83日目 発展触媒反応学:マジックディフレクションについて
83日目
トイレが凍っていた。……一回で溶かせられる、だろうか?
ギルを起こし、トイレを全力で溶かしてから食堂へ。昨日の夜が暑かったから何かクールな飲み物でも飲みたいな……なんて思っていたら、『こいつがほしいのかぁー?』ってロザリィちゃんがにっこりと笑いながら特製カフェオレを作ってくれた。ひゃっほう。
もちろん味は超デリシャス。コーヒーのコクとミルクの甘さのコラボレーションが最高。しかも氷がお星さま型。ロザリィちゃんのさりげない愛に泣きそうになった。
『ナターシャさんのが作るやつに、少しは追いつけたかな?』って聞かれたので、『あいつが作るやつよりも百倍美味しい。出来ることなら樽で飲みたいくらいかな』って答えておく。ロザリィちゃんってば、『大袈裟なんだからっ!』ってほっぺにちゅっ! ってしてくれた。
ああもう、なんで朝からこんなにもスウィートで甘くてラブラブなのだろう? たぶん、世界中の恋人たちが持つ【好き】をかき集めても、俺がロザリィちゃんに抱く【好き】の一割にも満たないと思う。それくらいロザリィちゃんのことが大好きだ。
ちなみに、ギルは今日も『うめえうめえ!』ってジャガイモを貪っていた。元気そうで何よりである。もうコメントする気すら起きない。
そうそう、エッグ婦人が今朝四つも卵を産んだらしい。『ここ最近にしてはかなりの量だな。さすがはエッグ婦人だぜ』ってフィルラドが卵を回収しながらコメントしていた。一昨日も三つくらい産んでいたらしく、『回収したのは全部冷蔵庫に入れてある』とのこと。最近チェックが滞りがちだったし、今度纏めて材料の棚卸をしておいた方がいいかもしれない。
『排卵促進剤はどうなってる?』ってアルテアちゃんに聞いたら、『ペースも安定してきたし、最近はほとんど使っていない』との返答が。
……わかってて聞いたけど、やっぱりその辺のチェックは未だに全部アルテアちゃんがやっているらしい。エッグ婦人もヒナたちも、フィルラドが一人で最初から最後まで面倒を見るってことで飼うことを認めたはずなんだけど。アルテアちゃんのオカンオーラがすごいのか、フィルラドがヒモクズなのか……いや、両方か。
今日の授業はキート先生の発展触媒反応学。先生は先週以上にだいぶヤバそげなことになっており、なんかもう見るからに痛々しい。目がギョロっとして血走っているし、頬もげっそりこけている。げっそり感の割りには目に妙に覇気(?)を纏っているものだから、なんか新手の魔物なんじゃねーかって思っちゃったよ。
『現実でも……夢でも……【声】が聞こえるんですよ。現実でも……夢でも……【仕事】をしているんですよ。……ははっ、これは現実ですよね? だって指が五本あるし、太陽に口が無い。それに、天井からクッキーが生えていませんから』ってヤバそげな感じで笑っていた。
どうやら酷く夢見が悪いらしい。顔の感じからしてあまり眠れていないのだろう。睡眠時間が極端に短い上に、何度も起きてしまっているに違いない。あれはそういう顔だ。
とりあえず、『これでも食べてゆっくりしてください』ってルマルマキャンディとクッキーを渡しておいた。クーラスは『……これ、よく眠れるヤツです』ってオリジナルのハーブティーを渡していた。ポポルは『これ俺の宝物だけど飽きたからあげるね』ってセミの抜け殻を渡していた。
キート先生、『あとで全部美味しく頂きます』って笑っていた。……あの人、ホントに大丈夫だろうか?
さて、今日は真直ばり……要は杖や魔法陣といった魔法要素のサークリアによる変形について学んだ。今まで何度も浸食魔力による魔法体の変形や魔力、サークリアのつり合いについての計算を行ってきたわけだけれど、今回はまた別のアプローチから諸々のステータスの算出を行いましょうって感じ。
『わかりやすいように……例えば杖の場合、魔法を構築して魔力を負荷させた場合、一部が魔法的にたわみます。触媒反応学においてはこのたわみと変形は明確に区別するものであり、たわみ……正確に言うならば【杖の変形前の中心線に垂直な魔深方向の変位】をマジックディフレクションと定義します。これを用いて難しい難しい計算をすると、他のいろんなパラメータがわかるのです』ってキート先生が言っていた。
とりあえず、板書された単語の意味をまとめておく。
・マジックディフレクション
真直ばり(魔法体)の変形前の中心線に垂直な魔深方向の変位。ここでの中心線とは、はりの断面の図心を連ねる線である。
・マジックディフレクション曲線
浸食魔力によって変形した杖(魔法体)の軸線の形
・たわみ角
マジックディフレクション曲線の傾斜角。定義を言葉で説明するのは面倒なので、図で理解してください。
・荒れ剛性
はり(魔法体)の内魔変係数と断面二次サークリアの積。この値が高ければ高いほど魔法体は荒れ難く、魔法的変形が起きにくい。
だいたいこんなもん。ちなみにだけど、これらの名称は先生や本、業界によって意外とブレがあるらしく、『面倒だし通じるので、普通に【たわみ】って言ったり【たわみ曲線】って言うことがあります。正式でガチな論文等でも「以後、これをたわみと称する」って注釈を入れることが結構ありますね』ってキート先生が言っていた。
『本当に面白いことに、別の地域や学校に行くだけで知らない単語が飛び交うことが意外とあるのですよ。話していることは同じなんですけどね。この業界で一番大変なのは、その地のローカルルールを理解することかもしれません』ってキート先生はしみじみとつぶやいていた。たぶん、そういう経験があったのだろう。
その後は普通に板書して、いつも通り面倒で難しい証明をしまくった。今日もやっぱりギルは理解を諦めていたけれど、『そろそろ筋肉の精密性を鍛えなくっちゃな!』って指の筋肉を使って板書の模写をしていた。
『この絶妙な力加減……! 脳筋もけっこう使うな……ッ!』ってあいつは嬉しそうだった。普通にペンを握っているだけのはずなのに、なぜだかベキベキバキバキと指から盛大な音がしまくっていた。
あいつはいったいどこの世界の住人なのだろうか。こっちの常識がまるで通じねえや。
夕飯食って風呂入って雑談して今に至る。なんか今日はざっくりしているけど、明日はラストの実験だから早めに寝ることにしよう。キート先生もたまにはゆっくり休んでくれるといいのだけれど。あの人が倒れたら、実験で助けてくれる人が少なくなって困るっていう。
ギルは大きなイビキをかいてぐっすりと寝ている。ここはあえて夜更かしソウルでも詰めておくとしよう。明日の実験が無事に終わりますように。