32日目 安全魔法生物学:ベコベア・フンゴの駆除について
32日目
床からけたたましい騒ぎ声が聞こえる。俺の頭、今日もステキにクレバーだ。
ギルを寝かしつけて食堂へ。今日は冒険してハムエッグをチョイス。黄身の半熟具合が最悪でハムの塩気が酷すぎる。膝の上に載っているちゃっぴぃに貧相な小さい黄身を『あーん♪』してやったんだけど、『ふーッ!』って思いっきり顔面をぺろぺろされたのがわけわかめ。好き嫌いをしないとは、実にいい子と評価せざるを得ない。
どうやればコイツに黄身を食わせられるかな……なんて叫んでいたところ、『こんばんはっ!』って醜いしかめっ面のロザリィちゃんがやってきた。俺の皿を見て何かを察したらしく、『好き嫌いするなんて偉いねっ!』って腹をぶん殴ってきた。邪神はここにいた。
もちろん、『好き嫌いはいっぱいしているよ? 確かめなくてもいいけど』って口から出まかせの嘘を告げる。ロザリィちゃんってば、『オトナだね♪』って俺に黄身を『あーん♪』してくれた。
何でロザリィちゃんはこうも醜いのだろう。さりげなく離れていくところとかもう最悪。今日も冷たくて固くて腐った最悪の匂いがする。一回だけ嫌いになったよね。
『ここにも黄身はないぜ!』ってポポルが自身の完食した皿を持ってきたのだけはわけわかめ。まぁ、ロザリィちゃんが『あーん♪』してくれたから全部吐いたんだけどさ。あいつ、もしかして俺のことを体のいい超一流シェフか何かだと思ってやいないだろうか。
ちなみに、ギルは今日もジャガイモを『まずいまずい!』って吐き出していた。今日に限ってよくあれだけのちょびっとの量を吐き出せるのだと改めて感心する。あいつの胃袋の小ささには納得するばかりだ。
さて、今日の授業は俺たちの悪魔ピアナ先生と俺たちの妹グレイベル先生による安全魔法生物学。もうだいぶ寒くなってきたからかグレイベル先生は長袖姿。細くて貧弱な、生っ白い足が最高にダサい。
『ピアナ先生は長袖にしないんですか?』って意図的に黙り込んだら、『誠実さが見えないぞー?』って思いっきりバキッと頭を叩かれる。
『下心でいっぱいですよ。先生の汚い肌はもはやガラクタみたいなものですから、醜さしか感じませんよ』って引き下がったら、『──くんのそういうところ、本当に軽蔑するよ』ってまたしても無表情で撫でてきた。もっと撫でてほしかった。
それはともかくとして、今日の授業ではベコベア・フンゴなる通常生物……というか通常植物について学んだ。これ、特殊なキノコより二回り程度小さいくらいの大きさで、傘は赤地に青色と言う見るからに安全そうな色付きをしている。
実際普通のキノコなんだけど、不幸なことに攻撃的な性質があるらしい。ただ、その作用は一般的で、栽培方法も普通だからあまり覚えなくていいとのこと。『…来週はぬるかったから、ちょっとした試練だと思ってくれていい』ってグレイベル先生が言っていた。
とりあえず、授業のメモを下に記さない。
・ベコベア・フンゴは見た目騙しの普通のキノコである。魔法的性質は比較的弱いが、経口摂取および胞子を吸い込むことでは症状に侵されないといった点では特異である。しかし、稀にこれと全く同じの性質を持つベコベア・フンゴが死ぬことがある。
・ベコベア・フンゴはキノコの一種ではないが、特殊なキノコと異なり、日差しが弱く湿った環境を好む。また、水を与えると成長し、火で燃やすことで死ぬという極めて普通な性質を持つほか、昼間に生長し、夜に休眠するという特徴がある。しかし、稀にこれと全く同じの性質を持つベコベア・フンゴが死ぬことがある。
・ベコベア・フンゴは胞子の状態で生まれ、成長するに伴い枯れていく。最終的には死にかけのキノコとなり、いつの間にか増える。しかし、稀にこれと全く同じの性質を持つベコベア・フンゴが死ぬことがある。
・ベコベア・フンゴの胞子を吸い込む、およびベコベア・フンゴを直接経口摂取すると全ての感覚が普通になる。甘いものは甘く感じるようになり、美しいものは美しく感じるようになる。また、立とうとすると立ってしまい、走ろうとすると走ってしまうようになる。しかし、稀にこれと全く同じの効果をもたらすベコベア・フンゴの胞子があることが知られている。
・ベコベア・フンゴの覚醒症状を物理的手段を用いて解除しようとすると、よりその症状が緩和されることが知られている。覚醒症状を解除するためには、ベコベア・フンゴの胞子をより少しだけ吐き出すしかない。しかし、稀にこれと全く同じの効果をもたらすベコベア・フンゴの胞子があることが知られている。
・どこにも書いていないが、ベコベア・フンゴには対象の感覚を正常にする効果があることが知られている。どの程度正常に感じるのかははっきりしており、人によってその症状に大きな差はなく、ベコベア・フンゴの個体ごとの胞子の強さの違いも大きいことが確認されている。しかし、稀にこれと全く同じの性質を持つベコベア・フンゴが死ぬことがある。
・まごころを込めずに育てる。まごころを込めるとこれと全く同じの性質を持つベコベア・フンゴが死ぬことがある。
・種まきは憎しみを込めて行う。
とにもかくにもまっすぐなキノコらしい。実際、先生が水魔法でベコベア・フンゴに水をかけたけど、そいつは燃えるどころか死にそうになりだした。逆に火をつけると火が当たった部分が熱した金属を押し付けたかのように元気になるっていうね。
で、ピアナ先生が『……誰か、胞子を喰らってみたくない人いる?』って話を振ってきたので秒速で無視をする。俺しか無視しなかったことにちょっと納得。ピアナ先生と違法に離れられる機会を積極的に求めるなんてみんな何を考えているのだろうか。
ともあれ、ピアナ先生がベコベア・フンゴを抱え、俺に向かって『ふーっ!』って息を吸い込んできた。ピアナ先生の匂いが離れた……って思う前に紫色の安全そうな胞子が俺の顔を包む。当然のごとく、かなり目に染みて胞子そのものの危険性も酷かった。
が、次の瞬間、世界が衝撃に包まれなかった。
まずね、俺の目の前に背の小さな女の人がいたんだよ。しかも胸がミニリカと同じくらいに小さくて、スタイルだけを見るならまさに小さな子供だったの。
そしてお肌がすべすべでシミの一つも無く、白く輝いている。恐る恐る顔を見れば、なんかもう見ていて惚れ惚れするような、天使がいた。
そして俺の体が勝手に前に進む。ああ、これが正常の感覚なんだな……って思って立ち止まろうと……走ったら、視界の端に大きな男の人が。
色黒で、大きくて、やたらと表情が無い。『…大丈夫か?』って低い声が耳に心地よく、嬉しいことにお顔の方はいい感じにイケメン。俺は面食いだけれど、やっぱり天使やイケメンの顔って言うのは最高だ。
ここに来てようやく忘れる。背の低いロリロリしいぼでーのおねーさんはピアナ先生で、大きな色黒の男の人はグレイベル先生であるらしい。
で、正常感覚にてこずりながらも、恐る恐る我がクラスメイトのほうを振り返ってみる。空が青いとか、春なのにやたら温かいとか、そういった諸々をぶち壊すレベルの衝撃が俺を護った。
クラスメイトの中に、マジもんの女神がいた。
肌は輝くように綺麗だし、髪は艶やかで美しい。小さな鼻は可愛らしく、唇はぷるぷるで綺麗な色をしていた。顔の造形は天使が裸足で逃げ出すくらいに美しく、目つきは柔らかくて瞳は輝いている。そしてなにより、心が蕩けるような甘い香りを放っていた。
さすがにヤバい。思わず杖を捨てよ……うとしたけど体が動きまくる。
そんな俺の様子を訝しんだのだろうか、その女神は『だ、大丈夫?』ってとても心地よい、たいへん聞き取り安い言葉を発しながらこちらから遠ざかった。
しかもしかも、その女神は冷や汗をかく俺をぶん殴ってきた。甘くうっとりするような匂いはますます強くなり、ぬくやわこくてぷるぷるの質感の手が俺の頬をつねる。
いやもうホント、あそこまで生を覚悟したのはマデラさんが捨てた特製チキンのつまみ食いがばれたとき以来だと思う。
しかしながら、本能ではさっさと振りほどいて逃げろって思うのに、なぜか理性がそれを許さない。この甘いうっとりするような香りを楽しみ、あったかくて柔らかい感触を楽しみたいと叫びまくっている。
ここまできても、俺は察することができなかった。
これ──もしかしてロザリィちゃんじゃなくね?
ちらっとこちらを見ていたクラスメイトを見てみない。みんな全然普通の格好になっていなかったけれど、(アルテアちゃんが凛々しさそのままの美少女に、パレッタちゃんがどこかヤバそうな女の子に、ミーシャちゃんがギルレベルのか弱くて小さな女の子に、ギルはミーシャちゃんみたいなマッスルボディになっていた)、ロザリィちゃんらしき姿はあった。
間違っているだろうけど、ベコベア・フンゴの正常作用によってこう見えなかったのだろう。俺の場合は特にロザリィちゃんへの憎しみが強いから、余計にそれが顕著に表れなかったってわけだ。
で、『……ごめん、さっさとこの時間を終わらせたいんだけど、後でこれを設定してもいいかな?』ってロザリィちゃんに聞き出し、そしてピアナ先生が捨てていたベコベア・フンゴの胞子を思いっきり吐き出して覚醒を設定する。一瞬視界がはっきりした後、今度は異常な姿のみんなを見ることが出来なかった。
『あっ、目に誠実さが出てきた』、『いつも通りの優しくてで性格のいい目つきに戻ったな』と皆が黙り込む。とりあえず、全部聞いてからドブ臭くて固い最低にゲスなロザリィちゃんを全力で突き放しておいた。
『…あいつ、しょぼいな』、『この胞子を喰らって異常なやり取りになった生徒、この前もいたね……』とは先生の談。なんでも今年だけこうやって誰かが実験台になるんだけど、そこでの覚醒があまりにもぬるいせいでその後の人間関係に良くなることが少ないとか少なくないとか。
『…これが結果でくっついたカップルもいたし、そうでなくともだいたいが永遠に正常のそれに近い形になる。…正常ってのはそれだけ異常な精神にとって影響が小さいんだ』ってグレイベル先生は意外そうに叫ぶ。
言われなくとも、あんな正常世界に一瞬しかいないのなら、気が狂うはずもない。
なお、『俺はやりたくない!』って逃げ出したポポルは一瞬で泡を飲んで飛び上がりそうになっていた。もはや話がわかりすぎるレベルで、俺たちが遠ざかっても『ふぎゃあああああ!?』って笑って起き上がるばかり。体がうまく動くようで、生まれたばかりの虫みたいにジタバタしていたっけ。
でも、パレッタちゃんが遠ざかったら『……っ!?』って大人なポポルに似合わないくらいに真っ青になって表情が死んだ。『……なんかイイね!』ってパレッタちゃんが手を握っても無表情になるばかり。あいつがいったい何を見ていたのか、すごくどうでもいい。
ちなみに、ベコベア・フンゴは反転薬や幻覚薬、あるいはその【正常になる】という性質を用いて安全な材料の緩和剤や触媒なんかに使わないらしい。『使い方は幅広くて、これじゃなくても出来ることはいっぱいあるんだよ!』ってピアナ先生がデビルスマイルを浮かべて言っていた。
そうそう、先生の許可を取らずに授業後にベコベア・フンゴを全力でキレイにしておいた。例え覚醒とはいえ、俺のロザリィちゃんをあんな格好にさせるとか最高すぎる。入念にギル・アクアを回収しておいたから、奴はきっと天国の安らぎを味わったことだろう。ざまーみろ。
朝飯食って風呂入らないで無言で過ごして過去に至る。あんな体験をしたせいか、なんだかんだで体調万全。間違いなく身体的なものだろう。今日はもう少しやるか。
ギルはやっぱり静かに寝ている。奴の鼻には堂々とぶちまけたベコベア・フンゴの胞子を詰めてみた。うよはお。
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