもない口が凶暴に歪む姿を幻視しちゃったよね。
で、ヤバいって思った次の瞬間に、シャドーゴーレムは影でグレイベル先生のラッビア・テラ・スコップを模倣し、何のためらいも無く先生の頭をカチワリに来た。
先生の面前に迫る黒いスコップ。目を瞑ったままピクリとも動かない先生。
このままじゃ先生の頭がカチ割られる──って思ったところで、シャドーゴーレムの腕の動きがピタリと止まった。
『危ねえことすんなよな!』ってギルがシャドーゴーレムの手首を片手で掴んでいた。シャドーゴーレムの手がミシミシいっていた……というか、ひびが入っていたから、相当な力で握っていたのだろう。
『おいたが過ぎるの!』ってミーシャちゃんのリボンがシャドーゴーレムの体をぐるぐる巻きにしていた。今更だけれど、なんであのリボン、あんなに伸びるうえに触手みたいに動くんだろうね?
『ま、いつものパターンだよな』ってクーラスが罠魔法を使っていた。シャドーゴーレムの足が魔法的に拘束されていて、一歩も動けそうにないレベル。そのまま罠魔法でぶっ壊さなかったのは、たぶん下手に砕いて再生されるのを懸念したからだろう。
ともかく、この三人の活躍によりシャドーゴーレムはあっという間に無力化された。シャドーゴーレムはイカれた悪魔みたいに悍ましい叫び声をあげながら暴れていたけれど、所詮はそれだけ。二年次の魔系がその程度でビビるはずもない。
『…信じてたぞ』ってグレイベル先生がゆっくりと目を開け、そして珍しく──本当に珍しい感じに優しげに微笑んだ。
女子の一部が真っ赤になってたんだけど、まぁ、そういうことだろう。グレイベル先生は本当に罪作りな兄貴だと思う。
最終的に、暴れるシャドーゴーレムはギルによって処理された。『俺ってばミンチも得意なんだぜ!』ってあいつはたいそう楽しそうであった。シャドーゴーレムに同情した瞬間である。
夕飯食って風呂入って雑談して今に至る。あ、授業後になんとなく、『なんで鏡魔の時はピアナ先生だったのに、今回はグレイベル先生だったんですか? トラウマが出来る云々はどうなったんですか?』って聞いてみた。
すると、ピアナ先生は大変もじもじしながら『あの……シャドーゴーレムの模倣だと、体のラインがはっきり出ちゃうから、その……』と答えてくれた。
……言われてみれば、服とかも模倣しているとはいえ、全身黒一色だから体のラインがまるわかりである。今回のグレイベル先生だって、肩幅とか胸筋のラインの迫力が凄まじかった。
『授業とはいえ……ね?』って真っ赤になりながら語るピアナ先生が大変可愛らしかったです。
だいたいこんなものだろう。珍しく割と真っ当な活躍をしたギルは今日も健やかに大きないびきをかいている。ちゃっぴぃは今日はロザリィちゃんの所に行っているため、なんとなくベッドが寂しい感じ。今度新しいぬいぐるみでも見繕うべきだろうか。
ギルの鼻にはシャドーゴーレムの欠片でも詰めておく。おやすみねすとろーね。