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33日目 発展魔法陣製図:マジックスパーギヤの製図【1】

33日目


 何もない……と思ったら、昨日の日記が全部あべこべになっている。もうホント訳が分からない。


 ギルを起こして食堂へ。今日はなんとなくコーンポタージュをチョイスしてみた。コーンの深い甘みがなかなかに素晴らしく、あの何とも言えないとろみも最高。意外にもするする飲めて、しかも結構お腹に溜まるっていうから驚きだ。


 もちろん、俺の膝の上のちゃっぴぃも『きゅーっ♪』ってうまそうにコーンポタージュを飲んでいた。たぶんあいつ、半分以上がぶ飲みしていたと思う。ふうふうしてやるのも俺の仕事だし、お口の周りを拭いてやるのも俺の仕事だし、ウチのワガママお姫様の暴虐っぷりには驚きを隠せない。


 ただ、最近は少しお利口さんになってきたのか、俺の膝の上にいるときにあまり羽をぱたぱたさせなくなった。もぞもぞ動いてジャストフィットするところを探し、そのまま食べ終わるまですっぽり収まることが多い気がする。これが成長というやつだろうか。


 さて、今日の授業はシキラ先生の発展魔法陣製図。一応今日から新しい奴の製図でちょっと新鮮な気分。まぁ、去年は毎回違う課題をやっていたんだけどさ。


 『お前らちゃんと前の奴終わらせてあるかぁ? 余裕あるからって気ぃ抜いてると再履になってまた来年会うことになるからな! 俺としてはそれで全然かまわねえけど!』ってシキラ先生は超笑顔で言っていた。教え子の再履を願うとかそれって教師としてどうなのだろうか。


 肝心の二つ目の課題だけど、マジックスパーギヤについて取り扱うとのこと。マジックスパーギヤってのはマジックフランジと同じく連結魔法陣における魔力伝達なんかに使われるもので、マジックフランジは魔法陣同士を重ねるような場合における締結に使うのに対し、こちらは魔法陣を横に並べたときにおける魔力の伝達に用いるって特徴がある。


 しかもその特性上、伝達した魔力の向きは元の回転魔法陣と異なる……すなわち、回転魔法陣の向きを逆にしたりすることもできるのだとか。それ以外にもいろんな活用法があって、うまく使えばあらゆる条件において魔力を伝達することができるらしい。


 ただ、やっぱり設計に当たって考慮することはいっぱい。特にこれも汎用部品……いわゆる魔法要素に分類される魔法陣だから、魔法設計製図便覧に載っている規格でガチガチに固められているらしい。


 とりあえず、シキラ先生に言われた注意事項を下にメモしておこうと思う。



・マジックスパーギヤの大きな設計項目として【呑深(直径)】、【牙先円直径】、【牙数】、【マジックピッチ】が挙げられる。これらを用いてマジックスパーギヤの各部寸法を計算してから製図を行うこと。なお、この計算過程は設計計算書としてまとめ、完成した図面と一緒に提出するものとする。 ※汚い文字で書かれた計算書はルンルンのおやつになります。


・設計するマジックスパーギヤは軽量化を鑑みた実用的な形状にすること。なお、設計における強度計算は触媒反応学に基づくものとする。 ※トンチンカンな図面はルンルンの夜食になります。


・牙幅は広幅とし、ボス部の長さは牙幅と同一にすること。


・ギヤの穴径は常識的な範囲内で各自決定する事。また、はめあい等級は各々が選定した長さに基づき、一般的なものを使用すること。


・実用上の諸問題を踏まえ、魔法陣の製陣法、および魔法陣表面粗さを明確に指定すること。これがきちんとできていない場合、例え設計計算や形状に不備が無くとも合格点は与えないものとする。


・部品図と組立図の両方を提出すること。なお、組立図には部品番号と魔法陣間距離も明記し、要目表も作成すること。


・全ての設計計算、材料選定、はめあい規格等は魔法設計製図便覧に基づいて行うこと。これが守られていないものは問答無用で再履修にするものとする。



 もうこの話を聞いただけで全員絶望の表情を浮かべていた。今まで以上に面倒くさい製図だってことは確定的に明らか。自分たちで計算して寸法を弾き出さなきゃいけないし、おまけにその過程をきちんとまとめなくちゃいけない。考えることが多すぎて明らかに今までとレベルが違った。


 しかも話はそれだけにとどまらない。そう、シキラ先生は超笑顔で特大級のドラゴンの糞を落としていったのだ。



『ざっとこんなもんだぜ! あと、全員が同じギヤの設計をしてもつまんねえから、今からランダムで牙数と呑深を個人に割り振っていく! ……いいか、誰一人として(●●●●●●)同じ図面(●●●●)なんて出来ね(●●●●●●)えからな(●●●●)! 牙数が多いのが当たるとクソ面倒だけど、素直に諦めて徹夜か留年、好きなのを選べよな!』



 楽しそうなのはシキラ先生だけで、みんなはもう悲鳴を上げることすらできなかった。ただでさえクソ面倒な製図だというのに、こんな条件があったんじゃ協力することも、参考にすることも難しい。そりゃあ計算方法くらいは一緒かもしれないけれど、今までなんだかんだで同じものを協力してなんとかしてきただけに、絶望感が計り知れない。


 そして運命のルーレット。シキラ先生が杖を一振りすると、天井で色とりどりの数字が舞い踊った。『覚悟はいいか、てめえら!』ってシキラ先生が杖をひゅっと縦に振り下ろすと踊り狂っていた数字がピタリと止まり、各々の目の前へと落ちてくる。


 クーラスが呆けたように天井を見上げ、ジオルドがほっと息をつく。アルテアちゃんはしかめっ面を崩さず、ミーシャちゃんは泣いているのか笑っているのかわからない表情。


 呑深は正直どうでもいいとして、問題なのは牙数。俺の前に落ちて来た数字は34。一番小さい数をあてたやつが14で、魂の抜けた表情をしているクーラスが84だったほか、だいたいの連中はこの間の数字を取っていたことから、楽な方ではあるのだろう。


 とりあえず一安心……と思ったあの時の俺をぶん殴りたい。


 『──くぅん……』ってロザリィちゃんが諦めきった顔をしていたの。目に涙をいっぱい溜めて、今にも泣き出しそうな顔をしていたの。そんなお顔もあまりにプリティ過ぎて、一瞬何が何だかわらかなくなるくらいだったの。


 ロザリィちゃんの目の前の数字、120だった。文句なしのぶっちぎり。というか、三桁なのってロザリィちゃんだけだったよ。


 『一番の大ハズレ引いちまったなぁ! でもまぁ、死ぬ気でやればなんとかなるだろ!』ってシキラ先生はロザリィちゃんが泣きかけているのにまるで動じない。


 あの人には血が通っていないのだろうか。あれほど冷酷な人間を、俺は見たことが無い。


 『ごめんね……一緒に進級、したかったなぁ……』ってロザリィちゃんは悲しそうに笑い、授業中にも関わらず立ち歩いて俺をぎゅっと抱きしめてきた。シキラ先生は『大袈裟すぎるぜ!』って腹を抱えてゲラゲラ笑っていた。


 もちろん、俺が悲しむロザリィちゃんを放っておけるはずもない。ぎゅっと抱きしめ返し、『大丈夫、俺がなんとかする』って優しく囁いた。その声が聞こえたのか、『なんとかするって、なにをどうするんだ? 泣こうが喚こうが土下座しようが、牙数を減らしたりなんかしねえぞ?』ってシキラ先生はニヤニヤしながら煽ってきた。


 なので、面と向かって『勘違いしないでください。──俺とロザリィちゃんの課題を交換するってだけの話ですよ。僕が代わりにやるなら問題ありませんよね?』って言い切ってやった。


 俺とロザリィちゃんの課題を交換する。割り当てられたそれを解決する人が変わったってだけで、これなら最終的に出される提出物の種類そのものは変わらない。我ながらナイスアイデアと評価せざるを得ない。


 『ほお、自分からヤバいのを代わりに受け持つか……その姿勢は称賛に値する』とシキラ先生は感心した表情を見せる。しかし、『だが、決まったものをてめえの判断で無理に変えるってんだ、それ相応のペナルティは覚悟してるよな?』って悪魔みたいな笑みを浮かべてきた。


 当然、俺がその程度のリスクを厭うはずもない。ロザリィちゃんの愛のためなら、俺はギルの使用済みパンツだって食う覚悟がある。『ダメだよ、──くん……! 私のことは気にしないでいいから……!』ってロザリィちゃんは半分泣きながら縋ってきたけど、ここで止まる俺じゃあない。


 『何でもいいから、さっさとペナルティとやらを教えてください』って言ったら、『お前のマジックスパーギヤの牙数、200な。一般的なギヤの牙数の最大はだいたいそんなもんだ。それで課題の交換を認めよう』と宣言された。


 200。まさかの200。ぶっちぎりのハズレが120に対し、その倍近い数である200。


 もちろん、『その程度でいいんですか? ──わかりました、それでは、そういうことで』ってエレガントに切り返す。あの瞬間の俺ってば、最高に決まっていたに違いない。


 『まぁ、俺も人間だ。教え子が落第する姿なんて見たくはねえ。……てめえで啖呵切ったんだ、魔系らしく最後まできちんとやり遂げて見せろよな!』とシキラ先生は面白いおもちゃを見つけたかのように笑い、そしていつのまにやら授業は終わった。


 夕飯食って風呂入って雑談して今に至る。雑談中、ロザリィちゃんが『ホントにごめん……!』って頻りに謝ってきた。『キミの意見を無視してこっちが勝手にやったことだから、別に気にしなくていいよ。それにたまにはやりがいのある課題がないと、脳筋が衰えるからね』って優雅に微笑んでおく。


 『前々からクレイジーだと思っていたけど、でも、今日のはちょっとカッコよかった』、『愛だけは本物だって再認識させられた』、『ホント、その一途さだけはすごく魅力的なのよね……』ってクラスメイトからも声をかけられた。なんだか今日だけは妙にみんなが優しかったんだけど、いったいどうしてだろうか。


 ギルは今日も大きなイビキをかいてスヤスヤとしている。……あの行動に後悔はないし、ロザリィちゃんの愛のためならなんだってできるけど、さすがに今回ばかりはちょっとまずいかもしれない。正直あの製図が終わるビジョンがまるで見えない。何とか対策を考えておかないと。


 もう今日は寝よう。一回何もかも忘れて気分を入れ替えなくては。ギルの鼻にはリフレシュ・サンドでも詰めておくことにする。おやすみなさい。

 昨日の日記はなんかバグっていたみたいです。正しい(と、思われる)記述をこちらに載せておきます。こんな手間を取らせるとか、書き手の彼も少しは日記を晒す人のことを考えるべきだと強く思いました。



32日目 ベコベア・フンゴの栽培について


 天井から安らかな寝息が聞こえる。俺の頭、どうかしちゃったのだろうか。


 ギルを起こして食堂へ。今日は無難にハムエッグをチョイス。黄身の半熟具合が最高でハムの塩気もいい塩梅。膝の上に載っているちゃっぴぃに贅沢に大きな白身を『あーん♪』してやったんだけど、『ふーッ!』って思いっきり顔面を引っかかれたのがわけわかめ。好き嫌いするとかこいつどうなってるんだろうか。


 どうやればコイツに白身を食わせられるかな……なんて思っていたところ、『おはよっ!』ってプリティな笑顔を浮かべたロザリィちゃんがやってきた。俺の皿を見て何かを察したらしく、『好き嫌いするのはダメだぞっ!』っておでこをツンツンしてくる。女神はここにいた。


 もちろん、『好き嫌いなんてしてないよ? なんなら確かめてみる?』ってありのままの事実を告げる。ロザリィちゃんってば、『甘えん坊なんだから♪』って俺に白身を『あーん♪』してくれた。何でロザリィちゃんはこうも可愛いのだろう。さりげなく抱き付いてくるところとかもう最高。今日もぬくやわこくて甘い良い匂いがする。秒速百億万回惚れ直したよね。


 『ここにも白身あるぜ!』ってポポルが自身の食べかけの皿を持ってきたのだけはわけわかめ。まぁ、ロザリィちゃんが『あーん♪』してくれたから全部食べたんだけどさ。あいつ、もしかして俺のことを体のいい残飯処理係か何かだと思ってやいないだろうか。


 ちなみに、ギルは今日もジャガイモを『うめえうめえ!』って貪っていた。毎朝よくあれだけの量を食べられるのだと改めて感心する。あいつの胃袋の大きさには驚かされるばかりだ。


 さて、今日の授業は俺たちの天使ピアナ先生と俺たちの兄貴グレイベル先生による危険魔法生物学。もうだいぶ温かくなってきたからかグレイベル先生は半袖姿。太く逞しい、日焼けした腕がカッコいい。


 『ピアナ先生は半袖にしないんですか?』って何気なく話題を振ったら、『下心が丸見えだぞー?』って軽くぺしっと頭を叩かれる。『下心なんてありません。先生の綺麗な肌はもはや芸術のレベルですから、美しさしか感じませんよ』って食い下がったら、『──くんのそういうところ、ある意味尊敬するよ』ってまたしても苦笑しながら叩いてくれた。もっと叩いてほしかった。


 それはともかくとして、今日の授業ではベコベア・フンゴなる魔法生物……というか魔法植物について学んだ。これ、普通のキノコより二回り程度大きいくらいの大きさで、傘は青地に赤色と言う見るからに毒々しい色付きをしている。


 実際毒キノコなんだけど、幸いにして攻撃的な性質は無いらしい。ただ、その作用はちょっと珍しく、栽培方法も変わっているからきちんと覚えましょうとのこと。『…先週はハードだったから、ちょっとした息抜きだと思ってくれていい』ってグレイベル先生が言っていた。


 とりあえず、授業のメモを下に記しておく。



・ベコベア・フンゴは見た目通りの毒キノコである。魔法的性質は比較的強いが、経口摂取および胞子を吸い込むことで症状に侵されるといった点ではオーソドックスなそれと変わらない。しかし、稀にこれと全く反対の性質を持つベコベア・フンゴが生まれることがある。


・ベコベア・フンゴはキノコの一種であるが、一般的なキノコと異なり、日差しが強く乾燥した環境を好む。また、水を与えると枯れ、火で燃やすことで成長するという極めて稀な性質を持つほか、昼間は休眠し、夜に成長するという特徴がある。しかし、稀にこれと全く反対の性質を持つベコベア・フンゴが生まれることがある。


・ベコベア・フンゴは枯れた状態で生まれ、成長するに伴い若返っていく。最終的には小さなキノコとなり、いつの間にか消える。しかし、稀にこれと全く反対の性質を持つベコベア・フンゴが生まれることがある。


・ベコベア・フンゴの胞子を吸い込む、およびベコベア・フンゴを直接経口摂取すると全ての感覚が真逆になる。甘いものは辛く感じるようになり、美しいものは醜く感じるようになる。また、立とうとすると座ってしまい、走ろうとすると立ち止まるようになる。しかし、稀にこれと全く反対の効果をもたらすベコベア・フンゴの胞子があることが知られている。


・ベコベア・フンゴの幻覚症状を魔法的手段を用いて解除しようとすると、よりその症状が酷くなることが知られている。幻覚症状を解除するためには、ベコベア・フンゴの胞子をよりたくさん吸い込むしかない。しかし、稀にこれと全く反対の効果をもたらすベコベア・フンゴの胞子があることが知られている。


・上述の通り、ベコベア・フンゴには対象の感覚をあべこべにする効果があることが知られているが、どの程度あべこべに感じるのかははっきりしておらず、人によってその症状に大きな差がありながらも、ベコベア・フンゴの個体ごとの胞子の強さの違いはほとんどないことが確認されている。しかし、稀にこれと全く反対の性質を持つベコベア・フンゴが生まれることがある。


・まごころを込めて育てる。まごころを込めないとこれと全く反対の性質を持つベコベア・フンゴが生まれることがある。


・収穫は愛情を込めて行う。



 とにもかくにもひねくれものなキノコらしい。実際、先生が火魔法でベコベア・フンゴに火をつけたんだけど、そいつは燃えるどころか元気になりだした。逆に水を与えると水滴に触れた部分が熱した金属を押し付けたかのように焼け爛れるっていうね。


 で、ピアナ先生が『……誰か、胞子を喰らってみる?』って話を振ってきたので秒速で手を挙げる。俺しか手を挙げなかったことにちょっと驚き。ピアナ先生と合法的に触れ合える機会をみすみす逃すなんてみんな何を考えているのだろうか。


 ともあれ、ピアナ先生がベコベア・フンゴを抱え、俺に向かって『ふーっ!』って息を吹き付けてきた。ピアナ先生の匂いが届いた……って思う前に紫色のヤバそげな胞子が俺の顔を包む。意外にも、ちょっと目に染みるくらいで胞子そのものに危険性はないらしい。


 が、次の瞬間、世界が衝撃に包まれた。


 まずね、俺の目の前に背の高い女の人がいたんだよ。しかも胸がナターシャと同じくらいに大きくて、スタイルだけを見るならオトナなナイスぼでーなおねーさんだったの。


 だけれどお肌がガサガサでシミも多くて黒ずんでいる。恐る恐る顔を見れば、なんかもう見ていて哀れになるような、ゴブリンのそれと大差ない感じだった。


 そして俺の体が勝手に後ろに進む。ああ、これがあべこべの感覚なんだな……って思って走ろうと……立ち止まったら、視界の端に小さな女の子が。


 色白で、ちんまくて、やたらと表情が豊か。『…大丈夫か?』って高い声が耳に心地よかったんだけど、残念ながらお顔のほうがちょっとアレだった。俺は別に面食いとかじゃないと思うけど、でもさすがに獣や魔物と同じツラってのはノーセンキュー。


 ここに来てようやく気付く。背の高いナイスばでーのおねーさんはピアナ先生で、小さな色白の女の子はグレイベル先生であるらしい。


 で、反転感覚にてこずりながらも、恐る恐る我がクラスメイトのほうを振り返ってみる。空が赤いとか、春なのにやたら寒いとか、そういった諸々をぶち壊すレベルの衝撃が俺を襲った。


 クラスメイトの中に、マジもんのクリーチャーがいた。


 肌は汚れたドブのようだし、髪はボサボサで脂っぽい。鼻はズタズタに裂け、唇はガサガサで変色している。顔の造形は悪魔が裸足で逃げ出すくらいに醜く、目つきは鋭く瞳は濁っている。そしてなにより、耐えがたい腐臭のようなものをまき散らしていた。


 さすがにヤバい。思わず杖を手に取ろ……うとしたけど体が動かない。


 そんな俺の様子を訝しんだのだろうか、そのクリーチャーは『だ、大丈夫?』って酷く悍ましい、たいへん聞き取りづらい言葉を発しながらこちらに近づいてきた。


 しかもしかも、そのクリーチャーは冷や汗をかく俺に抱き付いてきた。吐き気を催す匂いはますます強くなり、固く冷たく、ヤスリのような質感の手が俺の頬をこする。いやもうホント、あそこまで死を覚悟したのはマデラさんが作った特製チキンのつまみ食いがばれたとき以来だと思う。


 しかしながら、理性ではさっさと振りほどいて逃げろって思うのに、なぜか本能がそれを許さない。この吐き気を催すドブのような腐臭を楽しみ、冷たいヤスリのようなガサガサの感触を楽しみたいと叫びまくっている。


 ここに来てようやく、俺は察することが出来た。


 これ──もしかしてロザリィちゃんじゃね?


 ちらっとこちらを見ていたクラスメイトを見てみる。みんな大なり小なりおかしな格好になっていたけれど(アルテアちゃんが凛々しさそのままの美少年に、パレッタちゃんが凄く真面目で誠実そうな女の子に、ミーシャちゃんがギルレベルのマッスルボディに、ギルはミーシャちゃんみたいなか弱い女の子になっていた)、ロザリィちゃんらしき姿が見当たらない。


 まず間違いなく、ベコベア・フンゴのあべこべ作用によってこう見えてしまっているのだろう。俺の場合は特にロザリィちゃんへの愛が強いから、余計にそれが顕著に表れているってわけだ。


 で、『……ごめん、もう少しこの時間を楽しみたいけど、先にこれを解除してもいいかな?』ってロザリィちゃんに問いかけ、そしてピアナ先生が持っていたベコベア・フンゴの胞子を思いっきり吸って幻覚を解除する。一瞬視界が暗転した後、今度は普通の姿のみんなを見ることが出来た。


 『あっ、目から誠実さが消えた』、『いつも通りのゲスで底意地の悪い目つきに戻ったな』と皆が口々に言う。とりあえず、全部無視して甘い匂いのするぬくやわこくて最高にステキなプリティロザリィちゃんを全力で抱き締めておいた。


 『…あいつ、すごいな』、『この胞子を喰らって普通にやり取り出来てた生徒、久しぶりにみたかも……』とは先生の談。なんでも例年こうやって誰かが実験台になるんだけど、そこでの幻覚があまりにもキツすぎるせいでその後の人間関係にヒビが入ることが多いとか多くないとか。


 『…これが原因で破局したカップルもいたし、そうでなくともだいたいが一瞬で発狂のそれに近い形になる。…あべこべってのはそれだけまともな精神にとって影響が大きいんだ』ってグレイベル先生はしみじみとつぶやく。確かに言われてみれば、あんなあべこべ世界に何時間もいたら気が狂ってしまうだろう。


 なお、『俺もやってみたい!』って立候補したポポルは一瞬で泡を吹いて倒れそうになっていた。もはや話が通じないレベルで、俺たちが近づいても『ふぎゃあああああ!?』って泣いて尻もちをつくばかり。体がうまく動かないらしく、死にかけの虫みたいにジタバタしていたっけ。


 でも、パレッタちゃんが近づいたら『……っ!?』ってお子様ポポルに似合わないくらいに真っ赤になって照れだしていた。『……なんかムカつく!』ってパレッタちゃんが足蹴にしても恥ずかしがるばかり。あいつがいったい何を見ていたのか、いろんな意味で気になる所だ。


 ちなみに、ベコベア・フンゴは反転薬や幻覚薬、あるいはその【あべこべになる】という性質を用いて危険な材料の緩和剤や触媒なんかに使えるらしい。『使い方は限定されるけど、これじゃないと出来ないことはいっぱいあるんだよ!』ってピアナ先生がエンジェルスマイルを浮かべて言っていた。


 そうそう、先生の許可を取ったうえで授業後にベコベア・フンゴを全力でズタズタにしておいた。例え幻覚とはいえ、俺のロザリィちゃんをあんな格好にさせるとか万死に値する。入念にギル・アクアもまいておいたから、奴はきっと地獄の苦しみを味わったことだろう。ざまーみろ。


 夕飯食って風呂入って雑談して今に至る。あんな体験をしたせいか、なんだかんだで微妙に疲れている。間違いなく精神的なものだろう。今日はこのくらいにしておくか。


 ギルはやっぱり大きなイビキをかいている。奴の鼻にはこっそり回収したベコベア・フンゴの胞子を詰めてみた。みすやお。

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