53日目 危険魔法生物学:ウェリタスの生態について
53日目
お外に綺麗な流星群。朝なのに。
ギルを起こして食堂へ。朝からびっくりするくらいに流星群が見られるものだから、ちゃっぴぃほか各寮の使い魔たちがこぞって窓から空を眺めていた。エッグ婦人はベイビードラゴンのエドモンドの頭の上に落ち着いていたし、ヒナたちはフェデルタカーネのメリィちゃんの背中の上。ウチのちゃっぴぃはヒキガエルのブチちゃんを抱っこしてあげていたっけ。ヴィヴィディナだけは普通に天井をカサカサしていたけれど。
ただ、ポポルとミーシャちゃんも使い魔たちに交じって空を眺めていたのが気にかかる。その姿に違和感がないというか、『すげーなぁ……』ってあんぐりと口を開けているところが本当に子供っぽい。見ていて微笑ましい……のは、いいことなのだろうか?
もちろん、流星群がフィーバーしていてもギルは元気に『うめえうめえ!』ってジャガイモを食っていた。奴にとっては天文ショーなんかよりも、目の前の一握のジャガイモのほうが大事なのだろう。
今日の授業は星すら霞む天使ピアナ先生と俺たちの兄貴グレイベル先生による危険魔法生物学。『翌日、大丈夫だった?』ってピアナ先生が聞いてきたので、『聞かないほうがいいと思います』とだけ返しておく。『…毎年そうなのに、毎回みんな初志を忘れるんだ』ってグレイベル先生はコメントしていた。お酒って怖くてやーね。
肝心の内容だけれど、今日はウェリタスって名前の悪魔について学んだ。こいつ、ちゃっぴぃのスライムボールくらいの大きさで、文字通り空中浮遊する目玉って感じの見た目をしている。
ちょいと不気味なのは、目玉のくせに瞳(?)が三つもあることだろうか。遠くから見ると一つに見えるんだけど、近くで見ると三つの瞳が集まって一つの円を作ってるってことがわかるんだよね。
『見た目は不気味だけど、実はそんなに攻撃的ってほどでもないんだよっ!』とはピアナ先生。こんなナリをしているけれど強力な魔法は使えないし、基本的には空中浮遊して動くだけだからスピードもそんなに速くないらしい。その上で牙も爪もなんにもないのだから、ある意味じゃ当然のことと思えなくもない。
が、やっぱり危険生物であることには変わらない。『…ハマるとどうしようもないから、対処法をよく覚えておくように。…とはいえ、それさえ知っていれば問題ないから、今回も気休めみたいなもんだ』ってグレイベル先生が言っていた。
とりあえず、以下にその概要を示す。
・ウェリタスは悪魔の一種である。通常の悪魔は強靭な肉体に特異な能力を持っていることが多いが、ウェリタスに関しては肉体は驚くほどに脆く、そして物理的攻撃手段も魔法的攻撃手段もほとんど有さない。しかしながら、【真実を見通す】という類稀なる特殊能力を有している。そのせいでドライアイに悩まされているという噂である。
・ウェリタスは対象の心を見通し、最も恐れているもの、あるいは最も幸せなものや大切なものの幻影を写しだす。この能力は非常に強力であり、読み取れる範囲は対象の深層心理にまでおよび、対象自身が直接覚えていないことであっても読み取ることが出来る。読み取りすぎてドライアイになる個体が多いという噂もある。
・ウェリタスは写しだす幻影は、ウェリタス自身がある程度操作することが出来るということが知られている。例えば遠目からドラゴンを見てそれに恐怖を覚えた人間に対し、ウェリタスは本来その人間が見ていないはずの【ドラゴンが牙をむいてそいつを食おうとしている】幻影を写しだすことが出来る。あまりに幻影を操作しすぎるとドライアイが加速してしまうという噂がある。
・ウェリタスの心を見通す能力は非常に強力であり、基本的に防御方法はない。唯一可能な方法としてウェリタスの目に映らないようにする、という手段があるが、見られた時点で心を読み取られるため、現実的な方法ではない。しかし、精神的防御力を高めた場合やそもそもの気質として心を閉ざしている者、あるいは読み取る光景が深層心理に属している場合は、ウェリタスが心を読み取るまでにいくらか時間がかかることが知られている。頑張りすぎるとドライアイになって辛いという噂もある。
・上記の通り、ウェリタスは対象の最も恐れる幻影を写しだすことが出来るため、その性質を知らない場合はパニックに陥り、行動不能になってしまうことが多い。また、性質を知っていた場合であっても、冷静に行動できるものは多くない。しかし、実はウェリタスは鏡を見てしまうことで【自身の心理を写しだす】ことになり、その過程は不明なものの魔法的思考ループ状態に陥って、自滅してしまうことが知られている。ドライアイが酷い個体は生き延びるという噂もある。
・上記の通りウェリタスは鏡だけで撃退できることが知られているが、現実においては襲われる前に鏡を用意することは不可能に近い。結局のところ、強靭な精神力を持って幻影に耐え、どこかにいる本体を叩いたほうが早い。
・魔物は敵。慈悲は無い。
早い話が【相手が最も恐れているものを写しだす】悪魔らしい。本体そのものには攻撃能力が無いし、タネもわかっていて準備も整っているのなら、そんなに恐れる必要はないそうだ。
もちろん、精神的トラウマを抉られる可能性は大いにあるし、あるいはウェリタスがいるってわかってない状態で……例えば乱戦なんかで幻影を映し出されたりすると相当ヤバいことになるんだけど。
とりあえず、『…度胸試しだ。誰かやってみろ』ってグレイベル先生の言葉に、近くにいた女子が前に躍り出る。彼女を直視したウェリタスの瞳が一瞬緑色にぴかっと光ったと思ったら、次の瞬間に──。
──面前に迫るゲロが。ばっちぃ。
『うぉえぁっ!?』ってみんなが後ずさる。いくら幻影だとわかっていても、ありゃあ怖い。トラウマができるってレベルじゃない。『ホント……ごめんね……』って申し訳なさそうに肩ポンしている女子が一名いたことをここに記しておこう。
その次はクーラスがウェリタスの前に。ウェリタスの瞳がぴかっと光ったと思ったら、優しそうないかにも新妻って感じの女の人が現れた。にこにこしながらロッキングチェアに揺られ、そしてちくちくと刺繍を楽しんでいる。
『これがお前の怖いものなのか?』ってジオルド。『いや……だいぶ若いけど、ウチの……おふくろだ』とはクーラス。『…どうやら、今回はお前の大切なものを写しだしたようだな』とはグレイベル先生。
言われてみればクーラスと顔立ちが似ているし、髪の色も一緒。目元は全然違ったけれど。
で、そういやこいつマザコンの気もあったんだっけ……なんて思っていたら、次の瞬間にその女の人の手の肉が抉れた。全身に切り傷が入り、体中が血塗れになって、足が変な方向に曲がる。『母さんッ!?』ってクーラスの悲鳴と女子の悲鳴。
その女の人が血涙を流し、悲しそうな表情でこちらに手を伸ばす。我を忘れたクーラスがそれに駆け寄ろう……としたところで何もかもが霧散。ピアナ先生が杖でウェリタスの瞳を突いて幻影を止めたらしい。
『……お母さんが死んじゃうことが、クーラスくんにとって一番怖いことなんだね』ってピアナ先生が優しくクーラスを抱きしめる。最初は動揺していて息も荒くて冷や汗びっしょりのクーラスだったけど、先生に背中をポンポンされるうちにいくらか落ち着いたらしい。ややあってから『……なんか、すいません。それと、ありがとうございます』ってお礼を言って離れていた。
『昔さ、母さんが赤ん坊の俺と一緒に庭で日向ぼっこしながら刺繍やってたらしいんだよ。その時、なんか野犬が村の中に入りこんじまって、母さんは俺を護って手足を噛みつかれたって聞いたんだ。もちろん、すぐに野犬は退治されたけど、今でも微妙に手に傷が残ってるんだよなぁ……』ってクーラスは言っていた。どうやらあの悪魔、赤ん坊だったころのクーラスの記憶を読み取り、アレンジして幻影を作ったらしい。
ウェリタスの恐ろしさを十分に理解したところで、さらに授業は続く。ロザリィちゃんの時は蠢く大量の蟲が現れ、フィルラドの時は〆られてぐだっとした鳥と、無機質にそれを捌く大人が現れた。
ロザリィちゃんは言わずもがなだけど、フィルラドに関しては『あれ……俺が初めて友達になったやつなんだよ……ははっ、家畜だからってウチの家族がこっそり捌くところを、見ちまったんだよな。……その日の晩飯、チキンだったよ』とのこと。いくらなんでもエグすぎない?
ミーシャちゃんが暗くて深い水の中(昔溺れたことがあるらしい)で、ジオルドが両足がグシャグシャになって片目が飛び出た男の人(小さいころに事故に遭った人を見ちゃったらしい)、アルテアちゃんがフィルラドの死体(!)で、ポポルが大きな魔物に襲われるところ(子供の頃に森で迷って襲われたらしい)が幻影として映し出された。
パレッタちゃんに至っては形容するのも悍ましき悪夢が映し出され、クラスの大半が悲鳴を上げていた。『昔こんな場所に迷い込んだ。もしかしたら夢だったのかもしれない。でも……一年に一回くらいはこの悪夢の世界で、一人で延々とさまよい続ける夢を見る』ってパレッタちゃんにしてはガチな顔。
他の人たちも大体そんな感じ。小さいころのトラウマや、両親、家族の死やいたぶられるところなんかがウェリタスによって映し出される。男子のほとんどが母親を殺される場面であり、あのギルも異形の化け物に母親がズタズタにされるシーンが映し出されていた。
ちなみにこの母親、凄く小柄で子供っぽい顔立ちをしていた。……遺伝、か?
あ、グレイベル先生が短剣を持ったふわふわ茶髪の可愛いおねーさん(目は笑っていない)二人に追いかけ回されるところで、ピアナ先生が『消えろよ、お前面倒くさいし気持ち悪いんだよ』って冷たい表情のラギに言われるところだった。グレイベル先生はぶるりと震えて、そしてピアナ先生は必死に取り繕っていたけどすんげえ涙目になっていたっけ。
さて、一通りみんなの恐れるものが出そろった後はとうとう俺の番に。俺のことだからロザリィちゃんとステラ先生に振られるところか、ロザリィちゃんとステラ先生が死んじゃうところか、あるいはロザリィちゃんとステラ先生に『大っ嫌い!』って言われるところのどれかかな、ある程度覚悟しておかないとショック死しかねないな……なんて思っていたんだけど、なぜかウェリタスは幻影を映し出さない。
しかもなんかめっちゃガン見されてた。ちょう怖い。
『うーん……よほど深層心理のことなのかな?』とはピアナ先生。『…いや……これは心を閉じすぎてる方……違う、どっちもか?』とはグレイベル先生。俺ってば常にオープンハートなつもりなんだけれど。
ともあれ、しょうがないからピアナ先生の植物魔法により鎮魂の悠花の香を嗅ぐことで心を落ち着かせ、リラックスを図る。ついでにグレイベル先生が大地のスコップをウェリタスに突き付け、ドスの利いた声で『…本気でやれ』って脅しつけた。
で、とうとうウェリタスの瞳がぴかっと光る。
ウェリタスは血涙を流し、白目をむいて、泡を吹いて倒れた。
どういうこっちゃ……って俺が思うのと、『うぉあっ!?』ってあのグレイベル先生がビビった声を出したのはほぼ同時。ちょいと遅れて、『ひいっ!?』ってクラスメイトたちが息をのむ声も聞こえた。
全身に鳥肌が立ったよね。マデラさんに拾われる前の光景がそこにあったんだもの。
そこから先はよく覚えていない。ただ、ウェリタスが映し出したそれはあの頃の俺が見ていたものそっくりであり、同時にまたそのごく一部でしかなかった。あの時はついつい杖を抜いて魔法をぶっ放し、そしてウェリタスの意識を完全に落として幻影を解いたけれど……いやはや、久しぶり過ぎてガラにもなくパニクったよ。
クソが。ちくしょう。よりにもよってみんなの前であんなの写しやがって。やっぱあのクソ、ぶっ殺しておけばよかった。
『そ、そりゃあ、心も閉ざすか……』、『…こんなの見たら、倒れるよな』って先生たちも表情が引きつっていた。クラスのみんなもだいぶドン引きしていたし。
夕飯食って風呂入って雑談して今に至る。授業内容が授業内容だったから、なんか雑談中はみんないろいろとナイーブな感じだった。幻影の内容がマイルドで比較的余裕だった奴も、最後の俺のアレを見たせいでだいぶ気分が悪そう。
ただ、そんな中でクーラスが、『悪い、変なこと言うようだけど……誰でもいいから、抱きしめてくれないか』って勇気ある発言をしていた。やっぱり自分の母親が殺される姿は相当堪えたのだろう。特にあいつの場合、事実上の一番手だから何の心構えも出来てなかったわけだし。
俺の場合、その母親でさえアレなわけだけど。これ以上はこの思い出の日記に書きたくないからやめにしておく。
で、女子の何人かが『……いらっしゃい』って思いっきりクーラスを抱きしめていた。文字通りクーラスは胸に頭を埋める格好になっていた。あいつ、自分では堪えようとしていたみたいだけど、嗚咽を漏らしていたよ。
そんなのを見ていたら俺も人肌が恋しくなった。そして、ロザリィちゃんは何も言わないでもそれに応えてくれた。気付けば暖かくて柔らかい温もりが俺を包んでいて、『……私は一生傍にいるからね? もう、あんな所にはいかせないからね?』って耳元で囁いてくれた。
心の底から嬉しかったよ、ホントに。俺やっぱり、一生をかけてロザリィちゃんを幸せにしなきゃいけないわ。
最後のほうがグダグダしているけれど、思い出しナイーブでものすごくナイーブになっているため、今日はこんなものにしておこう。ギルのイビキだって今日はなんか不規則だ。さすがの筋肉も、トラウマには効果が無いのだろう。
……それにしてもまぁ、物理的な危険や心情的な意味でエグい(アンブレスワームのアレとか)に関してはともかくとして、俺たちはこの手のガチな精神的攻撃にかなり弱いらしい。これから勉強を進めるうちにはもっとヤバい精神攻撃をしてくる敵も出てくるだろう。もっと頑張って……心を鍛えないと。
ギルの鼻にはナエカとリシオと堕鳥草と……なんか適当に鎮静効果がありそうな魔法草を刻んで煮詰めて濃縮したエキスを垂らしておいた。せめて安らかに眠れますように。